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2012年5月28日 (月)

東京国際ヴィオラコンクール 第1次審査 (day2) 5/27

【質の高いヴィオラ・コンペティション】

東京国際ヴィオラコンクールは2009年、記念すべき第1回目が開催され、セルゲイ・マーロフが優勝。2位にディミトリ・ムラト、3位にファイト・ヘルテンシュタインと良質なヴィオリストを3人も送り出した。その素晴らしさはヴァイオリンを含めたマーロフの華々しい活躍のほか、翌年以降のヴィオラ・スペースなどでもはっきりと確認することができた。その先輩たちの偉業を追って、35人のコンテスタントが紀尾井ホールに集まった。世界の18の国と地域から89名の応募があり、予備審査を経てセレクトされた36名のうち1名がキャンセルし、35名でコンペティションは争われる。

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2012年5月21日 (月)

マラン・マレの肖像 by ヴィーラント・クイケン&上村かおり&クリストフ・ルセ 5/20

【究極の室内楽】

これは、究極の「室内楽」ではなかろうか。世界でも屈指のヴィオール奏者であるヴィーラント・クイケンと、その高弟で、フリーランスの通奏低音、ヴィオール奏者などとして活躍の上村かおりのコンビに、通奏低音としてチェンバロ(クラヴサン)を弾くのがなんと、いまを時めくクリストフ・ルセなのである。しかも、演目の中心に据えられたのは、マラン・マレ。フランス・バロックを代表する魅力的なヴィオールの奏者であり、作曲家であった彼の作品が日本で取り上げられるのは非常に稀なことであった。

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2012年5月20日 (日)

アネッテ・ダッシュ with ヴォルフラム・リーガー シューベルト&ブラームス トッパンホール リートの森(10) 5/17

【新国『ホフマン物語』の思い出】

2003年の新国立劇場で上演された『ホフマン物語』は、私にとって衝撃的な舞台だった。オッフェンバックという作曲家に対する強烈な目覚め、そして、オペラに対する深い信頼感というものを、私はこのとき、はじめて得たような気がする。フィリップ・アルローの演出は機知とユーモアに満ち、そうした作品の面白さを自然な形で引き立てた。特に、オランピアの場とアントニアの場が印象的なのは、これらのヒロインを歌った幸田浩子やアネッテ・ダッシュ(当時の表記はアンネッテ)によるところが大きい。いま調べてみると、ニクラウス役はいまを時めくエリナ・ガランチャであったのだが、私の印象に残る歌手はあくまで先の2人と、キャラクター4役を歌った高橋淳である。

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2012年5月17日 (木)

ラザレフ チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」 日フィル 杉並公会堂シリーズ 第1回 5/13

【近代的な軋みのなかで】

ロシアは、大雑把な国だ。それなのに、社会主義や計画経済に乗り出してみたりするから、見事に失敗するのも止むを得ないことだ。もちろん、ロシアという国の政治について私が知っていることは少ない。レーニンもトロツキーも、まして、スターリンなんてよくわからない。フルシチョフにブレジネフ? 挙句の果てに、プーチン独裁。よくわからぬものをわかったように言うのもみすぼらしいが、強かなロシアの世界戦略なんて、どうみても張子の虎ではなかろうか。ラザレフの音楽が、それを語っているのだ。ロシア、あるいはロシア人の音楽の特長とは、彼らの好むあのつよい酒によく似ている。ピアニストのアファナシエフがロシア楽壇の腐敗の象徴として、音楽劇『展覧会の絵』のために持ち出したお馴染みの酒、ウォッカのことだ。

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2012年5月 7日 (月)

新日本フィル アルミンクの後任はメッツマッハー + ハーディング

新日本フィル(NJP)では、音楽監督のクリスティアン・アルミンクの任期が来季の満了をもって更新されないことが発表されていた。その後任が、7日昼の記者会見で発表されたが、 Conductor in residence にインゴ・メッツマッハー、Music partner of NJPにダニエル・ハーディングで契約延長という内容であった。2人はそれぞれ4プログラム6公演を振り、これらをあわせると、現在、アルミンクが振っているのと同じ公演数をカヴァーできるという。

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エベルト・バスケス Bestiario 動物寓話集 by アンサンブル・ノマド (レーベル:Urtext)

【現代音楽の語法に素直なバスケス】

現代音楽=コンテンポラリー・ミュージックについてはいろいろなことが言われてきたが、作曲家については結局のところ、自分の信じる道を行くしかないものだ。三枝成彰や吉松隆のような考え方も、まあ、一理はあるだろう。だが、私はいつも、彼らの考え方に煮えきらない逃げの姿勢を感じ取っている。この人たちは多分、なにかを捨てれば、それなりに得るものがあるという人たちであって、その立場からものをみているのにすぎないように思われるせいだ。一見、彼らの言動はアカデミズムや、作曲や音楽研究の正統、さらには漫然とした知性主義に抗うような姿勢でもみられるけれど、実際には自分たちの選択を正当化するような、自分に甘い論理に満ちているようにもみえないことはない。

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2012年5月 3日 (木)

エリシュカ ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」 ほか 札響 548th 定期演奏会 4/28 ②

【回りくどさと寄り添うために】

今回の「新世界」交響曲の演奏は、4つの楽章すべてに印象的な部分があった。エリシュカの指揮する同曲の演奏は既に2度体験しているのに、そこから逆算した予測が次々と裏切られていくのには驚いた。そのなかでも、私の記憶は、とりわけ中間の2楽章に凝縮している。

今回の演奏でエリシュカが特にこだわったのが、響きの精確な保持である。吐き捨てるような表現や、気紛れな響きの伸縮というのは極力排し、スコアで与えられた拍をきっちりとること。一見、教科書的なこの配慮が、ドヴォルザークの作品に思わぬ味わいを生むことに、私は目を丸くしたものだ。その効果のなかで最大のものは、前の記事で述べたように、第2楽章の後半、再現するイングリッシュ・ホルンの旋律が室内楽の響きを導く部分であった。そのことについて改めて繰り返すつもりはないが、この楽章は全体的に保持が深く、テンポ感はこれまでの(エリシュカの)演奏と比べてもひときわ遅かった。

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2012年4月30日 (月)

エリシュカ ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」 ほか 札響 548th 定期演奏会 4/28 ①

【芸術における癖】

人間なくて七癖というが、誰にでも思い当たる節があろう。だが、芸術における「癖」を単に「個性」と呼ぶべきなのかどうかについては、よく考えなければならない。そもそも癖とは人々が無意識に、習慣的にやっていることであり、そのほとんどは一般的にも褒められたこととは見做されていないことが多い。癖すらも愛おしく思える場合というのは、相手とごく親しい間柄にあり、その欠点までを含めて好きになれるような関係があるときだけである。あるいは、親や祖父母が自分の子どもや孫に対するときのように、ほぼ無条件の愛情が保証されているような場合だけではなかろうか。

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2012年4月24日 (火)

新田ユリ シベリウス ヴァイオリン協奏曲 & 交響曲第6番 アイノラ響 定期演奏会 9th 4/22

【佐藤まどかの圧倒的な演奏スタイル】

ショスタコーヴィチを専門に演奏するアマチュア・オーケストラは、オーケストラ・ダスビダーニャ。これに対抗するようにして、シベリウスを専門に演奏するアマオケがアイノラ交響楽団である。「ダスビ」が長田雅人氏とのパートナーシップをつづけているのに対し、アイノラ響は新田ユリ氏と結びついている。新田は本場のフィンランドでも活躍する、シベリウスを中心とした北欧音楽のスペシャリストで、日本シベリウス協会の理事でもある。彼女を正指揮者として迎えるアイノラ響には以前から関心を払っていたものの、今回、初めて足を運ぶことになった。

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2012年4月22日 (日)

カンブルラン ストラヴィンスキー ペトルーシュカ 読響 サントリー定期 4/16 ②

【ドビュッシーの管弦弦楽作品における可能性】

ドビュッシーは1918年に、癌で亡くなっている。病の苦しみのなかでも、ドビュッシーのイマジネーションにはいつも神が問いかけていた。オペラ『アッシャー家の崩壊』、カンタータ『フランスへの頌歌』、そして、様々な楽器のために書かれた6つのソナタ(そのうち、未だ完成せざる3つの作品)。バレエ音楽『おもちゃ箱』の管弦楽編曲もそのひとつである。うち、『おもちゃ箱』は1913年にピアノ版が先に完成。管弦楽編曲は中途まで進められ、作曲家の歿後、協力者のアンドレ・カプレが遺稿をもとに補作して完成した。

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