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2009年7月17日 (金)

ベートーヴェン・トリオ・ボン メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲第1番 ほか @浜離宮朝日ホール 7/17

濱倫子と、ドイツのオーケストラのコンマス・首席奏者によって構成されるベートーヴェン・トリオ・ボンの演奏を聴いてきた。

【運命に導かれた3つの個性】

トリオのうち、濱&アルミャン(チェロ)のデュオはカールスルーエの大学時代から、パートナーシップを育ててきたわけだが、そのアルミャンが入ったボンのオーケストラで、ヴァイオリンのミハイル・オヴルツキと出会った。彼は2人よりもすこし若いが、世界的な名門のひとつ、ザハール・ブロンのクラスのアシスタントを務めるような逸材でもあったようである。そして、彼はアルミャンと同じく、モスクワの出身と来ている。

運命に導かれた3つの個性・・・と、プログラムの表紙に副題がしてある。正に、というところであろう。このトリオは、生まれるべくして生まれる運命にあったとしか思えない。それぞれがつよい部分を分けあい、または、足りない部分をうまく補いあってもいる。例えば、オヴルツキは非常に高度な技術の持ち主で、妥協性のないつよい音楽をもっているが、濱やアルミャンに音楽の自由なアイディアを学んでいる。アルミャンは立体的な構築力やアイディアの闊達さにおいて優れているが、音色の華やかさや構造へのセンスについては、オヴルツキや濱との共同作業により、より鋭い感覚を発揮できる。濱はこれら優れた弦楽器奏者の助けを借りて、自分のもてる才能をより幅広く、華やかに輝かせることができている。

これらのメンバーが奏でる響きは、神さまがそう仕向けたかのように自然な絆によって結びつき、互いの音楽性を打ち消しあうことなく、すんなりと溶けあっていく。まだ日の浅いトリオであるが、その未来は何者かによって明るく照らされているかのように思える。

【ショスタコーヴィチは身近な音楽家?】

プログラムでは3番目になるが、ショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲第1番は佳演であった。考えてみれば、ソリストによる急造グループを除くと、いま、ロシア人による室内楽グループというのは、あまり思いつかない。ドイツを根拠とするとはいえ、若いロシア人を2人含むショスタコーヴィチの演奏は、やはり他とはちがう味わいがある。

このトリオによるショスタコーヴィチは、作品番号8、作曲家が未だ17歳のときの作品ということもあろうが、ショスタコーヴィチが生得的にもっていたポジティヴな志向をイメージさせる演奏である。それはまず、ピアノのつくるベースがレッジェーロになっていることから来る印象であるかもしれない。それに対して、弦はどちらかというと土臭く、適度な重みがある。全体としては力みがなく、コンパクトな構造がそのまま響きをつくっているかのような印象を与える。

演奏はヴァイオリンのオヴルツキを中心に、独特の共感に基づいたエモーショナルなものだが、ナチュラルに構造を追っていき、そのしっかりした枠組みをきれいに提示しているのは、ドイツに拠点を置くアンサンブルらしいところでもある。濱の弾くピアノはショスタコーヴィチの音楽の深みを奪わない程度に、しっかり手綱を引き締めたリリカルさ。コーダへのブリッジの勇壮さは特筆すべきだが、そこからの退き方がまた絶妙で、期待を「裏切る」(例えば、大作が期待される9番で肩すかしを食わせたことを思い出そう)ショスタコーヴィチのユーモアを遺憾なく拾っている。

この演奏を聴いていると、彼らにとって、ショスタコーヴィチは非常に身近な音楽なのだという気がする。

【ベートーベンから演奏会のコンセプトを紐解く】

ところで、このトリオにとって、ベートーベンの作品が、本当に本領発揮しやすいフィールドなのかどうかはわからない。例えば、カールスルーエやデトモルトの学校に通ったからといって、濱倫子というピアニストがベートーベンが得意だというかどうかには、大いに疑問がある(巧拙というレヴェルの話ではなく、もっと深いレヴェルでの話だが)。ただ、その名前を看板に入れたことからもわかるように、彼らがその音楽性になにか運命めいたものを感じ、その音楽を1回1回の演奏会のコンセプトに使っているらしいことは、まず間違いがない。

今回はベートーベンのピアノ三重奏曲第4番「街の歌」が用意されたが、その最終楽章は、今度の演奏会にとっては何重もの意味を備えているのではなかろうか。

例えば、そのヴァリエーション的な性格からは、主題やそれをめぐる構造のマジックを重視し、演奏していく姿勢が投影される。それに相応しく、「街の歌」というニックネームの由来ともなった素朴な主題をもとにして、3人がそれぞれに謎解きをおこないつつ、彼らのもつ様々な個性を楽しませる多彩な演奏は、多くの聴き手を確実に惹きつけたはずだ。こうした意識はもちろん、メインのメンデルスゾーンの演奏で、一際じっくりと発揮されることになるのだが、先のショスタコーヴィチにも既述のような構造観が生きており、ピアソラさえも例外ではない。

当然のことだが、そこには調整の問題も浮かび上がってくる。濱が書いたと思われるプログラムの挨拶文は、次のように始まっている。

「今晩のプログラムは、ちょっとした世界一周旅行のようになりました。」

ウィーンの街角に始まり、タンゴのふるさとアルゼンチン、成立したてのソ連、そして、旅の最終地点であるドイツへ・・・という地政学的なもの(+歴史的なもの)だけが明記されているが、音楽、そして、旅といえば、私ならば、調性の旅を除いて考えることはできない。このことについて得意とはいえない自分が深く立ち入って書くことはしないが、次の点だけは指摘しておきたい。

まず、ベートーベンの「街の歌」は、もともとクラリネット、チェロ、ピアノという編成で書かれ、のちに、クラリネットがヴァイオリンと交換可能なように書かれた。ゆえに、この曲は管楽器のための曲に向くとされる変ロ長調になっている。そして、旅の最後のメンデルスゾーンは、その近親調に当たるニ短調の曲である。この曲は同主調のニ長調で締め括られ、それはヴァイオリンのための曲にもっとも向くとされる調なのだ。

【メンデルスゾーン】

さて、そこでメインのメンデルスゾーンに話を移そう。

第1楽章は構造観が大胆で、作品のフォルムがヴィヴィッドに浮き立っている。それは、爽やかに伸びるヴァイオリンのオヴルツキのリードによるところが大きいが、もう一本の弦の紳士的なサポートも見逃すことができないし、濱のつくるベースが相当に腰高であることも見逃せない。

ここで濱のトリオにおける役割について考えてみたい。私は、かつてイザイ弦楽四重奏団のメンバーも所属し、LFJでもお馴染みのトリオ・ヴァンダラーというグループが大好きだ。そのピアニストを務めるヴァンサン・コックは、ときにエレキのような刺激的な響きをつくるグループの要で、電気ナマズのように激しく、ガツンと来る響きに特徴がある。濱のピアノもそれに似た存在感があるとはいえ、いささか性質がちがう。

彼女は電気的なものよりも、水車をイメージさせるような、自然エネルギーを用いたダイナモだ。この動力のちがいは、トリオという自動車の動きを完全に左右する。もちろん、トランスミッションに当たる2人の弦は、もちろん、さらに大きなちがいがある。特にアルミャンは、ラファエル・ピドゥとは似ても似つかず、ずっと柔らかい音色を持ち味としている。そのこともあり、ベートーヴェン・トリオ・ボンの響きは、どこまでも自然で、無理がない。濱のまわす水車がゆったり回転し、2人の弦をときにはしっかり、またあるときには厳しく支えている。一方で、水車をまわすのはオトコたちの役割だ。

その濱の弾く第2楽章冒頭のソロには、思わずぐっと来るものがあった。だが、その水車の動きに導かれるように、2人のオトコがとろけながら入ってくる部分は、この日の白眉を成す。チェロの長閑な歌にも力があり、ヴァイオリンの瑞々しい音色を誘い出す。

スケルッツォも充実している。まず、ショスタコーヴィチでみせたレッジェーロが、この部分にも生きている。アンサンブルは特に磨き込まれ、それぞれの楽器が深く楽想に食らいつき、通常よりも一段、彫り込んだレヴェルで演奏されているのがわかる。最後の楽章は、同様の主題を遺憾なく磨きあげ、粘りづよい演奏に仕上げている。それは、最初のベートーベンのめくるめく多彩な終楽章とは対照的だが、構造への飽くなきこだわりは同じで、濃厚なロマン性は作品のくどさに反比例している。

3つの楽器はこれまでにないほど滑らかに溶けあい、このトリオの充実をしっかりと印象づける。中でも、オヴルツキとアルミャンは本来、アプローチが似通っているわけではなさそうなのに、ここでは彼らの押し引きが絶妙に決まっており、ピアノのラインを根ぶとく支えることにもなっている。そして、彼らにとっての水車は勢いよく回り、そのためにまた、弦の響きに弾力性が加わっていくのである。最後の部分は活気に満ち溢れ、弾みすぎた感じもするほどだが、響きの切れ味は抜群だ。

【まとめ】

もはや、ピアソラ「ブエノスアイレスの四季」には触れる時間がないが、この流れのなかで無視すべきものでもないことは、はっきり自覚している。ただ、書くためのスペースがないことをお詫びしたい。今回、「四季」のなかで、「夏」がいちばん初めに完成し、当初は組曲とする意図もなかったらしいこと。そして、アルゼンチンでは暑い夏から1年が始まることを踏まえ、夏・秋・冬・春と並べなおして演奏したのが一興であった。

楽しみにしていたコンサートでもあるし、予想どおりの充実した演奏に大満足を味わった。やはり、この濱倫子というピアニストは、日本の10−30代の若手ピアニストのなかでは、飛び抜けて才能があるように思われる。この夏、彼女はトリオの録音を発売したドイツのANTESレーベルから、「夜のガスパール」「クープランの墓」「ラ・ヴァルス」という構成で録音を出した。それは、同じくラヴェルで勝負に出た三浦友理枝などの及びもつかないレヴェルを示し、さらなる高みをめざすことのできる可能性を提示している。

だが、ソロというよりは、こうした室内楽においてこそ、濱はいきいきしているようにも見える。しょせん、ピアニストは孤独な稼業であり、こうした優れた仲間をもっているからには、彼らと高めあっていける余地がある限り、そこにエネルギーを投下していくに越したことはないのだろう。

だが、このラヴェルは必聴である。前回の来日で披露し、その見事な演奏に私を嘆息させた「夜のガスパール」の〈オンディーヌ〉は、やはり、驚嘆すべきレヴェルに来ている。こういう人が、生地の日本でほとんど無名であるというのは、損失以外のなにものでもない!

【プログラム】 2009年7月17日

1,ベートーベン ピアノ三重奏曲第4番「街の歌」
2,ピアソラ ブノスアイレスの四季(夏・秋・冬・春)
3,ショスタコーヴィチ ピアノ三重奏曲第1番
4,メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲第1番

 vn:ミハイル・オヴルツキ  vc:グレゴリー・アルミャン
 pf:濱 倫子

 於:浜離宮朝日ホール

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