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2009年9月 8日 (火)

フランチェスコ・メーリ テノール・リサイタル @東京オペラシティ 9/7

この日は、テノールのフランチェコ・メーリのリサイタルを聴いてきましたが、最初の曲目で彼の発する第一声に接して、私は2つのことを感じました。1つは、このホールはベルカントのしっかりした歌い手にはアコースティックな面で悪さをするということ。もうひとつは、そうした条件はとはともかくとして、すごく高いところから音が聴こえるということでした。それは多分、あの高いところに張られた音響版の作用なのでしょうが、ここまで素直に、その効果を活用できる歌い手はなかなかいないと思うのです。つまり、よほど理想的な歌い方をしなければ、そういうことにはならないということ・・・。

ホールはホールとして、メーリの歌を聴けるという喜びに、私は早くもこころを温かくしたのです。

メーリは昨年、ロッシーニ・オペラフェスティヴァルの来日公演『マオメットⅡ世』で、ヒロインの父親、パパ・エリッソを演じて大喝采を浴びました。しかし、娘を置き去りにしても、異民族の権力者に最後まで歯向かうエリッソ役はとてもタフなキャラクターで、猛々しい表現ばかりが目立つために、メーリの才能には、かえって半信半疑なイメージを抱いてしまいました。尋常ではない強靭なスピントの持ち主であり、歌のフォルムもビシッと決まってはいるものの、表現の繊細さについては未知数だと感じたのです。しかし、この日を公演を聴いて、私は自らの頑迷さを恥ずべきと感じました。

【メーリの表現の繊細さ】

フランチェスコ・メーリとは、どのような歌い手でしょうか。シラグーザのように底抜けに明るい表現性があるわけでもないし、フローレスやヴィリャゾンのような天才は感じない。最近人気の出たヨーナス・カウフマンのような色気もありません。もちろん、技巧的には、これらのベルカント系テノールのスターたちのなかに入っても、まったく見劣りしないのは言うまでもありません。しかし、私はそうした「個性」によってメーリを語るよりは、歌い手としての、頑固なまでの信念において語るべきであろうと思います。

彼のうたう歌には、圧倒的な誠意があり、言葉にディペンデントな(立脚した)表現の繊細さがあります。これはもちろん、外形的なものだけには止まらず、言葉と結びついた感情の揺らぎを、例えば、文節、単語といった、かなり細かいレヴェルで印象づける、こまやかな内面表現につながっています。

例えば、ドニゼッティ『アルヴァ公』の〈誰にも気づかれずに~清らかで美しい天子よ〉についてみましょう。周知のように、ここでは仇と思っていた人間が自らの父親だったという、皮肉な運命を恋人に語り伝えようとする様子が歌われています(ヴェルディ『シチリア島の夕べの祈り』でも有名な場面』)。細かく歌詞に当たって書くことは控えますが、メーリがここで、いかにも皮肉な哀切さに満ちた歌いだしから出発し、やりきれない想いを高ぶらせ、アメリアの名前を呼ぶところをひとつの頂点に、やがて懇願するような口(歌)調へと、段々に推移していくのが、はっきりと聴き取れるのです。もちろん、これは私がイタリア語を完全に理解して言っているのではないのですが、確かに、そうなっていることは、彼の歌を実際に聴いてわからないはずがありません。

いま、かなり端折って論じていますが、必要ならば、音節ごとに区切って分析してもいいほどに、図抜けて細かい表現をしています。しかし、それがチマチマした印象を与えることなく、最終的に、大胆な歌いまわしとして出力されて、聴き手をドキリとさせます。このバランスについて論じたいのですが、なかなか言葉が難しいので、この程度で勘弁していただいて、そのほかの特徴について述べます。

【そのほかの特徴】

メーリは、エリッソみたいな絶望的な役柄もこなせるにしても、こうしたリサイタルで節々に感じさせる可愛らしさは、亡くなったパヴァロッティを思わせるところがあります。それはステージ上の仕種というようなところにも表れてはいますが、より直裁には、やはり歌の表現のなかに見出すことができるものです。例えば、ロッシーニ〈ナポリのタランテッラ〉のようなヴィルトゥオーゾ・プログラムでは、それが明らかだとしても、ヴェルディ『トラヴィアータ』の有名な二重唱〈パリを離れて〉などはどうでしょうか。

ここでメーリは、あまり強い声を使っていません。しかし、とにかくナイーヴなばかりの、おぼっちゃま然としたアルフレードのイメージでもありません。彼の描きたかったのは、もっと愛嬌があって、ある種の魔力のある青年、しかも、多分に弱みのある存在だと思います。でも、なぜ、そのような表現が可能なのかといえば、究極的には、ヴェルディがそのように書いているからと説明できます。メーリは、なにも大げさな表現はしていません。ただ、ヴェルディの書いた旋律をしっかりと揺らぎなく、表現するだけです。すると、少しぶら下がったような男声のラインが、女声の毅然たる旋律線に支えられて、ゆったりと基礎づけられ、内面的には、寒空で拾われた仔猫が毛布にくるまれるようにして、安心とともに温められていくのがわかります。

これにも象徴されるように、完璧に描き分けられた様式観の明瞭な歌いまわしは、特に、メーリの凄さを際立たせるものでした。それはディクションへの強い意識とも密接に関連し、それらの要素から来る音楽的フォルムの厳粛なる煌きは、既に超一流のレヴェルに達しています。

詳しい説明は避けますが、マスネからドニゼッティ、ヴェルディ(同じヴェルでもやはり歌い分けがある)・・・と推移していく流れのなかで、そのことは明らかに聴き取れたのではないでしょうか。

声のダイナミズムも、自由自在です。彼の声には4段ロケットがついていて、それらを自由自在に調節し、pp から ff までを歌の表現にあわせて、しっかり歌い分けることができます。主に表現の頂点で使用される4段目のロケットが点火した瞬間、誰もが感じるエクスタシーの深さは、言葉にならないほどです。一方で、ソット・ヴォーチェの繊細さは、男声としては群を抜く柔らかさがあります。

いちばん前で聴いても、最後方席に陣取っても、同じように聴こえるであろう声の伸びの持続力と、適切な重量感のコントロール。この日の共演者は奥様であったとはいえ、相手役への配慮にも事欠かず、重唱では相手を包み込むジェントルな歌いくちまで披露している。その必要もないけれど、弱点を探すほうが難しいというべきでしょう。

【レパトリーが適切】

もうひとつ言っておきたいことは、メーリがかつての大歌手たちのように、自分の声と相談して慎重に役を選んでいることです。今回、歌った役柄のなかで、声質を中心とした、現在のメーリの状態に似つかわしくないものというのはひとつもない。むしろ、彼がうたうのにベストな曲目だけがしっかりと選ばれています。これは当たり前のようなことですが、最近の歌手が地位を高め、守っていくためには、かなり無理をしたチャレンジも辞さない傾向がありますので、こうしたやり方を頑固に守っているのは、ほんの一握りの歌手だけといえます。

その点、奥様のガンベローニは、十分なセンスをもっていないようにも思われます。確かに、グノーのジュリエットはソプラノの若手がよく歌う役柄ではあっても、いまの彼女にあう役なのかどうか、疑問に思います。声質というよりも、ディクションの問題でしょうか。ほかの曲ではそういうことはなかったのに、歌の流れにスムーズさがなくて居心地わるく、リズム感のない歌に聴こえてしまったのです。同じフランスものでも『ラクメ』になると、そこまでではなかったのだし、イタリア語では個性的なところもあって、十分に魅力的な歌だっただけに、どういうことなのかと首を傾げるしかありません。

【いくつかのクライマックス】

今回、何度もヤマのある公演でしたが、前半では、既出のドニゼッティ『アルヴァ公』の場面、後半に入り、デ・クルティスの歌曲『忘れな草』から、アンコール的なロッシーニの技巧的な歌曲〈ナポリのタランテッラ〉へのシーケンス。アンコールのサーヴィス・プログラム『人知れぬ涙』と『星は光りぬ』といったところは、本当に忘れられない・・・否、忘れてはいけない名唱だったと思います。

特に、私が気に入ったのは、デ・クルティスの歌曲です。この前にトスティを歌い、もちろん、それも素晴らしかったと思います。しかし、デ・クルティスは、本当に好きで歌っている曲という感じがして、どの曲よりものびのびとした表現だったのです。こういうと誤解が生まれそうなので、付け足すならば、感情の推移に繊細な配慮が行き届いていて、それらの切り口が実に鮮やかなのです。これと対照的に、少しだけ失敗したのは、最初の『マノン』の〈目を閉じれば〉の表現で、ちょうど表現の変わり目でギアを切り替えるときに、断面が粗くなりすぎたところがありました。1曲目でしたし、それだけで全部が台無しになるものでもなかったので、これはご愛嬌というべきでしょう。

つづくロッシーニも、得意のナンバーなのでしょう。この曲は、タランテッラの激しいリズムにのって、言葉遊びのような歌詞がくっついています。この歌を聴けば、誰だって笑顔にならざるを得ない。これはどうやっても、イタリー人にしか歌えない作品です。だからといって、メーリに手抜きはあり得ない。一生懸命に歌っていて、そういうところが、本当にチャーミングです。

有名な〈人知れぬ涙〉はどうでしょうか。ここでは甘みのあるフォルムに安易に乗らず、冒頭部分は音符を正確に刻んで、言葉の飛び石を慎重に渡っていきます。そして、あるべき感情の昂揚にあわせてギアが調節され、この歌の彼岸にあるワンダー・ランドへと、聴き手をさらっていきます。

並の歌い手ならば、ロマン性に甘ったるく身を任せて、聴き手との共鳴を強引に形成してしまうでしょう。その行き方でも、魅力的なこのアリアでは聴き手の感動を誘うかもしれない。ところが、歌の発するポエジーは竜頭蛇尾となり、メロディの繰り返しが安易に感じられます。メーリのように歌うと、蛇に噛まれた毒が徐々に体内にめぐってくるように、どんどん歌が身体のなかに染み込んでくるのです。前半部分のほうがセンティメンタルではあるけれど、聴き手の感動は、すこし歌い方を引き締めた後半のほうでクライマックスを迎えます。これこそドニゼッティの意図した、歌唱の本筋といえるのではないでしょうか。

最後の〈星は光りぬ〉は、とにかくメーリの人間的な優しさというのが、よく出た歌唱でした。嘆き悲しむとか苦しむとかいう感情はあるにしても、それを内側にぐっと秘めたような歌い方で、そこにトスカへの想いがじんわりと滲んでいるのです。だから、聴きおわって悲壮感が漂うのではなく、こころのなかにぱっと花が咲くような華やかさ、しかし、とても静かな感情の揺らぎが残ります。とてもいい歌だけども、まだ熟しきってはいないという感じで、完全に自家薬籠中というよりは、これから声が追いついていくような役なんだろうと思います。

そういう意味では、日本のファンだけへのサーヴィス・プログラムというべきでしょう。それは、本プログラム中のチレアについても言えると思います。リサイタルで1曲だけだから、できる曲なのでしょうか。アンコール曲についてはあまり取り上げないはずでしたが、有名な曲のほうが論じやすいので、思わず書いてしまいました。

【共演者について】

既にすこし触れたように、共演のソプラノ、セレーナ・ガンベローニとは夫婦関係にあり、既に子息ももうけているようです。フランス語のディクションには問題を指摘しましたが、どこかしら個性を感じさせる歌い手でもあり、基礎的なトレーニングも行き届いています。昨年のROF『マオメット』の公演でエリッソの娘役を務めたマリーナ・レベカとは異なり、天才型ではなく努力型のように見受けられ、ムゼッタのように繰りかえし歌ったらしい役では、自信をもった演唱ができています。ただし、声に感情を載せるという点では、夫君に二歩も三歩も譲るところがあるようで、声の表現力は単調です。現在はそうですが、慌てずにじっくりキャリアを育てていけば、面白い歌い手になるかもしれません。

伴奏は、藤原歌劇団所属の浅野菜生子というピアニストで、主催の東京プロムジカの公演では頻繁に伴奏を担当しているようです。相手役の呼吸にあわせることは実に巧みで、この事務所が専門にしているらしい、イタリー系の歌手にはよく合うでしょうから、それには頷けます。

【まとめ】

フランチェスコ・メーリ、最初のほうの発言にすこし抵触しますが、やはり個性のある歌い手だと思います。ただ、その「個性」というのは字面よりも、もっと内側にディペンデントなものです。内省的と言いたいわけではなく、例えばアラーニャのように、自分のもっているものを見せびらかさないという意味です。しかし、歌を聴けば、この人は他の歌手にはないものをもっていると、すぐに気づきます。知的でもあり、非常に真面目な歌い手でもあるので、言い方を間違うと地味なイメージにとられかねません。しかし、そういうことではなく、テノールらしい華を十分に備えた人でもあります。

まことに、言葉による表現とは難しいものです。そう言葉を弄さずとも、素敵な夜だったといえば済むことかもしれません。ちなみに、私の席の隣には、演出家で俳優でもあるダリオ・ポニッシィ氏が座っていらっしゃいました。私は彼の演出するプッチーニの『エドガール』を観たことがあるので、話しかけてもみたかったのですが、残念ながらイタリー語での会話はとても無理ですから、大人しくしていました。

そんな人間の書いた声楽のレヴューですから、どれほど価値があるのかは疑問ですが、私の知る限り、これほど明確に作曲家の特徴を歌い分けた歌手というのは知らないのです。言語はもちろん、歌の自然なフォルム、その作曲家らしい声のコントラスト、重み、言葉と音楽の結びつきの在り様、表現性の選択、ダイナミズムの自然さ、それから楽器ならば「音色」とでもいうべきもの・・・。こうした点について、再度強調して愚文を閉じたいと思います。

【プログラム】 2009年9月7日

1、マスネ 目を閉じれば~歌劇『マノン』
2、ドニゼッティ 誰にも気づかれずに/清らかで美しい天子よ~歌劇『アルヴァ公』
3、ヴェルディ 私の喜びは呼び覚ます~歌劇『第1次十字軍のロバルド人』
4、グノー 神よ、何という戦慄が~歌劇『ロメオとジュリエット』
5、ヴェルディ パリを離れて~歌劇『トラヴィアータ』
6、チレア フェデリーコの嘆き~歌劇『アルルの女』
7、トスティ 理想の女
8、トスティ かわいい口もと
9、デ・クルティス 忘れな草
10、ロッシーニ ナポリのタランテッラ~『ソワレ・ミュージカル』
11、プッチーニ 私が街を歩くと~歌劇『ボエーム』
12、ドリーヴ どんな神、どんな神だって、ああ!~歌劇『ラクメ』

 S:セレーナ・ガンベローニ  pf:浅野 奈生子

 於:東京オペラシティ

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