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2010年3月13日 (土)

キアラ・バンキーニ ボッケリーニ スターバト・マーテル アンサンブル415 @カザルスホール 3/10

クラシック音楽というものは、実に面白いものです。演奏家が己の音楽だけを追求すれば、作品と聴き手とのあいだの距離は隔たってしまうし、逆に、彼が己を抑えて演奏すれば、作品と聴き手の距離は親密になる。正に、このバランスをめぐってのデリケートなコミュニケーション・・・作品、演奏家、聴き手との相互対話こそが、音楽芸術の本質を成しています。その意味で、キアラ・バンキーニ率いるアンサンブル415による今回の演奏会は、実に見事なバランスを得ていたといって過言ではないでしょう。

大げさなはなし、演奏が始まってから1秒にして、私はこのアンサンブルの謙虚な音楽性に胸を打たれました。

アンサンブル415は、かなり幅広い編成をカヴァーするグループですが、今回は弦楽五重奏による演奏ですから、室内楽の公演といっていいと思います。室内楽グループにとって、なにより重要なのは、アンサンブルとしての「声」です。技術的な巧拙や、曲の表現という以前に、アンサンブル独自の声をもたなければ、室内楽の味わいなど感じさせることはできないのです。もしもそれがないとすれば、香りのないワインのようなものでしょう。

アンサンブル415には、確かに声がありました。しかし、その声たるや、実に清楚きわまりないもので、これほど澄みきった美しい声は、これまで聴いたことがなかったのです。音を発するや、てのひらに乗せた新雪のごとく融けて流れ落ちてしまうような質感で、聴き手を精霊のように包み込んでしまった彼らの演奏に、私は逆に、声を失ったのです。

【対照的な2つの弦楽五重奏曲】

オール・ボッケリーニ・プログラムによるこの演奏会、前半は2つの弦楽五重奏曲が演奏されました。このコンサートでは当然、後半の「スターバト・マーテル」の話題が中心になります。しかし、この2つのクインテットも、ボッケリーニの驚くべき独創性、もしくは、先進性を語るものです。

特に、第1曲の(op.29-6)の作品は、その見事な構造美によって、少なくともベートーベンまでは先取りしています。室内楽の分野において様々な工夫を凝らして、その可能性を大きく拡張したといわれるベートーベンですが、ボッケリーニのこの作品を聴くと、そのことが決してベートーベンひとりの手柄ではなかったことがわかります。ここでボッケリーニは、アレグロ・モデラート・アッサイのいたってシンプルで、キュートな第1楽章を書いたあと、トリオ形式の華やかなメヌエットを置き、内省的で情感に満ちたアダージョをプレリュードにして、華麗なロンド・フィナーレで作品を結んでいます。

演奏は、そうした形式的な工夫を感じさせるのに最適なシンプルで、歯切れのいい演奏です。中でも、チェロの名手でもあったというボッケリーニのポジションを偲ばせる第1チェロのガエターノ・ナジッロは、硬軟織り交ぜた低音のカンタービレをふくよかに響かせて、この作品のひとつの特徴をよく表しています。

2曲目の(op.31-4)のクインテットは、前の作品とはまるでちがいました。アダージョによるプレリュードは、後半のスターバト・マーテルを予告するような、宗教的な神秘性が滲み出た音楽で始まります。自然に染み入るようにして始まった最初の曲と比べると、こちらの作品ではよりじっとりと、粘りつくような響きが印象に残ります。そして、構造的な切れ目が明確で、典型的だった前曲と比べると、この作品は明瞭な構造観にもかかわらず、その本質はきれいな一筆書きであり、より凝縮したイメージを感じさせます。ただし、その凝縮はモザイク画のそれであり、例えば、アレグロ・ヴィーヴォ(第2楽章)は、ブラームスが得意としたヴァリュエーションを思わせるな、多彩なパーツの組み合わせで成り立っています。

演奏は、その変奏曲風の表情づけを経たあと、深いアダージョから、アレグロ・マ・ノン・トロッポへ転じていく後半部分の集中力にみるべきものがありました。

いずれの曲もボッケリーニがなにを考えていたかについてのイメージがはっきりとしており、それを聴き手に伝えるときに無理がなく、ナチュラルに、そのメッセージが染込んでくるような演奏である点が共通していました。

【スターバト・マーテル】

後半は、ソプラノのマリア・クリスティーナ・キールを加えての「スターバト・マーテル」の演奏です。バンキーニはインタヴューで、声楽を含む6つの声部が対等に扱われた独特の曲だというイメージを話していますが、私はもちろん、そのことを否定はしないものの、しかし、あくまでソプラノの声が中心にあることは間違いなく、それを包み込むようにして書かれた作品であるという印象をつよくもちました。それは「悲しみの聖母」を取り巻いて、精霊たちが彼女を祝福するかのような宗教的なメッセージを思わせます。

ところで、この作品でも、やはりわれがちではない、謙虚な美というものがしっかり印象に刻まれます。無論、そのことは作品そのものがもつ性格にも基づいています。この作品の場合、聖母の「悲しみ」というものが過度に強調されることはなく、それは概ね、最初の3語=「スターバト・マーテル・ドロローザ」の文句に凝縮されています。ここを歌うキールの声にも、私はたちまちのうちに虜になりましたが、彼女の声はアンサンブル415のもつ音楽的なセンス・・・つまり、清楚で押しつけがましくない、控えめの表現というポイントに対して完全に調和しており、それにもかかわらず、甘く、芯のある歌声が実に魅力的だったのです。彼女の歌を聴けたことは、ロベルタ・マメリの声を初めて聴いたときの驚きに匹敵します。

話が逸れましたが、結局、作品の「悲しみ」は最初の3語でピーク・アウトし、その後は、より多様な人間性に基づいた表現に入り込んでいくように感じられます。露骨には分かれていないにもかかわらず、カンタータ的なレチタティーボからアリアに進むような流れも織り込まれているし、楽器法からみても、5本の弦楽器だけでときにはオルガンや、ハープ、木管楽器、打楽器の響きが模倣される多様な音楽的表情も埋め込まれています。そして作品は、最後のアーメンに向けて宗教的なメッセージを拾いつつ、音楽的にはドンドン身近で、世俗的な場景を織り込んだものに変わっていく反比例がみられます。

アーメンの部分では、アコーディオンを使って辻音楽史が歌うような雰囲気まで「堕して」おり、そのアイロニカルなフィナーレには舌を巻かされます。この「スターバト・マーテル」は、宗教的にもっともスウィートで、典型的な素材を最初にガツンと印象づけた上で、俗世間からは遠く隔てられた宗教的理想の世界を、いつの間にか身近で手の届くところに招き寄せようとしたボッケリーニの凝った企図を思わせるのです。目も眩むような高みから出発した「悲しみの聖母」はアーメンに至るまでに、慈愛に満ちた世の母親たちの姿にメタモルフォーズしてきているのではないでしょうか。

このような背景を現出させる、上に書いたような多彩な音色を実現するのは、ガット弦のマジックとでも言ったようなものです。バンキーニはインタヴューのなかで、古楽器による演奏の可能性はまだ究めつくされているわけではないと述べていますが、そのことが実感できる演奏であったといえます。

【ボッケリーニと雇い主】

ここで、ボッケリーニの主たる雇い主であったルイス・アントニオ伯爵について考えてみたいと思います。ハイドンとエステルハージー侯爵の関係が今日でも重要視されて考えられているように、ある時期までのクラシック音楽の創作においては、作曲家と雇い主の関係はきわめて重要です。例えば、ハイドンの「告別」シンフォニーなどは、雇い主のエステルハージー侯爵がいかにも威張りくさった、堅物の虚飾家であったならば、出来上がることはなかったはずです。ハイドンのシニカルなユーモアを伴った作品の面白さは、ハイドンその人だけではなく、その自由を許したエステルハージー侯爵という人物へのふかい興味を抱かせます。

ボッケリーニが仕えたボルボーン家のルイス・アントニオ(ドン・ルイス)は、欧州史のなかの大事件であるスペイン継承戦争を戦ってスペイン王位についたフェリペ5世(フランス王家の出身)の息子のひとりです。もとは、聖職者となるべく養育され、若くして枢機卿の地位についています。兄はスペインだけではなく、ナポリやシシリーの王位を兼ねたカルロス3世ですが、この同母兄とは結果的にスペイン王位を争う形となり、カルロス3世の兼王後は疎まれて、干されてしまいました。

こうした経歴をもつルイス・アントニオの特徴については、私には3つの面が想像できます。まず、幼いときから聖職者となるべく教育を授けられ、実際に枢機卿の地位まで上がっていること。つまり、信仰心に篤いこと。次に、社会的には閑職に追いつめられたことから、角張った権威主義がとれて、才能や心あるものを身近に置いたこと。これは3つ目の特徴である芸術の保護とも関係しますが、身分的に落差のある夫人との結婚からも読み取れます。

最後に、いま述べたように芸術の保護にも篤かったこと。ボッケリーニのほか、画家のゴヤのパトロンでもあったことが知られていますが、音楽面では自分自身、ヴァイオリンの演奏も手がけたようです。そのことは、ボッケリーニ自身が担当したと思われる第1チェロのほかに、ヴァイオリンが華やかに活躍することからも容易に想像できるでしょう。この点を含めて、ボッケリーニの作品は、ルイス・アントニオのパーソナリティを描いた肖像画のような響きをもっています。バンキーニと、チェロのナジッロのふかいコミュニケーションは、ルイス・アントニオとボッケリーニの濃密な関係を物語るものでもあります。

もちろん、こんな知識は鑑賞の要ではありません。しかし、こうして述べるからには、今回の演奏を通じて、作曲家とパトロンの間の関係に関心を抱かせる要素があったということが言いたいだけなのです。そして、私は単に音楽に関心があるだけでなく、そこに介在したはずの雇い主と音楽家の人間関係についても、ときどき興味ぶかく感じるのです。特に、ハイドンやボッケリーニのように、音楽を通じて、特定の雇い主とのあいだに特別な絆が感じられる場合には・・・です。

【まとめ】

非常にいい公演であったと思います。アンサンブル415とは言っても、設立時の古楽オール・スター的な装いから変化し、現在では、当時の精華を知るメンバーと若く才能のある演奏家のコミュニケーション・ツールとなっている集団の、そのコアにある5人のアンサンブルに、キールという傑出した歌手の声が加わった見事なパフォーマンスを堪能しました。なんでも完璧なグループというわけではないにしろ、彼らにしか引き出せないメッセージ、独特の声や、そのゆかしい表現の小さな(しかし粒だった)煌き、そして、なにより我々を自ら動かすような問いかける力の素晴らしさ。傲慢な言い方と勘違いしてほしくないのですが、このグループの演奏は本質的に、自ら動き、考える人にしか楽しむことはできないものだと思います。

実に、素晴らしいことを教えてくれました。私たちは、「個性がない」などということを簡単に言い過ぎるのです。確かに、個性があったほうがいいのは当たり前ですし、そのことに反論する人はいないと思います。しかし、敢えて個性を抑えることで浮かび上がってくるメッセージもあることを、忘れてはならないでしょう。

いま、「抑える」という言葉を使いましたが、それは本当は適切ではないかもしれないですね。今週、いよいよF1が開幕しますが、ドライバーたちはいつもフル・スロットルで走りつづけるわけではありません。どこで、どのタイミングで、どうやってスピードを抑え、車の走りのバランスを最高のものにもっていくのかは、そのドライバーの才能を決めるすべてなのです。正に、そのようなアクセル/ブレーキ・ワークのようなものが、ここでいう「抑える」ということの意味です。

マリア・クリスティーナ・キールも、このアクセル/ブレーキ・ワークが圧倒的にうまいと思います。非常につよい声をもつにもかかわらず、その張りをいっぱいに発揮するのはほんの僅かな瞬間だけで、あとは、その芯の部分だけを感じさせるにすぎない。それなのに、その声の強さは常に印象づけられています。これが、そのあたりの声の美しいだけの歌手とはちがう点です。そんな彼女にとって、「悲しみの聖母」という役割は、正に打ってつけであったのかもしれません。

【補足 カザルス・ホールについて】

なお、この公演は、今月いっぱいで閉館するカザルスホールのメモリアルを飾る企画のひとつに数えられます。これまでは公演数も多くはなかったホールにも、今月だけは、本当にたくさんの企画が組まれています。このあとはBCJの第1回演奏会の復元企画や、最終日である3月31日におこなわれる特別コンサートが目玉となります。最近は公演が減っていたこともあり、私にとっては十分な思い入れがあるホールではありませんが、日本で最初の室内楽専用ホールとして歴史的な意義をもったホールであり、現在は紀尾井ホールに移ったヴィオラ・スペースの出発点ということでも価値があります。

現在、現代を代表するオルガン職人、ユルゲン・アーレントの制作による文化財ともいうべき貴重なパイプ・オルガンの行方について議論がなされていますが、コスト面の問題もあって移設の計画が進んでいるようには思えず、閉館後、注目が失われたあとに壊してしまうのではないかと危惧しています。そのようなことにならないよう、努力できることがあればしてみたいのですが・・・。

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