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2009年12月19日 (土)

ヤーノシュ・フェレンチク 【1907-1984年】

最近、わが家ではナクソス・ミュージック・ライブラリー(NML)というのを導入したことにより、私の、人並み外れてつよい好奇心が満たされやすい状況になってきた。

ナクソスというクラシック産業の勝ち組がスタートしたNML事業が、クラシック音楽界にとって善玉なのか悪玉なのかという知識は、私にはない。しかし、ナクソスの呼びかけに応じて大・小多くのレーベルが次々と参加しているところをみると、どうやら業界の鼻つまみ者というわけではなさそうだし、放っておけば死蔵品となってしまう音源をリサイクルする方法としては、なかなか優れているようにも思われる。

そこで、私の旺盛な好奇心を生かして、ここをご覧のみなさんにも共有していただこうということで、新しく「B級指揮者列伝」というカテゴリを立ち上げた。「B級」というのは言葉が悪いが、現在、私の知る範囲では、巨匠とかいう風には言われていない、さほど有名ではない人物というぐらいの意味にすぎない。ちょっと前までの、カイルベルトとかテンシュテットとはいわないにしても、その尾にすがるくらいのちょっといい存在を見つけていければと思う。

【第1回はヤーノシュ・フェレンチク】

最初の回に取り上げるのは、ヤーノシュ・フェレンチクである。本来は、「B級」どころか、世間の好む「巨匠」的な実力さえもつ人だが、ハンガリー国内での活動にこだわったために、同世代以下のハンガリーの有名な指揮者たちと比べると、もうひとつ知名度がないのだ。近年、急ブレークしたチェコの指揮者、エリシュカのハンガリー版と考えると、ちょうどわかりやすいかもしれない。クーベリックやビエロフラーヴェク、コウトなどがチェコ国外に出て有名になったのに対して、エリシュカは旧共産圏内に閉じ込められて、その溢れる音楽性を知られるには、あまりにも時間がかかってしまった。

フェレンチクもキャリアの初期にウィーン国立歌劇場の常任指揮者にまでなったが、1952年以降、コシュラー、セル、ドラティ、ケルテスらが国外に出て評価されていくのとは対照的に、国内を基盤とした活動に戻っていく。国外での指揮活動がなくなったわけではないが、フェレンチクの主戦場はあくまでハンガリー国立歌劇場、及び、そのオーケストラであるハンガリー国立管弦楽団であった。

ヤーノシュ・フェレンチクは1907年、ブダ=ペストに生まれる。幼くしてヴァイオリンやオルガン、作曲に幅広い才能を示したフェレンチクだが、20代にして、バイロイトでトスカニーニのアシスタントを務めたことから、指揮者のキャリアが始まった。しかし、その後は国内の劇場を中心に叩き上げでステータスを高めていき、国外でも評価されていった。1948年から3年間はウィーン国立歌劇場の首席客演指揮者としても名前を刻んでいる。ただ、一応、触れておくならば、この時代のウィーン国立歌劇場は戦災のため、アン・デア・ウィーン劇場を間借りしていた時代である。

そのまま、ハンガリー出身のサラブレッドとして世界的に活躍する道もあったのだろうが、ある時期以降、既述のとおりハンガリー国内に拠点を置き、例えば、ハンガリー国立管については歿する1984年まで、首席指揮者のポストを手放さなかった。その間、ザルツブルク音楽祭をはじめ、世界中をまわっての指揮活動は続けているものの、ハンガリーとともに歩み続けた音楽家だった。来日経験も多いため、私の認識は間違っていて、実は、かなりよく知られている指揮者であるのかもしれない。

【ハンガリーの歴史】

ところで、そのハンガリーとはどういう国だったかを調べてみた。前史は大幅に割愛して、第2次大戦前後の状勢についてみる。ハンガリーは第1次大戦後、オーストリアとの二重帝国体制から引き離され、領土をルーマニアとチェコ=スロヴァキアに侵食された。両国の支配に反対して王制が成立するが、第2次大戦では枢軸国側に属して、ナチスの助力を得ながら領土を回復していくことになる。1944年に民族主義革命により王制は倒れるが、その間に、ソ連は容赦なくブダ=ペストを占領。民族主義勢力は除かれ、ハンガリーは共和国として歩み出すものの、そこにはソ連の色濃い影響力が残り、かなり後世まで、少しずつ変容しながらも支配体制は覆らなかった。

フェレンチクがハンガリーに拠点を戻した1950年代初頭には、親ソ連の共産主義政党、ハンガリー勤労者党が一党独裁体制を形成し、ラーコシ・マーチャーシュがスターリン主義の大なたを振りまわしていた。フェレンチクが、そんなハンガリーに舞い戻った理由を知るための資料は手もとにない。彼はそれから、ハンガリー動乱も、その後の社会主義の「発展」も、その崩壊もすべて眺めながらハンガリーに留まり、ようやくにして民主化の流れが起こりそうになるときに、この世を去った。

国家という強固なバックボーンをもち、国費で育てられた優秀な人材が安定的に供給されるという点で、優位性もあるにはあったのだろうが、この時代、ハンガリー国内で重要なポストをもって活動するというのは、非常に大きなプレッシャーであったことは間違いなく、活動も完全に自由だったとは思えない。彼の活動について、ショルティなども自伝のなかで深い敬意を表しているという。

【ベートーベン 交響曲第3番】

NMLのリストにあるフェレンチクの録音は、そのキャリアから予想できるように、独墺ものを中心にかなり多い。そのなかで、いちばんインパクトがあるのは、2007年のフェレンチク生誕100年を記念して、フンガロトンというレーベルから復刻されたベートーベン全集(オケは、もちろんハンガリー国立管)のうち、第3番「英雄」の演奏である。

フェレンチクの演奏はまず、ベースの美しさが際立っている。そのせいでよくわかるのだが、弦のヴィブラートのかけ方ひとつを追っていくだけでも、相当に充実した楽しみとなるだろう。効果的な響きのコントロールと、アーティキュレーションの明解さによって、フェレンチクは自由に作品からメッセージを引き出すことができる。しっかり脇を締めながらも、弱奏部における木管や金管の音色はのんびりとして、伸びやかであるとともに、自然な膨らみがある。ノン・ヴィブラートの弦の音色には弾力性があり、その動きは、人々が言葉を交し合うようにも聴こえる。

こうした特徴が生かされつつ、感動的なメッセージが引き出されるのは、第2楽章の葬送行進曲である。ロンド形式の最初の一連の流れは、木管のソロに緩やかな揺らぎが与えられ、若干濃厚な感情を引き出しているのを除けば、むしろ、きっちりした演奏である。完全に長調に転じるところからがフェレンチクの真骨頂で、まず、その最初の変わり目でみせる響きを抱きしめるような、どっしりとした安定感に注目したい。そのあとに訪れるクライマックスでは、その直前の金管にぐっと鞭を入れることで伸びやかなカンタービレを引き出し、アンサンブルを力強く先導させるようにしている。

つづく短調への切り返しは、ろうそくが風に吹き消されるような自然な減衰をみせる。これに接続する対位法的な動きは、例の言葉を交わすようなやりとりが精妙に重ねあわされ、見事なヴィブラートのコントロールで聴き手の内側から呼びかけるようにして、響きを徐々に守り立てていく。自由で情熱的な金管の咆哮から、振幅の大きな弦のヴィブラートで頂点を打つが、すぐに減衰させ、再び出撃ラッパのような響きが雷鳴のように轟いたあと、平静な響きに推移していく。

こうして、悲しみのなかに隠されたエネルギーは、最終楽章のコーダで炸裂することになるが、実は、その伏線は第1楽章のコーダに張られている。だが、そこでは花開きかけたところで勢いを止める。対照的に、終楽章では、最弱奏によるソット・ヴォーチェから、突然、満開に花開くような華やかさに切り返されることで、ひとつの目的に向かって、人々が歌いながら自由への闘いに臨むような、巨大なエネルギーを生み出すことになる。全体的には、奇を衒わない品のいい演奏であるだけに、こうした部分の精華は、明確なメッセージとなるのである。それまで1人で突っ立っていた広場に、おもむろに、数えきれないほどの人たちが駆け寄ってくるような弾きおわりの部分は、文字どおり圧巻の印象を抱かせるだろう。

フェレンチクは、ハンガリー動乱により痛ましいソ連の軍事介入があった年の大晦日、この曲を演奏したそうだが、上のようなフェレンチクの演奏は、傷ついた民族のこころを温めるのに、いかにも効果的だっただろうと思われる。

【ウィンナー・ワルツ】

もうひとつ挙げたいのは、ウィンナー・ワルツの素晴らしさだ。こちらも、演奏はハンガリー国立管。フンガロトンによる録音である。ベーム時代の合間に、間借り中とはいえ、ウィーン国立歌劇場のポストに名前を連ねていたのは偶然ではないとわかるだろう。

例えば、有名な『ラデツキー行進曲』は軍隊行進曲の厳しさをしっかり残した上で、アイロニカルな笑いを柔かく取り入れた、背骨のしっかりした演奏を聴かせる。『皇帝円舞曲』もかなり洒落が効いていて、一筋縄ではいかない。王宮的な優雅さのなかに、ハイドンを思わせる驚愕的なユーモアを鋭い皮肉に使い、対比のキツい演奏になっているところが面白い。ためやリズムもワン・パターンではなく、多様な遊びに満ちていて、なかなか先が読めない演奏である。

毎年、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートでシュトラウス・ファミリーの作品は聴くことになるが、こういうドキドキするような演奏は、誰もみせてくれない。プレートルがよかったと言って、数週間後に再登場する予定だけれども、あれは音色の美しさでごまかしているのであって、それはそれで一技術であるのだが、本当のウィンナー・ワルツの楽しみとはちがう。

定番の『美しく青きドナウ』は、舞踊曲としての側面を意識して、女性のダンサーが男性の腕に身を任せ、からだを反らせるような重みをつけながら、後ろに体重をかけるような演奏が徹底されている。『ウィーンの森の物語』は、冗舌を抑えながら文学的にあっさりと展開していくが、強調符を効果的に使ったりして、音楽の引っ掛かりをつけることで、聴き手を飽きさせない。ダイナミックな展開が見られない分、我々は小説を読み進めるように、作品のポエジーを徐々に噛み砕いていくことになる。コーダの前のマンダリンが、そのポエジーのやさしい頂点に置かれている。

このように、同じウィンナー・ワルツでも、こうすればOKという定石がなく、1つ1つの作品の特徴をよく捉え、それぞれに手の込んだものになっているのがわかるだろう。アルバムの最後には、兄弟共作の『ピッチカート・ポルカ』が置かれており、フェレンチクの演奏はとても優しげだが、ピッチカートだけでつくる響きのユニークさや、兄弟愛というウェットな世界だけに溺れずに、響きのフォルムが丁寧に織り込まれていることを指摘したい。

ウィンナー・ワルツというのは、美しく、華やかで、楽しく、ゆるい音楽だが、それだけに、尚更しっかり演奏しなくては面白さが出ない。フェレンチクの演奏は、その点で揺るぎがないのである。

【まとめ】

ここに挙げた作品以外にも、もちろん母国を代表するコダーイとかバルトーク、ハイドン、モーツァルト、リストなど、それぞれに面白い。ベートーベン全集にしても、全部が素晴らしい演奏だとはいえない部分もあるが、胸を打つ演奏が多いのも確かである。最初の回は「B級」というには勿体ない名指揮者を取り上げたが、さしずめ、初回スペシャルとでも考えていただければ幸いだ。こんな感じでやっていきたい。

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コメント

「B級指揮者列伝」ですか。面白い命名ですね。ラーメン屋とかモツ鍋屋の紹介特集かと思いました。

フレンチク・ヤーノシュは素晴らしい才能と実績を持つマエストロでした。フンガトロンからたくさんのLP録音が日本コロンビアを通じてリリースされていました。

人さまのブログですから、企画自体に難癖をつける気はありません。どうぞお続けください。

カンタータさん、ありがとうございます。手厳しいご指摘ながらも、一応、趣旨へのご賛同をいただいたものと解釈しておきます。

オススメのフレンチク・ヤーノシュの第九を聴いてみました。素晴らしい指揮者ではないですか。
特段個性的な解釈ではないが、キッチリとオケを鳴らした安定感がいい。いつも貴重な情報ありがとう。

こちらこそ、ありがとうございます。私のセンスが誰にでも通じるわけではないので、いきなり気に入ってくださったことは驚きでした。

といっても、フェレンチクは本来、サラブレッド中のサラブレッドです。次回以降はこうはいかないかもしれないですが、当たるも八卦当たらぬも八卦という感じで見ていただけければ幸いです。

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