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2009年11月14日 (土)

浜松国際ピアノコンクール 第2次予選 (初日) 11/13

浜松国際ピアノコンクールは、13日から第2次予選に入りました。午前中に始まって、夜の8時前までつづくのですから、審査委員の方もタイトですね。まず、このラウンドの、課題曲を示しておきます。

1、ショパン、リスト、ドビュッシー、スクリャービン、ラフマニノフ、バル
  トーク、ストラヴィンスキーの練習曲より2曲。ただし、異なる作曲
  家から選択すること。
2、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、リスト、ブ
  ラームス、フランク、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェルの作品より
  1曲ないし数曲。
3、第7回浜松国際ピアノコンクールのために作曲された日本人作曲
  家による新作品のうちいずれか1曲。
   (西村朗:白昼夢 or 権代敦彦:無常の鐘~ピアノのための)

このほか、1次予選で演奏した曲は除外するという規定があり、持ち時間は40分以内です。3の委嘱作品は、2番目に演奏するタヴェルナを除いて、全員が西村作品を選びました。

【No.16 フランソワ・デュモン,フランス】

トップ・バッターとして登場のデュモンは、立派なプロとしての演奏でしょう。新作の西村作品を含めて、構成までよく考えています。西村作品をアルペッジョに特徴的な部分があると読んだのか、それに合わせたドビュッシーのエチュードを当てています。ただ、この2曲のパフォーマンス自体については、私には物足りないもの。そのあとのスクリャービンが白眉で、この作品に込められた内面の美しさが、深く抉った打鍵に発露されるようなパフォーマンスが耳を弾きました。最後のラヴェルは驚きはないものの、全体的に響きのコントロールにこころを砕き、よくまとまった演奏と思われました。

ただ、古典派以前の作品に適性を感じる人だっただけに、そこを組み合わせられない2次のプログラム構成では、いささかパンチが効かない点も指摘できます。このラウンドはすこしディフェンシヴなパフォーマンスであったものの、ブリリアントにコートされた音色の輝きは捨てがたいものがあります。

【No.81 アレッサンドロ・タヴェルナ,イタリア】

2番目のタヴェルナは、このラウンドで調子を取り戻しましたね。権代の『無常の鐘』は、ときどきラヴェルやメシアン的なイメージを援用していましたが、明るい音色を基調に、徐々に深く潜っていく権代の作風をよく掴んでいたと思います。現代作品にしては、魅力的な曲に聴こえたのではないでしょうか。

そこからショパンへの展開はやや違和感がありますが、これは止むを得ない。演奏自体は、ショパンらしいイディオムを押さえた好演です。ストラヴィンスキーはやや強引。しかし、次のメンデルスゾーンのファンタジーとの対比からすると、これぐらいやることも必要なのかも。そのメンデルスゾーンは、この地域の激動の歴史を思わせる厳しさと、透徹とした自然の美しさを打鍵の強弱と、演奏の緊張感でしっかり表現しています。

お口を動かしながら、僅かに歌うことで先走ろうとする詩情をコントロールしようとするかのようなプレストの演奏が印象的です。滝廉太郎ならば、「は~る・こう・ろ・う・の~」(荒城の月)となるところが、メンデルスゾーンではこうなるわけですね。シューマンは『プレスト・パッショナート』という珍しい曲で、「ひときわ早く、情熱的に」という意味ですが、その指示に流されず、シューマンらしい優雅さというのがよく出ていたと思います。

最後のリストのタランテッラ、正確には『オーベールの歌劇 「ポルティチの唖女」のタランテッラによるブラヴーラ風タランテッラ』となります。ブラーヴラというのは弾くのに勇気がいるような難曲という意味で、タランテッラは南イタリーの舞曲の形式。かくして、つまらない解説を加えたのは、その題名の意味するところがよく表れた演奏だったからです。

実は、タヴェルナにとってのお国ものということになりますが、独特のリズムがしっかり身体のなかに入っていたというだけではなく、「ブラヴーラ」の攻撃性のなかに、もともとはタランチュラに刺された人が一晩中、踊るようにして苦しんだのが起源になって生まれた舞曲、「タランテッラ」の形式が溶け込んでいるのがよくわかる演奏でした。後半、ややコントロールが乱れた感じもしますが、良い演奏だったと思います。

【No.62 野木成也,日本】

私のなかでは、隠れ中国代表っぽい感じがしている野木。現在はフランスで、今回の審査員でもあるドミニク・メルレに習っています。中国の技術、フランスの哲学とカラー、日本の繊細さといったバックボーンが、非常にうまくブレンドされてきている感じがします。西村朗の作品は、まるで自分を鏡でみるような解釈をしているのでは。この西村の作品ですが、意外に、他のヨーロッパのレパートリーと親和力があるようです。今回も、ショパンのエチュードへの移行もスムーズ。このあと、デュモンと同じドビュッシーのエチュードを弾きますが、ショパンの(op.10-1)もまた、広いアルペッジョのための練習曲ですから、西村作品のワイドなアルペッジョの動きに特質を見出す点で、共通点が出ました。

ドビュッシーは前述のように、デュモンと同じ選曲ですが、あちらよりも肌理の細かい音色が織り上げられて、丁寧な演奏に聴こえます。ドビュッシーらしい詩的な叙情性も浮かび上がり、秀演ではないでしょうか。

最後は、リストを2曲つづけました。音色が爽やかで、曲のパートを柔らかにつなぐセンスが秀逸です。バラードでは、その形式の起源に含まれる古い物語というイメージが、強奏部のすこし枯れた音色によく表れているかもしれません。ただ、ときどき不用意な打鍵があります。一方、スローパートでは気品のある音色をベースに、語りかけるような表現。クライマックスから弾き終わりにかけての、落とし方もいいと思います。ここで実質的なメインをつくり、最後の『ハンガリー狂詩曲第6番』で派手に締めるかと思えば、むしろ、しっとりしたイメージを残しました。

この人は、私としては好みです。技巧的な部分で甘さがあるので、今大会はもしかして、ここでお別れになるかもわかりませんが、素直で吸収の早そうな人ですし、まだ20歳ですから、今後、どんどん伸びていくと思います。

【No.69 イワン・ルージン,ロシア】

ルージンについては、1次ではあまり評価できなかったのですが、このラウンドでは、すこし評価が上がりました。

苦手なドイツものから始めます。昔のロシアのピアニストを思わせる重心の低い演奏は、ドレンスキー先生の教えを忠実に守っている証拠。ちらちら雪が降ってくるような軽さと、それが積もったときの重みの混交するロマン性を示したイ長調を起点に、少しずつ構造が溶けていくような感じで、ブラームス晩年のはかなさの漂う作風を拾っているつもりでしょうか。

西村の作品は、これまでのコンテスタントのなかでは、非常に尖鋭な解釈をしています。20年くらい前の、西村の作品を思わせます。ブラームス晩年からここにつなぐ構成美は、なかなか味がありました。ラフマニノフでは、それを切り返す非常に自然な呼吸感をアピール。最後に、ショパンの演奏で力強く占めましたが、これはややフォルムが雑です。映像配信の音質やスピーカーの問題もあると思いますが、全体的にすこし響きのクリアさが足りないという点は、これまでの印象と変わりません。

【No.15 アントワーヌ・デュ・グロレ,フランス】

デュ・グロレは、ショパンの「木枯らし」でスタートしましたが、この曲を聴くと12のエチュードの11番目ということもあり、、「そろそろ終わりだ!」と反射的に思ってしまうもので、まだ30分以上もあるのかと思うと、すこし違和感があります。そこを大きく譲って、開幕の大胆なプレリュードと捉えておきましょう。演奏自体は、かなりフォルムが流れ気味です。リストの変奏曲はフォルムの独自性は指摘できるものの、音楽に余裕がなく、そのセンスはどうしても好きになれませんね。

西村の『白昼夢』では、非常に清潔な打鍵が目立ちます。響きにおいてはやはり、メシアンとラヴェルが混ざったような感じの演奏になっています。非現実的な立体性という点でいえば、ストラヴィンスキーのイメージを転用しているのかもしれませんが、そこが彼の演奏の特徴となります。

あとは、たっぷりとシューマンの『交響的練習曲』を聴かせます。プログラム構成としては前後半とも、非常にシンボリックな曲を前置きして、変奏曲を通じて聴き手とのコミュニケートを深めていくという狙いが明解です。リストと比べると、こうした骨組みのしっかりした曲のほうが、デュ・グロレのよさが出やすいのか、これまでの演奏では、もっともきっちりした演奏に思えました。

主題演奏をがっちり演奏することで、「交響的」という題名の意味を手早く印象づけたデュ・グロレは、各変奏の正確を丁寧に描きわけて、明晰な演奏を展開します。隅々までトレーニングが行き届いており、響きのコントロールもうまくいっているし、情念の流れもよく吟味されているようです。スケルッツァンド(おどけるように)の思いがけない動きに託した気障な躍動や、センプレ・マルカティッシモ(常に、音の輪郭をごくはっきりとして)のゆったりした流れが印象に残ります。逆に、プレスト・ポッシブル(できるだけ早く)の全体、アンダンテ・エスプレッシーヴォ(程よくゆったりと、表情ゆたかに)の強奏部分では、技術的に目立つ綻びがありました。

フィナーレは入りの華やかな音色は素晴らしかったのに、ブリオを増しながら進むごとに、響きがかえって曇っていったのが難点であると思います。聴き手にとってわかりやすい演奏で、全体の構成観は素晴らしかったのではないでしょうか。

【No.4 アン・スジョン,韓国】

韓国のコンテスタントは、既存の曲では、差なく拮抗している感じがしますので、7人のなかに埋もれないためには、新作での解釈でどれだけ個性を示せるかという点に、このラウンドでの鍵があると思います。

アン・スジョンは、最初に西村の作品を演奏しましたが、これまでのコンテスタントはちがって、なにか既知のもののイメージを当てはめるのではなく、一応、西村という作曲家その人と向きあった正攻法を示した点が評価できます。『白昼夢』というには骨太すぎるし、ややドライな感じがするものの、夢のイメージがべったりと張りついて離れないような感じを抱かせ、面白かったと思います。

次に、シューマン『ユモレスク(フモレスケ)』を演奏するのですが、第1曲が「単純に」で始まるというのは、先に弾いた西村作品との関係からみて、すこし皮肉が効いていました。何にでもメタモルフォーズ(変身)してくれそうな緩いモティーフから、この曲の持ち味であるリラックスした雰囲気に、しんなりと移行していくのは上手。徐々に深く潜っていき、第3曲の対位法的な部分から、最初に戻る部分で、哲学的なところにまで達するという感じのイメージでしたが、その架橋のところでひときわ堂々とした響きを使い、がっしりした風格が出ていた点は印象ぶかいものがあります。終盤はじわじわと染み入るような演奏で、ひときわ大事に演奏して感興を深めていました。

最後のラフマニノフとリストは、1セットのような演奏だったように思います。ラフマニノフの素朴、かつ、理知的な演奏に対して、リストは非常に情熱的な解釈です。これが、シューマンの構成と重なってくるのはいうまでもありません。演奏自体、ほとんど隙のないものであり、こうした構成上の工夫を説得力の高いものにしていました。

【No.3 アン・ジョンド,韓国】

アン・ジョンドは、西村作品からスタートを切りました。他のコンテスタントとちがって尖鋭さを引き立てず、すこしだらりと裾を垂らすような解釈で、響きをつくっています。見知らぬものへの謎めいた好奇心を生かしながら、明らかに日本風のモティーフを浮かび上がらせたところは、思わず天晴れと言いたくなるところ。しかし、「これは西村朗というよりは武満徹ではないか?」という疑念も同時に浮かび、なかなか奥行きのある作品は、イメージを掴むのに苦労します。総じて歌ごころを抑制し、振動する響きにじっくり耳を傾けさせる演奏で、涼やかな緊張感に満ちていました。

最弱奏を丁寧に捉まえることで、この流れにうまく直結させたラヴェル『夜のガスパール』の「オンディーヌ」の入りは、非常に高い表現センスを感じさせます。最初のデュ・モンと比べて、ずっと立体感のある演奏で、水の精がひらひらと踊りまわります。先ほどのスクリャービンの作品に無機的に浮いていた着想を、彼らが拾い集めたかのようでした。すこし間をとって、水が滴り落ちるようなふうわりした打鍵で始まった「絞首台」の演奏も、また別の意味で謎めいた雰囲気。ほんの僅かな動きで、不気味さや、すこしだけ射す光、清潔さ、濁り、ほの暗さなどのイメージを歓喜させ、くるくると表情を変える曲想を柔らかく表現しています。

最後の「スカルボ」はまず導入で、低音部でスカルボ(小悪魔的なもの)の雰囲気をさりげなく描写しているのがわかります。最初はとるに足りないほどのものだったのが、気づけば制御不能なほどに蠢きまわる中間の技巧的な部分の迫力も凄い。後半は魔性と、途中に現れる清らかなモティーフを組み合わせて、終盤までゆたかなイメージをさりげなく保持するあたりも見事。少なくとも、この1曲はコンクール・レヴェルではありません。よく練られた詩情が演奏表現にくっきりと浮かび上がった名演といえましょう。

スカルボの技巧性だけを受け継ぎ、滑らかなショパンの「黒鍵」エチュードを接続させます。最後、スクリャービンのエチュードへの場面転換はすこし違和感がありますが、演奏自体は、燃え上がるようなロマン性を鍵盤の深いところから導き出して、堂々たる弾き終わりとなりました。

アン・ジョンドは、1次予選ではすこし低い評価にしていたのですが、2次のパフォーマンスは素晴らしかったように思います。

【No.25 ハン・サンイル,韓国】

この方は、ショパンのエチュード(op.10-1)で無難に始めました。次にリストのエチュードを組んで、さらにドビュッシーのエチュードへ移るという具合で、シンプル・イズ・ベストな構成となっています。ですが、肝心のパフォーマンスは全部イマイチで、これといって言うことが見つかりません。西村作品は、前のアン・ジョンドと比較して、辛口の表現に戻った感じです。なるべく冷静に、1つ1つの音符をクリアに拾っていくことで、全体をパズルのように組み立てるような演奏になっています。シューベルトの『さすらい人幻想曲』も、特徴のない演奏と思えました。ここまで登場したコンテスタントと比べると、明らかに差があるように思います。

【No.55 ジェームス・ジェウォン・ムーン,オーストラリア】

やはり、西村の作品からスタートです。いままでのコンテスタントのなかでは、アン・ジョンドと同じくらい音を保持しての演奏ですが、フォルムはかなりちがい、響きも暗めとなっています。シューベルトの即興曲も、かなりテヌート気味に引きずる演奏。彼にとっては、これが2人の作曲家の接点とみえたのでしょうか。

同じ作曲家の(D.594)のソナタへは、当然ながら、スムーズな流れでした。演奏自体は小さくまとまり、すこしく内向的な演奏とみえます。中間楽章でシンプルな主題を含む点から、(op.90-3)と対比的に並べたのかもしれませんね。その旋律はきれいですが、すこし声部が重なると、きまって響きにキレがなくなります。アレグロ・ヴィヴァーチェは音楽の流れが悪く、引っ張りすぎたのでは。少なくとも、ヴィヴァーチェという感じではなかったです。

ショパンはよくトレーニングされていますが、それだけです。「幻想」ポロネーズは素直で、可愛らしい演奏ですが、あまりにセンティメンタル。ラフマニノフを弾く前に時間超過となりました。それ以前の問題ではありますが、これでは課題を満たしていないので、通過は難しいでしょう。全体的にのんびりした人でしたね。1次でノーマークだった人ですが、ハン・サムイル同様、この人も、ここにいるのがやはり不思議。

【まとめ】

2次予選になって、パフォーマンスが改善されてきたコンテスタントたちが多いです。1次予選ではさほど優れたようピアニストのようには見えなかったり、すこし難があるように見えたコンテスタントが良いパフォーマンスをするのをみると、さすが審査員の先生方の慧眼に感服させられます。

本日の演奏では、タヴェルナ、アン・スジョン、アン・ジョンドの3人が印象ぶかいです。そのほか、野木、ルージン、デュ・グロレの演奏も、それぞれに見所がありました。このラウンド、いまいち冴えなかったものの、デュモンも底力があります。他の2人は、圏外かなという感じでした。

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