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2010年5月 5日 (水)

ラ・フォル・ジュルネ (最終日) ヘクサメロン変奏曲 ほか 5/4

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン、最終日となる4日には4つの有料公演を視聴した。その内容を中心に、ざっとリポートしたいと思う。

【木管五重奏による無料公演】

有料公演の前に、東京駅地下の特設会場で、木管五重奏によるウィンナー・ワルツを中心とする無料演奏会に足を運ぶ。応援する東響のオーボエ奏者である最上峰行が出るのが目当てだったが、どの奏者も腕の立つ人たちで聴きごたえがあった。演奏だけではなく、ユーモアを交えて楽器の紹介をするコーナーが面白い。トークは苦手な感じだったが、井上直哉のファゴットの実直な響きは好みにあった。

【エル=バシャの妙技】

13時30分から、事前にメモをつくったエル=バシャの公演を聴いた。バッハのいわゆる『平均律クラヴィーア曲集』とショパンの『前奏曲集』を組み合わせたコンサートである。フーガも演奏すると思っていたが、実際にはフーガの部分をカットして、前奏曲のほうだけを並べて弾いていた。このコンサートについて別掲するつもりだが、2人の作曲家のスタイルを端正に弾き分けるという視点もありながら、どちらかといえば、ショパンの作品の素晴らしさにアプローチするためのバッハの重要性を示す演奏であり、ナチュラルなルバートがほんのりと感じられる清楚なピアニズムは、そうしたクリティックに見合ったものである。

【十字架への道】

15時15分からは、ブリジット・エンゲラーの伴奏によるリストの『十字架への道』の公演を聴いた。本来、エキルベイ指揮のアクサントゥス合唱団とエンゲラーで録音しており、ナントではその組み合わせでおこなわれた公演だが、日本公演では、唯一、来日しているコーラス・アンサンブルであるローザンヌ声楽アンサンブルが歌うことになった。昨年までの公演でもわかっていたが、ハイテクなアクサントゥスと比べると、ローザンヌのほうはメンバーにより技術的にバラツキがあり、前者ほど器用な集団とはいえない。

今回の公演でも、女声のみによる重要な「スターバト・マーテル・ドロローザ・・・」(3度ある、イエスは躓いた、につづいてセットになっている)の文句を発するときのアイン・ザッツが結局、1回もしっかりあわず、格好がつかなかったのは残念だった。男声はよくまとまっていたが、女声はいささかムラのある表現が目立ってしまう。しかし、その分、言葉のうちに込める内面の奥ゆかしさというのは、ローザンヌの決定的な素晴らしさといえるだろう。例えば、「アーメン」の一語にぐっと乗っていく信仰心の確かな重みは、アクサントゥスにはない深みを抉るものだ。

この曲は極端にシンプルな構造が選ばれており、彼のもつ厚い信仰心だけが厳しく表出された難しい作品であるようだ。ピアノ伴奏にしても、前菜に選ばれた『詩的で宗教的なしらべ』のナンバーとは異なり、断片的で、選びに選び抜かれた音が慎重に配置されている印象である。こうした作品を、本当に完璧にこなすのは容易でなく、仮にうまくいったとしても、派手な演奏効果があがるような作品でもない。そのような中で、ローザンヌ声楽アンサンブルのメンバーたちは、まるで特殊な宗教的空間にいるような立体性を描きあげるような表現で、聴き手をリアルに惹きつけたという点で評価ができる。

わが敬愛するするエンゲラーは必要なものは何も抜かず、余計なものは何も付け足さぬという態度で臨み、作品を構成する僅かな素材を、まるで神から与えられた大事なもののように丹念に扱っていた。リストはきっと、そういうことを望んでいたにちがいない。もうすこし書きたいので、これも別掲とする。

【マルキューブ最後の公演】

そのあとは、ジャン=クロード・ペヌティエ(昨年まではペネティエと表記していた)のマスタークラスを聴きたかったが、あまりに人が多すぎるので断念し、マルキューブで西尾恵子、島戸祐子(以上、ヴァイオリン)、増茂和美(ヴィオラ)、横山二葉(チェロ)によるクァルテットを聴いた。関西ベースのアーティストたちだが、神戸市室内合奏団などのベースがあるようなので、その点に多少の期待があった。

前夜のオクテットのようにはいかないが、メンデルスゾーンの第3番を中心としたプログラムは面白く、竹澤を中心とするダイナミックな演奏とは対照的に、確かな古典的教養に満ちた柔らかい演奏姿勢は決して悪くない。特にヴァイオリン、ヴィオラはなかなか充実した響きでよいが、チェロがすこし甘かった。マルキューブはオン・マイクでの演奏なので、このアンサンブルで特に良さそうな内声の響きがくぐもって聴こえるのは残念だが、可能性のある演奏であったと評価したい。

【ペヌティエのストイックなリスト】

19時からは、G402ホールでペヌティエの独奏を聴いた。曲目はオール・リストで、『詩的で宗教的なしらべ』から「パーテル・ノステル」「アヴェ・マリア」「孤独のなかの神の祝福」の3曲と、バッハ『泣き、嘆き、憂い、おののき』からの編曲ものによるコンサートだった。ペヌティエは曲間の拍手を控えてもらうようにして、4曲を一掴みにして演奏するという試みをみせた。『詩的で宗教的なしらべ』とバッハの編曲ではかなり性質が異なるため、例えば、4楽章のソナタのように聴くというには適さないが、リストのもっていた深い信仰心が柱に据えられているという点では、偶然というべきか(必然というべきか)、前のコマの公演(十字架への道)と共通している。

ペヌティエはここに来て若干打鍵の精度がなく、大車輪の働きをみせた疲労はすこし窺えるとしても、音楽に向きあう姿勢の素晴らしさは、いつもの彼と寸分変わることがない。最初の曲から、正に神さまに向き合うかのようなストイックな演奏がつづき、聴くほうも息つく暇がなかった。チッコリーニのリストは「剛」という感じだったが、ペヌティエのリストは「静」が基調になっている。ここで演奏した曲目では、ときにリズムさえも内面の叫びに応じて伸縮し、それが伝統的なルバート云々などというよりは、より静的なもの、例えば「空白」といったものに転換していくのが面白かった。

でも、昨年のチェンバロ公演ではなおさらのことだったが、このG402というホールは、やはり、フォル・ジュルネで使う演奏会場のなかでも、図抜けて質の悪い場所であることは否めない。私はその点にはわりあいに肝要で、他にホールがないのも理解するものだけれども、できれば、このホールだけは勘弁ねがいたいところだ。音響が悪いだけでなく、視覚的にも、アメニティにも問題がある。少なくとも、私は来年以降、ここだけは避けるようにしようと思う。

【ちょっと一服】

そのあと、私は淡路町へ出かけて風呂に入った。都会の真ん中あたりでは貴重な銭湯は、この日、すこぶる混んでいた。人が多いというよりは、もともとが小さいのである。ところで、フォル・ジュルネの空き時間、どうやって使う人が多いのだろうか。マスタークラスや、映画が非常に混んでいるのは、それ自体に興味があるというよりは、行き場がない人たちの溜まり場になっている面がつよいと思う。地上広場の食い道楽も同じこと。

自分はこうして大好きな風呂に行ったり、美術館に行ったり、ときには銀座ウインズに行ったり、丸ビルで買い物をしたり、今年は上野動物園に行くという計画まであった(断念した)が、どうしても空いてしまう時間をどれだけ有効に使うかは、いつもそれなりに考えておく。もちろん、アプローズもそこそこに、15分後の公演に走っていかねばならないような計画は立てない。そんな、野暮なことはしてはいけない(だが、もう6回もやっているのに、そのことに気づかない愛好家の多すぎること!)。

それ自体が野暮なことかもしれないが、私は、フォル・ジュルネを本当の意味で楽しむためには、朝から晩までいるべきだと思っている。だが、その間の楽しみ方には、なるべく幅を持たせたいのだ。

閑話休題。

【ヘクサメロン変奏曲】

さっぱりしたところで、いよいよ22時15分から6台ピアノによる『ヘクサメロン変奏曲』の公演を聴いた。音響的な配慮か、視覚的な工夫か、ピアノはみんな向こうをむいていて、ピアニストは観客に尻を向けて演奏する。メインの前に、4手連弾×2によるリスト『レ・プレリュード』(クロンケ編)の演奏があった。演奏者は、海老彰子、クレール・デゼール、アラン・ラルーム、ジャン=クロード・ペヌティエ。やや安全運転ではあるが、ファニーな演奏で楽しめた。

そして、いよいよ本日のメイン・イベント、『ヘクサメロン変奏曲』。そもそもヘクサメロンとは6編の詩という意味であるそうだが、この変奏曲はリストを中心に、タールベルク、ピクシス、ヘルツ、ツェルニー、ショパンという当時のヴィルトゥオーゾ・ピアニスト兼作曲家が、ベッリーニのオペラの素材からつくったヴァリュエーションで腕を競い、慈善演奏会のために合作した作品であるという。リストによるイントロダクションとフィナーレの間に、タールベルク、リスト、ピクシス、ヘルツ、ツェルニー、ショパンの順で6つの変奏曲が置かれる。ショパンの変奏は6番目だが、独特のルバートが印象的であるうえに、優しい曲想からすぐにそれとわかる。元来はひとりで演奏できる曲目だが、ペヌティエが6台ピアノ用として豪華に編みなおした。演奏者は先の4人に加え、広瀬悦子と小曽根真が加わる。すなわち、小曽根は7人目の詩人となって、即興を披露した。

もともとは弾き比べの意味もあり、1人で演奏することに意義があったのだろうが、今日的には、そのことに見出される価値は低い。ペヌティエはむしろ、本来は1人で演奏できるパートを分けあったり、ユニゾンにしたり、繰り返したりすることで、鍵盤を使った室内楽的作品に仕上げようとした。そうすることで、ピアニストたちはいつもの孤独な作業から解放され、それぞれの良さを変奏曲という華やかな形式のなかで、自由自在に生かすことができる。蓋し、この演目を拝むときの最大の眼目は、6人の奏者の個性と、そのぶつかりあい、もしくは、その間に見出される意外な共通点の発見や、それらの交歓をめぐる「化学反応」を見ることにあった。

ここに出た演奏家は私にとって、必ずしも、私の好きなタイプの演奏家ばかりではない。ハイヒールでピアノを弾くクレール・デゼールなどは、その姿勢がまず気に入らなくて、第1回以来、忌避してきたピアニストだし、音楽の構築もすこぶる浅いように思っていた。広瀬悦子の新譜のショパンなどはルバートがきつくて、響きがぶっちぎれてしまうので大笑いしたほどだ。人気の小曽根真の演奏にも、私は限界を感じている。しかし、ペヌティエという強力なディレクターがいるせいか、これら6人の個性は、彼らが個々に弾くよりもはるかにハッキリと輝いていたといえる。

例えば、小曽根が即興でみせる鋭い批評センスは、それを拾い上げるペネティエの深く、頑丈な音色で、圧倒的に高められる(広瀬が拾った部分では、いまひとつだった)。海老彰子のしっかりした様式観、清潔な音色は、このメンバーのなかでも際立っており、しかも、不思議なことに、隣の広瀬のヴィヴィッドな発語と見事に調和する。デゼールのモダンな響きは変奏の傾斜づけに向いており、広瀬とはよく似たイメージで照応しあう。広瀬は、日本人のなかでは図抜けて表現のパレットが豊富だ。ラルームは初めて聴いたが、5人の先輩たちに支えられて優美で、煌くような表現センスを巧みに引き出してもらっている。こうして6人は互いに助け合い、その魅力を分けあい、さらに大事なことには、すこしだけ自分を抑えることによって、一期一会の素晴らしいパフォーマンスに結びつけたのである。

ペヌティエの編曲は主題のシンプルな変奏、および、リストによるフィナーレの具体的な部分が中心になっており、原曲よりは単純明快なものに仕上げられているので、ヘクサメロン各々の特徴がむしろ、わかりにくくなっているのは残念だが、その一方で、作品に対する演奏者のアプローチについては、この上もなくわかりやすいものとして観察できる。そこにシナモンを振りかける小曽根の即興は、既に定評があるとおりで、私としても目くじらを立てるものではない。例えば、ショパンのルバートを巧みに取り入れた即興なども聴かれ、さすがに繊細な感性を窺わせるのである。

6つの変奏ではやはり、ショパンのものとリストのものが輝く。特に、この6人の演奏では、ショパンによる変奏の最後の部分の、星空を見つめるような透き通った風景を描き出す部分が傑出して素晴らしかった。

【まとめ】

これで、熱狂の一日がおわった。今年は中日の夜の公演と、最終日の公演だけということで、私としてはすこし寂しい想いをしたのだが、マルタンの放つ二の矢、秋に開催の「ル・ジュルナル・ド・パリ」はなかなか面白い公演を組んでいるので、むしろ、こちらに注力したいとも思っているところだ。今年から4会場に広がったフォル・ジュルネがそれぞれの会場で、どのように受け容れられたのかも興味があるか、それは追々情報が出てくるだろう。

このイベントに関しては、ホールが悪い、よく考えれば割高、そもそも税金をくっている会場が問題、商業主義が強い、客の質が悪い(?)などと、斜めに構えたがるファンが多いなかで、私はとにかく、素直に楽しむほうにまわっている。実際、参加しているアーティストたちのまごころにはいつも感心させられ、特に、ブリジット・エンゲラー、ジャン=クロード・ペヌティエ、アンヌ・ケフェレック、ミシェル・コルボなどといったところには、いくら感謝してもしすぎることはないというところだと思う。

そのほか、いくつか述べたいことがあるが、今日はここまで!

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