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2010年2月24日 (水)

マルクス・ボッシュ メンデルスゾーン 交響曲第1番&第5番 アーヘン響

【マルクス・ボッシュ】

現在、ヨーロッパでは中堅以下の叩き上げの指揮者に、優秀な人材を多く輩出している。これらの指揮者は前世代の追求した「ピリオド」的な解釈を当たり前のものとし、活きがよく、瑞々しい音楽解釈と、しっかりした構造把握に基づいた正統派の演奏で鳴らしているようだ。例えば、マルクス・シュテンツ、ステファン・ショルテス、エマニュエル・アイム、エドワード・ガードナー、マイケル・ウィグルスワースなどがそれに当たるだろう。

そして、ここに紹介するマルクス・ボッシュも代表選手のひとりに数えられる。現在、アーヘン市の音楽総監督の任にあるボッシュは1969年生まれというから、アラフォー世代の指揮者ということになる。ヴィースバーデン、ザールブリュッケンの劇場でポストに就き、正しく叩き上げのキャリアを積み上げた彼は、2002年にアーヘン氏の音楽総監督となり、舞台、コンサートの両面で一定の名声を築いた。これまでの録音では、同じくアーヘン響をパートナーに演奏したブルックナーの人気が高いようだ。

【ライヴであることに意味がある録音】

今回、紹介するのは、そのボッシュ&アーヘン響によるメンデルスゾーンの交響曲の録音である。このディスクはライヴ盤であるが、今後、同様のかたち・・・つまりは、番号順ではなく、作曲順に全集化していく予定となっている。そのため、このディスクでは1番とともに、年代的に2番目に作曲された第5番が併録されている。

ところで、ライヴ盤というのは、通常の演奏会の場を借りて、ロー・コストで収録できるのがメリットであるが、この録音では、ライヴならではのテンションの高さが、メンデルスゾーンらしい音楽のパッションにうまく結びついていて、かえって効果的に聴こえるのが特徴となっている。しかし、その上で演奏には粗さやファジーな部分があまりないため、非常に綿密な練習を経たうえで、舞台に立っているのがわかるだろう。ボッシュは作曲家の先行世代からの影響を如実に物語りながら、あくまでメンデルスゾーンらしい語りの見事さを、丁寧に織り込んでいる。

しかし、その手法は重箱の隅をつつくチマチマした技術論に陥っておらず、非常にダイナミックな立体性を彫り込んだものである。例えば、1番のメヌエットでは、彼らが同じように得意とするブルックナーが後世、より骨太に織り上げた構造の原型のようなものまでが見えている。バッハ、モーツァルト、ベートーベン、ベルリオーズなど、同時代、もしくは、それ以前の作曲家から受けた影響をダイレクトに織り込みつつ、こうした未来へ向かってのメンデルスゾーンの先進性を示している点で、このディスクは意味がある。

【古典性とロマン性】

まず、先行世代の影響が濃厚なのは、ここに取り上げた2曲がやはり、(非常に若いうちに書かれた12のストリング・シンフォニーがあるにしても、)本質的に処女的な性格をもつ交響作品としてみられることから、自然なことといえるだろう。確かに、メンデルスゾーンはモーツァルトほどにも天才性があったとする考え方もあって、私もそれに賛成である。だが、その一方、バッハなど、当時、既に歴史のなかに埋もれかけていた古典作品を蘇演した功績からもわかるように、メンデルスゾーンが先行世代の研究に誰よりも熱心だったことも、よく知られるようになってきた。

メンデルスゾーンは分類的にはロマン派に位置づけられることが多いが、音楽の本質は古典派によりちかい性質を備えている。これらの性質のどういった面を重視するかという振り幅から、メンデルスゾーンの解釈はロマン派に近づけた華やかなものから、古典派に近づけたフォルム重視の解釈まで幅広い。ボッシュの演奏は後者に含まれるのだろうが、しかし、一方でロマン派的な表情のゆたかさも比類なく、これらのバランスが絶妙といえる。

例えば、テンション高く始まる1番の冒頭は、小気味よい流れのなかにも適度なテンポの抑制と、肉厚な表現が効いていて、作品の劇的な性質を象徴している。いわば交響詩的な表情のゆたかさは、ベートーベンを模した勇壮なフォルム、モーツァルトを真似た無駄のない書法によって守られている。同じ曲を録音したポッペンやファイといったコンサート指揮者とは異なり、劇場でのキャリアも積み上げたボッシュの歌いくちの巧さが光っている。

ここに見られる充実した内面描写は、「宗教革命」と題された2つ目の交響曲とは、なるほど近似しているが、ベートーベンやモーツァルトに傾いた1番と比べると、5番では大らかなバロック風の序奏が丁寧に彫琢されている。とはいえ、金管のエピソードで手早く多彩な表情を浮かび上がらせると、もとのストリングスのベースにもじわりと表情が浮かび上がってくる。このように、ボッシュはメンデルスゾーンのなかにある古典性と、ロマン性を裏表させながら巧みにブレンドし、例えば、5番の序奏のあとでも、対位法的ないかにもバロック風の構造物に息巻くような激しい感情を載せている。

上記のような特質は、もとよりメンデルスゾーンの作品に最初から含まれるものであるが、それを明確に意識したうえで抽出しているボッシュの周到な構造把握と、そこで掴んだ特質をはっきりと引き出す手腕の確かさに注目したい。

【遊びと引き締め】

ボッシュはこの録音と平行して、ブルックナーの6番を録音している。既にすこし触れたように、平行する2つのプロジェクトはまったく無縁というわけでもなさそうだ。例えば、1番の第3楽章では、ブルックナーが好むのとよく似たリズム構造があることを踏まえ、ボッシュたちは多分、自覚的にブルックナー作品との共通性を浮かび上がらせている。それはメンデルスゾーンの録音としては相当に肉厚な、彼らの録音だからできることであり、そのエネルギッシュな響きの弾力がもたらす立体性が、ブルックナーの組み立てた壮大な建築物にも及ばんとする実質をもつことを示している。

この楽章ではリズム構造だけではなく、シンメトリカルな全体構造や、対位法の導入の仕方においても類似点があり、そのようなポイントも、ボッシュたちの演奏によって明らかになっている。

いわば「遊び」ともいえる、このような副次的なイディオムが、演奏の芯の部分に無数に絡みつく演奏となっていることに注目したいのだ。1番の第4楽章では、ベルリオーズの『幻想交響曲』風の謎めいたクラリネットの響きが、ロッシーニ風とも、ベートーベン風ともとれる快活で、力強い流れを導いている。そこに絡みつく対位法的なエレメントは、効果的に作品全体を浮揚させる。ベートーベン的な厳しい流れでクライマックスを打ち、楽器を変えた木管の吹奏、その後の再現部、熱狂的なコーダまでの構造的なアピールは、まず完璧といってよい。このように、遊びと引き締めのバランスが実に素晴らしいのだ。

5番では、第3楽章(アンダンテ)に注目しよう。低音による短い序奏のあと、まず、ヴィブラートを抑えたヴァイオリンの滑るような響きで健気な旋律が奏でられる。このあたりのチャーミングな表情づけも、もちろん、この演奏の面白さとして語ることができる。これと対となるかのように、中間に現れる木管の美しいアンサンブルは、ボッシュらの遊びごころの象徴だといえるだろう。このコントラストは結果的に、作品の牧歌的な雰囲気を物語るものでもある。これは先に、スケルッツォの舞曲の雰囲気にも明確に表れているものと同一の雰囲気を導く。こうした遊びの要素は、メンデルスゾーン自身が楽しげに書いたバッハのコラールのような盛り上がりから、快活な終楽章へのブリッジへ溶け込んでいる。

【まとめ】

5番の終楽章は、今後のシリーズを予告するメッセージに満ちている。「イタリア」の輝かしいテーマを思わせる冒頭部分の華やかなサウンド、「スコットランド」の堅牢な美しさを思わせる、全体のぎっしきりした濃密な響き。作品はときに、交響曲だけではなく、『エリヤ』や『パウロ』のような大傑作も連想させる部分があり、そうした部分も残らず拾い起こしていくボッシュの手腕は見逃せない。

ボッシュの演奏を聴いていると、第1弾にして既に、メンデルスゾーンがヨーロッパの音楽史のなかにおいて、どれだけ熱心な研究家であり、かつ、その成果を独創性の域にまで高め、今度は自ら重要な役割を担っていった作曲家であったのかということが如実にわかり、実に興味ぶかいのである。ボッシュの演奏はヨーロッパの主要なストリームに従いながらも、そのなかで極端な方向性に縛られることはなく、過去の(巨匠たちの)遺産に敬意を払いつつも、それらの「美点」に毒されないという、二重の強さをもっている。

アーヘン響は日本では無名にちかいが、ドイツの劇場ではよくあるようにアーヘン市立劇場の座付オーケストラであるらしい。アーヘンの劇場はドイツの中規模の劇場では評価の高い場所のひとつに数えられ、かつては、カラヤンやサヴァリッシュも関係した伝統を持つ。もちろん、そのころの遺産が潤沢に残っているとはいえないが、近年はこのボッシュが中興の祖となっており、劇場およびオーケストラの評価を高めているといえるだろう。今後のシリーズに注目したい。

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コメント

ボッシュを検索しましたら、こちらに辿りつきました。
私は彼のブルックナーの9番(終楽章完成版付き)を聴いて以来、この人の録音に注目しております。
仰るようにこの人の優れた手腕は見逃せません。このメンデルスゾーンも快演ですね。

ところで、お書きになった文章には触れられていませんでしたが、5番が従来の慣用版と違うのをお気づきになりましたか?
このCDには一切の使用楽譜の情報がありませんが、これはどうも初稿版を使っているのではないかと思います。なぜなら3楽章から4楽章のブリッジがあまりにも違うからです。今まで聴いたことのないフルートのソロには私は大変驚き、ネットで様々な情報を検索してみたところ、どうやら「初稿」ではないかと推論するに至りました。
いかがでしょう?

さすらひ人さん、ご指摘ありがとうございます。

仰るとおり、初稿版ですね。解説文にも、「ここに録音されたオリジナル・ヴァージョンの交響曲では・・・」と書いてあります(P14 下から2行目)から、間違いないでしょう。直後にフルートのカデンツァのことについても書いてあります。

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