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2009年11月29日 (日)

ロジェストヴェンスキー シュニトケ オラトリオ「長崎」 読響 芸劇マチネー 11/28

ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーは読売日本交響楽団の演奏会で、様々な知られざるロシアのレパートリーを披露しているが、このシリーズは今年、生誕75周年のアニヴァーサリーを迎えるシュニトケを取り上げた。彼は1934年に生まれ、1998年に没している作曲家で、グバイドゥーリナ、シチェドリンなどと並び、ショスタコーヴィチ後のロシアを代表する作曲家といえる。今回は近年、リ・ディスカヴァリーされた初期作品、オラトリオ「長崎」をメインに、晩年の作品『リヴァプールのために』、さらに壮年期の傑作、ヴァイオリン協奏曲第4番がプログラムされた。

【リヴァプールのために】

最初の『リヴァプールのために』は、ロイヤル・リヴァプール・フィルの委嘱によって作曲されたが、そのとき、シュニトケは脳卒中に苦しんでいたという。初演は1994年。その年には、シュニトケは全身がほぼ麻痺状態となったが、亡くなる1998年まで、シュニトケの創作意欲はゼロにはならなかったようだ。ものすごい精神力!

作品は祝祭的な金管のフィナーレに始まるが、その響きはすぐにポキリと折れて、難解なカタチに変わっていく。その後の展開は、テューバの長大なソロがジャズ風な膨張を見せるのが印象的だったほかは、あまりにも未熟な私の知見からは、シュニトケの考えたことが読めない。戦争映画の一場面みたいなイメージも浮かび、ナチスの空襲に曝されたWWⅡの記憶が投影しているのかもしれないが、そのイメージは明確ではなかった。最後のほうになると、再び祝祭的な雰囲気も帰ってくるが、そのときにはいささか調子っ外れになっており、コケティッシュに変容されていたのである。

【ヴァイオリン協奏曲第4番 シュニトケの英雄の生涯?】

ロジェストヴェンスキーは、アーティキュレーションを大胆に調節することで、ときどき、大きな成功を収める。そのやり方は、ときに編曲にもちかいものであり、いつも成功するとは限らない。しかし、今回のヴァイオリン協奏曲に関しては、圧倒的な成功といえるだろう。この曲は元来、ヴァイオリニストで、オーケストラの主宰者としても知られるギドン・クレーメルに捧げられた曲であり、シュニトケがクレーメルのバンドの通奏低音奏者として、初めて海外に出たときの思い出を反映しているとされる。

しかし、ロジェストヴェンスキーはこの作品を、彼の息子と細君のために書かれたという、同じ作曲家の合奏協奏曲第6番と同じイメージで捉えなおしたように見える。このコンチェルト・グロッソは奇しくも、『リヴァプールのために』と同じ年に初演されていることもあるし、その息子のアレクサンドル・ロジェストヴェンスキー(サーシャ・ロジェストヴェンスキー)をソリストに立てると決めたときに、その構想が浮かんだのかもしれない。

今回の演奏をリヒャルト・シュトラウスの名品、交響詩『英雄の生涯』に譬えるとわかりやすいだろう。まず、鐘の音に始まり、冒頭の調性的な部分はゆったりと演奏し、その部分の明るさをしっかりと印象づけておく。ただし、そのなかに含まれるプリペアド・ピアノの調子っ外れも同時に印象づけることも忘れない。冒頭の喜びに満ちた響きは、英雄の誕生をしらせるものとなるが、ピアノの外れた響きが予告するように、それはすぐに崩壊し、英雄が決して生きやすい世界に生まれなかったことが印象づけられる。

作品の前半は、ヴァイオリンとプリペアド・ピアノのドッペル・コンチェルトのような形態に整理されている。特に、ロジェストヴェンスキーの演奏では、冒頭部分にもみられるようにプリペアド・ピアノの役割が明確にされ、ミニマル・ミュージックのように主要な音名モティーフを演奏し、少しずつずらしていくなかで、ヴァイオリンの単調な響きに角度をつけていることが強調されている。ピアノの響きは非常に繊細に、まるで子どもを抱きかかえる母親のような誠実さをみせる。鐘のモティーフよりも、今回はピアノのほうに重きが置かれている。

激しく蠢くようにして独奏ヴァイオリンに襲いかかってくる響きは、ロジェストヴェンスキーたちの過ごした青年時代の、暗い社会の陰影を象徴しているのだろう。独奏のサーシャは慌てず騒がず、自分の響きを刻むので、どちらかといえば、ここまでの展開では、周囲の動きのほうに耳がいく。アダージョでは、なんと第2ヴァイオリンの第4プルトにいる若い女性奏者に独奏を演奏させるのだが、彼女が選ばれたのは、サーシャとちょうど同じ年ごろだからではなかろうか。層が厚い読響の弦セクションだから、そんなことも可能なのだが、彼女は実に素晴らしい演奏をみせた。ここで、英雄の伴侶が生まれたわけだ。

それとともに、ピアノの役割が抜けているのを見逃してはならない。一方で、ハープシコードの響きが加味され、これが非常に温かい雰囲気を醸し出していることも指摘しておく。

アダージョの中間部分にあるオケのトゥッティ(全奏)では、サーシャの独奏ヴァイオリンが聴こえなくなるぐらいの強奏を要求する。これが少しずつほどけて、ヴァイオリン独奏のシンプルなモティーフに絞り込まれていくときの表現も見事だった。さて、英雄の伴侶のパートを通って、同じ部分が再現するときには、今度はヴァイオリン独奏はマスクされない程度のクレッシェンドに止まり、グリッサンドで響きがとろける。

レントから、実質的なヴァイオリンのカデンツァが始まる。何らかの伴奏がずっと張りついているので、正確にはカデンツァとは言えないはずだが、それらの伴奏は空気のようにそこにあるだけで、ヴァイオリンと協奏的な関係にはならない(させない)ので、私には、実質的なカデンツァと聴こえたのだ。このカデンツァは、実に長大であったといえる。中間部ではテルミンの響きがしたが、これは多分、舞台袖で演奏された。テルミンは気まぐれな楽器だそうだが、この日は、きれいに役割を果たしてくれた。登場の場面は、霊魂が彷徨うような感じで、日本の幽霊が現れるときの「ヒュー、ドロドロー」にも聴こえる。後半で使われるときには、ヴァイオリンのフレーズをかきまぜて、アイロニカルに弄ぶような響きだった。

その後、エピソードが回想される場面を通じて、最後の激しい爆発音が轟いてカデンツァがおわると、再びオケとの関係がイコールになる。バックの響きが強くなり、新しい時代のなかで強く生きていかねばならない英雄への励まし(讃歌)が聴こえてくる。それは鐘の音であり、ハープシコードの響きであり、今度は調子外れのなかにも、なんとか見つけ出された調和的な和音を送るプリペアド・ピアノの響きで補強される。先程はヴァイオリンで提示された役割が、ピアノの位置に移っていることで、英雄とその伴侶の成長が予見されているのだろう。そして、最後はヴァイオリンの決然とした響きが残り、バックの手ごわい響きのなかで、じんわりと消える。

このようなストーリーを思い描きながら聴いていると、なんと面白い作品なのかと思った。私が予め聴いておいた録音(エリ・クラスの指揮)とは随分ちがって、響きに立体性があり、明るさがある。このアプローチが、シュニトケの作品に対する誠実なアプローチなのかどうかは疑問だが、とにかく、こころ温まるような解釈であったことは間違いない。ただ、それを本当に楽しんでいるのは、私だけという感じもしないではなかったのだが・・・。

なお、この感動のなかで、サーシャのアンコールとして、(なんと伴奏付きで!)シュニトケの『ポルカ』を演奏したのは蛇足ではなかったかと思える。

【ヨーロッパ的観点から捉えたロジェストヴェンスキーの演奏】

メインは、オラトリオ「長崎」。この作品はシュニトケのモスクワ音楽院の卒業制作だったわけだから、作品の中身は、前の2作品には及ばないだろう。完全にインディペデントな作風ではなく、とりわけショスタコーヴィチの交響曲みたいな部分がはっきり見て取れる。しかし、そうしたなかにも、既にしてシュニトケらしさが出ている部分もあって、例えば、いま東京藝大にいる学生が書くような作品とは訳がちがうのである。それに作風はずっとわかりやすいから、聴き手に与える感動もより大きかっただろう。

この作品は1958年、大学の卒業制作作品として書かれ、直ちに、母国の作曲家連盟のコンペに出品された。そのコンペでショスタコーヴィチらの支持を受けて、シュニトケは受賞したが、作品は公の場で演奏される機会を得ず、放送で数えるほどの演奏を経たのち、忘れ去られた。学長から薦められた詩は、米国の非をうたうプロパガンダ的なものであったが、これに日本の詩を組み合わせて、ロシア語の訳詩で歌詞をつくっている。

こうした原爆を素材とした作品が、日本人の関心の薄いところで意外に多く制作されているので、音大生か誰かがつぶさに研究して、誰がどこで、どんな風に原爆をモティーフ化しているか、きれいに調べてくれたなら、これはとても面白いものになるだろうと思う。

さて、オラトリオの演奏は、ヴァイオリン協奏曲ほどではないものの、やはりロジェストヴェンスキーの掘り込んだ解釈が面白かった。シュニトケが先行のロシア、ヨーロッパ圏で描かれた東洋的な作品や、同時代、もしくは、それ以前の邦人作曲家たちが発表していた作品から読み取ったと思われる日本的な部分は、かなり薄められていたが、非常にヴィヴィッドな・・・というか、宗教曲風の統御された優雅さが漂う演奏で、宗教的オラトリオと、叙事的なモティーフの対立を、あくまでヨーロッパ的な観点から読み取ったものであることは前提しておきたい。

【各楽章の特徴】

大体において、構造的に自由のきかない曲であるが、そのなかで、第2楽章の「夏」の部分は、例外的に自由な形式を当てはめることができる。ロジェストヴェンスキーは、この部分の日本の祭囃子的な情緒を理解せず、その背後に隠れているイタリア・オペラ的、声楽的な特徴を掘り起こすカタチで、イメージをつくっている。それを可能にしているのは、まるで1人の歌手のように、作品のフォルムを先取りして、波乗りのようにして前側にポジションをとったり、それを微妙にずらしていくような機敏な反応までとれる、新国立劇場合唱団の高い機能性を手にしていたせいだろう。

これが、作品のオラトリオとしての側面を補強することにもなる。ここでは朝の太陽を讃える藤村の自然主義的な歌詞が、神を讃える宗教オラトリオ的なイメージと直接されていることを教えてくれる。

そして、その優美なカンタービレに対して、爆弾の炸裂を意味するトゥッティにつづき、ショスタコーヴィチが交響曲でよくやるように、対位法の響きをしっかり組み上げて、その爆裂に対抗させている点が、アイロニカルに示される。このあたりの一筆書きは、読響の高い機動性をいっぱいに利用しているが、あまり慌てずに、じっくりと体重をかけているのが成功のもとだろう。この部分は、宗教曲的にいうと、「怒りの日」(ディエス・イレ)ということになるのだろう。(管楽器を)なるべくシンメトリカルになるようにオーケストラを配置したのが効き、音楽に自然な立体感があった。

第4楽章の「焼け跡にて」では、坂本朱が、久しぶりにきりっとした歌を聴かせる。歌いだしの強い声のぶれを聴いたときはどうなることかと思ったが、その後は、この作品にかける全体の緊張感が乗り移ったような、張りつめた歌いくちが絶妙で、どこぞのロシア人を連れてくるよりも、この人でよかったという印象を残すに至った。ロジェストヴェンスキーも彼女の声の厚みを的確に把握し、上手に調整してくれていた。ここは、宗教曲でいうところの「涙の日」(ラクリモサ)ということになるのだろう。

こうした緊張感が、終楽章で一挙に解放される。途中、やや緩みすぎた部分もなくはなかったが、ロジェストヴェンスキーは「アニュス・デイ」としての性格を、その歌いまわしの自由さに求めているのかもしれない。コーラスがのびのびと主張をひろげるなかで、「ノー」と叫ぶ部分を中間の頂点にして、快い流れをつくっていく。意図的なものかわからないが、この楽章で現れる「ナガサキ」の文句は敢えて、しっかり「ナガサキ」と発音させないことで、この作品を内部からアイロニカルに描いているようにもみられる。

こうして全体のフォルムを織り上げていき、最後、ショスタコーヴィチ的なリズムを使い、諧謔的に盛り立てられるオーケストラの間奏に導かれたコーダは、どんなにオケを煽っても割れることなく、芯を保つ合唱の力強い響きに支えられ、見事な歌いおわりを迎えた。あそこを聴くだけでも、この演奏会は価値があったといえるのかもしれない。

【まとめ】

事前の予想では、やることに意義があるような公演だと思っていたが、これは、ロジェストヴェンスキーのやってきた最近の公演のなかでも、グラズノフ以来のヒットではないかと思う。我々にとって大事なテーマを扱った作品でもあり、こうした作品が、ソヴィエトのプロパガンダという呪縛を乗り越えて、その真の姿を現してくれる時期が来たことは、まことに喜ばしい。今回、合唱団が素晴らしいこともあって、その作品の価値は圧倒的に高められ、純化されている。

30日にサントリーホールでもう1公演あるので、これはオススメだし、私も足を運びたいと願っている。

【プログラム】 2009年11月28日

オール・シュニトケ・プログラム
1、リヴァプールのために
2、ヴァイオリン協奏曲第4番 (vn:サーシャ・ロジェストヴェンスキー)
3、オラトリオ「長崎」 (chor:新国立劇場合唱団)

 コンサートマスター:藤原 浜雄  合唱指揮:三澤 洋史

 於:東京芸術劇場

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