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2010年4月11日 (日)

エリシュカ 【新譜】 わが祖国 with 札響

【自分勝手な愛国心】

いきなり題名に似つかわしくないことを書き出すのだが、「愛国心」とは何だろうか。

私はこの言葉が昔から嫌いで、軽薄な自称「愛国者」に対しては軽蔑以外の何ものも感じない。しばしば、愛国心を持てという表現が使われるが、愛国心とは、意識して持つ性質のものであろうか。私は、そうは思わないのだ。持とうと思って持つ愛国心ほど、見せかけの、薄っぺらなものはないだろう。なにかを愛するということは、人間の自然な感情であり、それは国に対するものとて同じはずである。愛国心は、我々のこころのなかで勝手に育つ。そして、自分は愛国者だなどと威張らなくとも、自然に滲み出てくるものだ。スメタナの『わが祖国』とはそのような音楽である。理由などないが、そこにあるものがいとおしくてならない。汚され、支配され、犯されるほどに、その美しさは尋常でないほどに輝く。

だが、いまはまだ、愛国心について、もうすこし考えをめぐらしたいと思う。

現在、「ネット右翼」と呼ばれる人たちを中心に、愛国的な思潮は広がりつつある。しかし私は、彼らの主張する愛国心には、もちろん、大きな欠陥があると思っている。彼らの思想は、大きくいって2つの問題を含んでいる。まず1つは、きわめて自分勝手なものであることだ。彼らが「愛国心」を主張するのは実のところ、自らのアイデンティティ(自己同一性)の強化という目標に沿っている。自分だけが特別で、他者のことを省みないという歪んだ自己愛の延長線上に、国家の問題が来ているのである。

彼らの多くは他者を軽蔑し、大衆をあからさまに批判する。そして、自分だけが正しいかのような態度をとる。大衆は、メディアや偏った教育によって動かされているとも主張する。そして、自己民族の優越性を主張するためならば、既存の差別的な体系さえも利用し、例えば、中国人や朝鮮人を殊更に批判する。もちろん、日華事変や太平洋戦争、満州国の支配、日韓併合などの問題も全部、わが国にとって有利に解釈するし、そのためならば、戦前、戦中のプロパガンダをそのまま利用する。それというのも、「私」が属する日本民族を価値あるものとして実感するための、方便にすぎない。

このことからもわかるように、もうひとつの問題は、世界のなかの日本という認識に欠け、他国をたやすく貶める風潮である。愛国心とは本来、そういうものではない。我々が素晴らしい民族でありたいと願うように、朝鮮民族、中華民族、アメリカ民族、欧州民族、アフリカ民族云々も、同じように素晴らしい民族でありたいと願っているであろうということに対する想像力がなくてはならず、また、その権利を認めあう相互性がなくてはならない。近年、こうした意識はグローバル競争のなかで、強烈に主張されるようになった一国的なナショナリズムに押され、後退している。

【愛国者スメタナのドイツ的な特徴】

スメタナは、確かに愛国的な作曲家だ。しかし、この優れた作曲家は同時に、ドイツ音楽への尊敬を常に持ちつづけた。スメタナをはじめとするチェコの作曲家たちはドイツ音楽へのつよい親密感を、自分たちの素朴な愛国的な音楽センスとどのように融合し、あるいは、対立させるのかということに悩んだ。スメタナは特に、30代まではむしろドイツ語の文化圏に育っていて、チェコ語は苦手としていたという。しかも、彼の素朴な音楽的なセンスは、典型的にドイツ的とさえいえるワーグナーへの強烈な共感をも伴っていたようだ。私はエリシュカのこの新しい録音を聴いていて、そのことをつよく思わざるを得なかったのである。

このディスクについて、本場ものより本物の・・・などという安っぽい宣伝文句を書くのは、私の趣味にあわない。そういうことは、文筆商売人の評論家諸氏に任せておけばいいし、第一、録音さえ聴いてくれれば誰だって気づくはずである。私はエリシュカのことを特別に尊敬しているが、必要以上に祭り上げるつもりもない。私はむしろ、エリシュカの演奏にみられるスメタナのドイツ的な側面に注目してみることで、この指揮者に対する新しい価値観を提示してみたいと思うのだ。

ようやく本題に移るが、このディスクを聴いてもっとも印象的なのは、一体、どこだと答える人が多いのだろうか。知名度の問題もあり、やはり「ヴルダヴァ」の部分が最有力だろうとは思うが、「ターボル」から「ブラニーク」の部分をあげる人も、決して少なくないはずだ。少なくとも私は、「ブラニーク」の部分にもっとも強い衝撃を覚えた。この部分についてはエリシュカ&N響のステージでも実演で聴いており、その印象も凄いものだったのだから、よほどのことでもなければ、驚くことはないと思っていた。だが、その「よほどのこと」が、このディスクでは起こってしまったのである。

ブラニークの冒頭は、フス教徒の有名なコラールが引用されている。だが、冒頭のファンファーレと、弦セクションが加わっての導入部をすぎたあと、それが古典的な対位法的構造に分解されて提示されていく。エリシュカの演奏でもっとも印象的なのは、この部分である。エリシュカはスイス時計のような精確なテンポを刻み、このいかにもドイツ的な構造をしっかりと提示した上で、そこに浮かび上がる民族性をゆっくりと醸し出していく。テンポもこころなし速めで、揺るぎない。弦は素っ気ないくらいに歩みを止めず、そこに絡みつく管の響きだけがなんともいえず情緒ある響きを出す。そして、曲調が転じたときにガラッと雰囲気が変わって、実に長閑で、具体的なチェコの風景が浮かび上がる。

この繰りかえしである。情熱的なコラールはドイツ的な要素(構造)を使い、詩情を引き締める役割を果たす。それに対して、緩徐的な部分の牧歌的な響きにみられる、「だらり」とするような伸びやかさ。今回、セッション録音ということもあるのか、この交代が実に見事に表現されている。そして、私にとってより効果的に思えたのは、むしろドイツ的な要素を丹念につくるエリシュカの筆致なのである。

もちろん、このことによってビエロフラーヴェク的な機能主義に陥らないのが、エリシュカの凄さである。私は、ここに録音された演奏ほど明確に、拍節感のはっきりした『わが祖国』の演奏は知らない。例えば、クーベリックはその切っ先を隠して演奏し、ノイマンは我こそスラヴ人と民族的な優位性を誇り、ターリッヒはより野性的に歌いあげる。そこへいくと、エリシュカこそが、スメタナの気持ちがいちばんよくわかっているようだ。スメタナは、確かに愛国的な作曲家だ。しかし、彼はドイツ的な作曲技法につよい敬慕を抱いていたし、その力を借りることで、自らのルーツにある要素がより輝くであろうことを知っていた。

【本当の愛国心】

彼はチェコ民族のアイデンティティ(自己同一性)をはっきりさせることに興味をもったが、多分、チェコ(ボヘミア)の独立とかいう問題よりは、言語や文化の独自性を認めてもらうということのほうに興味があった。実際、彼はボヘミアの自治権を認めてくれると期待されていたハプスブルク帝国のフランツ・ヨーゼフの即位を歓迎し、『祝典交響曲』を献呈しようとしている。

エリシュカは、札響との2回目のステージにドヴォルザークの『交響曲第6番』を選んだ。このシンフォニーは、ぎくしゃくするオーストリアとボヘミアの関係の回復を願った、ドヴォルザークの想いが込められた作品である。『わが祖国』にも、同じような願いが込められているかもしれない。そして、それは東西冷戦の狭間で翻弄されたエリシュカが、彼の人生のなかで、日夜願いつづけていたであろう想いと重なってくるのではなかろうか。

2つのコラールと「ヴィシェフラド」のテーマが結びつき、昂揚するフィナーレを聴いてみよう。誇らかなゆっくりしたテンポにつづき、ベートーベンの「第九」を思わせるフォルム・・・ピッコロのアクセントや、弦管のアーティキュレーション、歓喜の響きをしっかりと抽出し、非常に明快な拍節感を追いながら力強く膨らんでいく響きのなかには、チェコ的なものと、ドイツ的なものの驚くべきレヴェルでの融合がみられるのである。もちろん、その下敷きに「第九」が置かれているというのは示唆的である。

これこそが、本当の愛国心というものではなかろうか。自国のことを思うあまり、排他的、利己的になる愛国心ではなく、また、あるいは、己の可愛さを補うためには、わが国は立派でなくては困ると思うような狭隘な愛国心ではなく、高いレヴェルでの(しかし、誰にでもなし得る)コミュニケーションによって互いが互いを高めあい、補いあうというような理想的な関係(それは男女関係にも通じるであろう)が、エリシュカの『わが祖国』にはみえているのである。

もちろん、こうしたコミュニケーションは、エリシュカと札響の間にも通じている。私は札響のほうの生を聴いていないけれども、この録音に接するかぎり、札響のほうがエリシュカのこころをよりダイレクトに伝えているし、メッセージの伝達がスムーズだ。そうした要素を敢えて無視し、単に響きだけを比べるにしても、例えば、「ブラニーク」のコーダなどは圧倒的に素晴らしいといえる。もうひとつ、この録音を聴いていて感じることは、録音環境・・・つまり、KITARAの音響的な優越性である。いろいろな意味で、この録音はひとつの粋をいっている。

【CD情報】

最後に、CDについての情報をまとめておこう。

レーベルは、「パスティエル」というインディペンデント・レーベル。プロデュースは、オフィス・ブロウチェク。エリシュカの録音はドヴォルザークの6番/タラス・ブーリバの入ったもの、ドヴォルザークの7番/利口な女狐の物語の入ったものにつづく3枚目のリリース。通常盤のCDではあるが、音質へのこだわりから2枚に分けてある。過去の2枚はライヴ盤だったが、今回はセッション録音なので会場ノイズ等はない。

値段は、税込みで2800円〈高いとは思わない〉。アマゾン、HMVなどの大手販売サイトでも買えるし(アマゾンではなぜか曲目リストが前半3曲だけになっているが、もちろん全曲が録音されている)、下記のページの注文フォームからも購入が可能となっている。

 エリシュカ ファン・サイト:
 http://members3.jcom.home.ne.jp/eliskafan/

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