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2016年8月25日 (木)

アーサー・ブリス オーボエ五重奏曲 ほか 新日本フィル 室内楽シリーズ #102 吉村 知子・プロデュース 7/13

【ブリス:オーボエ五重奏曲】

新日本フィル(NJP)の室内楽シリーズについて、101回目の大島ミチルを中心としたプログラムには感銘を受けたが、次の回も連続して興味ぶかい内容になっていた。プロデューサーは、第2ヴァイオリン首席の吉村知美。自らは弦楽器奏者だが、フルートの野口みお、オーボエの新首席奏者である金子亜未を2枚看板とする公演で、特にアーサー・ブリスのオーボエ五重奏曲がメインに組まれている。この曲目については、私も鑑賞した昨年7月の「国際ダブルリードフェスティバル2015・東京」で同曲を演奏したことがきっかけになっているそうで、不思議な因縁を感じるものだ。

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2016年8月22日 (月)

ラザレフ グラズノフ バレエ音楽『四季』/ショスタコーヴィチ 交響曲第8番 日本フィル 定期演奏会 #682 7/8(初日) 

【ラザレフの9年間】

アレクサンドル・ラザレフが日フィルにおいて、首席指揮者として過ごした9年間を、彼としては念願のプログラムで締め括った。トップ・ポストを若手のインキネンに譲っても、両者の関係はつづくようだが、一応の区切りとなる公演を聴いてきた。ラザレフと日フィルは、純粋に音楽的なパートナーとして互いを認め合った。ラザレフは鬼軍曹的に強烈なカリスマでアンサンブルを率いるようにみえるものの、彼一代にして、日フィルを大きく変えたというような存在とまではいえないと思う。もっとも彼はひたすらオーケストラを愛し、ことあるごとに信頼を口にした。2011年の震災時、東京での公演を準備していた彼だが、当日に予定されていた公演自体は中止となっても、日本を見捨てずに来演をつづけたアーティストのひとりでもある。彼はロシア音楽を中心に、日本の聴き手の趣向に寄り添いながら、その真価をみせる働きを幾重にも巡らした。

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2016年8月19日 (金)

笠川恵 グリゼイ 『プロローグ』 ほか 東京オペラシティ B→Cシリーズ #183 6/28

【平凡なるものの嘆き】

東京オペラシティの「B→C」シリーズで、ヴィオラの笠川恵のリサイタルを聴いた。ドイツのハイテク集団「アンサンブル・モデルン」の所属と聞いていたから、かなりの凄腕だろうと思ってはいたが、それ以上に説得力あるパフォーマンスで、難解な曲でも、よく知られた曲であっても、彼女がそういう(弾く)のなら間違いはないというような信頼感を抱かせる演奏だった。考え抜かれ、研ぎ澄まされたパフォーマンスが彼女の身上だが、とりわけ左手のパフォーマンスは美しく、柔らかみがあって、精緻な音楽に貢献している。ヴィオラらしい、深く、情感に満ちた音色が、楽器の深い部分から自然に奏でられている。

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2016年8月12日 (金)

カンブルラン ディティユー チェロ協奏曲「遥かなる遠い国へ」 /ブルックナー 交響曲第3番「ワーグナー」 ほか 読響 559th定期 6/24

【峻険な道】

読響&カンブルランにとって、あらゆる要素を試されるタイトな演奏会であった。時間的なものでいえば、もっと長いコンサートはある。しかし、中身が濃く、密度がぎっしりと詰まっていて、演奏会を通して、高い集中力を維持するのは聴き手にとっても、演者にとっても楽ではない。この日の演目で注目されるのは、デュティユーの協奏的な作品「遥かなる遠い国へ」だろう。カンブルランの得意なフィールドのひとつであり、独奏者には人気、実力ともに高いジャン・ギアン・ケラスを起用した。だが、後半にはブルックナーの演目も控えている。さらに、カンブルランは前プロとして、ベルリオーズの序曲『宗教審問官』を置くことにしたことで、いくつかの峰を越える、峻険な道とはなったのである。

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2016年8月 5日 (金)

大島ミチル For the East (弦楽四重奏曲) ほか 新日本フィル 室内楽シリーズ #101 「女性作曲家の軌跡」 6/7

【個性のある企画】

新日本フィル(NJP)は団員のプロデュースによる、団員による室内楽シリーズを実施している。今回、101回目となり、かなりの回数を重ねてきたことになるようだ。私は以前から興味を抱いていたものの、なかなか他のイベントと比較して、行ってみようということにならなかった。下の小ホールも、どんなところか、わからなかったのもある。また、オーケストラ奏者どうしの急造アンサンブルによる室内楽では、さほど感動できないという体験もあった。しかし、この日の企画には、目にみえる個性があったのだ。大島ミチルの作品を取り上げたこと。そして、ファニー・メンデルスゾーンの曲目がプログラムされていることも、それである。

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2016年7月14日 (木)

第25回記念ヴィオラ・スペース~ヴィオラの誕生!バロックへの回帰 5/31 コンサートⅠ「バロック音楽の夜明け」

【メッセージ満載】

今年のヴィオラ・スペースは25周年を記念し、「原点に返る」と言いながら、蓋を開けてみれば、これまでにない新しい試みが満載だった。ヴィオラのほかに、ヴィオラ・ダ・スパッラ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオラ・ダモーレ、それにバロック・チェロなどが登場する多様な楽器の饗宴であったと同時に、従来、それを使用してこなかったアーティストもバロック・ボウ、ガット弦を全員が使用、ピッチは(a’=415hz)のカンマ-トーン(バロック音楽のピッチについては、リンクのブログ記事が面白い)に調整するという徹底ぶりである。私が聴いたのは、『ヴィオラの誕生』がサブテーマとなった5月31日のコンサートである。毎年の恒例だが、東宮も今年は単身でご臨席という演奏会だった。

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2016年6月28日 (火)

下野竜也 矢代秋雄 ピアノ協奏曲/黛敏郎 涅槃交響曲 ほか 新日本フィル トリフォニーシリーズ(第1夜) 5/27

【矢代祈念のためのドラマトゥルギー】

黛敏郎の『涅槃交響曲』あたりは近年、そこそこ演奏される機会に恵まれてきた様相がある。三善晃の作品は簡潔のため、1曲目に来ることは多い。その日の演奏会を彩る顔役として、三善作品は相応しい特徴をもっている。矢代秋雄の作品は死の直後、特別に持て囃されたようだが、近年はさほど演奏実績が積み上がらず、忘却の弊が心配される。黛や三善と比べれば、矢代は短命だった。この演奏会のメインはバンダを含む大編成のオーケストラと合唱を使う黛作品ではなく、矢代の作品だであると、指揮の下野竜也は述べている。では、矢代が最後に演奏されるのかといえば、そうでもなかったのだ。

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2016年6月16日 (木)

アレクセイ・リュビモフ ピアノ・リサイタル シルベストロフ ピアノ・ソナタ第2番 ほか @豊洲文化センター 5/18

【概要】

ピアニストのアレクセイ・リュビモフについては、あまりよくは知らなかった。2011年にすみだトリフォニーホールの公演で来日しているが、それも逃している。私は今回のプログラムがとても好きで、ようやく足を運ぶ気になったほど遅れ馳せであるが、その素晴らしさにたちまち魅了されたというほかないだろう。生粋のピアノ好きを多く唸らせる鬼才は、フォルテピアノのような時代ものの鍵盤を自由に操り、古楽に関するレパートリーも手の内にしているし、ペルトやシルベストロフといった同時代のロシアの作曲家をはじめ、現代のプログラムにも幅広い知見を有しているようだ。ロシアの高名なピアノ楽派、ゲンリッヒ・ネイガウスとレフ・ナウモフから直接の薫陶を受け、伝統的なピアニズムの継承者としても申し分のない立場にある。

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2016年6月10日 (金)

アンサンブル・ノマド 平野一郎 龍を踏む者/ユン・イサン 大王の音楽 ほか 「照らし合うもの」vol.1 パラフレーズの広場、再生の泉 5/8

【木之脇道元プロデュース】

アンサンブル・ノマドの今回の公演は、代表の佐藤紀雄から、木之脇道元にプロデューサーが(一時的に)移行しての開催となる。木之脇は高度な演奏技術をもつフルーティストであると同時に、ジャンルにとらわれない、正にノマドな発想をもった作曲家、そして、脱ジャンル的なミュージック・パフォーマーとしても活躍している。例えば、作曲家の中川統雄とコンビを組んだ、Cockroach Eater(ゴキブリを捕食するもの)というアンサンブルでの活動では、豊富なテクニックと表現語法、さらに電子音楽の可能性を追究する、ロック音楽にもちかい、特殊なムーヴメントが展開されている。そんな木之脇が考えたプログラムは、トランスクリプション(編曲)、リ・コンポーズ(再作曲、再構築)をテーマに、「パラフレーズの広場、再生の泉」と副題されたものだった。

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2016年6月 4日 (土)

澤江衣里 ソプラノ・リサイタル R.シュトラウス 4つの最後の歌 など 東京音楽コンクール入賞者リサイタル 4/29

【さすらい人を継ぐシュトラウス】

ソプラノの澤江衣里は、バッハ・コレギウム・ジャパンをはじめとして、宗教曲のソリストや合唱のなかで活躍しているイメージがつよい。そうした演目で必要とされるのは、シンプルで、情感を内に秘めるような静かな語りくち、さりげなく高度な歌の技巧である。しかし、その彼女がまったく対照的なリヒャルト・シュトラウスの歌曲だけでリサイタルをおこなったのは驚きに値する。今後、コルンゴルトでのプロジェクトにも関心をもっているということで、後期ロマン派の歌曲は彼女のもうひとつの重要なフィールドと見做せるのであろうか。まったく異なる2つのキャラクターがなぜか、私には自然に重なってみえるのだ。

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«ジョナサン・ノット(指揮) ブラームス ドイツ・レクイエム ほか 東響 639th 定期 4/24

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