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2009年11月19日 (木)

浜松国際ピアノコンクール 第3次予選 (結果)

浜松国際ピアノコンクールは18日、第3次予選(セミ・ファイナル)の演奏がおわり、結果が発表された。予選通過者は、以下のとおりとなっている。

 ○No.16 フランソワ・デュモン,フランス
 ○No.4 アン・スジョン,韓国
 ○No.10 チョ・ソンジン,韓国
 ○No.29 ホ・ジェウォン,韓国
 ○No.20 エルマール・ガサノフ,ロシア
 ○No.36 キム・ヒョンジョン,韓国

【韓国のコンテストたちの活躍】

驚くべきことにというべきか、予想どおりというべきか、ファイナル進出者のうち4人を韓国のコンテスタントが占めることになった。しかも、まだ大学に上がっていないチョ・ソンジンを除く全員が、現在、もしくは、これまでに韓国国立芸術大学のカン・チュンモの指導を受けている。しかも、それらのコンテスタントは一様に似たような性質を示しているわけではなく、実に個性的なのだ。技術と表現の両方にわたって、韓国国内で非常に優れたトレーニングがおこなわれていることが窺われ、折角、おとなりの国なのだから、日本の音大も彼らの指導に学ぶべきときが来たのではないかという気がする。

この浜松に限らず、またピアノの分野に限らず、韓国人のコンクールでの活躍は目立っている。特に声楽の分野では、競い合いだけではなく、ヨーロッパの一流の劇場における韓国人たちの進出は、目を瞠るばかりだ。もともとキリスト教がひろく受け容れられている国であるだけに、宗教曲まで入れると、さらに活躍の幅は広い。

【日本人は全員が落選】

日本人は残念ながらというべきか、これまた予想どおりというべきか、全員が落選することになった。野木はやるだけやったという気がするが、加藤、尾崎は本来のパフォーマンスではなかったように思うし、特に加藤は、バルトークを除いた曲は自分にあうレパートリーではなかった。

これまで無名だった野木成也がいちばん健闘したが、彼は日本で音楽教育を受けていないというのも皮肉なことではなかろうか。古典派以前のレパートリーに対して後半のレパートリー、特に規模の大きな曲での構成力が問われたと思われる。これまでのラウンドで評してきたように、この人は成長力が高いように思うので、今後、ますます優れたピアニストになっていく可能性が高いと期待している。

【ヨーロッパのコンテスタントたち】

これに代わって決勝に残ったのは、フランスとロシアの完成度の高いピアニストたちだった。すなわち、デュモンとガサノフは、このままプロの道を歩み出しても、なんら不思議のない人たちだ。ロシア・ウクライナからのコンテスタントは相当数にのぼっているが、ここまで来たのはガサノフひとりだ。逆に西欧からの参加者は限られていたが、そのなかで1名が残り、辛うじて体面を保った。

これまでの実績が示すように、アレッサンドロ・タヴェルナも完成度の高い演奏者のほうに含まれようが、前回につづき、セミ・ファイナル止まりとなった。コンクール戦線で十分すぎるほどの戦果を挙げているだけに、『エロイカ変奏曲』を弾いて決勝に行ってこそ意味がある、というチャレンジングな選択だったように思うが、独特の工夫を凝らした演奏は、平均点を競うコンクールには馴染まなかったといえる。彼にとっては、もうコンクールの手助けは必要ないのではないかという気がする。

【コンクール間の拮抗】

今回のコンクールでは、主要なコンクールで高い成績を残したコンテスタントたちが、ほとんど決勝まで辿りつかなかった。浜コンよりも知名度がある(あくまで知名度の問題だが)と思われるコンクールに限って、例を挙げよう。

 【S.ソボレフ】 チャイコフスキー国際 4位
 【D.オニシチェンコ】 チャイコフスキー国際 5位
 【A.タヴェルナ】 リーズ国際 3位
 【パク・ジョンヘ】 ダブリン国際 2位
 【キム・ジュンヒ】 ロン・ティボー国際 2位
 【F.デュ・グロレ】 ロン・ティボー国際 5位

特別な事情で演奏途中に棄権したと思われるソボレフは別に置くとしても、パクとキムは1次落ち。オニシチェンコとデュ・グロレは2次落ち。そして、タヴェルナが3次落ちである。決勝に残った6人のうちで、主要コンクールの上位入賞歴があるのは、ダブリン国際でパク・ジョンヘにつづいて第3位だったアン・スジョンのみだ。このことは一体、どんなことを示すのだろうか。それには様々な見方があろうが、そのなかでいちばん大事なことは、国際的な教育水準が底上げされ、コンテスタントのレヴェルが平均化されたということである。

カン・チュンモのような目覚しい例はあるにしても、それを含むアジア圏、クラシック音楽の主要な伝統国とはいえない東欧国家(例えばバルト三国など)、オセアニア、さらに、なお遅れているとはいえ、中南米・アフリカなどからも良質のコンテスタントが供給されつつあり、それらが、むしろ地盤沈下しつつある欧米の伝統的な教育下に育った若者たちと、同等以上のレヴェルを示すようになったということだ。

これはしかし、ひとえに喜ばしい状況とは言えない。それは逆にいえば、これらの地域の独自性が奪われ、国際的に認められるほど、インターナショナル化したという見方にも通ずるからだ。それは地域性だけの問題ではなく、これまで大事に継承されてきたピアニズムの歴史が断絶し、どの門下で育っても、さして変わらないという状況になってきたことをも示すからである。ガサノフのように、強烈に、その門下の特徴を示すコンテスタントたちは少なくなっている。

誤解のないように言っておけば、「インターナショナル化」自体はさして問題ではない、と私は思う。音楽後進国のレヴェルが上がって悪いことは何ひとつないし、表現の均一化は、アカデミックな研究成果に逸早く反応し、表現を自在に調節できるようになった世界のオーケストラの、機能性向上を示すものでもあるからだ。本質的に、これはどちらといえば、音楽先進国と思われていた地域にとっての問題なのであり、そのなかで、どのようなこだわりが特に守られていくべきなのかという、高次な議論となる。

【新しいコンクールのカタチ】

公平性という観点もあって、審査員が多国籍化し、評価基準が曖昧になっていることも、そのことに拍車をかけている。それは冷戦下、国威発揚にコンクールの場が政治的に利用されたことの反動であるし、音楽界にも存在する学閥などの問題を排除するための工夫でもあった。しかし、多少、公平性に問題があるとしても、例えば、チャイコフスキー・コンクールが、ロシアのピアニズムを受け継いできた審査員だけによって審査されるとか、ロン・ティボーでは、フランス的な音色にこだわる審査員ばかりが審査の席に着くとか、そういった方向に舵を切るときが来ているように思えてならない。

あるいは、作曲の武満賞みたいに、各回ごとちがう音楽家が呼ばれて1人で審査するとか、1人でないにしても、少数の審査員グループが基準を明確にして審査するとか、そういう方向に行かなければ、コンクールがなにかを守るという方向にはいかないのではないかと思う。ただし、コンクールが教育の劣化、もしくは、平準化を補って、そのような機能を果たすことが正しいのかどうか、難しい議論となる。

例えば、最近のショパン・コンクールは、ヤン・エキェルの一派が主張するようなショパンの「正しい」演奏伝統を守るという観点が強化されているが、そのことによって、欧米からの注目度は逆に弱まり、所詮、ショパンのレパートリーに限定した、ローカル・チャンピオンを決めるコンクールにすぎないとさえ囁かれている。これに対して、現在、世界のコンクールは過去のコンクールとは性質が変わって、4つのことに気を遣っているようだ。

1つは、いろいろな形での公平性の確保。ロン・ティボーでは、1次審査で審査員の視野を塞ぐための、ついたてを置いたという。2つは、世界中のピアニズムを代表する審査員をたくさん集めて、マスタークラスなどの教育面を充実させること。最近は、審査員との出会いを求めて、コンペティションに参加するコンテスタントも少なくないようだ。3つは、アフター・サーヴィスの充実。つまり、入賞者のためのコンサートの充実や、オーケストラやホール、著名な音楽祭、公的性のあるエデュケーショナル・プログラムなどと連携して、入賞者の活動をサポートすること。これは人脈づくりの補完という意味も持つ。4つは、ショウ・アップ。映像配信もそうだが、ヴァン・クライバーンやエリーザベト王妃コンの中継などをみると、ほとんど日本レコード大賞みたいなノリになっているのに驚く。つまり、コンペティション自体のショウ化。

このような方法で、コンクールは新しい機能を果たし始めているのだが、そのトレンドも再び批判に晒される日がちかいのではないかと思う。

【コンクール結果についての考察】

さて、それはともかくとして、第3次予選の結果についてだが、ほぼ予想どおりという結果に落ち着いた。だから、審査は適正だ・・・というのでは、自分の価値観とちがう人が通ったことで審査にケチをつけている人と、さほど変わらなくなってしまうことだろう。そこで、私なりの観点で、すこし考察を入れておきたいと思う。

今回のコンクールで、ひとつの大きな傾向は、音楽のほうを自分の表現に近づけたパフォーマンスは、ほぼ間違いなく評価されなかったということである。2次でいえば、オニシチェンコやサリムジャーノワがそれであり、第3次では、タヴェルナや、もしかしたら尾崎有飛もそういうタイプに入るかもしれない。

ここで気をつけたいのは、そうした音楽表現がクラシック音楽にとって、絶対悪ではないというシンプルな事実だ。例えば、ファジル・サイのようなピアニストや、ヴァイオリンのジル・アパップやジュリアーノ・カルミニョーラといった人たちは、ベースに伝統的な表現を保持しながらも、既成の枠組みに捉われて音楽をしてはいない。そうした「変人」たちを集めるコンクールをやったら、それこそ面白いのではないかと思うぐらいだ。しかし、少なくとも、今回のようなコンペティションにおいて、平均的な評価は得られないということだ。

次に、今回の審査員はミスには寛容ということである。例えば、ピティナの先生(ホームページでレポートを書いている)がほとんど憐れみの目で見ていたアン・スジョンは、結果的には決勝に進出した。彼女自身、たいへん落ち込んでいたというなかでの選出であり、もちろん、ピティナの先生に気づけることが世界の著名な先生方に見抜けないはずはない。キム・ヒョンジョンも、インタヴューでは自らのパフォーマンスを反省している。確かに、ミスは多かった。しかし、結果はパスである。

さらに奇怪な事態は、2次予選におけるジェームス・ジェウォーン・ムーンの身に起こった。彼は、最低限の審査課題さえすべてこなしきれない状況で、そのラウンドを通過することを認められたのである。ホ・ジェウォンもこのラウンドでは、まったく納得のいかないパフォーマンスであったようだが、次のラウンドに進んでいる。

【結果よりもコンテスタントの可能性が重視された】

一体、なにが起こっているのだろうか。ゴシップ好きの人たちは、そこに何らかの見えざる力の介入を読み解こうとする。だが、私はそのような見方は、所詮、ゴシップでしかないと思う。そのような見解はまず嘲笑っておくとして、私が感じたのは、審査員たちがその日のパフォーマンスも大事だが、それよりはコンテスタントの可能性について、より重視して見ているということである。

日本の先生方は大抵、フィギュア・スケートのアマチュア競技のように、転んだら自動的に1点減点という世界において、演奏を見てしまっているのかもしれない。アン・スジョンは何回も転んだから、良い評価をされるわけがないと踏んだのだろうか。しかし、世界の先生方は、その後ろにあるものを的確に把握していたのだ。ある大会で浅田真央はたくさん失敗したけれど、いやいや彼女の目指しているものは凄いし、いつもはレヴェルの高い訓練をしているのがわかる。他の人よりも、優れたレヴェルにあるじゃないかと判断したのかもしれないのだ。

つまり、彼女の非常にふかい楽曲への理解や、その鋭い表現センスに注目し、実施において失敗的なラウンドをみながらも、なお、その演奏を成功させる可能性が、本来は高かったという見地に戻ったか、もしくは、そのような実施においてさえ、十分に魅力的な演奏であったと評価したとみることができるのである。

ムーンの2次予選通過も、そのような視点で説明できるのかもしれない。常識的には規定違反であるが、プロの活動にはそもそも規定がない。それよりも、審査員たちのこころに通過を可とする何かが、演奏中断に至るまでにしっかりと訴えられていたということが重要なのだろう。その理由を個別、具体的に知ることはできないが、それは先生方の受け継いできたピアニズムの質、先生方の育ち、暮らしている国の文化的な背景、先生個人のセンスや考え方、経験などによって、微妙に異なってくるだろう。

したがって、先生方ひとりひとりにとってみれば、不条理ともいえる結果が出ることは、しばしばあるのであって、アルゲリッチのような激情家に至っては、審査の席を蹴ってしまったこともあることは有名な話だ。今回の審査員たちに関しては、アルゲリッチと同じような視点から、コンテスタントたちの欠点よりも、長所において評価したという点が目立っているように思えてならない。そして、その守備範囲は、すこしばかりワイドである。一方、先ほど述べたように、あまりにも恣意的な表現については人気がない。そのような観点から、なにを見ているのかわかりにくいコンクール事情のなかでは、質のいい審査がおこなわれていると私は信じる。

実際、その慧眼が当たり、第3次予選では多様な個性が確認できたし、素晴らしいパフォーマンスがつづいたからである。

【スター誕生か?】

そのなかで、チョ・ソンジンというスター候補生が出てきたことは、高い注目を集めるだろう。日本でいえば中学校に通っているような年齢であるが、音楽に忠実に寄り添い、自分をコントロールできずに「やってしまった」アクションというのがほとんどない。完璧に磨き上げられたパフォーマンス、すこし素朴とはいえ、しっかりした読譜に基づく高レヴェルな表現性。浜アカ出場者ということもあり、第3次予選では3度も舞台に呼び戻され、地元での高い人気も窺われた。そして、13歳のときのほうがはるかに素晴らしかった高木竜馬とちがい、計り知れない成長力も感じさせる。

本選ではラフマニノフなどのヴィルトゥオーゾ・プログラムではなく、ベートーベンの「皇帝」を弾くことになっているから、これで仮に優勝するようなことがあれば、これは大物誕生というほかないだろう。なお、本選での6人の演奏曲目は、以下のとおりとなっている。

〈1日目〉
 ○F.デュモン ベートーベン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
 ○アン・スジョン ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
 ○チョ・ソンジン ベートーベン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
〈最終日〉
 ○ホ・ジェウォン ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
 ○E.ガサノフ パガニーニの主題による狂詩曲
 ○キム・ヒョンジョン ベートーベン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

伴奏は、大友直人指揮の東響がおこなう。ドミニク・メルレが言うように、コンテスタントたちが同じ曲目ばかり選んでいるのは気になるが、それでも、全員が自分にあったプログラムをもってきていると思う。なかでは、徹底してラフマニノフにこだわってきたアン・スジョン。ベートーベンをセミで初めて披露し、温存してきたキム・ヒョンジョンのパフォーマンスに期待がかかる。

このなかで私が最有力とみるのは、エルマール・ガサノフ。しかし、6人はほとんど差がつけられないほど実力が接近しており、ガサノフはパフォーマンスの安定したピアニストでもないので、付け入る隙は十分にありそうだ。そこで実力者のアンと、ティーンズのソン、キムが台頭してくるはずだ。デュモン、ホも埒外ではない。とはいってみたものの、言ったもの勝ちの予想などは無意味というものだ。

【私のなかのチャンピオン】

ところで、私は浜コンでは本選はオマケのようなもので、順位づけはさらに意味がなく、セミ・ファイナルがいちばん重要だといった。そのなかで、誰がいちばんのパフォーマンスだったのだろうか・・・と疑問をもつ人もあるのかもしれない。だが、その質問だけは、どうか勘弁していただきたい。私は12人のコンテスタントがそれぞれに好きで、自分のつたない価値観だけで、彼らを適当に並べ替える気がしないからだ。そのなかで、いくつかの瞬間を挙げたいと思う。

1つ目は、ガサノフのシューベルトのソナタ、第4楽章がはじまったときの素晴らしい歌ごころだ。2つ目は、キム・ヒョンジョンが弾いた『謝肉祭』第1曲の強烈な印象。3つ目は、アン・スジョンのリストの、最後の数分間の涙ぐましいほどの緊張感。4つ目は、チャン・ソンの『ペトルーシュカ』冒頭の滑らかなカンタービレを聴いたとき。5つ目は、デュモンの『展覧会の絵』の、「死者の言葉をもって死者とともに」の指示が書かれた部分。

6つ目は、野木のハイドンの明るい1楽章。7つ目は、チョ・ソンジンのショパンの『スケルッツォ第4番』の最初の数分の印象づけ。8つ目は、タヴェルナの『エロイカ変奏曲』の冒頭の研ぎ澄まされた音色。9つ目は、尾崎のリスト『スペイン狂詩曲』のフォリアからホタへの手早い切り替え。最後に、ホ・ジェウォンのラフマニノフ最後のコーダにみられた陰影。

これらを順位づけするなんて、私には無理なことである。1人だけ登場していない人がいるが、彼のことが特に気に入らなかったというわけではないので、その点、勘ちがいのないように願いたい。とにかく、いまは改めて、コンテスタントたち全員にお礼を述べたい想いでいる。

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コメント

アリスさん初めまして。私はピアノが大好きな30代の女性です。子供の頃習って一度挫折しましたが、大人になり趣味としてピアノを弾いております。
浜松のコンクールをここのところ追っていますが、素晴らしい記事で、楽しみにずっと見させていただいてます。本当にありがとうございます。

現在海外におり、浜松にもいけない為プログラムも買えず、才能ある出場者の先生たちを是非知りたいと思っていました・・色々勉強させてください。私のアメーバブログにリンクさせて頂いてもいいでしょうか?もしお差支えあればお気に入りとして個人で楽しませて頂きます(笑)
ではまた遊びにきますね! 

デイジーさん、初めまして。あなたのように、実際に演奏もされる方には何の参考にもならないレヴューでしょうが、ご覧になっていただけて幸いです。

本選は、映像配信の音質的に問題があり、どれぐらいのことが書けるか検討中ですが、何らかの記事は書くつもりでおります。

リンクのほうは、まったく問題ございません。

アリスさんはじめてまして。
私は今回コンクールに初めて行くことができました。
自分なりにメモをとったりして、とても楽しくて次回も
絶対に行くのだ。と思ったりしています。
私はチャン・ソンさんの演奏が一番心に残ったので
アリスさんの記事にそのことにふれた部分があったのでとてもうれしかったです。

reinosukeさん、ご訪問ありがとうございます。チャン・ソンさんですか。ほんの4ヶ月ほど前ですが、なんだかずっと前のことのように感じます。

今年は、仙台国際音楽コンクールがネット配信で楽しめます。コンクール都市つながりで応援してあげてください。

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