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2009年7月11日 (土)

下野竜也 ドヴォルザーク 「伝説」 紀尾井シンフォニエッタ東京 7/10

公開練習にも足を運んだ、紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)の公演の本番である。今回のメインは、ドヴォルザークの「伝説」の全曲演奏。ゲストは、サイトウキネンや水戸室内管への出演でも知られるファゴットのダグ・イェンセン。コンマスは、澤和樹。

【伝説:前半】

さて、その「伝説」は5曲ずつ、最初と最後に分けて演奏された。この日の演奏では、どちらかといえば、最初の5曲の演奏が優れていたように思われる。なかでも、白眉とみられるのは第4曲である。ホルンの爽やかな序奏から、豪華な響きが立ち上がる最初の場面の印象が、まず素晴らしい。中間では細かな表情変化が自然な推移をみせるのが、印象に刻まれた。強奏と弱奏がハッキリ切り替わりはするものの、その間にエネルギーが逃げていかないで、しっかりした手ごたえが残っていることが、作品のフォルムを引き立てる。そのことが特に生きてくるのは、弦の薄いトレモロと金管の響きから導かれる最後のヤマである。

だが、それを上回る感動を与えたのは、その盛り上がりが静まったあと、すこし微妙な響きのする和音が敢えて選ばれている部分についてであった。通常であれば、共鳴しにくい音をゆるめて響きを柔らかくするか、楽譜どおり和音をしっかりとって怜悧なフォルムをつくるしかないだろう。しかし、下野はこの不協和な響きを真正面から受け止める。和音のつくる構造をしっかり整理して拾い上げ、すこしだけ丁寧に魂を吹き込んでやるだけで、いかにもドヴォルザークらしい、穏やかで、親密な響きとなることを知っていたのだ。

つづく第5曲は、1−2世代あとを追ってくるリヒャルト・シュトラウスを思わせる華やかさのある響きが特徴であるが、それよりも少しくすんでいて、素朴な感じがするだろう。こちらは多彩な表情をヘルシーに生かし、なるべく小さな動きのなかに閉じ込めて、優しい響きを作り上げている。

前半も、充実した演奏である。第1曲は、長い休符を機に向かいあう部分の対比が鋭く、その段差が、この曲に含まれる民俗性を自然なカタチで引き出す。第2曲は、まず繊細な序奏の作り方が魅力的であるが、主要なモティーフに入ると、ザクザク刻むリズムの動きが強調され、この両端のあいだを振れる振り子の動きが、表情ゆたかに印象づけられた。

第3曲は、公開練習のときにやっていた曲のひとつだが、もっとも深彫りが進んでいて驚かされた。テンポも速めにアジャストされ、前のめりなフォルムの鋭さが小気味いい。この曲に愛らしい特徴を与えるトライアングルの響きをはじめ、すべての楽器の音色やフレージング、それらのバランスや受けわたしが格段に磨き込まれ、あるときには柔らかく、またあるときには鋭さを増して、演奏されていた。最後、ホルンの勇壮な響きから1曲が閉じられる部分の鋭さも、思いきった感じである。

【伝説:後半】

これと比べると、後半は、すこし緊張が弛んだ感じがした。6−8曲は、練習のときの印象とさほど変わらない・・・どころか、すこしとちり気味になってしまった部分もあって、いささか残念な想いがした。それでも、公開練習のときの出来が既にして良かったのだから、まるで聴きものにならないということはない。例えば、第6曲はその前のイェンセンの好パフォーマンスを拾う形で、魅力的な主題のメロディを濃厚に描き、ゆったりと落ち着けていく。

7−8曲は、他の部分と比べてつまらないミスが多く、聴きばえがしない。特に、第3曲の最後の部分に対応するような、第8曲の最後のキメの部分は、練習のときに優れてゴージャスな響きに仕上がっていて本番が楽しみだっただけに、うまく決まらなかったのが惜しい(すこし急いでしまったのではないだろうか)。

これらの部分で感じたことは、この曲のあまりにも、あまりにも繊細なフォルムについてであった。この作品はもともと、ピアノ連弾のために書かれた作品を肉付けし、作曲者自身が管弦楽化したものである。骨組みはスカスカであるのに、ドヴォルザークが見事にオーケストレ−ションを施すことで、信じられないくらい濃厚で、肉厚な作品に仕上がっている。だが、そのデコレがすこしでも剥がれてしまうと、途端に魅力を失ってしまうのである。

第8曲のあと、下野がすこし微笑んだのが効いたのかどうか、第9曲ではもとの流れが戻ってくる。この曲は、すこしヨハン・シュトラウスを思わせるような感じで、ウィンナー・ワルツのような揺らしはないものの、リズムに特徴があるのを上手に捉えている、また、後半は、古典的な対位法的な響きが換骨奪胎で使われているのがわかり、ドヴォルザークについて見逃されがちな、構造観の鋭さをアピールすることも忘れない。

このように、「伝説」という曲では、ドヴォルザークのもつ民俗的な特徴と、ドイツ的な特徴がうまく混ざり合っていて、交響曲第6番と同じ時期の作品であることに納得がいく。

終曲は、再び魅力的なものとなった。しっとりと構造を浮き立たせていく演奏であるが、適度に抑えられた表現で、何ともいえない気品が感じられた。最後の和音は第4曲と対応するように、やや複雑な配置をうまく読み解くことで、ドヴォルザークらしい、彼の音楽にしかない特徴を炙り出すことができるのは同じことである。

この日はこの日で、(特に前半において)独特の緊張感があって素晴らしかったが、2日目は、既述のポイントにアジャストが入り、もっと良くなるだろうと思う。今回の演奏は、この曲の魅力を感じさせるに十分すぎるほどであり、この日より以降、私の好きな曲として、この「伝説」が加わったことはいうまでもない。交響詩のような叙情性の高い作品表現に優れたエリシュカさんに演奏してもらったら、本当に素晴らしいだろうと思う。

【演奏会テーマは、シンプル・イズ・ベスト!?】

ドヴォルザークの親友のブラームスは旋律を節約して、馥郁たる構造で聴かせる。だが、「伝説」におけるドヴォルザークは構造のほうを節約して、穴だらけのスポンジにバターを流し込み、クリームを被せ、シナモンを振ることで、非常に素朴で、柔らかく、穏やかな音楽性を獲得している。

どちらがモーツァルトにちかいかと問われれば、ブラームスと答える人が多いだろう。しかし、もしかしたら、そのシンプルな音楽づくりからすると、むしろ、ドヴォルザークのほうがモーツァルトにちかいのではなかろうか。シェフとパティシエというちがいこそあれ、この2人の作品はいずれも屈託のないヒューマニティに溢れており、また、目に見えない難しさがあって、一音たりとも邪険に扱うことができない点などもよく似ている。

ところで、ここにいうシンプリシティというキーワードは、今回の演奏会のプログラムを串刺しにするような言葉でもある。メインの「伝説」は正に・・・というところであるが、イェンセンの吹いた2つの作品もまた、シンプルそのものである。モーツァルト(KV191)については言うまでもないとして、ジョリヴェ「ファゴット、ハープ、ピアノと弦楽オーケストラのための協奏曲」も、そうではなかろうか。

この2部構成のジョリヴェのコンチェルトは、トリスタン和音を擬した大胆な開始から、非常にゆたかな遍歴を描いて、結局、直前の絞り出すような厳しいモティーフから、信じられないほど鮮やかで、色目も爽やかな清潔な和音に解決していく。ところが、専門的な分析眼を持たない私からすると、すこぶる感覚的な見解ではあるが、見かけ上のレトリックの多彩さからすると意外なほど、このコンチェルトは単純で、ナチュラルな語法だけで組み立てられているように思えるのである。

それぞれの作品で、すこしずつ切り口が異なるものの、ときには、シンプルなものにこそ、より大きな喜びがあるということが、この演奏会を貫くテーマだったのかもしれない。それは、オケのアンコールに「ユモレスク」が選ばれたことからもわかる。

【2つのファゴット協奏曲】

同じファゴット中心の協奏曲とはいっても、モーツァルトのジョリヴェの作品は、まるでちがう表情を我々にみせるだろう。モーツァルトでは非常に人工的な、技巧性の極致から、不思議と安らかで、純朴な響きが立ち上ってくるのに対して、ジョリヴェではより自然で、語りかけるような響きが、それに代わるからである。

ジョリヴェでは、ソリストと伴奏者がボーダーレスに隣りあっており、ソロ楽器たるファゴットの役割は目まぐるしく変わっていく。ときには伴奏にちかい役回りまで演じ、あくまで一歩浮かび上がったようなモーツァルトのファゴットとは、若干、趣がちがってくるのである。

ところが、その中心にある可能性となると、驚くほど似通っている。それは、揺るぎのないフォルムの堅固さ(それは骨組みの緻密さから来るというよりは、解体しようもないぐらい単純であることの頑丈さによっている)に基づいた、ある種の安心感、穏やかさ、癒しというものに結びついている。

イェンセンは、正に、その点を鋭く突いた演奏になっている。彼の演奏を物語るうえで、もっとも大事なのは、その音色のジェントルな優しさについてではないかと思う。私は、ヴィオラやコントラバスの音色が好きだが、ダグのファゴットは、それらの響きにもちかい深みがある。ジョリヴェでは、1本の大木が物語る遠いむかしの叙事詩のようなものがきこえてきたが、それは、どっしりした表現の安定感に基づく、落ち着き払った音色の濃厚さや、研ぎ澄まされたフレージングの自然さから導かれる。

モーツァルトでも、実は、同じものが求められている。出力の方向性にちがいはあっても、入力においては同じ要素だったのであり、結果として聴き手の胸に届いてくるものは、さほどちがっているわけもないのだ。というわけで、ダグのファゴットは、モーツァルトの技巧性ゆたかな作品においても、不思議な癒しの感覚を与えるものだった。彼の巧妙な演奏だけではなく、なによりも、その優しさに酔いしれた会場は異様な盛り上がりを見せたのである。

おわってみると、彼に全部もっていかれたという感じがしないでもなかった。

【まとめ】

非常に、満足感の高い演奏会であった。KSTはいろいろなタイプの音楽仲間を呼んで、プログラムを組み立てているが、下野のような一端の指揮者が来たときには、やはり、特別な響きを聴かせてくれるのだ。今回で1シーズンが終わったことになるのだが、レーゼルの客演に始まり、大曲「エリヤ」の演奏もあった今年のKSTの演奏会のなかでも、今回がベストであったと思う。

【プログラム】 2009年7月10日

1、ドヴォルザーク 伝説 Ⅰ-Ⅴ
2、ジョリヴェ fg、hrp、pfのための協奏曲
3、モーツァルト ファゴット協奏曲
4、ドヴォルザーク 伝説 Ⅵ-Ⅹ

 コンサートマスター:澤 和樹

 fg:ダグ・イェンセン

 hrp:篠崎 史子  pf:野平 一郎

 於:紀尾井ホール

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