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2009年8月27日 (木)

エトヴェシュ シャリーノ作品ほか サントリー音楽財団 サマーフェスティバル 【音楽の現在 管弦楽】 8/25

毎夏、8月末におこなわれているサントリー音楽財団のサマーフェスティバルは、世界と日本をつなぐ現代音楽の祭典である。25日は、現代音楽の潮流を紹介する「音楽の現在」のシリーズで、2007年〜2008年に初演された作品が選ばれている。演奏は、沼尻竜典指揮による東京都響。

【2つの駄作については簡単に】

4つの作品が演奏されたが、真ん中の2つはスカだったので、あまり詳しくは述べない。まず、米国の権威的な作曲家、オーガスタ・リード・トーマスの『ヴァイオリン協奏曲』は、独奏のヴァイオリンが回遊的に演奏を展開し、少しずつオーケストラの鍵を開いて響きを解放していくような構図になっているが、独奏ヴァイオリンの動き方が月並みである上に、全体の響きもやや単調であり、作品としての面白味に欠ける。

さらに酷いのは、ルーク・ベドフォードによる『花輪〜オーケストラのための』という作品で、1つの素材が旋律となったり、背景になったり役割を変えることで、自由に再現するという構想を示している。ただ、実際に出来てきた音楽はいかにも古くさく、新古典主義、ひいては後期ロマン派までも思い出させるような頽廃的で、やけ太りしたロマン性を感じさせる。マーラーやワーグナーのような音像が見えており、21世紀に生まれてくるべき作品ではない。

【シャリーノの意外な4つのアダージョ】

その点、最初に演奏されたシャリーノは、やはり外さない。『4つのアダージョ〜リコーダーとオーケストラのための』は、なんとアダージョだけによる4つの楽章からなる作品。だが、4つのアダージョは意外な方法で描き分けられているともいえるし、また別の点からみれば、相互に共通しあう部分もあるようだ。

まず、シャリーノにおいては、「アダージョ」という決まりきったイメージからいって、解体される。大体、アダージョといえば、荘重で、重々しい音楽でなければならないと思われがちだが、実際は、アンダンテとラルゴの間にある速度表記でしかない。しかし、アンダンテよりも遅い速度ということになれば、自然、明るく軽快な音楽は書きにくいわけだし、そのイメージは本質的なものに近いことも確かである。だが、可能であるならば、アダージョをおかしみのある音楽や、悪戯っぽい音楽に仕立て上げても構わないわけだ。

この曲の第1の部分は、そうした発想の転換によって生み出されているように思われる。独奏楽器たるリコーダーは、我々(日本人)からすると和楽器のような響きにもきこえるが、全体の風景からみたときには、鬱蒼とした森のなかに響く動物たちの声(オーケストラ全体がそうした響きを発している)のなかで、何かけたたましく鳴く鳥の音のように思えるのである。

しかし、多分、シャリーノもその響きが同時に、いかにも日本的な響きにきこえることも計算に入れており、一見、粘っこい一様な風景のなかにも、表面と深部の絶え間ない交代を仕組んで、聴き手にいささかおかしみを与えながら、巧みに眩惑しているのである。第2曲は音素材的には、これに近いものを引きつづき利用しているが、雰囲気はまるで変わってしまう。この前半の2曲は、音素材が平面的に配置されていることも共通している。ところが、どちらかといえばユーモアに守られて、聴き手を魅了していた音楽は、不意に相手を騙すかのようにシリアスな領域に分け入っていく。そして、リコーダーの奏でる雰囲気に、それが象徴として滲む。

面白いのは、ここまでの流れのなかで、リズムが周到に隠されていることだ。多分、厳然としてリズムは存在するが、それを表現する要素が皮相的に、どこにも見られないのだ。それゆえ、聴き手は真っ白なカンバスを見つめるような気持ちで、リズムによる彫琢の全くない音楽に接しているような錯覚を起こす。

第3曲目のアダージョは前曲とは、主に雰囲気のほうを共有しており、一部の素材が類似的に受け継がれてもいるかもしれない。全体の響きは急に立体的となり、深刻さを増す。リコーダーの独奏は、最初のユーモラスな雰囲気からは一歩、深い部分に呑み込まれていくようだ。そして、最後のアダージョでは、響きの立体性がそのまま受け継がれるが、意外な展開で最初のユーモアが再現し、4曲のなかでも特に簡潔に締められる。あっと言わされる発想の勝利だが、噛みしめるほど味わいが出るというところまではいかない。しかし、例えば、モーツァルトのオペラによくあるように、絶望の淵からおもむろに楽天的な解決に向かうような、そんな流れに似たところをもつ作品であった。

前半では、見事に隠してきたリズムが、この最後の部分では全面的に浮かび上がり、先の要素とあわせて、種明かし的な展開になっていることに留意したい。

【エトヴェシュのバルトークへのオマージュ作品】

最後に演奏されたのは、ペーター・エトヴェシュの『2台ピアノとオーケストラのための協奏曲』であるが、バルトークの生誕125年を祝う2005年に作曲されたオマージュ作品から、改作したものとなる。元来、デジタル・ピアノとアコースティック・ピアノをコンピュータ・システムで結び、この特殊な2台ピアノとオーケストラによる協奏曲として初演された。1人のピアニストがデジタルのほうを打鍵すると、プログアムに応じて、もう1台のアコースティック・ピアノが自動的に打鍵されるという仕組みであったのを、2人の奏者、2人のアコースティック・ピアノに書き改めることで、新しい音楽的地平を開こうとしたのだろう。

つまり、こうした人為的なものの要素が強まることで、正にコンピューター的な精度は失われるとしても、2人のピアノ奏者がそれにどこまで近づけるかというポイントが生まれ、かつ、1人の弾き手がこうと決めたならば、あとはプログラムに応じて一様の動きを示すはずの旧作と比べ、1:1の人間が演奏することで、2台ピアノの響きに無限の奥行きがもたらされるだろう。こうして、エトヴェシュの作品は、ほんの一時の完璧な実現よりも、より長く持続する表現の揺らぎのほうにシフトしたと言えるのかもしれない。

さて、作品を聴いてみると、1世紀以上も前の作曲家に対するオマージュ作品であることから、ある程度の限界はあり、いささか保守的な感じがするのは否めないところだ。では、なぜ簡単に取り上げた中間の2つの作品と同じように感じなかったかといえば、やはり響きそのものには、かなり新鮮なものも感じられたからだ。また、形式的な発想の面白さもある。そもそも、この作品は「協奏曲」と謳ってはいるが、実際のところ、『2台ピアノと打楽器のためのソナタ』といっても納得するぐらい、ピアノと打楽器の響きにこだわった作品である。

それを象徴するように、対位法で構成されているという3台のスネア・シンバルを用いた冒頭部分は、エトヴェシュが言うように旋律的で、全体を聴き終わったあとでも深い印象を残す。オーケストラの響きは、ときに主導権を握ることもあるが、全体的としてみたときには、あくまでピアノや打楽器の延長線上にしか書かれていない。例えば、ある部分ではチェレスタが置かれているけれど、それはピアノの細かいパッセージに連続して書かれており、まるでピアノに出せない高音を補うような形で、響きを奏でることになる。

万事がこのようなイメージで、同じ鍵盤楽器ならまだしも、ピアノから遠く隔たっているような楽器でさえ、その役割は変わらないように思う。

楽曲は5つの楽章で構成されるが、切れ目なく演奏される。特に印象深いのは、第4楽章だろう。その音楽的構成については、エトヴェシュがプログラム上でしっかり書いているので繰り返さないが、その印象たるや、何ともいえずエレガントなものなのであった。一種の緩徐楽章であるこの部分では、しっとりしたピアノ・デュオの旋律にサンドウィッチされて、いろいろな風景が展開するが、聴き手のなかに残るのは、あくまでピアノ・デュオによる響きの繊細さだ。終楽章は、それと対になるようなエネルギッシュな感じに変わるが、このあたりは、いかにもバルトークらしい語法を写し取ったものなのだろう。

なお、ピアノはドイツを根拠に活躍する瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノ・デュオで、落ち着いた表現の安定感と、やりたいことがわかりやすい明瞭なピアニズムで、爽やかな印象を残した。

【まとめ】

エトヴェシュといえば、いま、ヨーロッパでも人気のある作曲家で、その作品が取り上げられる機会も目立つが、現在の主流はやはり、すこし軟化に向かっているのではないかという印象をもった。オマージュ作品という条件はあるにしても、エトヴェシュの作品はすこしソフトでありすぎる。シャリーノの作品も面白いが、かつての彼の作品にみられた辛口なところは減っている。ベドフォードまでいくと、何をか況やである。

また、協奏的な作品や声を使った作品に傾いている雰囲気も感じられ、この日の作品でも、ベドフォードの作品を除き、どの作品でもソロ楽器が指定されている。ソリストの名技性をみる愉しみに頼らなければ、作品世界がもたなくなっているとしたら、すこし寂しいという気がする。その典型はオーガスタ・リード・トーマスの作品で、初演のソリストは、フランク・ペーター・ツィンマーマンだったという。今回も、パリ管の千々岩英一が来て、それはそれで十分な技量をもった人であるが、彼が発する色鮮やかな響きが溶け込んだ瞬間だけ、作品が魅力的なものとして輝いたものである。

そこへいくと、協奏曲的な部分も残しながら、シャリーノやエトヴェシュの作品には、作品自体に聴き手の注意を十分に惹きつけ、それを持続させるエッセンスがある。今回、白石美雪氏によるセレクションはイマイチだったが、やはりシャリーノは外さないし、エトヴェシュも人気に違わぬこころある作曲家であると認識できた。とりあえず、そのことを慰めとしたいコンサートである。

【プログラム】 2009年8月25日

1、シャリーノ 4つのアダージョ~リコーダーとオーケストラのための
 (rec:鈴木 俊哉)
2、A.R.トーマス ヴァイオリン協奏曲「楽園の曲芸師」
 (vn:千々岩 英一)
3、L.ベドフォード 花輪~オーケストラのための
4、エトヴェシュ 協奏曲~2台ピアノとオーケストラのための
 (pf:瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノ・デュオ)

 管弦楽:東京都交響楽団 (cond:沼尻 竜典)

 於:サントリーホール

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