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2010年5月27日 (木)

ヴィオラ・スペース 東京公演 第一夜 「謳うヴィオラ」 5/26

(ヴィオラ、)それは人間を奏でる楽器だ・・・イベントを象徴するこのスローガンは、言い得て妙である。国内外のヴィオラの名手が集い、ヴィオラの知られざるレパートリーを広め、かつ、新しいレパートリーを委嘱などで開拓してきたヴィオラ・スペースは、今年で19回目。昨年、今井信子女史の念願叶って実現した「東京国際ヴィオラコンクール」の成果も踏まえながら、新しい1年を歩みだした。

コンペティションの上位入賞者が翌年のヴィオラ・スペースに招かれることは、コンペティションの規定にも書いてあったが、実際、これほどメインで使うとは思ってもみなかった。第1位のセルゲイ・マーロフ、第2位のディミトリ・ムラトともにコンチェルトを含む大車輪の活躍で、ヴィオラ・スペースを盛り上げてくれる。去年はコンテスタントと呼ばれた彼らが、正真正銘のアーティストとして帰ってきたのだ。

【マーロフとムラト】

初日のマーロフは、シューベルトの歌曲集『冬の旅』のヴィオラ編曲版(編曲:ロジャー・ベネディクト)から、5曲を演奏した。マーロフは奔放で、自由な表現センスをもったヴィオリストとして記憶されているが、今回は、抑制の効いたヴィオラらしい表現で、シューベルトの歌曲の内側に秘められたもののエネルギーをカタチにしている。

特に響いたのは第1曲の「おやすみ」だ。編曲に遊びがあり、本来は下降するはずの音ですこし持ち上げてみたり、その逆に、上にあがる部分をおもむろに低音に移してみたり、ちょっとしたトリックがあるのだ。それがヴィオラの音色を生かしたものであることは言うまでもないが、これは道を誤り、死という方向に向かっていってしまう歌のなかの若者のメタファー(隠喩)にもなっていることは気づいておくべきだろう。

マーロフはそうした編曲のポイントをしっかり抑え、ほぼ冷淡に表現を抑えることで、歌曲の世界観がもつ内向性をきれいに拾っている。野平一郎がガッシリしたドイツ的な表現で固めていることから、よりタイトな表現を試みたくなるところだが、それをぐっと内側に収め、ヴィオラの深い音色を静かに醸し出すという表現センスが、なんとも心憎いのである。

ムラトは、野平の『トランスフォルマシオンⅡ』を弾く4人の奏者のひとりとして、また、エトヴェシュの『レプリカ』の独奏者として登場した。ここでは、後者について触れる。

作品は1998年、昨年のコンペティションで審査員を務めたキム・カシュカシアンの独奏で初演された。チェホフの戯曲『三人姉妹』のあとがきとして構想されたというが、その由来は多少のスパイス程度に考えたほうが適切ではなかろうか。ヴィオラ独奏と管弦楽による協奏的な作品だが、これらの関係は対立を対立のまま残しつつ、濃密に深めながらも、最終的に別れていくことになるのが、それらしい。

その意味でもっとも象徴的なのは、独奏が隠れてしまうぐらいの強い圧力で、バックの管弦楽が女性的に沸騰し、それに対して、男性的な骨ばった独奏ヴィオラが粘りづよく立ち上がってくる場面ではないかと思う。ムラトは非常にタイトな表現力が求められるこの作品で、まったく怯まない音楽性の逞しさをみせつけ、また、エトヴェシュのひとつの特徴であるリズムの感覚を、つよい共感において捉え、作品の推進力に使ってもいる。機微をわきまえた押し引きのセンスも素晴らしく、表現者としてまったく若さを感じさせない、整然としたパフォーマンスである。

この2人の演奏により、昨年のコンペティションのレヴェルの高さが、改めて証明されたことになる。2012年の今頃に、第2回のコンペティションがおこなわれることも、この日のプログラムで告知されていることは喜ばしい。この日、ホールで見かけたヘルテンシュタインの演奏もフォル・ジュルネの会場で聴くことができたが、来年はここに招かれる予定のようで、コンペティションに出た魅力的な若者たちが順調にサポートされている様子をみると頼もしい想いがする。

【米川敏子作品と、今井信子のシューマン】

オープニングを飾ったのは、生田流の筝曲家として人間国宝であった母親の名跡を、2007年に受け継いだ2代目の米川敏子。2005年の作品、ヴィオラと筝による『風彩』(カゼアヤ)を、篠崎友美とともに演奏した。作品は米川独特の柔らかい筝の音色=風を基調としたもので、西洋の弦楽器の語法を模倣したりする遊び=彩を入れ、相手の個性を尊重しながら、各々の良さを出しあってコミュニケートするという、日本的な作品となっている。

筝に対する深い理解に対し、ヴィオラ部での表現はそれに十分見合っていないという欠点もあるが、それはそれとして、ほっと一息つけるような安心感のある作品の世界からは、たとえ、日常的に親密な楽器ではないとしても、筝がまだまだ日本の人たちのこころに寄り添っていく可能性があることを窺わせる。しかし、それというのも、米川のあのたおやかな音色、奥ゆかしく、出すぎない表現あればこそだ。もちろん、ヴィオラの篠崎もリラックスした表現で、相手につけている。

シューベルトの歌曲をマーロフが弾いたあと、今井信子が登場し、シューマンのヴィオラ・ソナタ(原曲はヴァイオリン・ソナタ第1番)を演奏した。伴奏は、野平一郎。今井にしては技術的な完成度がもうひとつだが、よく考えられたフレージング、弓さばき、カンタービレの質などがヴィオラ独自のものになっており、さすがと感じさせられた。ヴァイオリンではより爽やかな歌ごころが感じられる名品だが、ヴィオラでは、もっと楽器そのものの音色に注意を引きつけるプライヴェートな作品として感じられる。

しかしながら、今井の積極的な演奏姿勢のおかげで、それにもかかわらず、作品を内向的なものとして印象づけることはない。不器用だが、懸命に生きようとして苦悩する人間の、精神のドラマがゆたかな表情で輝く。

最後の楽章なんて、あのロンド主題的な気まぐれな歌のフレーズと、リズム強調をいちどでも外せば、おかしくなってしまうような難しい作品だが、今井は安全運転に奔ることなく、深い抉りで、終盤までつないでいった。最後のほうで、若干のずれは出てきたものの、その瑕は最小限に収め、フィナーレの構造をしっかりと印象づけていくことで、情熱的な終結をヴィオラで十分に描き上げていた。

【シャコンヌ、野平作品】

休憩のあと、バッハの名品『シャコンヌ』をフォル・ジュルネでもお馴染みのアントワーヌ・タムスティ(アントワン・タメスティ)が演奏した。この作品、ヴィオラ・スペースでは毎年のように演奏されており、川本嘉子などが誠実のうえにも誠実な演奏で弾いてきたのであるが、今回のタムスティの演奏は一味ちがう。誠実であるのはまちがいないが、いわば個性的に、自分の人生をギリギリに乗っけるのが上等と思われていた『シャコンヌ』の演奏を見なおし、バッハ本来の「無私」というキーワードを当てはめることで、ずっとシンプルに、バッハの描く作品の「宇宙」を表現しようと試みたのである。

技術的にアラがないということも重要だが、正に、透き通った和紙のような美しさをもつタムスティの演奏は、そのために、むしろ七色に光り輝くのであった。一方、忘れてはならないのは、タムスティの演奏に感じられた明確な構造把握である。この演奏が、次の野平の作品につながってくる。

野平一郎の『トランスフォルマシオンⅡ』は、2001年のヴィオラ・スペースの委嘱作品であったそうである。当時はまだ、カザルス・ホールでおこなわれていた。同ホールの閉館に伴う、メモリアル的な意味もあるのかもしれない。作品はバッハの『シャコンヌ』に基づくヴィオラ四重奏への編曲作品だが、今回は、鈴木康浩、ムラト、篠崎、タムスティの4人で演奏した。

古典的だった前年の編曲『トランスフォルマシオン(Ⅰ)』に対して、この「Ⅱ」はより野平の感性を表面に出した編曲になっており、「バッハと多かれ少なかれ関係をもった20世紀の作曲家たち」のモティーフを断続的に組み入れているという。私は浅学にして、その細かいメタファーを読み解くことはできないが、単純にヴィオラの響きそのものにフォーカスした自分の聴き方も、決して批判さるべきものではあるまい。

やや難解に思えても、基本的なところで楽器の味わい、響きを大事にした作品として、この四重奏は誠実なものに思われる。4つの楽器は単にヴィオラしかないからという理由以上に、ヴィオラらしい響き=個性をしっかりと醸し出している。しかも、微妙に異なる4つの楽器の役割は、この楽器のもつ様々な可能性を端的に示すものである。例えば、第1ヴァイオリン的なストーリー・テリングも、より積極的に音色を生かした雰囲気づくりも、この楽器の古典的役割である刻みの効果も、すべてさりげなく生かされている。このなかで、セカンドの位置に置かれるムラトに、もっとも濃厚な役割が与えられているのも見逃すべきではない。

原曲で、タムスティがしっかりと印象づけた構造把握が効いており、野平の描く複雑なロード・マップも、原曲の風景と容易に照合できる。そうすると、野平という作曲家のアタマの良さが、またハッキリとわかってくるのも興味ぶかいことだった。

【シュターミッツ】

最後に、シュターミッツの『ヴィオラ協奏曲』のレヴューが残った。独奏の佐々木亮は、溜め息の出るような完成度の高い演奏をみせ、聴き手を喜ばせた。微に入り細を穿つ丁寧な演奏で、ヴィオラ・ソナタのような演奏で、丹念な演奏をみせた。第2楽章のメランコリックで、スイートな歌いくちは、佐々木の場合、幼い子どもをあやすような優しさよりは、もっと深い悲劇性を称えている。伴奏の印象もあり、やや重すぎる感じもなくはないが、これはこれで一解釈だろう。音色は実に爽やかで、抜けがいい軽快なものであった。N響で首席というのは、やはり、一方ではないようだ。

伴奏は原田幸一郎指揮の桐朋の学生オーケストラであるが、これがちょっと酷い。たかが学生オーケストラを口を極めて非難するのもどうかと思うが、欧州のユーゲント・オーケストラやアマオケ、ジュニア・オーケストラでも、こんなべったりした演奏はしないので、エリート候補生の桐朋のアンサンブルとしては批判を免れない。いちばんいけないのは、1音1本の楽器の音色がまったく立たないということである。それはある意味で理想の形なのかもしれないが、ここまで響きの粒立ちがない状態では、アンサンブルの構造が成り立たないのではないか。

東京SQのメンバーであった原田幸一郎が指導していながら、こんな状態であるとは信じがたい。彼の指導力の問題もあろうが、教えられたとおりにしかやろうとしない学生の側に、より大きな問題があるのかもしれない。

【プログラム】 2010年5月26日

1、米川敏子 風彩
 (筝:米川 敏子 va:篠崎友美)
2、シューベルト/ベネディクト 歌曲集『冬の旅』よりの8つの歌
 〈おやすみ〉〈春の夢〉〈嵐の朝〉〈惑わし〉〈道標〉
 (va:セルゲイ・マーロフ pf:野平 一郎)
3、シューマン ヴィオラ・ソナタ(原曲:ヴァイオリン・ソナタ第1番)
 (va:今井 信子 pf:野平 一郎)
4、バッハ シャコンヌ
 (va:アントワーヌ・タムスティ)
5、野平一郎 トランスフォルマシオンⅡ~4つのヴィオラのための
 (va:鈴木 康浩、ディミトリ・ムラト、篠崎、A.タムスティ)
6、シュターミッツ ヴィオラ協奏曲第1番
 (va:佐々木亮 orch:桐朋学園オーケストラ cond::原田幸一郎)
6、エトヴェシュ レプリカ
 (va:D.ムラト orch:桐朋学園オーケストラ cond::原田幸一郎)

 於:紀尾井ホール

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