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2010年5月31日 (月)

仙台国際音楽コンクール ヴァイオリン部門 セミ・ファイナル 第1日

映像配信で聴く仙台国際音楽コンクール、本日からセミ・ファイナルの模様が公開された。なお、このラウンドからはフル・オーケストとの共演となり、仙台フィル首席指揮者のパスカル・ヴェロが相手を務める。

【No.06 チョ・ガヒョン 韓国】

曲目・メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調

セミのトップ・バッターとなった、チョ・ガヒョン。普通に巧いのだが、それ以上のものがあるかといったら、なにもない。オーケストラとの関係は稀薄で、何も貰わず、何も与えないという疎遠な関係がつづく。結局、自分の掌のうえで作品を転がしているだけで、訓練したもの以上の何かは出てこないようである。第1楽章の最後では、相手を置き去りにして走り気味でさえある。

リズムやフレージングも平板で、リスクをとっておらず、表現に大胆さがない。また、アンダンテに入っても音色や表現の質が切り替わらず、主部とトリオの違いも明確でなかった。このよう演奏からは、クローゼットのなかに衣裳がないことが明らかになってしまうだろう。ハーモニクスなどは巧く、基本的な技巧性の高さは指摘できるものの、それで他人を唸らせられるのは、ごく限られた間のことだけだ。

終楽章の冒頭、メランコリックな第2楽章の主題を受け継ぐが、単純にそのまま引き移しているだけで、演奏にもう一工夫がほしい。その点、アレグロに入っての音楽のさばきは爽快で、最初の楽章と比べると、歌いくちにもずっとアイディアがある。メンデルスゾーンの作品だが、表現が小さく小細工が多いために、パガニーニのようなヴィルトゥオーゾ・コンポーザーの作品にも思えてしまう。ここはもうすこし深く、内側を穿つような表現の深みがなくてはならないのである。一気呵成で勢いはあったが、「もう終わったの?」という軽々しさが抜けない。

【No.01 アナスタシア・アガポワ ロシア】

曲目:プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番

ヴァイオリンの音は潤いがあって深いのだが、それが作品構造のなかに溶け合っていかないという予選での印象は、ここでも持ち越された。前のチョ同様に掌のうちで転がすような演奏であり、こんな大人しい曲ではないという印象が強い。そのことは典型的には、ボウイングの単純で、工夫のないアクションに表れている。また、ミュートを入れたりする楽曲であるにもかかわらず、驚くほどダイナミック・レンジが狭いことからも、そのあたりの弱さが窺えるであろう。私はしばしば、こうした演奏を「吹けば飛びそう」と表現する。

緩徐楽章は音色の美しさと音程の安定感が光るし、三連符の処理も巧みなのだが、どうして、それ以上のものではない。つまりは、こうした要素を守るために、保守的な演奏をしていると印象にならざるを得ないのである。聴いていて、いちばん面白くないタイプだろう。オーケストラとの関係性も弱く、立体感がまるでないので、表現が立たないため、作品そのものがチマチマしたものに感じられる。終楽章はよりヴィヴィッドな曲調なので、こうした立体感のない独奏では、まるで味わいが出ない。

【No.27 チンギス・オスマノフ ロシア】

曲目:ヴァイオリン協奏曲第2番

同じ曲目がつづいたこともあり、前のアガポワが良い引き立て役となって、オスマノフの演奏が上等に聴こえる。作品のもつ緊張感に見合ったギリギリの弓のアクションなどに、より深い作品理解が乗っているのは明らかだ。音量だけではなく、響きの伸縮や硬軟、さらに歌い方の多彩さを織り交ぜた表現のダイナミズムは、作品に様々な意味での奥行きをもたらしている。とりわけ、楽曲の構造に機微をあわせた歌い方の調節が巧みであり、ぐっと内面を衝いてくるような演奏であることを評価したい。

緩徐楽章も伸びやかなカンタービレが効いて、叙情的な演奏になっている。ノン・ヴィブラート・ベースを張り、その清潔な音色がアクセントに使われている分、若干、音程に揺れがあるものの、その引っ掛かりをオーケストラが利用することで協奏的な絆は深まり、作品の印象が浮き立ってくる。中盤の技巧的な部分の表現はややチマチマしたものになったが、トリオを経てからの主部の演奏は具体性を高め、よりリリックで、整然とした演奏になっているのが効果的である。

終楽章は、舞曲のリズムが生かされた弾力性のある演奏だが、なかでも、リストを柔らかく使った弓のアクションが弦の深い共鳴を導いているのがよくわかる演奏である点が評価に値する。リズムのナチュラルな把握は、やはり、作曲家の故国、ロシア出身のコンテスタントである利点であろう。最後の息の長い技巧的なシーケンスで、こうした要素をさらに大胆に織り込んでいくことができれば申し分ない演奏だが、レヴェルの高い演奏であったことは間違いない。

【No.18 キム・ボムソリ 韓国】

曲目:ストラヴィンスキー ヴァイオリン協奏曲

導入の和音を粘っこく、かつ、鋭く決めて、まず聴き手をあっと言わせたボムソリの演奏は、その後の演奏でも、細かい楽区を含め、ひとつひとつ丁寧に聴かせてくれる演奏で、実にいい。緻密に計算された精度の高い演奏でありながら、響き(見かけではなく)のアクションは大胆で、トッカータという即興性の高い形式に見合っている。オーケストラとの協奏関係も、よく聴きあったうえでの相互理解が深く刻まれている。

中間楽章も独奏の同じ和音で始まるのが特徴を成すが、そこからの展開につけられるコントラストは明確に弾き分けられ、表現力のパレットの広さを印象づける。この楽章の最初の「アリア」は、いわゆる「アリア」というよりも、バロック時代の「エール」にちかい感覚で聴くべきだと思うが、その自由なスタイルが奔放なボムソリの個性に嵌って、開放感のある演奏だ。第2エールはむしろ、ベースをしかkり固定したことで、より味わい深い詩情が得られている。この楽章に限らず、繰り返し用いられてきた和音に、ここではぐっと内面が乗り、より「アリア」に接近するが、歌というよりは鋭い台詞のように響く。ボムソリの華奢な身体が、いっぱいに載った強い音だが、なんとも上品で、屈託がない。

最後の楽章は、攻めに攻めた。大胆なフレージングで、息のながいカンタービレを粘りづよく歌うことで、聴き手の集中力をぐっと惹きつけるのだが、それは元来、バロック時代に「カプリッツィオ」がもっていたフーガの形式を匂わせる点でも知的である。押し一辺倒ではなく、適度な押し引きが作品の奥行きを拡張していくが、急速な部分では若干、勢いに任せるカタチとなり、周りが見えづらくなるのは若さというものであろう。とはいえ、それは破綻に結びつくような独善的なものではなく、作品のフォルムに寄り添ったものであることも忘れてはならない。終盤にかけて、ぐっと集中力が乗った部分での求心力は特筆できる。

この奏者は、今回の出場者のなかでも特に応援したいアーティストのひとりだ。

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コメント

コンクールの広報ボランティアをしています。
セミに進めなかった出場者は「コンクール、コンクール。楽しく演奏できた」とみなさん言います。
三回目・今回出場のバラーノフさん素晴らしい演奏でした。余裕さえ感じました。

キム・ボムソリさん、とても小柄な方ですが、ダイナミックな演奏でした。
私も彼女を応援しています。

ボランティアにて参加とのこと、お疲れさまでございます。

このコンペティションは、若いヴァイオリニストのひとつの夢である、協奏曲でのオーケストラとの共演を、予選の段階で実現してくれるという特徴があります。その点、たとえ結果が駄目であっても、それはそれとして楽しかったという感想は素直なものなのであろうと思います。

バラーノフさん、キム・ボムソリさん、今回に限らず、立派なヴァイオリニストになっていただきたいですね。

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