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2010年6月30日 (水)

ヴァディム・ホロデンコが優勝 仙台国際音楽コンクール ピアノ部門 ファイナル

仙台国際音楽コンクールは、25-26日にファイナルの演奏がおこなわれ、ウクライナのヴァディム・ホロデンコが順当に優勝を飾った。今年のヴァイオリン部門はやや低調な印象だったが、ピアノ部門におけるホロデンコは、意外な掘り出し物だったのではなかろうか。まず、順位を確認しておこう。

 第1位 ヴァディム・ホロデンコ ウクライナ
 第2位 マリア・マシチェワ ロシア
 第3位 佐藤彦大 日本
 第3位 マリアンナ・プルジェヴァルスカヤ スペイン
 第5位 ムン・ジヨン 韓国
 第6位 クワン・イ 米国

また、20歳以下のコンテスタントで、セミ・ファイナル進出者のうちでもっとも優秀だったコンテスタントに与えられる奨励賞には、中国のファン・ナンソンが選ばれた。10代はファンのみなので、奨励賞を与えるに値するかどうかが議論されたと思われるが、少なくともその価値はあるということだろう。

セミ・ファイナルに設定されているオーディエンス賞は、初日がファン、2日目がイ、3日目がバール・ダーヴィトとなっている。ファンはともかく、2日目以降は意外な結果であるが、イやダーヴィトがどちらかというと技術系に分類されるピアニストであることを思うと、仙台の聴衆は、このコンペティションの影響をつよく受けた耳を育てているようだという感想を抱く。

さて、なるべくこの結果に惑わされることなく、ヴァイオリン部門と同様、演奏を聴きなおしてみよう。前回の教訓に基づき、第6位から聴いていくことにする。

まず、【クワン・イ】はシューマンの協奏曲を弾いた。やはりセミの印象と同じで、曲目は変わっても傾向はまったく同じで、弱奏における演奏の問題点は同様に指摘できる。問題点も長所もほぼ同じなので、セミ・ファイナルの感想を参照してもらいたい。

第5位は、【ムン・ジヨン】。チャイコフスキーの1番を弾いたが、ファイナルでは明らかなミスが多いうえに、やはりセミでも見られたメカニカルな面でのあらゆるズレが演奏の感興を削いでしまう。例えば、大きなミスがつづいた最初のシーケンスでは、それを調整するために大きな溜めをつくり、あとをごまかして、筋の通らない演奏をしている。変ロ短調による第1主題の演奏はバレエの一場面を思わせるユーモアがあるが、先の部分よりも酷いのは、第2主題が盛り上がっていくときの技巧的なパッセージのつくり方である。拍の保持が不均一であるために、フォルムがぐらぐら揺れて安定せず、クライマックスのルバートも安易で、品がないように聴こえる。

ホロデンコ同様の打鍵の美しさや、和声の重なりを訴えるに効果的な、よく鍛えられた左手のアクションも見逃せない。しかし、そのようなパーツの良さを生かしきるだけの構想がないのである。展開部のクライマックスの有名なヴィヴィッドな構造物も、その前のピアノと管弦楽の掛け合いに華がなく、すっと通りすぎてしまうだけだ。再現部の中間に現れるスケルッツォ的なユーモアを増幅して、カデンツァの直前で大きな諧謔をみせる点は面白いが、それと対応するはずのカデンツァはきわめて弱々しい。これはフレージングが甘く、パッセージの流れが連携して立ち上がらないせいであろうと思われる。そのことは、この楽章のフィナーレでは、より典型的に感じられるはずだ。

酷評がつづいたが、正直いうと、セミ・ファイナルのときよりは可能性を感じる演奏であった。しかし、そのポテンシャルを生かすためには、まだまだ、かなり高い壁があるように思われてならない。

【3位タイ マリアンナ・プルジェヴァルスカヤ】

プルジェヴァルスカヤは、ブラームス(1番)を弾いた。どちらかというと音色系のコンテスタントと思われただけに、ブラームスの表現はあまり想像がつかなかった。普通であれば、ガツンと渋みを打ち込む最初のパッセージで、プルジェヴァルスカヤはいかにも彼女らしい繊細なアクションで、ラインの美しさ、響きの彩りで攻めきる作戦である。だが、やはりメリハリが弱く、表現の厚みが足りないという想定された問題点は、前回大会のオクサナ・シェフチェンコよりもずっと痛切だ。

彼女ができるかぎりの強い打鍵を試みるとき、響きはかなり硬いものとなり、拍の保持も甘くなることが、そうしたことの原因のひとつに挙げられる。恐らく、これは彼女の椅子が高すぎて、鍵盤に力を伝えるのにロスがあることから生まれる欠点ではなかろうか。そのため、ホロデンコなどと比べると、やや鍵盤を叩きすぎの印象が否めないのである。また、そのような場面では、彼女らしい音色の美しさが損なわれていることも指摘しておきたい。

もうひとつ、ブラームスのこのような曲において、歌いすぎているという問題もある。確かに、ブラームスは歌曲の分野でも重要な作曲家である。単にそのことに限らず、交響曲などの純器楽的な分野においても、歌の要素を欠かすことはできないだろう。例えば、交響曲第1番終楽章のコラールなどは、友人のドヴォルザークと比べて、著しくメロディ不足のブラームスにとっては珍しく、誰もが口ずさみたくなるような音楽だ。しかし、この協奏曲はどうだろうか。この作品をカンタービレで固めたときに、どのようになるかというサンプルが、このプルジェヴァルスカヤの演奏である。その印象は私にとって複雑なもので、ブラームスらしい構造の美しさが損なわれ、あちこちでボルトが抜けたような状態になっているように受け取られるのであった。

ただ、私はプルジェヴァルスカヤのチャレンジを完璧に否定するには惜しいと思う。確かに、「できないことをしている」という憾みはあるにしても、いくつかの欠点が修正できれば、彼女にもまだまだ大きな可能性があるとはいえないであろうか。背伸びをしなくてもいい第2楽章では慎重にクラスタを選び、ブラームスの深い信仰心を滲ませるような静謐な演奏に持ち込んでいる。だからといって、ズルズルと引き摺られることもなく、響きの明るさがあるのはセミ同様のことである。

緩徐楽章の最後は、前のラウンドで弾いたベートーベンの最後を髣髴とさせる粘りづよい音楽づくりをしており、このような得意技があるのはいいことだろう。フィナーレは舞曲の性質を生かし、うっすらルバートを効かせる部分もあって、なかなか興味ぶかい演奏となっていた。

ある程度、際立つ個性を示しながらも、よりステージの高い演奏へ上り詰めるためには、プルジェヴェルスカヤにとってあと一歩、二歩のステップが必要だと思われるが、この段階で既に28歳ということで、時間的な余裕はあまりなさそうである。早急な、気づきに期待したい。

【3位タイ 佐藤彦大】

佐藤は、結果的に優勝したホロデンコと同じラフマニノフの2番を弾いた。セミの演奏とは異なり、若干、良さがわりにくい演奏になっている。すこし硬さもあるのか、序盤はペースに乗りきれていない印象もあって、表現が縮こまり、その意図がはっきりしないのである。第1楽章途中から持ちなおし、それ以降は持ち味である両手の対話力が俄然、立体的なものとなって、和声の美しさが浮かび上がってきた。

しかしながら、プルジェヴァルスカヤと同様、強奏部で叩きすぎる部分があるのは気になった。このようなゴージャスな曲で、鍵盤をつよく叩くことで存在感を示すのは当たり前の流儀のようだが、上/中/下策があるとすれば、恐らくは中策以下というべきである。この策のメリットは、とにかく響きがしっかり聴こえるということと、腕っぷしの強さをダイレクトに伝えることができる点にある。また、豪奢で、重厚な雰囲気を与えられるものの、一方で、いささか下品でもあり、目立ちたがりな印象も与える。所詮、ラフマニノフなんていうのは目立ってナンボの技巧屋だと考えるのならば、それも止むを得ないのかもしれないが・・・。

上策は打鍵の質を保ちながら、独特の抜け道を探すことであり、響きを浮き立たせるのではなくて、溶け込ませることに気を遣うべきだ。そのことがどういうことかは、例えば、ホロデンコの演奏を聴けばわかるであろう。

第2楽章は響きが清澄すぎて、微妙なはなしだが、ラフマニノフよりはシベリウスのイメージがした。佐藤らしい和声の対応を丁寧に追った演奏であり、その点で美しいことは美しいのだが、ラフマニノフの場合、そうした美しさをさらに突き詰めたところに、内面のふかい苦悩が横たわってくるものだ。私が例えば、辻井伸行の演奏を評価する(といっても、それは例のコンペティションよりも前の体験に基づいているが)のは、そのようなラフマニノフの孤独を実に繊細に拾っていたせいである。もちろん、これはドラマティックな演奏をすればいいということでは決してなく、鍵盤のタッチや作品のフォルムとピアニストの対話から生まれる、ある種の研磨の結果と見るべきである。副次的に、ドラマティックな演奏となるのはあくまでオマケのようなものだ。

佐藤の演奏には、そのような部分がまったく欠けているように思えてならない。少なくとも、ベートーベンのときと比べると、もうひとつアイディア不足(もしくは過剰)が指摘できるのは否めないところだろう。最後のソット・ヴォーチェは弱くとも芯の残る打鍵が決め手となり、かなり聴かせた点も指摘できるが、同時にセンチメンタルすぎる部分も同居しているように思われるのは、テンポ感にやや不自然さ(デフォルメ)があるせいだ。ここにみられるように、佐藤の演奏には、まだまだやすりで削れそうな部分が多い。

終楽章は、いま述べたような欠点が、より典型的に表れている。冒頭のシーケンスでは、かなり叩きすぎて響きが切れ切れになり、またテンポ感も引きずり気味に聴こえる。第2主題は必要以上に足どりが重く、展開部は大がかりなルバートの構造を構築し、まことに意趣に富んだ演奏ではあるが、これまでの印象とあわせ、楽曲の人工的な扱いがいたずらに耳につく。これは彼の卓越した技巧の鋭さからみれば、甚だ余計なことなのだ。能ある鷹は爪を隠すというが、見せびらかしとは言わないにしても、彼の演奏はあまりにも手数が多すぎて、逆に鷹の凄みを霞ませる結果となっている。

誤解のないように明言しておけば、佐藤に対する私の評価は依然として高い。だからこそ、これほど手数をかけなくとも、感動的な演奏はできるということを強調したかったのだ。あらゆる細かい、独創的な工夫にもかかわらず、その点で彼の抱くラフマニノフのイメージはかなりステロータイプ的な、名技性のアピールに偏ったものであるように思われ、底が浅い。

【第2位 マリア・マシチェワ ロシア】

マシチェワは、プロコフィエフの3番でファイナルに臨んだ。結論から言うと、さほど強調するところのない演奏ではあったが、その一方、かなりまとまった演奏でもあり、完成度はホロデンコに次いで高いといえる。コンペティション以外では聴きたくもないが、このような場所ではわりに高く評価されるタイプの典型であろう。自分が審査委員ならば、演奏の完成度ではなく、ポテンシャルにおいて佐藤を上にみたいところだが、2位と言われれば、なるほどそれもあり得るだろうという納得の仕方である。

セミのモーツァルトと比べると、かなり見通しのいい演奏であり、左右の手の役割の分離も見られないことから、これらのストロークの美しさがダイレクトに生かされ、作品の持ち味であるヴィヴィッドな表現性に繋がっている。具体的には、第1楽章の再現部から先がかなりまとまった表現である。思いきった押し出しながら、強引なアクションがなく、響きがすっとオーケストラのなかに溶け込んでいく感じがして、柔らかさが感じられる。

その点、緩徐楽章はややフォルムが硬い。特に、2つ目の変奏での不協和な部分がかなりフラフラしたほか、第3変奏のシンコペーションも、元来、自然な部分ではないとしても、それ以上にガタガタしたフォルムの硬さが拭えない。思索的な第4変奏などはやりたいことが見えてこないし、そのためか、最終変奏とコーダの緊張感は若干、緩みがちになり、ピアノのラインもガチャガチャである。第4変奏に対応する終止のロマンティックさも、十分な感興を呼び起こさなかった。これらのポイントを抜きにして、単純に響きだけを追えば、かなり整っているとも言えるのだが・・・。

フィナーレはキビキビした動きがダイナミックに展開され、マシチェワらしい良さが生きやすい。この作品を通じて、彼女はアイロニカルな響きを自然な呼吸のなかで導くことができている。これは、ひとつの個性だろう。しかし、それがときどき行き過ぎてしまい、表現を硬くしてしまうのが問題である。だが、少なくともこの楽章では、そうした弊は少なく、クールな切りくちが生きている。コーダなどにおいては多少、拍の保持が甘く、ブツブツ切れる印象はあるものの、一方でフレージングなどは良く、鍵盤を叩きすぎてもいないし、かなり快活な演奏であるように思われる。

【1位 ヴァディム・ホロデンコ】

ホロデンコの優勝は、仙台国際のピアノ部門にとってエポックな事柄になるかもしれない。旧ロシア圏・ウクライナの出身である彼は、ラフマニノフ(2番)といっても、かなりクールな演奏である。ラフマニノフが物故してよりのち、どちらかといえば、この協奏曲は、豪華なスケール感を優先するカタチで誇張が進んできた。しかし、作曲者本人や、その厚い信頼を受けたというモイセイヴィチの録音を聴いてみると、必ずしも、そのような傾向が「ラフマニノフらしい」ものではないことがわかる。ホロデンコは、ここに喰らいついてきた。

仙台では、ロシア系のコンテスタントが話題となる率は高い。もちろん、それはこの地域のコンテスタントたちが個性的で、強い表現性をもっていることが多いからであるし、大概は技能的にも訓練が行き届いているからであろう。しかし、そのなかでホロデンコは、セミ・ファイナル3日目のオーディエンス賞をダーヴィトに譲っている。ここにホロデンコの特徴のひとつが表れている。もしかしたら、ホロデンコのラフマニノフは淡白で、迫力がないと言われるかもしれないと思う。私も、そのような感想をまったく抱かなかったわけではない。

だが、それにしても、ホロデンコの演奏は実に気になるポイントが多い。彼の演奏は基本的に大がかりなデフォルメのようなものは一切ないものの、随所に引っ掛かるポイントがある。例えば、彼の演奏を表現するためにもっとも頻出させたいキーワードは、「ア・テンポ」だ。ホロデンコは構造の切れ目、ときにはアクセントとなるような要所において、テンポを落ち着けて、じっくりと演奏する傾向がある。

しかし、これは若いピアニスト(しばしば中堅以上の弾き手さえも)がやるように、テンポを殊更に遅くして演奏の風格を高めようとする一種のデフォルメには属さないものだ。その鍵は第1楽章冒頭、序奏のテンポ感にあり、上のような部分では必ず、ここに返ってくるようなテンポ構造をとっている。つまり、ア・テンポしているのである。そのため、やや流れは緩くなっても音楽そのものに停滞感はなく、作品の構造は容赦なく前に進んでいく。これが、佐藤とのちがいのひとつである。ここでホロデンコは慌てず騒がず、適度な力感を鍵盤にかける精確な演奏スタイルで、作品に必要な重みを必要なだけかけるという真っ当なやり方で、作品に立体性を与えていく。

このア・テンポの感覚を意識しながら、ホロデンコの演奏を聴くと実に面白いだろう。セミでは簡潔な表現で、ホロデンコの打鍵の特徴を描写したが、例えばプルジェヴァルスカヤのように叩きすぎることはなく、また逆に、イのように適度な重みを持たせることを忘れることもなく、本当に必要なだけ鍵盤を押すという基本的な動作がしっかりしていることは、再度、繰り返してもいい。それがモーツァルトのようなシンプルな作品だけではなく、ラフマニノフにおいても厳しく徹底されていることは、実に驚くべきことだ。

我々のよく知るラフマニノフのイメージからすれば、やや非力に思えるポイントもあるにはあるが、先に挙げたような作曲者本人に近しい録音を聴くと、意外にイメージがちかいことに気づく。例えば、第3楽章コーダも弾きおわりにかけての数分間の動きをみると、多くのピアニストたちはオケとの共謀で、非常に雄大なフォルムを目指し、重い打鍵でぐっと響きを盛り上げている。高音の煌きも輝かしく、キラキラと響きを粒だたせながら、ピアノのラインを浮き立たせようと努力する。しかし、ホロデンコはここでも必要な響きを必要なだけ響かせるという原則を守り、埋没の可能性を恐れることもなく、ピアノの響きをオーケストラに溶け込ませるというその一点において、ラフマニノフという音楽家の本質を捉まえようとするのである。

こうした演奏姿勢は、既にド派手なラフマニノフのイメージが広がった現在においては、相当にリスキーである。しかし、彼はどんなに声が小さいと言われようが、自分の発声を守るベルカント歌手のような芯の強さをもっている。実際に生で聴いてみたいところだが、多分、彼の演奏は狭いスペースをスルスルと抜けて、図太くはないが、しっかりとした響きを聴き手の耳まで伝えてくるはずだ。そして、よくよく注意していれば、その音色の美しさ、研ぎ澄まされたアーティキュレーションの繊細さが、確実に聴き取れるであろう。たかがストリーミング映像で、ここまで言いきるのは私にとってもリスキーなのだが、それを怖れるほど立場のある身でもないから気にせずともよかろう。

随分と褒めちぎったものだが、彼の演奏は私にとってひとつの理想である。これほどクールでありながら、聴き手の集中を一時も放すことなく、随所にオブジェクションを切り開いていくという表現の奥ゆかしさが、なんともいえず魅力的なのだ。そのような意味では、日本で選ばれるに相応しい優勝者といえるだろう。この印象が正しいものであったかどうかを確認するために、是非、早いうちに聴いておきたいピアニストである。

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コメント

仙台在住の者です。クラシックに関しては全くの素人なのですが、地元のコンクールだということと、若い人たちの真剣な演奏が魅力的なので、このコンクールだけには、できる限り通っています。

私は技術的な面、曲の解釈、等は判断できないので、単に“聴いていて楽しかった”、“説明はできないけど魅力があった”などで、勝手に評価しているのですが、それでも素晴らしいと思った方が、上位に来ることもあります。

当然、上位入賞者でもピンと来なかった方もいて(今回に限らず)、きっと、技術的な面の評価なんだろうなぁ、と想像していたのですが、こちらで詳しい解説を読ませて頂き、大変参考になりました。

ちなみに、今回の“聴衆賞”は、ほぼ上位入賞者以外の受賞でしたが、会場にいた私からすると「やっぱり、そうだよね」という結果でした。
記事を拝見すると、いろいろ問題もあったようですが、受賞者の皆さんの演奏は、明らかに聴衆を惹きこんでいる感じがあったためです。(もちろん、私にはなぜかは説明できません。)
ファイナルに残れなかった方たちもいたので、ちょっと嬉しく感じました。

もうひとつ、他の方が書き込まれていた「ファイナルの選曲」について。
私も「抽選」だと聞いていたのですが、今回、コンクール終了後、あるファイナリストと1日ご一緒する機会があり、直接、本人に「ファイナルの曲はどうやって決めたの?」と質問してみました。
「封筒が2つ用意してあって、そのうちひとつを自分で選び、その封筒に入っていた曲を弾いた」とのお答えでした。
なので、やはり“抽選”なのだと思います。
(以前、噂で聞いていたのも、この方法でした。)

毎回、楽しんでいたコンクールですが、今回、こちらのサイトを拝見したおかげで、ますます楽しめました。(疑問が解消されたといいますか)
ありがとうございました。

アリス様も、ご多忙でしょうが、いつか是非、こちらにお越しになり、会場でお聴きになってみてください。

今後もご活躍をお祈りしております。

はじめまして。
いつも楽しく読ませていただいています。

Vadym Kholodenkoは2007年のエリザベト王妃国際コンクールのセミファイナリストで、その時の配信音源を聴いてすっかり魅了され、以来、ずっと注目してきたピアニストです。

実は、彼は、2007年の仙台国際音楽コンクールヴァイオリン部門の優勝者アリョーナ・バーエワの褒賞演奏会に共演者として2008年に来日しており、また、このコンクールの褒賞のひとつであるCDでも共演しています。
この来日の時、浜離宮ホールへ聴きに行きましたが、休憩時間に、評論家の集団が「恐ろしいピアニストだよね・・・」と話していたのを、「そうでしょう、彼は素晴らしいのよ・・・」と内心頷きながら、横で聞いていたのを思い出します。

昨年の浜コンにもエントリーしていたのに、直前に棄権してしまい、とても残念に思っていましたが、今回素晴らしい演奏を聴かせてくれて優勝できたので、これからの活躍に期待しつつ、喜んでいます。。。

彼の響きは単に美しいだけでなく、(1度デュオのライブで聴いただけですが)「何だ、これは・・・」と驚嘆するくらいに不思議な魅力を湛えていました。

表現はクールだけれども、決して冷たいのではなく、穏やかな優しさに満ちた独特の静けさと深さを湛え、しかし、雪山が夕焼けで赤く燃えて見えるがごとくに熱い・・・とでも言ったらよいのでしょうか。
私にとっても、彼の演奏はひとつの理想です。

・・・と3年前から1人騒いでいるのですが、例えば、2005年のショパンコンクールで優勝したラファウ・ブレハッチのようには、今ひとつ広く同意を得ることができず、なぜだろう???と不思議に思っていました。
・・・3日目の聴衆賞は(実は2日目もですが)、私も意外でした。

もちろん、何をどう聴こうと、何を感じようとその人の自由ですが・・・

彼は、モスクワ音楽院の学生ですが(かのゴルノスタエヴァの弟子です)、モスクワ在住の友人の話では、彼のリサイタルなど、立ち見が出るほどに聴衆が集まり、延々とアンコールが続くそうです。

日本では・・・彼の地味な外見、無愛想な立ち居振る舞いが一般受けしないのかな、などと野暮な事を思ったりしていますが、熱烈なファンとしては、早く彼のリサイタル、そして、CDを聴きたいと楽しみにしています。

つい熱くなり、長くなってしまいました。。。
詳細な講評をありがとうございます。
これからも楽しみにしています。

イクシェルさん、ありがとうございます。これからも、コンクールを温かく見守ってくださることを要望します。前回あたりから、いつかは現地でという気持ちはもっているのですが、なかなか難しいですね。

なお、私の書いている技術論などは根拠のあやしいものなので、鵜呑みにしないでください。言語化する能力は多少あると思いますが、肝心の批評眼はさして優れたものとは思っていません。コンクールによっては、先生方の間でさえ、評価はバラバラであることも珍しくなく、これが正論という見方はないと思っていいでしょう。

抽選の件についても、ご教示ありがとうございます。私もそういう仕掛けになっているという噂は聞いていましたが、根拠がはっきりしないため、あくまで明記されている表現にしたがってイメージしていました。前の記事は、実態に反しないカタチで書き改めておきます。

Paquitaさん、ホロデンコに対する熱いコメント、ありがとうございました。

私もこれだけ絶賛しておきながら、どうも盛り上がらない彼に対する評価を感じて、いろいろ録音を聴いて勉強しなおしましたが、それでも確信には至りませんでした。決して同意見の方の支持ばかりを望むものではないのですが、今回は心づよく思います。

この優勝の特典により、少なくとも、仙台フィルなど3つ以上の国内オーケストラとの共演、仙台などにおけるリサイタル、優勝者によるCD製作は約束されていますので、どこかでキャッチすることができるでしょう。そのときを楽しみにしています。

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