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2010年6月19日 (土)

ウィグルスワース ブラームス 交響曲第2番 東響 サントリー定期 6/18

最近のライジング・スターは、ブラームスをまともに振ることができないというのが率直な感想です。先日のオルソップ然り、そして、当夜のマーク・ウィグルスワースも然りでした。ウィグルスワースは少し前に、リヨンに移る大野和士の後任としてモネ劇場/劇場管の音楽監督を務めることで日本でも話題になりました。そのほか、BBCウェールズ響などで活躍してキャリアを築いており、欧州の主要オーケストラ/劇場にも客演して、将来を嘱望されています。

しかし、今回の東響への客演は、少なくとも私にとっては、まったくつまらないものとなってしまいました。まず、目立ったのがアーティキュレーションの拙さ、特に金管が絡んだ場合のバランスのとり方の稚拙さです。つまり、音量の異なる楽器が重ねて書かれたときに、響きのバランスを調整して、作曲家のイメージした音像を聴き手に「こうではないか?・・・こうである!」とプレゼンテーションするのが、指揮者の役割であるはずです。しかし、ウィグルスワースの場合、そうした判断はオーケストラの奏者に委ねられていて、ほとんど思慮が及んでいないと見られます。

恐らく、ウィグルスワースはこのようなやり方で、まったく問題のないところで仕事をしているのでしょう。棒の振り方ひとつ見ても、拍のハッキリしない曖昧な振り方になっており、それは楽団員のアンサンブルを重視する姿勢から選ばれている指揮法だと思われます。確かに、欧州の高機能な・・・特に初見でバンバン弾けてしまうような英国のオーケストラでは、まったく問題にもならないようなスタンスなのでしょう。しかし、例えば英国のオーケストラに対する冗句として言われることとして、ある程度のレヴェルまではすぐに到達する、しかし、それ以上にはならないというものがあります。

ウィグルスワースについても、この評言は当てはまるように思われます。モネ劇場でのキャリアは実のところ、前任の大野と共同で務めた1シーズンで、オーケストラからの反対に見舞われることとなり、現在はジュリアン・レイノルズとというさらに若い指揮者にスイッチされているようです。よって、彼のプロフィールには、モネ劇場のことは書いてありません。その原因がどういうものだったかについては詳らかではないので、妙な色眼鏡をかけるつもりもありませんが、このような彼の指揮スタイルから見れば、ウィグルスワースはアンサンブルをまとめ上げる力はわりに・・・否、相当にあったとしても、音楽を本質的に掘り下げ、オーケストラなり劇場を力づよく育てるような素養には、まったく不足していると思わざるを得ないのです。

【力づくのブラームス】

あのブラームスの演奏(交響曲第2番)を聴けば、この作曲家の作品を愛する人から見れば、ウィグルスワースへの疑問というのは自然に高まったろうと思われます。確かに、ポイント、ポイントでは、あっと思わせる鋭い響きが出てはいました。しかし、それらはことごとくブラームスではない、なにか別の音楽になっていたし、良いところは、ほぼ弦の部分に限られています。

私は東響の管楽器のアンサンブルが大好きで、オーケストラに対しては、いつもなにかのカタチで応援しているほどですが、金管も木管も、これほど粒立たない東響のアンサンブルというのは、久しぶりに体験しました。先程も触れた棒の不明確さによるアイン・ザッツの乱れに加え、リズムや動機の枠を頑迷に守り、ウインド楽器の呼吸感というものを完全に無視した指揮姿勢から、私でさえ、このオーケストラの実力に対する疑問を呈してしまったほどです。確かに、この時期の東響は多忙ですが、そういう問題ではなさそうなのです。あの音楽づくりでは、よほど個人能力の優れたオーケストラ以外では対応ができないでしょうし、対応はできたとしても、素晴らしい音楽が生まれ得るとは思いません。

例えば終楽章では、普通なら興奮で胸がいっぱいになるところ、私は怒りが募っていく一方でした。伏線は実のところ、第1楽章にありました。構造を集め、第4楽章のクライマックスを想像させる盛り上がりを、ウィグルワースは鋭く印象づけます。そのこと自体は、一見、悪いことではなさそうです。しかし、私は手のうちを早く見せすぎていると思ったのです。案の定、終楽章のミステリアスな序奏から、いきなり全奏が立ち上がるときの驚きを既に体験している私たちは、この折角の見せ場を冷めた目で見るほかなかった。それだけなら、まあいいでしょう。

しかし、ここから見せるウィグルワースの手綱さばきは、スタートからゴールまで手綱を弛めないスプリンターの逃げ馬の乗りくちといったようなところです。全体を通じていえることですが、ウィグルスワースの解釈では、ブラームスの厚い信仰心が捨象され、ロマン派的なサウンドの鋭さだけが選び出されています。例えば、ブラームスの交響曲では、素材がそのまま流用されたという第1番に限らず、どこかに『ドイツ・レクイエム』との照合が見られるような部分がありますが、ウィグルスワースはそのような視点をすべて外しています。これが典型的に表れるのが第4楽章なのですが、サウンドの溢れんばかりの充実と快感が殊更に強調されるだけで、神々しいまでのフォルムの昇華についての批評眼が不足していることは、致命的な欠陥となっています。

こんな醜悪なブラームスは、認められません。これではブラームスの作品自体が蔑まれているように見えるし、オケも下手に聴こえてしまうでしょう。少なくとも、東響を初めて聴くような人には、大きな誤解を与えてしまいます。

東響のアンサンブルは、そんななかでも頑張っていたとは思います。例えば第1楽章、ボーマンを中心とするチェロの第2主題のふくよかな響きなどは、それだけ取り出して聴きたくなるほどでした。ただ、その部分すら、ウィグルスワースの頑迷なキープに追い立てられるほどで呼吸が十分でなく、既に述べたように、終楽章のフォルムを先取りする盛り上がりは、流れの流麗さを追うばかりで、例えば、対位法的な構造の苦味や、ぐっと抑えるようなサウンドの渋みが踏まえられていないため、いかにも軽い音楽になってしまっています。

信仰心ということでいえば、『ドイツ・レクイエム』の一場面のような流れで始まる第2楽章が典型的ですが、ここでもウィグルスワースは、そのような要素については一顧だにしなかった。ブラームスの「田園交響曲」的な感じもある部分なので、せめて、それぐらいは感じさせてほしかったのですが、このような部分におけるウィグルスワースの表現力はゼロに等しいでしょう。やはり、アーティキュレーションに対する繊細なこだわりがない以上、このような音楽をきっちりとつくり上げることはできないのです。木管アンサンブルの対話の織り成す造型美、さらに、それと弦との細やかなコミュニケーションが大事なスケルッツォ楽章も、まったく面白くありません。

一言でいえば、ウィグルスワースの音楽づくりは力づくなのです。確かに、ここで束ねようと決めて、手綱を引き締めるときの手際の良さはあります。縦のラインにも、かなり厳しいでしょう。最近、ピリオド派の影響のポジに浮かび上がるこのような指揮者、例えばセミヨン・ビシュコフのような存在が人気の一角を占めるようになっていますが、共通して、音楽そのものはさして面白いものとはいえません。ウィグルスワースはこれに、アッバード的な自主性重視の哲学を加えたパーソナリティでありますが、では、結局のところ、指揮者は必要なのかという議論に行き着くような存在感のなさを露呈しているように思いました。

【前半から低調】

前半も、良くなかったと思います。ワーグナーの『パルジファル』の前奏曲は、やはりアイン・ザッツがことごとくずれて、指揮者とオケの息があわない印象です。それだけでなく、例えば、音楽の継ぎ目に見られるアーティキュレーションの粗雑さが耳につき、かなり悪い印象を刻みつつ、大した見せ場もないまま演奏が終了。これで4時間半もやるのだったら、本当に我慢がならないことでしょう。

庄司紗矢香をヴァイオリン独奏に迎えてのプロコフィエフの協奏曲第2番も、伴奏における閃きがゼロにちかく、プロコフィエフを訳のわからぬ、無能な前衛作曲家にしてしまいました。

もっとも、その原因の一端は庄司の側にもないとはいえないでしょう。確かに、この才媛は日本でもっとも技術の高い、否、世界的にも凄いといえるレヴェルのヴァイオリニストであるといえるかもしれないし、ドイツ音楽ならば、もっと良いのかもしれないのですが、少なくとも、このプロコフィエフでは表現に工夫がなさすぎる印象でした。誤解を恐れずにいえば、コンクール・レヴェルのヴァイオリニストの、超がつくほどの研ぎ澄まされた理想型であり、それ以上の音楽性は持ち合わせていないという印象を抱いたのです。なるほどハーモニクスの美しさなどはとんでもないレヴェルで、音色もとびきりに美しいし、その伸びも爽やかで、屈託がないのですが。一口にいえば、表現に緊張感がないのです。

今回は特にマイクを立てて、録音の構え。歌い方などにも彼女なりの研ぎ澄ましが見られ、準備万端整っているようにも見えましたが、バックの冴えない印象も手伝い、思ったほどの成果は得られなかったのではないかと思います。

実は好きな曲ばかりが並んでいたし、ウィグルスワースにも期待していたのですが、まったく楽しめない演奏会になってガッカリでした。庄司をソリストに立てたおかげか、かなりチケットが売れて席が埋まったコンサート・ホールでしたが、私は流れに乗れなかったようです。

【プログラム】 2010年6月18日

1、ワーグナー 第1幕への前奏曲~歌劇『パルジファル』
2、プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番
 (vn:庄司 紗矢香)
3、ブラームス 交響曲第2番

 コンサートマスター:大谷 康子

 於:サントリーホール

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