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2009年11月15日 (日)

浜松国際ピアノコンクール 第2次予選 (第3日) 11/15

浜松国際ピアノコンクールも、本日の演奏でセミ・ファイナルとなる第3次予選への進出者が決まります。

【No.14 サラ・ダネッシュプール,アメリカ】

トップ・バッターのダネッシュプールは、いきなりドビュッシーの「パゴタ」で濃厚にスタートします。夏のコンサートのときに、小川典子女史が「じっとりと湿り気がへばりつくようなイメージ」を、寒い国の子たちに理解してもらうのは難しいと言っていましたが、その苦労が伝わるカラッとした演奏。しかし、見知らぬ国にある不思議なものへの積極的なイマジネーションが感じられ、渋めの音色に託したミステリアスな表現は理解できます。

次のエチュードで、別人のようになった晩年のドビュッシーの作風へ鋭く切り込んでいくあたりも面白かったです。つづくラフニノフは、必要以上に尖鋭なイメージになっていました。表現のセンスというよりは、技術力の問題でしょうか。西村作品までは、見慣れないもの、未知のものへのイマジネーションということで、統一した視点が感じられます。その西村朗『白昼夢』は、音の詰まった部分の尖鋭な響きと、それが緩んだときの意外な煌きを対比的に描いていますが、(ほとんどのコンテスタントがそうですが)「解釈」というほど踏み込んだ理解には到達していない印象でした。

メインとなるショパンの変ロ短調ソナタも死がテーマであることから、彼女にとっては、未知なるものへのイマジネーションというところに繋がりそうですね。その流れのなかでみたときに、第1楽章は響きが明るすぎるように思いますし、フォルムも鋭すぎたのではないでしょうか。スケルッツォは、主部、トリオともに内面への切り込みが感じられず、空虚な演奏です。過度にセンティメンタルになる必要はないけれど、ここまで情念を排除した演奏は、かえって違和感があります。自ら組み立てた構想に、想像力が追いついていない印象。こうなると、マルシュでいくら頑張っても、雰囲気が出ません。

【No.64 尾崎有飛,日本】

日本期待の尾崎有飛は、テンション高くリストでスタートしました。やや荒削りな部分も残しながら、集中力の高い演奏で、一気に聴き手を惹き込んでしまいます。スクリャービンはややフォルム全体が硬いものの、1音1音に研ぎ澄まされたファンタジーがあり、緊張感があります。華やかな音色で始まったショパンは、のんびりした曲想を慌てず、優雅に織り上げていく好演。ショパンの4つのバラードのなかではシンプルな曲想を、丁寧に弾いています。

次に西村作品を弾き出したので、リアル→神秘的→リアル→神秘的→リアルという構成がみえました。彼はテクニカル系の奏者だと思っていましたが、特にこの『白昼夢』の演奏を聴いていると、実は、内面から響きをつくっていくタイプであることがよくわかります。前日のレヴューで、トシャコフスキーの同曲の演奏を評価して、「即興的」と言いました。それは実のところ、「行き当たりばったり、出たとこ勝負」という意味でしたが、尾崎の演奏は、その瞬間、思いきりぶつかって出てくるものを拾うという意味で「即興的」でした。

最後のラヴェルは、そうしたアプローチが相応しい曲だと思いますね。ただし、ショパンのバラードもそうでしたが、冷静にベースを保ち、フォルム全体の高貴さをコントロールすることは忘れません。全体的に見事な構成力ですが、最後のほうで昂揚していく情念をぐっと堪え、テンポをキープするあたりに唸りました。ただ、敢えて厳しくいうと、そのあとのポエジーの解放に個性を感じないのが欠点となっています。

【No.31 ギンタラス・ヤヌセーヴィチュス,リトアニア】

1次では、演奏終了後にガッツ・ポーズをとるなどの熱い演奏で話題となったヤヌセーヴィチュス。しかし、意外と繊細な部分もあります。最初の西村の作品では、非常に慎重に響きと向きあっています。より古いタイプのセリエール・ミュージックを思い出させる演奏で、作曲者としては不本意かもしれません。

次のショパンでガラリと雰囲気を変えますが、その転換は思ったよりもスムーズです。演奏は骨太なのですが、速いパッセージをとおって和音が整う部分での安心感で、すっとフォルムが緩むような演奏が面白かった。中間部の緩徐的な部分は、意外に繊細です。スクリャービンは、ほとんど嗚咽するような哀しみを強調した演奏になっています。リストは、「ペトラルカ」で攻めすぎましたが、「ダンテを読んで」は彼の実直さが生きた演奏になっています。

インテリジェンスは浅いのかもしれないけれど、彼のピアノへの真摯な取り組みというのは、若い世代(に限らず、我々にも)への励ましとなるものがあるのでは?

【No.29 ホ・ジェウォン,韓国】

ホ・ジェウォンは、1次予選のときからあまり気に入っていませんでした。2次で印象が変わったコンテスタントも多いなかで、彼の場合は変わらずです。

西村作品は新作ゆえにある程度は当然とはいえ、本当にイメージがバラバラです。彼のことですが、コンテスタントたちが自分の個性に応じて、いろいろな面を切り取れるように作曲したのかもしれません。ホの演奏は、力強くシャープな切りくち。いきなり曲が変わったような部分もあって、すこし場面を切り刻みすぎた印象です。

ここから、ショパン(op.10-1)への転換は、このラウンドでよく聴いてきた展開です。やはり図太いカンタービレを貫いた演奏でした。次のリストでも、あまり変化がつかない。あとシューマンしか残っていませんが、これはそれまでの曲目よりも表現のバランスがとれており、得意の演目という感じがしました。しかし、しばしばショパンに聴こえるナンバーがみられ、作品の性格の描きわけも曖昧な感じがします。最後で取り返した感じはしますが、どうでしょうか。

【No.70 タミーラ・サリムジャーノワ,ウズベキスタン】

サリムジャーノワは思いきって、メンデルスゾーンの難曲、『厳格な変奏曲』で入るという点でインパクトがありましたが、アンダンテ・ソステヌートの風格のある入りから一気呵成に弾き進めていきます。直線的な解釈で深みには欠けますが、第1曲としては十分なインパクトを与えます。ショパンのエチュードはやや走り気味ながらも、ファニーな響きで可愛らしい。ラフマニノフも前の曲と同じような雰囲気を故意に残しつつ、巧みな話術で切り替え、徐々に角度をつけていきます。

ここで西村の作品をもってくる構成も、驚きでしょう。最初のフレーズを強烈に印象づけつつ、風景をドラスティックに変えながらも、細切れにはならない構成力の素晴らしさ。しんみりした弾きおわりも秀逸。さらに、この散逸したポエジーを、ショパンのバラードで拾うという発想も非凡なものがありますね。その演奏自体は、ときどき叩く高音が窮屈に聴こえるのを除けば、総じて辛口のアプローチで、年齢を感じない深彫りの演奏となっています。

変奏の性質を生かし、どこまでもつづきそうな永遠性をさりげなく印象づけつつ、最後、長く細い道を駆け抜けていく展開にも張りつめた緊張感があります。このシーケンスを、ドビュッシーの『喜びの島』で締めるという構成も、こころにくいものがあります。小川典子女史が言っていたように、象徴派としてのドビュッシーの性格を補強するようなグッド・クリティック。ドビュッシー=色彩感とかいうような決まりきった解釈ではなく、構造をしっかり見せながら楽曲を組み立てていく姿勢を貫いたように見えます。

前半、ややすっ飛ばすようなイメージがあったものの、西村以降の後半では、作品とじっくり組み合うようなところもみせ、前後半の対比に、じわじわと意味が出てきます。オニシチェンコにつづいて、自分の個性に作品をうまく対置させた例として、際立ってくるでしょう。一方、そうした作品の扱い方が審査委員にどのように評価されるかを考えると、いささかリスクもあります。でも、私は好きです。

【No.20 エルマール・ガサノフ,ロシア】

サリムジャーノワからは一転して、ガサノフはストレートに割りきった演奏で、これはこれで潔いところもあります。西村作品は技巧中心の演奏の最右翼ですが、このほうが、かえって西村らしいポエジーが浮かび上がってくるような気がしないこともない。ラフマニノフは、アンチ・ロマン的な渋みのある音楽づくりが耳を弾きます。旋律線が骨太なのですが、歌ごころが素直で強引にはならないのです。

ここからは、リストだけによるプログラム構成です。エチュードの演奏もそうですが、非常に強靭なベースを濃厚に描き上げながら、他の力演系のコンテスタントと比べて、演奏に風格があるというか、そこに寄り添っている気品がしっかり印象づけられているため、飽きが来ません。そして、その隙にみせる繊細な歌ごころは、ラフマニノフの作品にも通じます。念のため言っておきますが、これは彼が、スタイルを間違っていると言っているのではありません。

そうした頑丈、かつ、磨き上げられたパーツで組み上げられたロ短調ソナタは、作品のもつ本来のポテンシャルを遺憾なく発揮するだけでなく、非常に深いロマンを結び上げます。序奏部の圧倒的な緊張感に始まり、揺るぎない展開ですが、緩徐的な部分の優しい表情も忘れられません。柔らかく、威厳のあるフーガから再現部、コーダへの鮮やかな流れも見事です。クライマックスに向けて厳しい構造美を徹底的に誇示しながら、それを徐々に緩めていくと、ベースにあるシンプルで、虚飾のない美しさが静かに浮かび上がってきました。

ここに来て、本当にいいものを聴かせて頂いたという感想です。

【No.36 キム・ヒョンジョン,韓国】

1次では直前のコンテスタントの演奏途中での棄権という椿事にも動じず、バナナを食べていたという逸話が公式レポートで紹介されているキム・ヒョンジョン。今回も直前のガサノフがかなりアグレッシヴな表現をみせたにもかかわらず、自分の表現を貫きます。

西村作品は最初のシーケンスを厳しく演奏し、思いきって辛口の表現を印象づけておきながら、その後の展開では作品にじっくりと向きあい、最終的に、凝結して固まるような動きに辿り着いていきます。それに対して、「木枯らし」では最初の打鍵で、前の曲の深さを全部受け止めてしまい、これにつづくダイナミック、かつ、歌ごころに満ちた曲想を利用して、一気にモーターを回すというダイナミックな表現を展開します。ラフマニノフは、前のガサノフの演奏ほど逞しい旋律線はないものの、その分、シャープな動きを緻密に配した演奏と捉えました。

この流れのなかで重要となるショパンの変ロ短調ソナタは、しっかりコートされた優美な響きのなかに、しっかり感情が溶け込んでいますし、深いルバートと強靭な打鍵に激情的な悲嘆が表現されています。スケルッツォは、主部がやや強暴すぎる感じもありますが、トリオは中庸を得た美しさがあります。主部は先程よりも決然としたイメージに変わり、その尖鋭さのなかに、ナチュラルに感情が溶け込みます。マルシュは総じてオーソドックスですが、これは狙いなのか、巧まずしてそうなってしまっただけなのかわかりませんが、トリオを含めて敢えて変化をつけず、全体がひとつの表情で貫かれたように聴こえるのが独特です。その流れのなかで、無窮動のフィナーレはほんのりと明るさを湛えつつ、しっとりと沈んでいきます。

最後は、リストの『リゴレット・パラフレーズ』。リゴレットもまた愛と死をめぐるロマンティック・オペラだと考えれば、ギリギリ展開はつながります。演奏は非常に優美で、音色が美しいので、聴きごたえがあります。しかし、ショパンの『葬送』が直前に来ていることからから、そこにすこし陰影がついて深みが増しています。彼女が優美に弾けば弾くほど、ソナタから引き継いだ「死」の部分が引き延ばされる仕組みになっているのです。これは、ジルダが魅力的であればあるほど、リゴレットの愛情が深ければ深いほど、彼女を失う悲嘆が強まるというオペラの構造に似ています。

まだ10代だというのに、どっしりと落ち着いた表現でした。

【まとめ】

これで、全員の演奏が終了しました。明日はお休みで、第3次予選=セミ・ファイナルは17日から2日間の日程で、概ね12人ほどのコンテスタントによって争われる予定になっています。審査の結果は、のちほど発表になります。

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