2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« 吉田秀和 世界のピアニスト @ちくま文庫 | トップページ | プレヴィン カプリッツィオ with フェリシティー・ロット N響 A定期 10/18 »

2009年10月10日 (土)

NYCB ニューヨーク・シティ・バレエ Bプロ 10/9

ニューヨーク・シティ・バレエ(NYCB)の来日公演、2日目のBプログラムを拝見した。全体的に娯楽性の高さと芸術性のバランスが程よくとれた公演であり、また、群舞がきっちりと整っているというようなレヴェル「ではないところ」で、一体感のある舞台づくりに好感が持てる。しかし、全体としてみると「中の上」というぐらいで、飛び抜けた感興はなかったのも事実だ。

【NYCBの特徴】

年に数えるほどしかバレエをみない私にとっては、もちろん、世界のバレエ団の特徴を的確に表現することもできないし、各々のカンパニーの一般的な評判がどうなっているかも知らない。しかし、そういう私から見ても、このカンパニーがスピードと全身の表現の細やかさに注目してダンサーを集めていることは明白だ。その結果なのか、アメリカ人としてはやや小柄で、足腰の安定したダンサーが多いように見える(見えるだけかもしれない)。そして、プリンシパルを含めて、例えば日本によく来るザハロワのように、自分中心にまわせば、すべてが素晴らしくなると考えるようなダンサーは存在しない。

振付や、その基本となる音楽への忠誠度が高く、個人主義よりもチーム・プレー、それも非常に高いレヴェルでの(つまりは、譲り合いよりも対話やコミュニケーションをより重くみた)調和に力点が置かれている。こうしたバレエ団は、(今更ではあるが、)日本のバレエ団にとって大きなヒントを与えてくれる存在だろう。しかし、残念ながら、その底力は弱ってきているように思われ、例えば、ショスタコーヴィチ『コンチェルト・DSCH』の最初のいくつかのシーケンスは、コール・ド・バレエのレヴェルでは、自分たちが何をやっているか理解していないようなふやけた動きであった。チャイコフスキー『ピアノ協奏曲第2番』の冒頭も、いまひとつパッとしない動きになっていて、感心しない。

しかし、要所に来ると、ほとんど人が変わったような洗練された動きが現れ、びっくりさせられる。例えば、チャイコフスキーの最後の楽章のコーダなどは、バレエ団の真骨頂ともいうべき機動力と動きの洗練が楽しめる群舞が用意されており、あの1シーンを見れただけでも、十分にここに来た価値があったというものだ。また、ソリストに関しては、とんでもない天才型が存在しない代わりに、カンパニーでの丁寧な経験の積み上げを感じさせるダンサーが多く、それぞれの長所を生かしながらも、全体のチーム・ワークの柱となれるように、よくトレーニングされているという印象を受けた。

【コンチェルト・DSCH @ラトマンスキー】

舞台は、ラトマンスキー振付による『コンチェルト・DSCH』で始まった。この作品は、ショスタコーヴィチの『ピアノ協奏曲第2番』に基づく振付で、当夜が日本初演。今回の来日公演のプログラムの表紙やチラシを飾っている、深い草色と明るい桃色の印象的な衣裳は、このプロダクションのものである。このカラーのカップルと、女1人と男2人のグループによる青色のトリオが、作品の2本柱となる。

このカンパニーによるプロダクションはプロット・レスの作品を中心としているが、具体性は低いものの、このプロダクションには多少の物語性が見て取れる。そもそも、この協奏曲は、現在も指揮者として活躍している(当時は、ピアノの道を学んでいた)作曲者の息子、マクシムのために書かれ、彼に献呈されたという。女性が踊ってはいるが、青の組の中心となる女をマクシムになぞらえ、緑組をドミトリー・ショスタコーヴィチ夫妻と考えれば、薄いプロットが見えてくるだろう。この作品は、緑の組の2人が出会い、愛を育むなかで生まれた子が、彼らに見守られながら、青の組の若者たちが逞しく成長していくまでの物語を、表現しているのではないだろうか。

その証拠に、最初のほうの部分では踊りはひどく幼稚な動きがつけられ、それは特に背景の群舞の動きに象徴されている。それと交代に、最初の構造の境目で母親の華麗な踊りが組まれて、これを境にぐっと求心力を高まり、旦那の登場を待って、見るも華麗な群舞に飛び込んでいく。そして、第3楽章では、青の組のヒロインに、これを真似るような見せ場ができており、今度は、脇を囲む2人の男とのおしゃまな動きがコミカルに描かれる。男のうちのひとりは、恋するも報われない狂言まわしの役をこなしている。

こうした流れのなかで、第2楽章が特に興味がふかく、印象に残る。当団の音楽監督、ファイサル・カルウィの音楽づくりは、両端楽章においてやや淡白で、DSCH主題も殊更に強調されていないが、第2楽章では音楽の流れもぐっと重苦しくなり、苦しい時期を過ごした夫妻の経験が、あくまでリリカルな、甘い動きのなかでしっとりと印象づけられている。とりわけ、しとしとと雪が降り落ちてくるようなピアノの弾き出しは感興が抜群で、そこに繊細なからだの動きが与えられた一連のシーケンスは、胸を突くような純真さに満ちている。

男女は政治向きのことでないとしても、何事かに悩み、しかし、自らの歩みを続けていくしかない。そのような内面性が、動きのなかにわかりやすく溶け込んでいる。最後、何かに強いられるようにして緑組の二人が別れていくのは、いろいろな象徴になっているのだろう。

全体の印象は非常に軽く、ショスタコーヴィチのなかではライトな協奏曲とはいえ、プレリュードのような口解けのよさはいいとしても、それでも一味足りずに、どこか物足りない。

ダンサーでは緑組の長身のプリマ、ウェンディ・ウィーランの動きが一頭抜けているが、ほかに、青組の狂言まわしを踊ったと思われるゴンザロ・ガルシアのシャープな動きも素晴らしかった。

ラトマンスキーというと、カラーの扱いの面白さに特長があると思っていた。それは、例の表紙に採用された衣裳の美しさ(ただし、衣裳はホリー・ハインズのデザイン)にも表れているし、場面を追うごとに重ねられていく色のイメージからも、実際に体感できたところである。しかし、ダンスの構成全体のなかで位置づけてみたときに、それが思ったほど効果的でないことは意外に思えた。

【バーバー ヴァイオリン協奏曲 @マーティンス】

2つめの演目は彼らの母国を代表する作曲家、バーバーの代表作『ヴァイオリン協奏曲』を、現在のカンパニーの芸術監督、マーティンスが振り付けたもの。ちなみに、この協奏曲も、バーバー自身の子ではないが、彼のスポンサーだった投資家が、自らの息子(養子)のために作曲を依頼したものである。

このプロダクションは、モダン・バレエとコンテンポラリー・ダンスの融合を図った作品で、バレエ的な動きを主体とするトゥ・シューズを履いた1カップルと、ダンスの動きを主体とした裸足の1カップルが出演する。第1楽章は各々が別々に踊り、微妙にすれちがいながらも、絡みあうことはない。第2楽章は、トゥ・シューズの女と裸足の男の絡み。終楽章は、裸足の女とトゥ・シューズの男の絡みで構成される。

第1楽章は、トゥ・シューズ組と裸足組の対比が明確でなく、いささか歯がゆい感じがした。第2楽章からは、その対比が鋭くなり、それぞれプリンシパルが存在感を発揮し、印象をダイレクトに観客に伝えている。すなわち、第2楽章では、トゥ・シューズの女性ダンサーがそのままのエレガントな魅力で、裸足の男性ダンサーの野性を自然に捉えていく。これに対し、第3楽章では、裸足の女性が娼婦のようにまとわりつき、はじめは受け容れないが、男のほうも段々と羽目を外して、盛り上がっていく音楽のように熱狂的な情熱に包まれていく。いわば、映画『プリティ・ウーマン』のようなイメージでわかりやすい。

ヴァイオリン独奏は、NYCB座付オケのコンマスで、カート・ニッカネンという人物だが、高音の音程が安定せず、最初の2つの楽章は聴くに堪えなかった。しかし、無窮動で、技巧的な第3楽章に入ると、どういうことか妙にうまくなり、やはり音楽の中心部分が落ち着くと、表現の求心力がちがった。

【ゴットシャルク タランテッラ @バランシン】

ここからは、カンパニーの創設に関わったバランシンゆかりの作品がつづく。7分程度と短い娯楽的な作品、『タランテッラ』は、「新大陸」出身のコンポーザー=ピアニストとして初めて欧州「本土」で認められ、ショパンやベルリオーズなどに評価されたというゴットシャルクの作品を、バランシンが振り付けたもの。

この作品は本当になにも考えることなく、独特のリズムと、タンバリンを使った音と動きのマジック、そして、どんどん速くなっていくテンポにあわせる技巧性の切れ味を楽しめばいい。そのシンプルさゆえにというべきか、カンパニーの特徴を凝縮したようなプロダクションだ。

この演目では、男性のダニエル・ウルブリクトが素晴らしい。彼のパーソナルティによくあった演目でもあるが、元気いっぱいでキレのある動き、ジャンプの高さと鋭さ、ターンの美しさとスピードはもちろん素晴らしいのだが、驚いたのは、タンバリンの拍が非常に正確で、パーカッショニストも顔負けなことだった。女性と比較するとよくわかるが、一番はまってほしいタイミングで、しっかり拍の真ん中がはまっていることは驚異的で、打楽器の専門家でも簡単ではないだろう(実際、オケ側の叩くタンバリンはまったく精細なく、彼のための引き立て役となった)。それを、踊りが専門のダンサーがこんなにもうまくやってのけるとは信じられない!

本来、女性のヒュッテを見なければいけないところで、私はひとり、彼のタンバリンに注目してしまって、観客の拍手が起きたところで、はっと気づいたほどであった。

【チャイコフスキー ピアノ協奏曲第2番 @バランシン】

最後の曲目は『バレエ・インペリアル』とも呼ばれ、この演目のなかでは、一般的にはよく知られたプロダクションということになるようである。バランシンがバレエ・リュスとマリウス・プティパ、そして、チャイコフスキーへのリスペクトを表現するために振り付け、初めはプロットがあったが、改訂に伴ってプロット・レスな作品になったという。また、当初は衣裳にも伝統的なチュチュが使われていたが、のちにシフォン・スカートを着用するように改訂されたと書いてある。

最初の1分半~2分程度が序曲のような形で扱われ、ピアノ独奏とオケだけで進み、幕は開かない。弦のブレイクでようやく幕が開き、先に触れたコールド・バレエで始まる。前後半に現れるピアノのカデンツァが特徴的で、片方ではソリストがひとりで踊るリリカルな場面となり、後半では、パ・ド・トロワの優雅なシーンとなるのが面白い。オケとピアノの導入部が序曲として置かれたことからも察知できると思うが、バランシンとしては異例なことに(ということになっているらしい)、伝統的なスタイルをふんだんに使ったプロダクションであり、彼に対するイメージの奥行きをつけるようなプロダクションとなっている。

第1楽章は、そうしたきっちり動きに見とれていると、すぐに終わってしまう。第1楽章が20分以上もあるいびつな形をした協奏曲だが、その長さはこうしてみるとちょうどよく、何も知らなければ、はじめからバレエのために用意された作品のように思われるぐらいだ。それは第2楽章へいくともっと顕著であり、主要二役によるパ・ド・ドゥがヴァイオリンとチェロの二重奏にぴったりはまり、バランシンの振付の音楽への繊細なセンスを窺わせる。この部分は実のところ、初演以来、この協奏曲の欠点として指摘されてきた部分なのであるが、むしろ、そうした部分にこそ愛情を見出したバランシンの想いが、どちらかといえば静寂で、控えめな表現のデュオの動きから、じんわりと伝わってくる。

ここで注目すべきは、第2楽章で中心的な役割を果たすジョナサン・スタフォード(だと思う)で、他のダンサーよりも、膝から下の部分で女性的な柔らかさをもっており、男性ながら、リリカルな表現力があって、色気に満ちているのだ。そうでありながらも、なよっとしたりはせず、支えに入ったときの安定感も申し分ない。この日に見たダンサーのなかでは、彼が一頭、抜きん出ている印象となった。彼の存在こそが、この作品の第2楽章が醸し出すナイーヴな美しさを引き締めたといえる。

この楽章では他に、音楽の音程や昂揚にあわせてリフトの高さが調節される細やかな演出があり、特に、弱奏での細かいピアノのパッセージの動きにあわせて、低く持ち上げた(この体勢がいちばんキツイだろう)女性をふわふわと上下させて、音楽と動きを連動させた表現をつくる部分が印象に残った。

第3楽章は、既に述べたようにコーダを中心に、群舞の動きが感動的である。全体的にオケは煮込み不足が明らかだが、この楽章では、ピット上手奥からきこえてくる(ピット内は見えない)金管なども思いきった演奏で、ようやくピット内の新日本フィルも、カルウィのやりたいことに追いついてきた印象だった。こうした音楽的な地盤に安定が出てくると、プロダクションに託されたヴィヴィッドなイメージが全開となり、NYCBのプロダクションはぎゅっと凝縮力を高める。そういう意味では、できれば、オケごと引っ越してきてほしい(バレエ公演では無理な相談だが)公演だった。

【まとめ】

以上のような印象であるが、今回、隠されたテーマは「誕生」である。ショスタコーヴィチとバーバーは、作曲家自身や、その友人の息子のために書かれ、チャイコフスキーの作品では、バランシンが近代バレエの誕生に賛歌を贈っている。ゴットシャルクだけはそうした背景がないが、敢えていえば、この作曲家が「新大陸」アメリカ出身者で、クラシック音楽の伝統をはじめて体現した作曲家であるとするならば、その点、バレエをアメリカに根づかせようとしたバランシンと仲間たち、つまり、草創期のNYCBを主導した顔触れの動きに、いささかイメージが重なってくるのである。

また、このプログラムは、すべて独奏楽器を含む協奏的な作品によって構成されている。しかも、ショスタコーヴィチならば1番より2番、チャイコフスキーならば1番より2番というように、作品そのものが含むドラマ性の薄い作品のほうに注目し、むしろ、それらを単独で演奏する場合よりも、喚起力に満ちた作品として描き挙げた振付家たちのセンスにも目を留めさせる趣向であった。こうした作品を取り上げられるカンパニーは、実のところ、そう多くないように思われ、その点でもNYCBのレヴェルの高さ・・・というよりも、懐のふかいカンパニーの特長を訴える構成になっている。

そして、それらのプロダクションは、単に個性を削るという形ではないチーム・プレーにより、総合的には一体感のある舞台づくりになっており、要所における印象においては、ぱっと華やぐような「アンサンブル」の精緻さを見せつけて、観客を驚かせる。ひとつひとつのピースは一見、バラバラなようであっても、それらはステンド・グラスのように組み合わされることで、はじめ思ってもみなかったような輝きを放ってくる。このバレエ団は、そうしたところに面白さがあるようである。

【補足 ファイサル・カルウィ】

今回、オーケストラは音楽監督のファイサル・カルウィが指揮している。

この公演ではNYCBのオケは来られないため、新日本フィルが伴奏を担当しているのだから、彼の手腕を十分に堪能することは難しい。NYCBはレパートリー制をとらず、毎晩ごとに演目を変えながら、たくさんの公演をこなすことが特徴となっており、1年のなかで、ほとんどピットに入ることのない新日本フィルとは訳がちがう。例えば、チャイコフスキーの序曲的に使った冒頭部分では、カルウィは一生懸命にオケを煽っていたけれども、オケのほうは響きが温まるまでは、動きが悪かった。今回、やたらと演目が多いため、少ないプローべのなかで、これは止むを得ないところだろう。

そうしたハンディは考慮するにしても、この指揮者の才能は、やはり第一義的には器用さにあるように思えた。例えば、ショスタコーヴィチでは、同じ明るさでも、ロッシーニのような突き抜けたものがあるのに、カルウィの指揮では、あまりにもレッジェーロなのだ(軽い)。そして、いかにもショスタコーヴィチらしい粘っこい表現のしつこさが失われて、さっぱりしすぎており、どこかカットしたのではないかと思えるほど、作品が短く感じられた。

しかし、緩徐的な部分では音色へのこだわりを示し、表現に奥行きがあって、これは演出の面白さに合致している。特に、チャイコフスキーの第2楽章では、その部分が不評だったという通説に紛らわされることなく、ヴァイオリンとチェロの二重奏を大胆に浮き立たせることで、全体のイメージを凝縮させており、かつ、バレエに相応しい立体的なイメージとして表出している。こうした緩徐的な部分での叙情性の優しさと、アレグロ的な部分でのスピード感が、このカンパニーの生命線と思われる。

さて、こうした良さはあるにしても、DSCH主題の扱いの弱さなど、指揮については論ってみたくなる部分はいろいろとあり、抽斗が多くて器用であるという印象を越えなかったのも事実である。なお、独奏者は4つのプログラムでバラバラだったが、座付きオケのコンマスをはじめ、NYCBで既に実績をあげているピアニストが揃っていた。かといって、とりたてて上手だとはいえないものの、初めからそんなものだろうと思っていたし、公演のクオリティを落とすようなパフォーマンスは少なかったので問題ない。

音楽的な面に力を入れているカンパニーという触れ込みであったが、そのことはもちろん、こちらのオケを使っているピット内からは十分に感じられなかったが、振付はどれも(最近のものも含めて)、音楽への敬意をもってスタートしたものばかりであることがわかり、バレエ団の伝統的な姿勢が貫かれていることが窺われた。

« 吉田秀和 世界のピアニスト @ちくま文庫 | トップページ | プレヴィン カプリッツィオ with フェリシティー・ロット N響 A定期 10/18 »

舞台芸術」カテゴリの記事

コメント

>振付や、その基本となる音楽への忠誠度が高く、個人主義よりもチーム・プレー、それも非常に高いレヴェルでの(つまりは、譲り合いよりも対話やコミュニケーションをより重くみた)調和に力点が置かれている。

こんにちは、初めてこちらにまいりました。
バレエ中心にクラシックに接してきましたが、ここ最近はクラシック音楽を聴くようになりました。クラシック音楽の世界は初心者なので、貴ブログの記事すべて興味深く拝読させて頂いております。

ところで、上記の記事ですが、バランシンと、このバレエ団(設立経緯)について深くお知りになれば、なるほどと思われると思います。

ご教示ありがとうございました。参考にさせていただきます。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543421/46443230

この記事へのトラックバック一覧です: NYCB ニューヨーク・シティ・バレエ Bプロ 10/9:

« 吉田秀和 世界のピアニスト @ちくま文庫 | トップページ | プレヴィン カプリッツィオ with フェリシティー・ロット N響 A定期 10/18 »

ツイッター

  • ツイッター

最近のコメント