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2010年4月22日 (木)

ラザール・ベルマン シューベルト ピアノ・ソナタ D960 (Dynamic)

ナクソス・ミュージック・ライブラリー(NML)は、多くのクラシック・ファンにとって力強いツールとなる可能性がある。音質等に徹底的にこだわりたい人たちは別として、音楽そのものや、古今のアーティストに幅広い好奇心をおもちの方々には、大きな福音ではなかろうか。月1800円を払うだけで、NMLに格納された世界中の200以上のレーベルが蔵する音源を自由に手にすることができるのだから。そのなかには、古今東西の名奏者の録音も含まれ、驚くほどのヒストリカルな録音も見受けられる。一方、わりに新しい録音も耳にすることができる。

例えば、私が見つけたものでは、作曲家のピエトロ・マスカーニが『カヴァレリア・ルスティカーナ』を自作自演する録音がある。これを聴くと、いままでクリティカルな録音と考えていたカラヤンのディスクでさえ、作曲者自身の考えとはずれていた部分があることに気づく。作曲家の自作自演や、同時代の作品を演奏している音源。往年の名奏者や指揮者たち。いわゆる「巨匠」アーティストの録音は現在でも復刻される商品価値があるので、十分に多くはないのだが、それでもかなりの数が揃えられている。ミトロプーロス、エーリッヒ・クライバー、ワルター、ベーム、コンヴィチュニー、クーセヴィツキー、フルトヴェングラー、ホロヴィッツ、ラザール・ベルマン、ミルシテイン、ミケランジェリ、シゲティ、アラウ、カルーソー、カラスなどなど、十分に豊富である。

これらを聴き通すにはあまりにも時間が足りないだろうが、このNMLのおかげで、私はこれまで十分に手の届かなかったアーティストたちを手軽に知ることができるようになった。さて、そんな私の経験を「B級指揮者列伝」という形で取り上げていく予定だったが、それだけでは十分でない。そのため、新たに「聴取ログ」のカテゴリを立ち上げ、古今のタイトル、良いもの悪いものも取り混ぜて、より細かく紹介していくことにした。

【まずはベルマン】

最初は、ラザール・ベルマンに登場してもらう。多分、精鋭揃いの旧ソ連圏のピアニストでも最高級の技巧性を誇る彼の演奏で、NMLで聴けるものは、ベルマンの代名詞であるリスト『超絶技巧練習曲集』のほか、同『ソナタ ロ短調』、ベートーベンの5つのソナタ、シューベルトの作品のごく一部などである。そのなかで、『超絶技巧練習曲集』などはいかにもベルマンらしい闊達な名演なのであるが、ここで取り上げるのはそれではなく、シューベルトの『ソナタ D960』である。上に示したようなベルマンの録音をいろいろと聴いてみて、最終的に、このシューベルトがいちばん物凄い演奏だと感じたせいなのだ

まず注目すべきなのは、ベルマンの楽曲に対する柔らかい感性だ。この作品はシューベルトの作品のなかでも特に内省的で、そのゆたかな内面性が凝った構造により、しかし、多分に気まぐれな形でカヴァーされているところに面白さがある。ベルマンの演奏の見事なのは、こうした繊細な感情の動きをきっちりフォローして、響きのレヴェルで魔法のように切り替えていくときの表現の柔らかさなのである。例えば第1楽章においては、キュートな第1主題と、どこか運命論的な第2主題の対比を中心にして、その間で揺れ動く精神と響きのドラマが美しい推移をみせているのがわかる。

もちろん、その裏づけとしてあるタッチの美しさや、上品なルバートの動きなども注目に値する。その素朴で、端整な表現はモーツァルトにも通じ、この作曲家がモーツァルトに抱いていた深い敬慕を、この演奏は余さず拾い起こしているようだ。

一方、品のあるソステヌートが効いた第2楽章は、いかにも古典的な前楽章とは異なり、ロマン派の印象を強める濃厚な立ち上がりから、粘っこい表現を我慢づよくやっている。このような場面では、むしろ内面の表現性を浅くして、シンプルに響きに奉仕するかのような態度をとるベルマンだが、その姿勢はシューベルト独特のしつこさを緩和し、作品を良い方向に導いてくれる。しかし、ときどき現れるベートーベン風の厚い響きが絶妙なアクセントになっていて、作品の奥行きを保っている。終盤、おもむろに軽くなる転調部分は、生演奏で聴いたら卒倒しそうなくらいの驚きに満ちていて、とびきり美しい。テンポを落として演奏するしまいの穏やかな曲調の部分は、のちのドビュッシーを思わせるような響きのゆたかさを印象づけており、作品の奥行きはさらに拡張される。

カラッとしたスケルッツォ楽章をとおり、フィナーレはいかにもベルマンらしいヴィルトゥオーゾ(名技者)的な演奏である。ここまでの演奏から既に印象づけられているはずだが、シンプルなアーティキュレーションで構成されたベルマンの演奏は、この第4楽章でもっとも顕著だ。最強奏部分に現れる鬼のような表情だけは、私にはうまく解釈できないのだが、それ以外はきっちりコーナーに投げ分けるかのような精確なコントロールである。どちからかといえば、竹を割ったような単純無比なアプローチなのに、味わいは深い。最後の切れ切れの断片も、過度の意味をもたせず、作品をむやみに重々しくしない点も好感がもてる。

全体を通して、このソナタにまつわるステロー・タイプ的な発想を洗い流すかのような、軽さのある演奏である。晩年の作品ということで過度に強調される重さが否定され、むしろ古典派的な教養に満ちたウィーンの才子であったシューベルトの素顔を写すような演奏である。そして、そのゆたかな内面性は、特に第1楽章において見事に表現されている。

【まとめ】

そのほかの録音で気に入ったものとしては、ベートーベンの『ソナタ第31番』がある。特に気品のある第4楽章冒頭からつづくフーガが絶品である。もちろん、看板のリストも素晴らしい。ゴリデンヴェイゼル、ジロティからリスト本人へ遡ることができるピアニズムの系譜からすれば当然であるが、その筋のなかでも、もっとも良質なものを伝えている1人と言えるだろう。

コンチェルトでは唯一、プロコフィエフの協奏曲第1番が聴けるが、これもアンドラーシュ・コロディ(この指揮者も、以前に紹介したフェレンチク同様に聴きごたえがある)による伴奏ともども濃厚な演奏で、ベルマンのピアノは大音響にもマスクされず、響きのふくよかさをを訴える。機動性が素晴らしく、素早いパッセージの艶やかな美しさは抜きん出ている。それにしても、この曲は久しぶりに聴いた。

ベルマンについては、私よりも詳しい人が多いだろうから、このあたりで止めにする。ベルマンが初来日したのは、1977年。最初に踏んだのは札幌の土地で、実況録音がラジオ中継されたということである。その後、度々来日したが、2005年に74歳で惜しまれながら亡くなっている。1930年、レニングラード(サンクトゥペテルブルク)の生まれで、なぜかフランス的な表記で親しまれているが、正確には、ラザーリ・ナウモヴィチ・ベルマンという名前だそうである。

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