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2009年10月22日 (木)

プレヴィン カプリッツィオ with フェリシティー・ロット N響 A定期 10/18

10月のNHK交響楽団は、今季から首席客演指揮者の椅子に座ったアンドレ・プレヴィンが指揮する。そのうちのA定期を聴いた。

【巨大ホールに勝てない家庭交響曲】

メインは、リヒャルト・シュトラウスの『家庭交響曲』だった。前半2部は、いささかまったりした演奏である。夫と妻の主題がけだるく絡みあう部分は妙にリアリティがあるが、響きは過度に抑制的で、どこかわびしい。音響の優れたホールであれば、あるいは、室内楽的な構造美を示したのかもしれないが、会場がNHKホールとなっては、どうにも響きが遠く感じられるのである。全体的には管楽器の響きに総じて燦めきが感じられる分だけ、弦の内側からの押しかえしが弱いように思えて、響きに適切な重みが伴っていない。

昨年、秋山和慶&東響の演奏で聴いたヴィヴィッドで、フィジカル面でもぎっしり実の詰まった演奏と比べると、あらゆる意味で印象が弱いのだ。ただし、アダージョを境に、穴倉から広い野に出ていくような昂揚が伴い、おもむろに演奏世界が花開いていくようなイメージは面白い。いたずらに響きを華やかにすることなく、ゆったりと「家庭(家族)」の実態を描いていくような演奏は、指揮者というよりも、「作家」プレヴィンによる私小説を読ませられるような感じがして、独特の味わいがあった。

【リーム 厳粛な歌】

演奏会の冒頭を飾ったのは、存命のベテラン作曲家のなかでも人気の高い、ヴォルフガング・リームの作品『厳粛の歌』だったが、これはなかなかに芳醇な演奏である。

聞くところによれば、リームは閉所恐怖症であるそうだが、作風もまた「閉所恐怖症」なのか、ひとつところに閉じ込められることをよしとしない。弦楽五部からはヴァイオリンが抜かれ、トランペットもオーボエもないという、低音の得意な楽器ばかりを集めた編成から、ずっしりとしたハードな響きで始まるこの作品も、くるくるとフォルムを変形させながら、発想が外へ外へと膨らんでいく。

フォルムの広がりとともに、それまで閉じていた窓を開け放つようにして、爽やかな空気を取り入れながら明るみへ聴き手を誘っていくのだが、最後はしんみりと落ち着いていく。プレヴィンは、こうした詩情の流れを柔らかく捉えながらも、十分に手ごたえのある音楽として提示した。最後、ずっしりふかい余韻があるのに、プレヴィンは「ここでおわり!」とでもいうようにパチンと指揮棒を鳴らし、意外とドライな解釈を示す。

【マドレーヌに託すメッセージ】

この日の白眉は、リヒャルト・シュトラウスの歌劇『カプリッツィオ』からの最後の場面であろう。かつての名花、フェリシティー・ロットが、非常に難しいマドレーヌのモノローグを歌った。もともと大声を張り上げるタイプの歌い手ではないので、NHKホールのように巨大で、デッドな音響空間で歌うのには向いていないが、しかし、美しいとしか言いようがない。ディクションとか、言葉の表現というものを超越し、それをいかに美しく声にして、聴き手に届けるかというところに、ほとんどの神経が集中している。

ハープをバックに(劇では、その楽器を弾きながらという設定)歌うソネットの部分を聴けただけでも、このコンサートに来た甲斐があった。

無論、ロット自身も素晴らしかったのだが、間奏曲〈月光の音楽〉をしとやかに歌い上げる導入に始まり、オケの伴奏は終始、見事なものだったといえる。特に、音色の柔らかさは驚くべきもので、1年のうち、ほとんどピットに入る機会のないN響の演奏とは思えない「実用的」な響きがした。声の細いロットへの寄り添い方も丁寧だし、劇場オケでしかできないはずの表現のしなやかさは、彼女の歌うマドレーヌの「味」をハッキリと引き立てるものだ。

ところで、帆立貝を象った洋菓子のマドレーヌというのは、バターと小麦粉の奇跡的な出会いである。

おもむろに何の話かといえば、R.シュトラウスの名付ける登場人物の名前についてのことを言いたいのであった。リヒャルト・シュトラウスはしばしば、登場人物の名前に、酒脱な意味あいをもたせている。マドレーヌは、上記のように出会いを象徴するものであり、しばしば、そこに洋酒が加えられたりすることを踏まえて、かなり多層的な意味あいを含んだ命名となっている。さらに、帆立貝は愛神・ヴィーナスの象徴として有名であり、付け加えるならば、フランスで聖マドレーヌといえば、マグダラのマリアのことになる。

その名前に寄せて、この劇では、詩と音楽の奇跡の出会いが色恋に重ねられて、あくまでシャレとして表現されているわけだが、それを立体的にするのは、役者のうたう歌声とオーケストラの伴奏の、あまりにも、あまりにもとろけるような出会いである。そのことを表現するのに、これほど成功した演奏というものは、それほどあるわけではないだろう。

ロットが歌いおわったあとの後奏は、両者の幸福な結びつきを象徴するものとなった。ゆったりと立ち姿をつくっていたロットが、おもむろにさっと両腕を広げ、一瞬の華やかな響きを迎える場面では、胸がぐっと来たものである。それに応えるように、なおさら丁寧に演奏をつくっていくオーケストラの深いデリカシーも目立った。最後、しんみりと弾きおわる場面の、ふくよかな余韻の艶やかさ!

【まとめ】

プログラム構成的にも、非常に興味ぶかいものがあるコンサートだった。例えばリームは、プレヴィンの別れた奥さんと親交がある作曲家であるという。そして、N響に縁のふかい指揮者のサヴァリッシュが、作曲時に助言をしているのである。『カプリッツィオ』の甘く、切ないカップリングは、N響とプレヴィンの出会いを象徴するものとなる。そこに最高のゲスト、ロットの存在が加えられた。そして、別れてしまったとはいえ、ムター夫人との経験を思い出しながら、新しい我が家たる「N響」をイメージさせようとする「私小説」的なシンフォニア・ドメスティカだ。いずれの曲目も、暗いところから、明るいところへ出ていくような、光(=響き)の操作が印象的でもある。

後半2曲では終演後、それぞれに見せ場のあった第2ヴァイオリンのトップが特に重く賞されていたが、これもまた意図的な選曲なのであろう。飄々とはしているが、プレヴィン翁はなかなかに策士なようである。これから自分たちが何をしたいのか、所信表明演説のようなシリーズだ。それだけに、より一段上の成果を望みたい。

【プログラム】 2009年10月18日

1,リーム 厳粛な歌
2,R.シュトラウス 最後の場面~歌劇『カプリッツィオ』
 (S:フェリシティー・ロット)
3,R.シュトラウス 家庭交響曲

 コンサートマスター:篠崎 史紀

 於:NHKホール

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