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2009年9月19日 (土)

ローレンス・カミングズ チェンバロ・リサイタル with 林美枝 @東京オペラシティ 近江奏堂 9/17

今月23日におこなわれる日本ヘンデル協会のオペラ公演『オットーネ』の指揮のために来日しているローレンス・カミングズが、一夜限りのチェンバロ・リサイタルを開いた。カミングズは、本場英国のヘンデル・フェスティヴァルのディレクターを務める人物で、鍵盤奏者、通奏低音奏者、指揮者、さらにアカデミズムの面からいっても、この分野の最高権威の一人と目されているようだ。今回、英国のヘンデル・フェスティヴァルでも助手を務める林美枝を伴い、デュオ作品を含むチェンバロのしらべを楽しませた。

【カミングズの温かいおもてなし】

上のプロフィールをみると、なんとなくおっかないようなイメージを抱きそうなものだが、カミングズ氏はとても笑顔が柔らかく、こころ優しそうな紳士とお見受けした。これは見かけだけから言っているのではなく、彼の弾くチェンバロの音そのものから人柄が伝わってきたから、特にそう述べたいと思うのである。まずは、その描写から。

ときにチェンバロは元来、華やかな音色が特徴である。「ラ・フォル・ジュルネ」のマスタークラスで、エンゲラー女史がピアノの失ったものとして、チェンバロなどがもっていた独自の色彩感と詩情について挙げていたのを思い出す。逆にいえば、チェンバロ奏者には現代ピアノの奏者が悩むそのような問題に煩わされないですむ分、その特性を一際生かした演奏をすることが求められるのだろう。カミングズはそれら2つの要素に立体性を与え、音色の温かさや、ナチュラルなものに溶け込んでいく響きの柔らかさといったものを丁寧に体現していた。これが、カミングズの人柄を表すといったことの、ほぼ全てである。

なんだ、そんなことかと笑わないでいただきたい。実際、こうした雰囲気こそ、当夜のリサイタルの眼目だったと思うからである。アンジェイ・ヤシンスキのリサイタルに寄せて、弟子のヤブウォンスキは、師の演奏から受けるコミュニケーションからは誰も逃げることができないといって、わが師を讃えていたが、カミングズの演奏もヤシンスキとは若干ちがった意味で、強烈なコミュニケーションを要求する演奏になっていた。似たような音楽姿勢を挙げるとすれば、ウィリアム・クリスティーのオペラ・ディレクションについて思い当たるところがある。彼はいわゆる「ピリオド派」の学究的なイメージとちがって、音楽にまず人間らしい生命感を求めているアーティストといえる。カミングズもまた、その部分については共通するところがあろう。

今回、オペラシティの近江奏堂には初めて入ったが、こじんまりとして、アーティストとオーディエンスのあいだが親密な空間であることも手伝って、会場は、明るく開放的な、温かい一体感に包まれることになった。この雰囲気から思い出したのは、大久保の教会で開かれたロベルタ・マメリのリサイタルのときのことである。あのときは、彼女の美しく官能的な歌声にとろんとなったものだが、今回は、思いがけないカミングズ氏のこころの籠った「おもてなし」に、すっかり上機嫌になってしまったのである。

私はオペラのほうは観る予定がないのだが、今回、彼と仕事ができるキャストや音楽スタッフ、裏方さんたちは、きっと楽しく、貴重な日々を過ごすことになるだろうと思う。

【2人のクープラン】

演奏は、ルイ・クープランの『組曲(ハ長調)』で始まった。カミングズの演奏は、鍵盤を叩いているという感じがせず、指で弦を弾いているような、手ごたえのある響きが特徴的である。それはカミングズという奏者以前に、ルイ・クープランという作曲家の天才を証明しているのかもしれない。渡邊順生氏は、「チェンバロという楽器の響きの美しさを堪能できるという点において、ルイ・クープランの作品は全く比類がない。フランスのチェンバロ音楽の領域では、黎明期に登場したこの作曲家こそが最大の天才であった」としているが、正に、そのことを一挙に印象づける演奏である。

演奏については、後半のサラバントとパッサカリアで多用したルバートがきわめて効果的であり、ゆったりした穏やかなフォルムをしっかりと構築しながらも、ほんの僅かに揺らぎをつくり、思いがけない要素を忍び込ませるカミングズの遊びごころに、いきなり打ちのめされてしまった。最後のパッサカリアは、同じようなフレーズを繰りかえして、曲が進行するごとに神々しく羽が開いていく構造をダイナミックに盛り上げていくが、間でレバーを閉めて、素朴な響きになる部分の感興が、かえって堪らない。終盤、レバーを全開して大胆な響きが広がる部分のスリリングさが、また凄い。ルイ・クープランの作品をよく知らなかっただけに、余計に驚かされたものであろう。

つづくフランソワ・クープラン『2台のクラヴサンによるアルマンド』(第9組曲より)では、林美枝が加わっての演奏となった。2台となると、もちろん奏者のちがいに加えて、チェンバロのキャラクターのちがいが出て、なおさらに面白みが広がる。2人がよく通じあっているので、これらの響きは不思議な調和を示す。こういう曲は、華やかで申し分ない。

【主役・ヘンデル】

前半の最後は、ヘンデルの『組曲(ホ長調)』(HWV430)であった。この組曲の最後のアリアと変奏〈調子のよい鍛冶屋〉のテーマは、ベートーベンによって、オルガンのためのフーガに仕立てなおされていることでも知られる。あとで演奏した(HWV428)のほうが本格的で、こちらの作品はヘンデルのシンプルな歌ごころを味わうのに最適だ。それはカミングズの場合、プレリュードで既に感じられ、アルマンドではより甘く印象づけられる。クーラントは、対位法の規則正しい響きが前半を占めるが、それが後半、ポエティックに解けていくのが面白い。

そして、アリアと変奏では、平易で快活なメロディを大事に演奏している。ヴィルトゥオージティは抑えられ、あくまで歌ごころに基づいた自然なラインが、柔らかく提示される。最初のクープランと同様、無理のないルバートがほんのり効いていて、聴き手を温かな気持ちにしてくれるのもいい。

既述のように、同じ組曲でも、次に演奏したニ短調の(HWV428)のほうが、作品としては本格的なものとなる。深い音色でプレリュードが気高く始められたとき、カミングズは、これからどういう曲を弾くかをしっかりと印象づけてしまった。きっちりした対位法の構造に基づくアルマンドはやや速めで、切れ味が鋭い。先に印象づけた歌ごころが覗くアルマンドは、じっくりと聞かせてくれる。

クーラントを序曲に、アリアが始まった。鍛冶屋のアリアと比べるとより苦味があり、装飾も複雑になる。変奏はそうした特徴を反映してか、先の曲よりも技巧性をしっかりと打ち出していた。先のクーラントから、アリア、変奏、そしてプレストまでは、少しずつフォルムがだぶりながら推移しているのがわかり、そうした構造的な面白みを拾いながらの演奏である。変奏の最後を鮮やかな技巧で一挙に盛り上げておき、まるで二重のプレストを布くように演奏していくアイディアは興味ぶかい。

このように、ヘンデルの2曲はやはり格別だったが、規模や格式からいっても、事実上、この曲がメインというべきであろう。

【最後はバッハ】

最後、再び林とのデュオとなり、バッハ『2台のチェンバロのための協奏曲』(BWV1061)が演奏された。協奏曲といっても、この曲は2台のチェンバロで演奏されるのがオリジナルだったようで、あとになって、バッハ自身の手によって管弦楽部分が書き加えられた。もちろん、今回は、そのオリジナルでの演奏である。

なるほど、こうして聴いてみると、チェンバロ2台の動きが実に細やかに書かれており、いかにもバッハらしい素朴な美しさがある。チェンバロ間の響きの受け渡しが繊細に仕掛けられていて、2人がドッペルゲンガーのようにシンクロしあわなければ、良い演奏にはなり得ない。その点、この師弟コンビで聴けたことは幸運だった。この林美枝という人も相当の腕前で、個性は借り物としても、それをこれほどまでに自由自在に使いこなせるのであれば、もはや借り物などという必要もない。いちばん大事なことは、表現のレヴェルでこころが共有できていることである。

なんといっても、最後のフーガの見事さには感謝したい。2人が頻繁に立場を変えつつ、内面から燃え上がっていき、よく言われるような宇宙的な響きに突き抜けていくまでの集中力が素晴らしい。特に、要所でザクザクと歯切れの良いリズムが表れ、全体を引き締めていく点に感銘を受けた。また、立場の交換の効果により、2人がいつも最初の素朴さを持ち続けており、それを自然な流れで膨らましているのに気づくと、一見、変わり映えのしない繰りかえしの世界に、めいめい一回的な命が宿っていくのがわかるはずだ。

管弦楽の盛り上げに頼ることなく、チェンバロの響きだけで、最後に響きがふうわりと持ち上がっていくときの感動は一入だった。このとき、誰もが「天」をイメージしただろう。驚くべきことに、カミングズと林の演奏からは予定調和的なものがまったく感じられず、いま曲が生まれたような新鮮さが味わえた。この曲は、いわばアンコールのようなものなのに、これほどの出来で聴けるとは願ってもないことだった。

【まとめ】

こうして、すべてのプログラムは終了した。オペラ準備の合間であるというのに、驚くほど完成されたパフォーマンスに、会場のオーディエンスもそれぞれに破顔し、大満足の表情だった。アンコールでは、なんとカミングズの歌声まで聴けて、サーヴィス満点のコンサートがおわったのである。狭い会場ゆえ、オペラのように掛け声が飛ぶようなことはなかったが、カミングズはその場の人たちに間違いなく愛されていたし、彼がなんとも寛いだ雰囲気をつくり上げることに成功したということは、誰の目にも明らかだった。

残念ながら、オペラでは、指揮に専念するカミングズの通奏低音は聴くことができない(平井み帆という、若いが、優れた通奏低音奏者が呼ばれている/自註:実際にはオペラでも弾いたそうだ)かもしれないので、この近江奏堂に集まった人たちはラッキーだったということになろう。近年、日本にも優れたチェンバロ弾きがたくさん来るようになったが、これほど華やかで、温かく、歌ごころに満ちたチェンバロを弾いた人は、私の記憶のなかにはない。しかも、この近江奏堂というのが、チェンバロを聴くには、滅多にあり得ないほど素晴らしい条件だ。採算度外視の公演と思われるが、こういう稀有な機会を捉まえられたのは、音楽の神さまの思し召しとしか思えない。

ハレルヤ!

【プログラム】 2009年9月17日

1、L.クープラン 組曲 ハ長調
2、F.クープラン 2台のクラヴサンによるアルマンド~第9組曲
3、ヘンデル 組曲 ホ長調 (HWV430)
4、ヘンデル 組曲 ニ短調 (HWV428)
5、バッハ 2台のチェンバロのための協奏曲

 (共演) cemb:林 美枝 @第2曲、第5曲

 於:東京オペラシティ 近江奏堂

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