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2010年1月21日 (木)

プロコフィエフ 組曲『キージェ中尉』 (1934年)

 参考録音:
  ホーレンシュタイン指揮コロンヌ管 (Voxレーベル)

今回は、セルゲイ・プロコフィエフの組曲『キージェ中尉』を取り上げます。作品はもともと、ユーリイ・トゥイニャーノフの同名映画のために作曲され、公開(1933年)の1年後に、プロコフィエフが5曲を選んで組曲としたものです。本来、第2、4曲にバリトンの独唱が付された版が存在しますが、現在、大抵の場合は管弦楽のみで演奏されています。

今日では、映画そのものをみる機会はあまりないので、その内容は詳らかにはわかりません。しかし、皇帝にくしゃみをさせた犯人として架空の「キージェ中尉」がつくりだされ、その架空の人物がシベリアに送られたり、存在しないはずの中尉が恋をして結婚したり、逆に皇帝の寵愛を受けるようになったり、ついには死んだことにして葬儀までが出される・・・というドタバタ劇の筋書きはよく知られています。制作の1933年がスターリン時代であったことを考えると、気まぐれな沙汰で廷臣たちを振りまわす皇帝の横暴を風刺するとともに、その周りで嘘に嘘を接いだ廷臣たちの二枚舌を風刺する2本立てのイロニーが仕組まれた作品だったと思われます。

【作品の構成と全体像】

5つの組曲は、「キージェ中尉の誕生」「ロマンス」「キージェの婚礼」「トロイカ」「キージェの葬儀」という場面に分かれます。

最初の「誕生」は、作品の最初と最後に表れるコルネット(しばしばトランペットで代用)の弱奏によるファンファーレに始まります。その後、ピッコロの高い音と、眠る皇帝の金管の低音がムズムズとやりあって、その後、金管のファンファーレと忙しない木管と弦のアンサンブルが組み合わされ、ドタバタ劇が始まります。音楽はライトモティーフを擬しながらもコラージュ的で、ライバルのストラヴィンスキー(例えば火の鳥)や、先人のリムスキー=コルサコフ(ムラダ、金鶏など)へのオマージュが見られます。

「ロマンス」は、コントラバスの深いカンタービレに始まり、やがて、そのメロディーがグロッケンで繰り返されると、チェロが絡みあうようにしてロマンスが展開していきます。民俗的な旋律が広がり、マーラーの交響曲第1番へのオマージュの意識が感じられます。金管や弦楽器、木管楽器にシンプルにメロディが移されますが、その楽器の選び方は、いかにもプロコフィエフらしい機知に満ちています。

その流れを受け継ぎ、ひときわ豪華に始まる「婚礼」のシーンは、プロコフィエフのバレエ作品を思わせる華やかな舞曲風。底部にはメンデルスゾーンの『結婚行進曲』的な明るさがありますが、どこかボルトが1本抜けたような不思議な構造で、作り物めいた感じになっています。第4曲「トロイカ」では、そこで使われたモティーフをライトモティーフ的に何度もはさみながら、技巧的な動きがつづきます。バリトン独唱版では、隠避な歌詞がついていたようです。映画では、皇帝に呼び戻されるキージェを、トロイカで運ぶ場面に当たります。

最後の「葬儀」は、皇帝とキージェの対面を避けるために、キージェが亡くなったということにして、葬儀を出す場面のようです。音楽は回想的で、これまでに表れたテーマを懐古的に再現していきます。全体を振り返ってみると交響曲的ともいえますし、ライトモティーフの絡みあうワーグナーのフィナーレのようでもありますが、これまでの経緯を考えると、滑稽そのものです。しかし、そこに張りつく葬儀の荘重な哀切さを忘れてはいけません。ただ、次々にはまっていく楽器法の巧みさを見ていると、プロコフィエフの卓越したオーケストレーションの能力には舌を巻くばかりです。

そして、最後に、例のファンファーレが寂しく響くわけですが、これで、作品のシンメトリーが完成するわけです。彼の「古典」交響曲と同じくらい、シンプルで、わかりやすい構造になっているのがわかると思います。

【キージェ中尉=プロコフィエフ】

本来は、ここまで紹介すれば十分なはずです。でも、私には、もう1つだけ言いたいことがあります。それは、キージェ中尉の人生は、プロコフィエフ自身とまったく無縁ではないということです。

ここで、プロコフィエフの生涯を概観してみましょう。プロコフィエフは1891年、現在はウクライナとなっている帝政ロシアのソンツォフカに生まれました。ペテルブルクで、グラズノフ、リャードフ、リムスキー=コルサコフなどの指導を受け、ピアニストとしても才能を開花させています。ディアギレフに導かれてパリへ行き、革命を避けて、日本経由でアメリカ、パリに渡ります。しかし、1920年代の後半から帰国を考えるようになり、『キージェ中尉』の公開される年に、ロシアに戻っています。その後は、スターリン政権の厳しい批判に曝されながらも、そのスターリンと同い年に亡くなるまで、故国を離れることはなかったのです。

外国での生活は、決して不毛だったわけではありません。彼は作曲家として、あるいは、ヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして十分に名声を掴み、米国では伴侶と出会い、子どもも産んでいます。交響曲は第4番まで、ピアノ協奏曲も第5番まで完成させ、舞台芸術では、歌劇『3つのオレンジへの恋』や『炎の天使』、バレエ音楽『道化師』や『放蕩息子』、ほかにスキタイ組曲「アラとロリー」、ピアノ・ソナタの5番までなど、今日も演奏される多くの傑作を生み出しています。

しかし、そうではあっても、どこか充足しないものがあったにちがいありません。革命政権が軌道に乗り、政情が安定したため、ソヴィエト政府に請われて帰国したとされますが、実際、のちに彼が受けたような不自由は予測されていたはずで、それでも戻らねばらならない精神的な事情があったのは間違いないと思われます。帰国後のプロコフィエフの仕事ぶりを、どのように評価するかにはいろいろな考えがあるようです。それまで追っていた前衛的な手法から後退し、国威発揚にお誂え向きの作品を書いたという、いかにも冷戦時代的な見方から、否、プロコフィエフもショスタコーヴィチと同じように、体制の目をごまかしながら彼なりの手法で新しい仕事を切り開いたのだとする、これまた、いかにもポスト冷戦的な見方もあります。

私は、そのことに結論を出そうとは思いませんし、その能力もありません。しかし、1つ推測がつくことは、プロコフィエフ自身は帰国前のやり方では、音楽家としての生命を保ち続けるのは難しいと思っていたであろうことです。帰国までのプロコフィエフは、正にキージェ中尉のような存在であったのです。いるのかいないのかわからず、嘘に嘘を接いだような存在です。キージェ=プロコフィエフはなるほど、ときに批判され、またあるときには賞賛の的になりましたが、そのときごとにプロコフィエフ自身の心中では、自分ではない何者かが毀誉褒貶を受けているように思われていたのではないでしょうか。

この作品で継ぎ接ぎだらけのコラージュで作品を構成しているのは、そんな自分に対する自虐的なイロニーなのです。自分は本当に、自分らしい仕事をしているのだろうか。誰かの真似事になっていたのではいないか。自分のアイデンティティ(自分が自分である理由)とは何であるのか。そうした問いかけなしに、この作品をみることはできません。映画の冗長な雰囲気はともかくとして、組曲として組まれた音楽の忙しない5つのナンバーを聴いていると、プロコフィエフの芸術家としての孤独や、ほのかな焦りのようなものが感じられます。

私はもちろん、この曲の響きそのものが好きだから紹介しているのですが、上のような意味を考え合わせてこそ、この曲の本当の大事さが見えてくるのではないかと思っています。

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