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2010年6月 1日 (火)

仙台国際音楽コンクール ヴァイオリン部門 セミ・ファイナル 第2日

仙台国際音楽コンクールはセミ・ファイナルの3日間が終了し、既にファイナル進出者の発表もおこなわれていることと思うが、こちらはおっとり刀で、セミ・ファイナル2日目の映像配信をもとにレポートしたいと思う。

【No.30 ジオラ・シュミット 米国】

曲目:メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調

冒頭から薄くルバートをかけて表現に膨らみをもたせようと工夫したシュミットだが、それとは関係なく、ややテンポに対して遅れ気味で、後追いの歌い方に聴こえる。ヴァイオリンが抜けたあと、木管主体の次の主題が出てから、さらに技巧的な部分で走り出すまでに、徐々にオーケストラのテンポが遅くなる(半ば意識的なリタルダンド)構成に工夫があるが、楽曲の構造に対してナチュラルなものとは言えない。これに象徴されるように、テンポも含めて、歌い方には様々な工夫が凝らされているのはわかるが、それらはことごとく不自然で、聴き手に対しての説得力が薄い点はマイナスだ。

カデンツァは柔らかく、スッキリした構造が丁寧に描き出されるが、この曲では、楽器の鳴りをもっと積極的に生かすような演奏がみたい。カデンツァおわりからの刻みを強調し、何らかのフォルムを描き出そうとしているようだが、ここは明らかに蛇足で、独奏が目立つための力づくの造型とみられる。コーダは熱演であるが、自然な呼吸に基づかず、やはり力づくで息苦しい。ここまで、あらゆる意味で「力づく」な要素が目立ち、自然さに欠ける印象は否めない。

緩徐楽章はヴィブラートをほぼ一定に、通奏低音のように効かせつづける演奏で、薄味ではあるが、それでもややくどいように感じた。これは一概に欠点ではないのだが、べた塗りのフォルムの単調さのおかげで、表現のくどさにつながっている。トリオの重音の美しさなどは指摘できるのだが、第1楽章とはちがって全体的に歌い方も平板で、演奏に十分な磨き込みは感じられない。終楽章も技巧的な部分でのテンポへの遅れが目立ち、これは最初の楽章と同じだ。余裕がない部分では、恐ろしく演奏は単調なものとなり、チマチマした表現に堕してしまう。

コンペティションで上位を目指せるのは、ラウンドが進むごとに新しい要素をみせられたコンテスタントにほぼ限られるが、そういった意味では、良い意味での変化が見られないシュミットにガッカリさせられた。

【No.19 キム・デミ 韓国】

曲目:バルトーク ヴァイオリン協奏曲第2番

この協奏曲はヴァイオリンで「弾く」というよりは、台詞的な語りの要素と、民謡を歌うような要素とが混ざり合った独特の語り口に特徴がある。しかし、キム・デミは、「弾く」というところに重点を置きすぎており、「歌う」という要素すら十分でないだろう。音色の良さや、目くるめく技巧性の煌びやかさにこころを奪われてはいけない。デミの音楽は、バルトークという作曲家のもつ全体像のうち、ごく限られた部分だけをしっかり見せているにすぎないのである。

しかし、その範囲においては、それなりに上質ともいえる演奏であることは間違いないだろう。音色はマイルドで、光沢があり、フォルムの造型も、深い考えのない迂闊なパーツとして残っているものは、なにひとつとしてない。この真摯な作品の磨きこみこそ、デミの最大の長所といえるものである。ぱっと触れた感じでは、なんてことはない奏者なのだが、じっと聴いていると、だんだん共感が高まってくるタイプといえる。私は彼女の音楽性に十分納得しないのだが、それにもかかわらず、一定の共感を禁じ得ないのだ。

さて、こうしたタイプの奏者は、ヴァリュエーションのような形式で本領を発揮することが多い。基本的なスキルが高く、作品を熟慮して演奏するため、変奏の性格をしっかりと捉まえて、高度な表現を目指すことがわりに容易いからである。そういう意味で、アンダンテ・トランクィロによる緩徐楽章は、やはり聴きごたえがあった。最後の楽章でソナタ形式に戻ると、そのようなアドヴァンテージが剥離し、やはり実直さは伝わるものの、表現のパレットに不足があるのは否めない。

【No.24 守屋 剛志 日本】

曲目:ベルク ヴァイオリン協奏曲

静謐さと、官能性・・・この2枚を同時に備えたベルクの協奏曲を、しっとりとした詩情でゆったり織り上げるカタチでスタートした守屋。序盤は、これが決まっていた。しかし、案の定、超高音を含む技巧的なパッセージでは音色が硬くなり、その雰囲気を保てない。いちど乱れたフォルムはそう簡単には返ってこず、その後は、断片的なパッセージがひとつのイメージに組み上がっていくまでに手間取っているうちに、次のアラが出てくるという悪循環に入ってしまった。

前のキム・デミのように実直な奏者だが、よりスケールが小さく、聴き手の注意を引き止めておくための手がかりに乏しい。特に技巧的な部分において、この曲は通り一遍のヴィルトゥオージティを拒否するが、守屋の演奏においては、例えばストラヴィンスキーやバルトークと同様の質の表現のアイディアしか出てこないため、一味も、二味も足りない印象となる。

しかし、ここまでの感想は、あまりにも守屋に対して厳しすぎる見方とも思えなくはない。全体的にはよくまとめており、よく準備された演奏であることは否定すべきではないだろう。とはいえ、それだけではどうにもならない、深い表現が求められる作品だということである。例えば、第2楽章に頻出するピッチカートなどは典型的で、あまりにも無機質な音色で詰まらない。クライマックス付近の激しいパッセージでも、そこに内包されるべき魂の重厚な苦しみが抜け落ちている。そのため、最後に置かれる死と救済のメッセージにおいて、肝心の独奏の存在感が薄くなっているのは致命的だ。

正に、この作品は一筆書きなのだ。モーツァルトと同様に、ひとつのパーツさえ疎かに表現することはできず、完璧に用意された素材を結びつける関係の構築においても、過剰なまでの研ぎ澄ましがなければ、全部が壊れてしまう。ほんの僅かな錆が、刀身すべての切れ味を台無しにしてしまうように。そうした作品の厳しさに挑むヴァイオリニストたちの挑戦は、世界のトップ奏者においてさえ簡単ではないが、若い奏者たちであれば、より大胆なチャレンジ精神を見せることで、将来の到達の夢を語ることに意義がある。その点において、守屋の演奏は甚だ保守的であり、ただ到達度の低い演奏に止まっている。

彼の腕をもってすれば、もっとできるはずなのだ。サッカー日本代表の岡田監督流に言うならば、「世界を驚かす」ことだって!

【No.11 乾 ノエ ギリシャ/日本】

曲目:パガニーニ ヴァイオリン協奏曲第1番

先日、藤原浜雄による第2番を聴いたパガニーニだが、1番でも作品の傾向はさして変わらないので、あれが大いに参考になる。また、直前のベルクとは対照的に、表面的な美しさにおいてこそ、作品の奥行きや時代性を感じさせられるということで、ここでこの曲が聴けるというのは、前後の流れを踏まえて、単純に「演奏会」として面白いものがあった。

乾の演奏はゆたかな歌ごころに支えられているという印象は、予選のときと同じである。このセミ・ファイナルはそれに加えて、技巧的な面での切れ味の鋭さも増したように思われる。しかし、この作品は先日の第2番よりも素朴な作品であることも関係あると思うが、藤原の演奏と比べると、乾の演奏はややカンタービレが素朴すぎて、ビーダーマイヤー的な時代背景との対話が稀薄である点は残念だ。それは、第1楽章の中間のメランコリックな場面での、やや乾いたパフォーマンスに表れており、ときどきは、ロマンティックなスタイルが前面に出すぎているという欠点につながっていく。

ただ、弦楽器の音色の良さを素直に引き出したイタリー的な演奏とみれば、これはこれで楽しめるものでもある。オペラ・アリア的に、伴奏の一歩先を走る積極的なポジショニングも好印象だ。カデンツァは文字通りに巧かったし、技巧的にも、今回のコンテスタントたちのなかでもトップ・クラスにあることが確認された。

緩徐楽章は、乾の特徴が生きた演奏である。しかし、甘ったるいカンタービレに酔うことなく、音色や流れの自然さにフォーカスした演奏姿勢は、高く評価できる。フィナーレは、ヴァイオリンを使ったコロの表現が巧みで、軽快である。正にソプラノが歌うようなフォルムが明解な楽章であるが、ハーモニクスを使った戯画的な歌い方は、もともとずれているのだけれど、それでもやや嘘くさい。意図的に音程をずらしての悪意的なアンガージュマンは、それとわかるように演技力たっぷりに演奏しているが、より大胆なものであってもいいし、ときどき背筋が寒くなるような「精確さ」がアピールできるとなおいいだろう。

そうした部分よりは、やはりスイートで素朴な部分のほうが、乾の長所が出やすいようだ。個性が明確なアーティストなので好悪が分かれる可能性もあるが、このレヴェルの演奏を披露してくれれば、もういちどみたいと思う聴衆は多いことだろう。だが私は、「表面的な美しさにおいてこそ、作品の奥行きや時代性を感じさせられる」というキーワードにおいては、やや不足という感想も抱いている。もちろん、だからといって、好きな奏者であることは変わりないのであるが・・・。

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