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2009年7月23日 (木)

ストラヴィンスキー 兵士の物語 アンサンブル of トウキョウ with 西村恵一 7/22

アンサンブル of トウキョウは、フルート奏者、教育者、指揮者でもある金昌国を中心に結成されたグループだが、一定の編成を定めず、多様なプログラムの表現を可能にするフレキシブルなメンバー構成で、これまでに90回もの演奏をおこなっている。91回目の今回は、「トリオ・ダンシュ」といわれるリード楽器による三重奏をコアとした曲目が選ばれ、金の吹くはずのフルートさえ登場しないプログラムである。

【トリオ・ダンシュによる曲目たち】

前半は、「トリオ・ダンシュ」のみによる曲目3つを、青山聖樹、山本正治、水谷上総の3人で演奏した。最初のモーツァルト「ディヴェルティメント」(K439b-4)の演奏で、なるほど、この3つの楽器の相性の良さは十分に実感できた。3人はやや安全運転の印象はあるが、モーツァルトの素朴な楽想をゆったりしたテンポで演奏し、そうしたトリオ・ダンシュの特徴をしっかりと聴き手のこころの中に刻みこんだ。その流れのなかで、イベール「5つの小品」の演奏も、寛いだ音楽空間へと聴き手を導くものだったが、音色はまるで変わり、3人のコミュニケーションにも動きがついていく。

前半の最後は、トリッキーなフランセの「ディヴェルティスマン」で、全編がスケルッツォのような落ち着かない展開のなかで、トリオ・ダンシュの響きが不思議と据わりのいい雰囲気を出すのが面白かった。

【兵士の物語】

後半は、トリオ・ダンシュが中心ともいえない(そもそもオーボエを欠く)だろうが、それを含むストラヴィンスキー「兵士の物語」が演奏された。メンバーは末尾に示すが、西村恵一が日本語でナレーションを務めた。これは今までに、関西の音楽祭や大フィルの演奏会で取り上げられた上演形式によっており、ストラヴィンスキー(正確にはラミューズ)のリブレットによるナレーションには、関西人らしくボケ・ツッコミを入れた冗談がすこし加えられ、かなり大胆な端折りがあったりもする。ナレーションのリズムやタイミングも、原作品とはすこし変わっている部分もあるし、ドラムロールが繰り返されて鳴り止まなくなる小ネタさえあった。とはいえ、概ねストラヴィンスキーの音楽を変えることなく、全編がそのまま演奏されている。

冒頭、いきなりナレーションのリズムが変わっており、日本語的な平板な抑揚で西村が入ってきたとき、「おやおや」と思ったものだが、既に何回かの本番を経て好評を得ているだけあり、その違和感はすぐに消えた。フランス語と日本語の抑揚は、当然ちがうわけだから、このような変化はあって当たり前だったのかもしれない。その日本語ナレーションがさらに、ストラヴィンスキーの音楽に相応しいのかという議論もあろうが、そこには、いまは立ち入らないことにする。

演奏自体は、どうだろうか。例えば、この作品を象徴する最初のマルシェは、低音(cb:永島義男)やパーカッション(藤本隆文)の印象から、私のもつイメージよりもやや明るめに思われる。それはもちろん、ナレーションの西村の調子から来る影響でもあろう。

大活躍なのは、小林美恵のヴァイオリンである。プロの奏者がすこし外して演奏するのは、かえって難しいものだが、ストラヴィンスキーの場合、そうした微妙な音程に不思議な表出力があって、きれいな響きよりも立体的にイメージを喚起させる。小林のヴァイオリンが優れていたのはその点で、例えば、ナレーションがなかったとしても、彼女の出す響きだけで、それぞれの場面が目に浮かぶようだった。

全体のアンサンブルは緊張よりは弛緩に向かっており、めいめいがやや譲りすぎの印象は否めない。場面によっては、もっと壊れそうなぐらいに激しいぶつかりあいがなければ、この作品が問題にしているものを、十分に拾うことはできないように思う。ストラヴィンスキーが変拍子を好んで使うことの理由のひとつは、そのリズムの歪みのなかで、ひしめきあう楽器の響きの緊張や、それを一気に解放するときの音楽の凄さを知っているからだ。そのような点において、特に、木管の2人がやや控えめであるのは、この作品のもつ響きの多彩さや、厳しい緊張感をすこしだけ損なっているようだ。

タンゴ・ワルツ・ラグタイムによる3つの舞曲をはじめ、若干、舌足らずになったナンバーがないことはない。しかし、全体としてみたときには、音楽劇とも、オペラとも、バレエ音楽ともつかないこの作品のマルチ音楽的な感じをつよく印象づける点で、今回の上演は優れている。そもそも「兵士の物語」は、第一次大戦後の荒廃のなかで、どこでも簡単に上演できるようにと考えて作曲されたものであるという。その土地が提供できるリソースのなかで、俳優がいれば劇として、歌い手がいればオペラ的なものとして、踊り子がいれば舞踊音楽として、いかようにも通用する音楽を書いたのだとすれば、この演奏姿勢はいかにも正しい。

とりわけ、今回の演奏は舞踊音楽としてのリズム感を特に印象づけており、それは時折、ナレーターがつける断片的な踊りのなかにもみえる(だが、その稚拙さを完全にさらけだす前に、さっと袖へ下がってしまうのは一見識だ)。

さらに、最初のほうで述べた響きの明るさというのは、ストラヴィンスキーがこうした音楽の力で、荒廃したヨーロッパを元気づけようとした趣旨と無関係ではあるまい。

【兵士の物語の語るメッセージ】

最後、グランド・コラールにのせてナレーターが喋る台詞は印象に残る。いまの幸福に昔の幸福を加えようとしてはならない。全てを手に入れる権利はない、それこそ禁断。幸福はひとつで十分。2つでは、幸福などなくなったのと同じだという部分である。これは、国外に出るなという悪魔の警告とともに、明らかな反戦へのメッセージだ。やや立場が入れ替わるものの、王子が妃とともに「過去」を訪れるのは、ハプスブルクの皇太子がチェコ生まれの妃をともなって、妃の生地にちかいサラエヴォへ行ったことが原因で起こった、第一次大戦の引き金となった事件と同じ構図でもある。

だが、そんなことはおくびにも出さないほうが、芸術的には高い価値を得るのかもしれない。西村は、この物語で語られているテーマが、あたかも我々の隣にあるような問題であるように喋っている。確かに、二兎を追う者は一兎をも得ずということわざがあるくらい、この台詞はいたって素朴で、寓意的な教訓も含んでいるのだ。そのことをむしろつよく押し出すことには、多分、作曲者も賛成ではなかろうか。ストラヴィンスキーは決して、反戦のメッセージを押しつける意図はないが、その言葉はどうしたって、荒れ地に暮らす人たちにはダイレクトな反戦の叫びとして届いたはずだ。だが、それを拒否したい人には、もっと古典的な寓意劇としてみる権利を認めている。

ところで、現代のみえない「荒れ地」に暮らす人たちにとって、こうしたメッセージはどのような形で伝わるのであろうか・・・。

【結語】

やはり、この作品は素晴らしい。そして、それを演目に選んだ人たちも素晴らしいということに、今回の演奏会は尽きるだろう。演奏もよかった。ただ、すこし辛口にいうならば、これだけ複雑な作品をさも易しげに演奏してしまっているところに、今回のパフォーマンスの限界があるのかもしれないと思った。

【プログラム】 2009年7月22日

1,モーツァルト ディヴェルティメント K439b-4
2,イベール 5つの小品
3,フランセ ディヴェルティスマン
 (以上、ob:青山 聖樹、cl:山本 正治、fg:水谷上総)
4,ストラヴィンスキー 兵士の物語
 vn:小林 美恵  cb:永島 義男  tp:神代 修
 tb:吉川 武典  cl:山本 正治  fg:水谷 上総
 perc:藤本 隆文  ナレーション:西村 恵一
 cond:金 昌国

 於:紀尾井ホール

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