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2009年7月12日 - 2009年7月18日

2009年7月17日 (金)

ベートーヴェン・トリオ・ボン メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲第1番 ほか @浜離宮朝日ホール 7/17

濱倫子と、ドイツのオーケストラのコンマス・首席奏者によって構成されるベートーヴェン・トリオ・ボンの演奏を聴いてきた。

【運命に導かれた3つの個性】

トリオのうち、濱&アルミャン(チェロ)のデュオはカールスルーエの大学時代から、パートナーシップを育ててきたわけだが、そのアルミャンが入ったボンのオーケストラで、ヴァイオリンのミハイル・オヴルツキと出会った。彼は2人よりもすこし若いが、世界的な名門のひとつ、ザハール・ブロンのクラスのアシスタントを務めるような逸材でもあったようである。そして、彼はアルミャンと同じく、モスクワの出身と来ている。

運命に導かれた3つの個性・・・と、プログラムの表紙に副題がしてある。正に、というところであろう。このトリオは、生まれるべくして生まれる運命にあったとしか思えない。それぞれがつよい部分を分けあい、または、足りない部分をうまく補いあってもいる。例えば、オヴルツキは非常に高度な技術の持ち主で、妥協性のないつよい音楽をもっているが、濱やアルミャンに音楽の自由なアイディアを学んでいる。アルミャンは立体的な構築力やアイディアの闊達さにおいて優れているが、音色の華やかさや構造へのセンスについては、オヴルツキや濱との共同作業により、より鋭い感覚を発揮できる。濱はこれら優れた弦楽器奏者の助けを借りて、自分のもてる才能をより幅広く、華やかに輝かせることができている。

これらのメンバーが奏でる響きは、神さまがそう仕向けたかのように自然な絆によって結びつき、互いの音楽性を打ち消しあうことなく、すんなりと溶けあっていく。まだ日の浅いトリオであるが、その未来は何者かによって明るく照らされているかのように思える。

【ショスタコーヴィチは身近な音楽家?】

プログラムでは3番目になるが、ショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲第1番は佳演であった。考えてみれば、ソリストによる急造グループを除くと、いま、ロシア人による室内楽グループというのは、あまり思いつかない。ドイツを根拠とするとはいえ、若いロシア人を2人含むショスタコーヴィチの演奏は、やはり他とはちがう味わいがある。

このトリオによるショスタコーヴィチは、作品番号8、作曲家が未だ17歳のときの作品ということもあろうが、ショスタコーヴィチが生得的にもっていたポジティヴな志向をイメージさせる演奏である。それはまず、ピアノのつくるベースがレッジェーロになっていることから来る印象であるかもしれない。それに対して、弦はどちらかというと土臭く、適度な重みがある。全体としては力みがなく、コンパクトな構造がそのまま響きをつくっているかのような印象を与える。

演奏はヴァイオリンのオヴルツキを中心に、独特の共感に基づいたエモーショナルなものだが、ナチュラルに構造を追っていき、そのしっかりした枠組みをきれいに提示しているのは、ドイツに拠点を置くアンサンブルらしいところでもある。濱の弾くピアノはショスタコーヴィチの音楽の深みを奪わない程度に、しっかり手綱を引き締めたリリカルさ。コーダへのブリッジの勇壮さは特筆すべきだが、そこからの退き方がまた絶妙で、期待を「裏切る」(例えば、大作が期待される9番で肩すかしを食わせたことを思い出そう)ショスタコーヴィチのユーモアを遺憾なく拾っている。

この演奏を聴いていると、彼らにとって、ショスタコーヴィチは非常に身近な音楽なのだという気がする。

【ベートーベンから演奏会のコンセプトを紐解く】

ところで、このトリオにとって、ベートーベンの作品が、本当に本領発揮しやすいフィールドなのかどうかはわからない。例えば、カールスルーエやデトモルトの学校に通ったからといって、濱倫子というピアニストがベートーベンが得意だというかどうかには、大いに疑問がある(巧拙というレヴェルの話ではなく、もっと深いレヴェルでの話だが)。ただ、その名前を看板に入れたことからもわかるように、彼らがその音楽性になにか運命めいたものを感じ、その音楽を1回1回の演奏会のコンセプトに使っているらしいことは、まず間違いがない。

今回はベートーベンのピアノ三重奏曲第4番「街の歌」が用意されたが、その最終楽章は、今度の演奏会にとっては何重もの意味を備えているのではなかろうか。

例えば、そのヴァリエーション的な性格からは、主題やそれをめぐる構造のマジックを重視し、演奏していく姿勢が投影される。それに相応しく、「街の歌」というニックネームの由来ともなった素朴な主題をもとにして、3人がそれぞれに謎解きをおこないつつ、彼らのもつ様々な個性を楽しませる多彩な演奏は、多くの聴き手を確実に惹きつけたはずだ。こうした意識はもちろん、メインのメンデルスゾーンの演奏で、一際じっくりと発揮されることになるのだが、先のショスタコーヴィチにも既述のような構造観が生きており、ピアソラさえも例外ではない。

当然のことだが、そこには調整の問題も浮かび上がってくる。濱が書いたと思われるプログラムの挨拶文は、次のように始まっている。

「今晩のプログラムは、ちょっとした世界一周旅行のようになりました。」

ウィーンの街角に始まり、タンゴのふるさとアルゼンチン、成立したてのソ連、そして、旅の最終地点であるドイツへ・・・という地政学的なもの(+歴史的なもの)だけが明記されているが、音楽、そして、旅といえば、私ならば、調性の旅を除いて考えることはできない。このことについて得意とはいえない自分が深く立ち入って書くことはしないが、次の点だけは指摘しておきたい。

まず、ベートーベンの「街の歌」は、もともとクラリネット、チェロ、ピアノという編成で書かれ、のちに、クラリネットがヴァイオリンと交換可能なように書かれた。ゆえに、この曲は管楽器のための曲に向くとされる変ロ長調になっている。そして、旅の最後のメンデルスゾーンは、その近親調に当たるニ短調の曲である。この曲は同主調のニ長調で締め括られ、それはヴァイオリンのための曲にもっとも向くとされる調なのだ。

【メンデルスゾーン】

さて、そこでメインのメンデルスゾーンに話を移そう。

第1楽章は構造観が大胆で、作品のフォルムがヴィヴィッドに浮き立っている。それは、爽やかに伸びるヴァイオリンのオヴルツキのリードによるところが大きいが、もう一本の弦の紳士的なサポートも見逃すことができないし、濱のつくるベースが相当に腰高であることも見逃せない。

ここで濱のトリオにおける役割について考えてみたい。私は、かつてイザイ弦楽四重奏団のメンバーも所属し、LFJでもお馴染みのトリオ・ヴァンダラーというグループが大好きだ。そのピアニストを務めるヴァンサン・コックは、ときにエレキのような刺激的な響きをつくるグループの要で、電気ナマズのように激しく、ガツンと来る響きに特徴がある。濱のピアノもそれに似た存在感があるとはいえ、いささか性質がちがう。

彼女は電気的なものよりも、水車をイメージさせるような、自然エネルギーを用いたダイナモだ。この動力のちがいは、トリオという自動車の動きを完全に左右する。もちろん、トランスミッションに当たる2人の弦は、もちろん、さらに大きなちがいがある。特にアルミャンは、ラファエル・ピドゥとは似ても似つかず、ずっと柔らかい音色を持ち味としている。そのこともあり、ベートーヴェン・トリオ・ボンの響きは、どこまでも自然で、無理がない。濱のまわす水車がゆったり回転し、2人の弦をときにはしっかり、またあるときには厳しく支えている。一方で、水車をまわすのはオトコたちの役割だ。

その濱の弾く第2楽章冒頭のソロには、思わずぐっと来るものがあった。だが、その水車の動きに導かれるように、2人のオトコがとろけながら入ってくる部分は、この日の白眉を成す。チェロの長閑な歌にも力があり、ヴァイオリンの瑞々しい音色を誘い出す。

スケルッツォも充実している。まず、ショスタコーヴィチでみせたレッジェーロが、この部分にも生きている。アンサンブルは特に磨き込まれ、それぞれの楽器が深く楽想に食らいつき、通常よりも一段、彫り込んだレヴェルで演奏されているのがわかる。最後の楽章は、同様の主題を遺憾なく磨きあげ、粘りづよい演奏に仕上げている。それは、最初のベートーベンのめくるめく多彩な終楽章とは対照的だが、構造への飽くなきこだわりは同じで、濃厚なロマン性は作品のくどさに反比例している。

3つの楽器はこれまでにないほど滑らかに溶けあい、このトリオの充実をしっかりと印象づける。中でも、オヴルツキとアルミャンは本来、アプローチが似通っているわけではなさそうなのに、ここでは彼らの押し引きが絶妙に決まっており、ピアノのラインを根ぶとく支えることにもなっている。そして、彼らにとっての水車は勢いよく回り、そのためにまた、弦の響きに弾力性が加わっていくのである。最後の部分は活気に満ち溢れ、弾みすぎた感じもするほどだが、響きの切れ味は抜群だ。

【まとめ】

もはや、ピアソラ「ブエノスアイレスの四季」には触れる時間がないが、この流れのなかで無視すべきものでもないことは、はっきり自覚している。ただ、書くためのスペースがないことをお詫びしたい。今回、「四季」のなかで、「夏」がいちばん初めに完成し、当初は組曲とする意図もなかったらしいこと。そして、アルゼンチンでは暑い夏から1年が始まることを踏まえ、夏・秋・冬・春と並べなおして演奏したのが一興であった。

楽しみにしていたコンサートでもあるし、予想どおりの充実した演奏に大満足を味わった。やはり、この濱倫子というピアニストは、日本の10−30代の若手ピアニストのなかでは、飛び抜けて才能があるように思われる。この夏、彼女はトリオの録音を発売したドイツのANTESレーベルから、「夜のガスパール」「クープランの墓」「ラ・ヴァルス」という構成で録音を出した。それは、同じくラヴェルで勝負に出た三浦友理枝などの及びもつかないレヴェルを示し、さらなる高みをめざすことのできる可能性を提示している。

だが、ソロというよりは、こうした室内楽においてこそ、濱はいきいきしているようにも見える。しょせん、ピアニストは孤独な稼業であり、こうした優れた仲間をもっているからには、彼らと高めあっていける余地がある限り、そこにエネルギーを投下していくに越したことはないのだろう。

だが、このラヴェルは必聴である。前回の来日で披露し、その見事な演奏に私を嘆息させた「夜のガスパール」の〈オンディーヌ〉は、やはり、驚嘆すべきレヴェルに来ている。こういう人が、生地の日本でほとんど無名であるというのは、損失以外のなにものでもない!

【プログラム】 2009年7月17日

1,ベートーベン ピアノ三重奏曲第4番「街の歌」
2,ピアソラ ブノスアイレスの四季(夏・秋・冬・春)
3,ショスタコーヴィチ ピアノ三重奏曲第1番
4,メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲第1番

 vn:ミハイル・オヴルツキ  vc:グレゴリー・アルミャン
 pf:濱 倫子

 於:浜離宮朝日ホール

2009年7月13日 (月)

第45回 日伊声楽コンコルソ 本選 7/12

昨日の公演で、人の声というものはやっぱりいいものだなあ・・・ということで、とにかくたくさん聴けるコンコルソに足を運びました。早速、結果です・・・。

 第1位 山本 耕平 T.
 第2位 金原 聡子 S.
 第3位 富岡 明子 Ms.

なお、第1位の山本さんが、同時に歌曲賞を受賞しました。山本さんは昨年、イタリア声楽コンコルソのミラノ大賞にも選ばれているそうですから、イタリア系の声楽コンクールで2冠ということになりました。

私の感想では、2冠といっても、すぐにどうにかなるような人ではないと思います。今回も、まだ出来かけの状態で出てきた感じで、伸びしろは大いにありそうですが、現状では、そのフォルムを保つのに精一杯という感じにきこえたし、もっと柔らかく、伸びやかに声を使えるだろうという期待があります。舞台なれも十分ではありませんし、これからミラノにいらっしゃるそうですから、大いにしごいてもらうといいと思います。

第2位の金原さんは、アジリタの鋭さが目立ちました。ただ、意識がそこに行きすぎているのと、表現が知的にすぎる感じがして共感できませんでした。大事な部分とそうでない部分を整理して歌うのが、彼女の特徴と言えるのかもしれませんが、その「大事ではない部分」を歌うときに、いかに聴き手の注意を離さないかということが課題になると思います。

上位の2人に比べ、富岡さんは即戦力という感じがしました。ソプラノがつづいた中でのメゾということもありますが、とても深みのある声が印象的で、適度にコーティングされた声の艶、押し出しのつよい表現力の逞しさが、すぐにでも舞台に上げられそうな迫力をもっていました。ただし、ときどき表現が強引になるのが欠点で、それがなければ、より高い順位を目指せた可能性もあります。

「東京音楽コンクール」では、山下牧子さんが優勝した回に、第3位入賞をなさっています。このときの2位が駒井ゆり子さんですから、この第1回のコンクールはハイ・レヴェルだったといえそうです。

惜しくも入選のみに止まったメンバーの中では、ソプラノの田中樹里さん、同じくソプラノの松岡万希さん、それに、バスの三戸大久さんは、現時点でかなりの完成度がある歌い手としてみられると思います。特に、バスの三戸大久(さんのへ ひろひさ)さんがイチオシで、技術的な欠点は何もなく、低音をずっしり伸ばせる良質のバスです。特に、「アッティラ」は良かったですよ。

ひとつ気になったのは、バスにしてはすこし軽すぎ、バリトンにしては、ちょっとばかり重すぎる微妙な声質です。自分のポジションをどこに置くかをしっかり定めて研鑽していけば、必ず良くなると思います。

田中さんは、「ラ・ワリー」のアリアが素敵で、ああ、この作品いいなと思わせた時点で、この人の勝利だったと思います。結果は結果ですが。声量もあり、びしっと決まった声の方向性も良いと思いますが、イタリア語がそんなにわからない私が言うのも何ですが、コンヴァッセーションのストレスやリズムが平板で、日本語的にきこえてしまうのです。

松岡さんは、個性的な歌い手です。ビチビチに固めた声に一瞬引いてしまいましたが、古いものをよく研究しているのかなあという気がしました。今回のソプラノで、ソット・ヴォーチェを歌えるのは彼女だけではないかと思います。声の表現力は誰よりも深く、言語の感覚も優れていると思います。「シチリア島の夕べの祈り」のアリア(ありがとう、愛する友よ)では、ぐっと来てしまいましたし、「アンナ・ボレーナ」のアリアの急速な部分は、自信に満ち溢れていました。

文化庁の在外研修員として渡伊し、2月に帰国して早速となる成果確認でしたが、結果はやや残念なものとなりました。同タイプの金原さんが評価されましたので、すこし割を食った印象があります。私としては、もうすこし自然な発声の部分を聴かせてくれてもいいかなという気がしました。

お馴染みの顔触れでは、谷原めぐみさん。昨年も本選出場で1番枠を引き、入選止まりで、代表して表彰状を受け取る役でしたが、今回も同じパターンでした。ちょっとベテランさんですし、先導馬みたいな役回りになっていますね・・・。まあ、ボチボチ役をもらっているみたいですし、コンクールにこだわることもないのではないでしょうか。昨年聴いたときよりも好調で、持ち前の表現力の鋭さに、技術的な安定感も増している印象です。

今年は、昨年よりもレヴェルが高かったように思います。しかし、そのなかで、すこし華奢なテノールが優勝してしまいましたね。最近のオトコとしては小柄なほうで、五十嵐委員長も仰るように、声楽家としての身体がまだ出来ていません。いろんなタイプがいたので、上位が潰しあっているうちに、唯一のテノールが順当に票を伸ばしたというところだと思います。

2009年7月12日 (日)

神田慶一 青いサカナ団 創立20周年記念コンサート 7/11

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この日は、実のところ、こちらのコンサートこそが「メイン」でした。神田慶一主宰の「国立オペラカンパニー 青いサカナ団」の20周年を祝うコンサート。ちなみに、「こくりつ」ではなく、「くにたち」です。実のところ、始まる前は、金沢で実入りのいい仕事が入ったため、手抜きの公演を組んだと馬鹿にしていたのですが、とんでもなかったですね。始まりから終わりまで、ずっとシクシクやっていました。感動すると、私はすぐに泣いてしまうのです。でも、実に3時間を越える公演なんです。映画「マディソン郡の橋」の最後、15分くらい泣きつづけていたことがあるけれど、それをゆうに越えています。

しかし、それというのも、いつも素朴で、手ごたえのあるメッセージが特徴になっている神田さんのオペラの、感動的なシーンばかりが集まっているのだとしたら、至極、当然のことだったのかもしれません。いつも、この人の作品をみると思うのですが、神田慶一のオペラは「神田慶一のオペラ」という、1つのジャンルです。細々と・・・しかし、ある日、なにかの間違いでそれに接してしまった人たちの力強い支持を受け、20年の長きにわたって活動が継続し得たということの奇跡を、彼自身がいちばん感じていることでしょう。それを見るための公演だったのかもしれません。

思い返せば、私がこの大いなる「夢」にはじめて出会ったのは、実は、オペラ公演ではありませんでした。彼らが15周年を祝うため、それまで縁の下で頑張りつづけた管弦楽団を舞台に上げて演奏した記念のコンサートが、それだったのです。以来、サカナ団の公演は、ほぼ欠かさないで観てきました。そのうち、神田さん自身の作品は3つでした。

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ですから、最後の「僕は夢を見た・・・」を除き、前半は、私のみたことがない作品がつづきます。本来、この試みはかなり冒険的なのだと思います。各曲の演奏前に神田さんがコメントをつけるとしても、サカナ団をずっと贔屓にしてきた人しか知らないような作品だけで、ガラ・コンを組むなんていうのは、ほとんどあり得ない発想なのですから。

ただ、実は前例がありまして、それは2006年におこなわれた「日本オペラ絵巻」というコンサートです。この日の会場の大ホールを舞台に、神田さんが指揮を振って大成功を収めています。そこで取り扱われた作品は、神田さんよりは、かなり名の通った作曲家(黛敏郎、林光、團伊玖磨など)のものを含んでいますが、それでも、一般にはほとんど知られていない作品ばかりでした。それなのに、実際の演奏を聴いて受ける感動は、よく知られた作品を聴いたときとさほど変わらなかったのです。

今回のガラも、結局のところ、「神田慶一のオペラ」が好きで集まっている人ばかりなのですし、彼の作品の個性は、初期からさほど大胆には変わっていないと思われますから、独特のデクラメーションを味わいながら、一生懸命に演じ、歌う役者たちの姿をみて、感じるものがないわけはないのでした。例えば、いちばん最初の「銀河鉄道」からの抜粋では、ジョヴァンニとカンパネルラの愛らしい関係を掴むのに苦労はしませんし、星座のはなしを織り込みながら叙情的に進んでいく歌の世界は、聴き手のこころをさっそくきれいに洗い清めてくれるのです。

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そこは、「銀河鉄道」という夢の世界。だが、カンパネルラは降りていく。神田のつくる「夢」のなかでは、王様(女王様)、英雄(ヒロイン)、人気者、権力者・・・いろいろなものに変身し、周りからも持ち上げられるけれど、その悦楽にいつか疑問を感じて、結局は、「夢」と別れていきます。この別れの美しさというのも、神田作品の著しい特長です。そして、たとえ苦しくても、夢から覚め、現実の世界で生ききることが大事と歌う世界観は、どの作品にも共通する特徴なのでした。

神田の「夢」は、眠りながらみる夢と、将来へ向かっていく夢が、故意にまぜられています。起きているのか眠っているのか、夢かうつつか、あるいは、自分はどうなっていくのか、幸せになるのか不幸になるのか、希望をもてるのかもてないのか・・・そうした狭間に不思議が忍び込んできます。

夢という言葉を、嫌う人はほとんどいません。そこには不思議な魔法があり、神田慶一は、それを操る魔術師なのです。しかし、夢は、成熟とともに廃れていきますね。それなのに、神田さんという人のなかでは、その自然な「熟成」がないようなのです。神田さんは、「アリス!」を書いたときに、少女アリスの心情を理解できないことで苦しんだと書いていますが、そのときの悔しさは、神田さんの作品のなかに、いつでも巣を作っているのかもしれません。

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聖者は、街に来た。でも、誰もみたことがなく、祈りも届かない・・・という「東京アラビアン・ナイト」の一場面も印象的です。おまえは本当に聖者なのか。聖者だったら、街はもっと良くなっているはずだと詰る「コラール」に対して、聖者は「間に合わないから祈るのだ」と反論します。これに象徴されるように、ある時期までの神田さんは、答えがない、救いがないということをポジティヴに捉え、エネルギーにしていたようなフシがあります。

それは「僕は夢をみた、こんな満開の桜の樹の下で」において、集大成を迎えたのかもしれません。主人公のジローは、幻影のサクラを殺すことで現実に戻ることができますが、そこでは強盗殺人犯という過酷な運命が待っています。ジローは自らの運命を取り戻したと同時に、「サクラ、サクラ!」と叫んで狂気に陥り、幻想に跪かざるを得ないのです。何でも得ることができる夢のなかで、何がほしいかわからないというジローの叫びは、多くの人たちの共感を買うでしょう。実際、私がジローの立場だったら、なにを求めるでしょうか。もしかしたら、「神田慶一のオペラ」かもしれません!

今回、ヒロインであるサクラは、飯田みち代さんが歌われました。初演は菊地美奈さん、再演は並河寿美さんで、私はかつて並河さんの歌に接しましたが、飯田さんのサクラはまた、ひときわリリカルでありながら、どこか整然としています。2006年の公演では、樋口達哉さんがジローを歌い、最後の場面は突き抜けた表現が見事だったのですが、初演も務めた所谷直生さんは、もっとしっかりフォルムを歌って、真っすぐなキャラクターを演じています。この2人でいくと、最後の破綻は、より強いられたものという感じがします。

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しかし、神田さんの作品は、決して暗闇に沈んでいくようなものだけで、構成されることはないのです。それは例えば、「アリス!」のハンプティ・ダンプティの横柄で、ユーモアのあるアリアや、同じく、アリスの「かわいそうなカエルさん」のファニーな歌に表れています。「1983」の大人+子ども2人による歌「サーカスの団長になりたい」も、素朴で、こころが温まるものでしょう。

これらの要素は、よりちかい時代の作品において、以前よりも、はっきり前向きなメッセージとして作品に織り込まれます。それは、プログラムの最後に置かれた「アゲハの恋」と「あさくさ天使」において顕著です。「アゲハ」では、ケンジを守って蝶の姿に戻り、いなくなってしまったアゲハの帰還を信じたケンジの透きとおった唄が、上演から2年を経たいまでも、印象的に響くことを証明しました。秋谷さんは当時よりも鋭い歌いくちで、堂々としていらっしゃいます。

初演でアゲハを演じた角野圭奈子さんもアリアを歌いましたが、かつてより想いが熟成しているように感じられ、彼女のなかで、この作品が大事な財産になっているのを感じられたことは嬉しかったです。秋谷さんも当時よりステイタスが上がっているけれど、もっともっと人気を高められて、ソロのリサイタルで「アゲハの唄」でも歌ってくれるようになったら最高です!

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最後に歌った「あさくさ天使」は、例の「日本オペラ絵巻」でもトリを飾ったのですが、わが国の歴代の大作曲家たちの作品に比して、まったくヒケをとらなかったですね。このフィナーレは、本当に「ヤバイ」です。言葉も、音楽も、随所にこころに引っ掛かる場所があって、いつも「泣きっ面に蜂」状態になります。今回、当時の舞台に参加した地元の合唱隊も参加され、一生懸命に歌っておられて、そこに不思議な実感がこもっていらっしゃる。

歌詞には、「たった50年前の物語」「遠い昔のはなし」というアンヴィヴァレンツな言葉が並んでいるのですが、これが面白いのです。神田はここで、一種の「ノスタルジー」を描いているのだと思われるかもしれないですね。確かに、「遠い昔のはなし」としてみれば、そうなんですよ。でも、「たった50年前の物語」というほうをとれば、いまのはなしになるのです。いまでも、この唄をうたえば、この街は輝くというような歌詞があったはずです。

観客たちは笑い、ときには涙を流し、目を輝かせながら、舞台に釘付けになっていたと歌われます。クローゼットにしまい込んでいた、そうした記憶を開いてみようと、ユメコは言葉を投げかけます。この街の天使たちは、笑いが好きなのだ・・・と。かつての神田であれば、こんな前向きなメッセージを組めたかどうかわかりません。しかし、2004年、彼は確かに、そんな世界に踏み込むことができたのです。見てきたように言っていますが、この公演は私がサカナ団のファンになる前なので、見逃しています。まことに残念でなりません。

今回、昨年の「マーマレイドタウン・・・」のヒロインを歌った森美代子さんが、ユメコ役を歌いました。オペラ絵巻のときの並河さんの歌が衝撃的だったから、そこまでは及びませんが、森さんもひとつひとつ言葉を確かめるような歌いくちで素敵でした。

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ガラは、前半が場景的なものであったのに対して、後半は、アリアや重唱が中心となりました。歌手の声が十分に楽しめる後半戦は、ここに出演した歌手たちのプロ精神を競うかのようでした。はじめて歌った飯田さんの「クローンのジュリエット・・・」のアリアや、先に述べた森さんの「あさくさ天使」もさすがだったけれど、オリジナル・キャストたちの進境には息を呑みました。

特に、昨年の公演で月日の経過も少ない「マーマレイド・タウンとパールの森」の、秋谷&森による二重唱「終わりの浜にて」の完成度は素晴らしかったと思います。あそこでケータイのことを歌っているとは、作品をみていない人はわからないかもしれないけれど、当時の上演では、すこしわかりにくい場面だったのが、この日の断片演奏で、ようやくにして魂が入った感じがしました。そうすると、作品に占めるこの部分の美しさというのが、いよいよ際立ってきます。

やはり、オペラというのは、何度もやってこそ価値が深まってくるものなのです。

ところで、今回、田代誠さんがクレジットされているのに驚いた人もいるのではないでしょうか。彼は大病をして、回復されたようですが、2月ごろまで入院していたという情報があります。神田さんがかつて、しばしば共演していた本田美奈子さんとなかなか再共演の機会がないまま、先年、彼女が惜しくも亡くなられたのを教訓に、田代さん(彼が亡くなるということはないでしょうが)との縁を大事にしたいと思ったのかもしれません。

初演でも歌った「あさくさ天使」のオヤジの唄は、そんな田代さんから、我々へのこころのこもったプレゼントでしたね。何でも便利になっていく一方で、ひとの温もりや、その繋がりが失われていくのではないかと嘆くオヤジの唄は、病床にあった彼にとって、また格別に感じられたのかもしれません。この唄は江戸っ子独特の調子がデクラメーションに乗っていて、とても味わい深いものだと思います。

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いろいろと書きたいことがあるのですが、サカナ団の公演では、いつも全部は書けないのです。感じるものが多すぎるからです。もしも、間違ってこのレビューを読んでくれる人があったら、だまされたと思って、「青いサカナ団」の公演に足を運んでほしいですね。きっと、何か引っ掛かるものがあるはずですから。

それに、ここでおこなわれている神田さんの行動は、もっとたくさんの音楽仲間に受け容れられ、受け継がれていく必要があるからです。「祭りの唄がきこえる」であれこれと考えずに、始めてみようと訴える明るい三重唱は、誰にでも勇気を与えると思いますが、神田さんがそのメッセージを真っ先に伝えたいのは、世にいる若い音楽家たちに対してだと思うのです。彼らがもっと夢をみれば、サカナ団のような素敵なカンパニーがすこしは増えるかもしれない。そうすれば、この街にも・・・。

さて、8月の子どもオペラもみたい気持ちはあるのだけれど、金沢まで足を運べるかどうか、大いに不安があります。そのあとは12月、新作「輝きの果て」の上演が予告されて印さウ。同団の「トリスタンとイゾルデ」で主要役を演じた、田代誠&飯田みち代のコンビで幕が開きます!

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