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2010年5月12日 (水)

バーソロジー・トリオ ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲第2番、ほか @音楽の友ホール 5/11

バーソロジー・トリオは、ピアニストの杉本恭子、ヴァイオリンのポリン・ルグィ、チェロのアレクセイ・シェスティペロフというドイツ、ロストック音大の仲間たちによって結成された。杉本のほか、ルグィはフランス人、シェスティペロフはロシア人であり、それらの顔触れがドイツで出会っているのが面白い。今回、北九州出身の杉本の帰郷にあわせ、地元と東京でコンサート・シリーズを組むことになったようである。

ちなみに、「バーソロジー」は、メンデルスゾーンの父親が改宗のとき、ユダヤ的な姓に付け足したバーソロジー(バルトルディ、バーソルディーとも)の姓からとっている。メンデルスゾーンはこの姓を気に入っていたフシはないので、それをわざわざグループ名にもってくるセンスはどうだろうか。とはいえ、父と子の関係を示す「バーソロジー」の名前を冠するのは、いろいろ示唆的な面もある。

会場は、神楽坂の音楽の友ホール。イマイチなホールで、若い室内楽グループを聴き、しかも、曲目はメンデルスゾーンということで、なんとなく、フォル・ジュルネのつづきという感じがしないでもない。

【オーケストラ的な演奏】

最初に簡単に結論を書いてしまうと、非常にダイナミックな部分の印象が残った。もちろん、裏を返すとかなり粗い部分もあるというということになるが、そのイメージは、リードのルグィのパフォーマンスによって決まった。このヴァイオリニストは、ベースにおいてヴィブラートを抑制したヘルシーな演奏スタイルを身につけているが、一方、フランス人らしい活気のあるアンサンブルに趣向があり、攻めどころではかなりアグレッシヴな演奏をみせる。その積極性はしばしばダイナミズムのみによって表現され、それが力みや、響きの硬さとして表れる傾向がある。それはもしかしたら、この飽和しやすいホールのせいかもしれないが、それだけではあるまいと思う。

シェスティペロフや、杉本も、そうしたダイナミズムによる演奏の力感を拒否しているわけではなく、オーケストラ的なスケールの大きな演奏は、このトリオを印象づける最大の特徴である。私はしばしば、室内楽における「オーケストラ的」な演奏を批判する傾向にあるが、この場合、真っ向勝負よりも譲り合いが多いという意味で、室内楽的な味わいを根本的に損なう「オーケストラ性」とは一線を隠すものであることを付言しておく必要がある。彼らの演奏は室内楽ならではの思いきったアタックや、ギリギリのタイミングを捉えるアンサンブルの息づかいのうえにディペンデントなものであり、その点では何も申し分ない。

そのスタイルがもっともよくはまったのは、最後のショスタコーヴィチ(2番)であろう。フィナーレのアレグレットで、舞曲調の切り出しからピアノが豪快に主題をうたう部分などは、ちょっと他では聴けない強さがあった。しかも、自分の演奏に酔うことなく、非常に柔らかい減衰ですぐに響きを収め、徐々に新しい曲調に移っていく展開の妙もみせている。ピアノの杉本は音色不足などは若干指摘できるだろうし、メッセージに奥行きがない部分もないわけではないが、尖鋭なフォルムへの意識があり、ハンマーも強くて、物怖じしない音楽性が魅力である。ヴァイオリンとチェロもそのような性向を概ね共有しており、構造が濃密になる部分では、非常に分厚い熱演が聴き手のこころを捉えるだろう。

それは、メンデルスゾーンの作品でも同じことが言えた。

3人のなかでは最年長(31歳)、チェロのシェスティペロフは相当の手だれで、このような力づよいパートにおいても、難なく美しい音色キープすることができる。ルグィの課題は、そのような部分にあるのかもしれない。彼女を含め、3人の音楽はまだまだ青いところがあるのは確かだ。例えば、いまのショスタコーヴィチにしたところで、悲劇的な部分ばかりに目がいって、この作曲家の本質的なところにある明るさやユーモアという点に無頓着なのは、解釈上の弱さとして指摘できる。

しかし、これだけ厚みのあるサウンドを奏でられるトリオというのもそう多いわけではなく、それはすこし手狭な音楽の友ホールを飛び出したとしても、十分に印象づけられるはずだ。その流れを主導しているのは、ほかでもないルグィの強い個性である。シェスティペロフ&杉本のデュオなんていうのも魅力的で、それはそれで大人の演奏を聴かせてくれそうなのだが、そこへルグィが入ることで、2人は自分の思いも寄らない面を引き出すことができるのだと思う。そういった意味で、このトリオには、まだまだ多くのポテンシャルがありそうで、来年、コンサートがあってもいかないとは思うが、5年後にどう成長しているかは、是非、見てみたい気がする(勝手な言い分である)。

【ベートーベンとメンデルスゾーン】

1曲目はベートーベンの(op.1-1)のピアノ三重奏曲第1番であったが、これは非常に個性的な演奏であるといってよいだろう。演奏前の杉本のコメントにあったように、まだ耳が正常に聞こえていた時期の作品であることを手がかかりに、具体的な自然の風物を曲想に取り込んだものという解釈が、バロック的な純音楽的なフォルムに重ねられての興味ぶかい演奏である。そう言われると、ピアノの柔らかいトリルやアルペッジオが、サラサラ流れる小川の響きに聴こえないこともない。終わりそうで、なかなか終わらないベートーベン的な粘っこい構造は、既に、この時代に確立している。第1楽章でその傾向が強いのだが、上記のような解釈が作品を無駄に長いというイメージから、より素朴なイメージへ開放する。

アダージョ楽章は、ロマン派を予告するような濃厚な演奏に仕上げた。どちらかというと音色の深さで組み立てた演奏に、徐々に骨組みが加えられていく。嗚呼、なんと甘い旋律かと作品に酔いながら、そのフォルムをよくよく観察していると、バロック的な息の長い構造に基づいているのがわかるという二段構えの演奏である。スケルッツォ楽章は、ピアノの弾力性のある響きが2つの弦楽器とよくマッチしているように聴こえた。終楽章は、イタリア・オペラ的なスタイルが感じられる楽章であるが、彼らの演奏はストレートで、この部分では表情を欠いた。

メンデルスゾーンは、立ち上がりのチェロのふかい音色が印象的だ。これとクロスして横糸を紡ぐヴァイオリンは、既に述べたような理由から、アジテートがきついように思われる。この作品に対する共感から「バーソロジー」の名前を冠したというように、並々ならぬ思い入れがあるのはわかるが、そのために、あまりにも歌いすぎてしまうというのは、私にも経験がある(無論、比較にはならないレヴェルのはなしだ)。しかし、プロ奏者のとる態度としては、理想的でないのもまた事実である。ルグィはそうしてがなりたてるときよりも、柔らかく音色を包み込むときのほうが魅力があるのだし、ダイナミズムだけに頼らない抑揚の丹念なコントロールについて、是非とも身につけてもらいたい。そうすれば、緩徐楽章もより魅力的な表現になるはずだ。

スケルッツォは、非常にバランスがとりにくい独特のフォルムが目立つ楽章だが、ピアノの安定したベースが決め手となり、よくまとまっている。弾き終わりの酒脱な余韻まで、聴きごたえのある一筆書きである。ロンド・フィナーレは私も大好きな部分だが、彼らの演奏はやはりスケールが大きいのが特徴となる。ピアノが上手に素材を集めながら、ヴァイオリンとチェロのアタックを誘導する。ときどき外しながらも、ルグィのリードは天真爛漫で、気持ちがよかった。

より澄んだフォルムの整理があるとなお素晴らしく、メンデルスゾーンらしい細やかな感情が浮かび上がってくるところだろうが、強奏部の情熱的なパフォーマンスでは良くも悪くも若さを感じさせる。最後のキメなどは、鋭く、勢いがあっていい。現時点ではもう一歩だが、演奏が成熟したときのポテンシャルは高そうに思えた。

【ショスタコーヴィチ】

メインは、ショスタコーヴィチである。そういえば、メンデルスゾーンの1番と、ショスタコーヴィチの2番という組み合わせは、昨年、耳にしたダリ・ピアノ・トリオのプログラムと同じだ。そのときには、特にヴィブラートのあり方などを取り上げて、まったくショスタコーヴィチらしい演奏ではないと厳しく非難している。

ただ、技術的なものでみたときには、このバーソロジーに比べて、ダリのほうがはるかに優れているのではないかと思う。例えば、最初のハーモニクスのアンサンブルなどは、バーソロジーはまったく巧みとはいえなかった。特に、いつまでも調子っ外れを演じなくてはならないヴァイオリンは、通常の訓練(当然、美しく、ゆたかな音色を奏でるのが主眼となる)からは考えられない仕事を粘りづよくやること(一般に、そうしたコツコツした仕事をファースト・ヴァイオリンは好まない傾向にある)が苦痛であるかのように、聴こえてしまうパフォーマンスである。そのためファルセットから通常の歌声に戻ってくるまでに、十分に雰囲気ができていないという弊を招くのである。

しかし、ショスタコーヴィチらしい演奏という意味でいえば、私はバーソロジーのほうを支持したいと思っている。瑕はあっても、彼らはショスタコーヴィチのメッセージに寄り添っていくこころがある。多分、シェスティペロフのつよいリーダーシップが働き、作品は、その悲痛な部分において強く訴えかける演奏になっている。全体的に、ピッツィカートや弦を叩いて出す響きの効果も内面に染み入るもので、効果的であった。

第2楽章は、ソレルチンスキーのためのポートレートと解説しているが、その肖像に深入りせず、純音楽的なカラリとしたサウンドをつくっているのが、かえって味わいがある。つまり、そうすることで、聴き手の想像力を掻き立てることになるからだ。テンポは若干遅めで、亡き者への想像力を膨らませるにはちょうどいい。ラルゴは冒頭のピアノの逞しさが非常に印象的だが、和音の響きにややバラツキがあったのはホールや、ピアノとの相性のせいだとも思われる。だが、この間奏的な(あるいは、瞑想的な)部分をとおり、アレグレットになだれ込む流れは見事である。

既に述べたように、終楽章はオーケストラ的なダイナミックな演奏が醍醐味となっており、冷静には、こういう演奏はショスタコーヴィチの意図にあっているのだろうかという気持ちもありながら、やはり、かなりじんと来てしまうのは、彼らの素直な共感が強く滲み出ている演奏だからであろう。ゴマカシでは到底できない強靭なアクションと、3人が互いに助けあう姿の美しさに、作品は自然と調和していく。これは、これでいいのだと思う。

【プログラム】 2010年5月11日

1、ベートーベン ピアノ三重奏曲第1番
2、メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲第1番
3、ショスタコーヴィチ ピアノ三重奏曲第2番

 於::音楽の友ホール

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