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2010年6月28日 (月)

仙台国際音楽コンクール ピアノ部門 セミ・ファイナル 第3日 & 結果

かなりアップが遅れたので、もうとっくに結果が出ているが、マイペースでセミ・ファイナル最終日の講評と、結果を掲載しておく。

【No.19 ヴァディム・ホロデンコ ウクライナ】

曲目:モーツァルト 協奏曲第25番 K503

ホロデンコは、珍しいモーツァルトの25番を弾いてきた。ホロデンコはやはり打鍵の質が高く、音色の美しさで抜きん出ている。とりわけ右手の打鍵の清澄さは、それだけでひとつの特技といえるだろう。モーツァルトということで、左手はかなり控えめだが、確実に要所でバランスのいい響きを聴かせ、オーケストラにとろけるような響きの柔らかさも印象ぶかい。とにかく、この2つの美点で、ホロデンコは聴き手を夢見心地にさせることのできるアーティストである。そのため、類似、同一のテーマが執拗に繰り返されるこのような作品においても、退屈させることなく、聴き手の注意を惹きつづけることができる。

カデンツァなどは対位法的な構造を実に上品なタッチと、細かいフレージング、繊細なアーティキュレーションで、ゆたかに織り上げている。技術的な凄さ(は言うまでもないが)をみせつけることなく、すらっといい仕事をするクールさがまた素晴らしいではないか。

モーツァルトの緩徐楽章は、前のエントリーで述べたように、あまりアピール・ポイントにはなりにくいが、ホロデンコの演奏は、これまでのモーツァルトを弾いたコンテスタントたちとは比べものにならないほど、充実した響きを愉しませてくれる。なにか特別なことをやっているわけではないが、とても響きが明るく、優しげな音がするうえに、どこかカラフルで、夜空を見上げたそのままの光景を写し取ったようなときめきが感じられる。これは、曲のせいでもあるかもしれない。

フィナーレは、小さくまとまりすぎる不安があったが、やはり細部から細部に繋いでいく非常に繊細な演奏ながら、十分に(作品なりの)構造的な大きさも感じられる。打鍵に甘さのあるコンテスタントが多いなかで、このホロデンコは適度な高さをとり、適度な強さで鍵盤を叩くという基本的な動作がしっかりしている。そのことが、飛び抜けて美しい音色につながっているのは自明である。

このようなアーティストは、ファイナルに残ってもらわなければ困るだろう。

【No.28 エスター・パーク 米国】

曲目:モーツァルト 協奏曲第24番 K491

実績では申し分なく1番のパークは、順当に予選を勝ち抜いた。直前がホロデンコだっただけに、打鍵の透明感では劣る印象だが、拍ごとの保持は安定感があり、肉厚な打鍵に特徴がありそうである。いわば不健康な鋭さのあるホロデンコに対して、パークは健康そのものである。例えば、管楽器の主題を突き抜けて、悠々とフォルムをつくるときの余裕などは、ホロデンコにはないものであろうか。とはいっても、パークの演奏は基本的な歌い方などにおいて経験値の高さを窺わせるものの、いちばん良かった時期と比べると、打鍵が癒着的で、表現が舌足らずなものになってしまっているのは否めない。そのため、モーツァルトらしい伸びやかな表現がなく、縮こまった演奏になっているのではなかろうか。

カデンツァはやや叙情的にすぎ、フォルムとの対話は明解でないように思われる。いわば、空疎な響きだけが連鎖を成しているように聴こえ、和声を慎重に確認しながら弾いている丹念な演奏姿勢の魅力を損なうものになっている。この印象は、緩徐楽章でも同様に感じられる。何種類もの異なった質を使い分けられる打鍵の多彩さも持ち合わせ、テクニック的には抽斗が多いものの、その選択において、十分なアイディアに恵まれていないという欠点が指摘できるだろう。そのためか、第2楽章はモーツァルトらしいシンプルさを強調するあまり、何の面白みも感じられない。まるで、モーツァルトの鼻唄のような演奏である。

まったく不思議なことに、このラウンドでモーツァルトを弾くコンテスタントたちは、一様に表現が暗い。このパークも、もちろん、例外ではないだろう。終楽章はまったく生気がなく、この作品がもつ闇の部分に、常に足を引っ張られた演奏だ。歴代の優れた演奏家たちの演奏に耳を傾ければ、こんな陰鬱なモーツァルト演奏は、ひとつとしてないことがわかるはずだ。このハ短調でさえ同じことで、彼らのようにやれば、どうしたって暗くなってしまう響きを様々に工夫して、もっと伸びやかな表現へとメタモルフォーズさせている。さらに不思議なことは、これらのコンテスタントたちはリサイタル・ラウンドでは、ハイドンを弾いていたりするのだが、そちらに関してはこれほど暗い表現ではないのである。

彼らのなかでは、なにかモーツァルトの抱いた闇が増幅されて見えるような、共通した心的要因でもあるのであろうか。まったく趣味ではないのだが、これではどうしても、フロイト的な分析をしたくなるところである。内省的というほど客観的な視点はなく、内向的な演奏というよりも、さらに狭い空間に閉じ込められた表現である。

【No.29 マリアンナ・プルジェヴァルスカヤ スペイン】

曲目:ベートーベン 協奏曲第2番

プルジェヴァルスカヤは今年の高松国際で入賞、上位進出はならなかったが、日本のコンペティションで連戦となる。このラウンドでは、佐藤と同じベートーベンの2番を選択したが、非常に対照的な演奏である。プルジェヴァルスカヤの演奏はコロコロしたモーツァルト的サウンドを主体に、非常に明るい音色が特徴となる。直前のパークによるネクラ的なモーツァルトと比べると、この主の音楽づくりの貴重さは逆に明らかである。適度な抑制もあり、最初のシーケンスのおわりで、最弱奏による引き締めから、ぐっと響きを解放していくような場面は印象に残る。

非常に華やかなピアニズムの持ち主であり、フランス的な音色のゆたかさも耳に残る。特に、右手の流麗なラインが印象的だが、その分、和声の厳密な輝きは幾分、抑えられている。その結果、華やかで装飾的なロココ風の構造に、幻惑的な左手の淡い連動が重なってくるという印象である。この典型は第1楽章のカデンツァであり、対位法的な構造をしっかり追いながらも、それはバッハ的な神性ではなく、よりヒューマニスティックな広がりを感じさせる開放感に満ちみちている。それとネガ/ポジになるカデンツァ後のまとめ方は、豪奢な装飾のなされた太い柱の陰にできる黒い影のようなものだ。

緩徐楽章はやや構造が平たく感じられるものの、彼女の持ち味である音色のカラフルさが効いて、思ったほど聴き手を退屈させない。イタリーやフランスのコンテスタントがいないためか、こういうタイプの弾き手は今回、プルジェヴァルスカヤ以外にみられないから、貴重な存在である。思いきった最弱奏で粘りづよく弾く、この楽章最後のキュートなフォルムは思わず耳を惹くものである。フィナーレは、やや直線的なフォルムに工夫が足りず、より旋回的な動きを取り入れることで立体性を確保できたろう。これがないために、やや打鍵が詰まり、全体的な流れが急ぎ気味に聴こえて、惜しいことをしている。

このあたりが彼女にとっての課題となりそうだが、今回のコンテスタントのなかでは独特の位置を占め、レヴェルの高いコンテスタントであることは間違いない。

【No.01 バール・ダーヴィト ハンガリー】

曲目:ベートーベン 協奏曲第1番

予選ではバルトークなどの技術系の演奏でポテンシャルを示したダーヴィトだが、古典派はどうだろうか。オケの序奏から、かなり根太い演奏が聴けると思われたが、意外や、軽い弾き出しから細やかなフォルムをつくっていく。要所では響きを膨らませることも忘れないが、基本的には、かなりリラックスしたベースを組み立てている。コロコロしたラインの作り方は前のプルジェヴァルスカヤにも似ているが、よりペダルを効かせた人工的な演奏になっている点は、やりすぎの印象もある。

この点で問題が浮き彫りになったのは、転調以後のやや輪郭の明らかでない部分であろう。内省的な表現意図はわからなくもないが、上記のようなフォルムづくりが自然な拍の粒だちをかえって阻害しているのは意外だけれども、ぱっとしない口ごもるような表現につながっているのは間違いない。そのため、より見晴らしのいい部分に差し掛かったとき、いきなり立体性を帯びる打鍵の質が唐突なものに聴こえた。この傾向は、その後の部分でもチラチラと表れる傾向である。カデンツァの爽やかな印象はポイントが高いものの、それ以外の部分では若干、アラが目立つ。

緩徐楽章は和声の重なりを丁寧にアピールしながら、一歩一歩フレーズを進める良い演奏であるが、一方で、ややワン・パターンな感じも窺われる。フィナーレも、最初の楽章以上にコロコロした響きを前面に出し、愛らしいフォルムづくりを狙っているが、これを聴くと、なおさら妥当性が薄いことは明らかであろう。コロコロが豊富なダイナミズムのなかで伸縮し、対位法的な構図がうっすらと立体性を帯びる面白みもなくはないが、一方で、そのような奇知が作品のもつシンプルな特性を損なっていることも否定できない。

 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

ここまでの印象で、私は次のようにグルーピングしていた。

【図抜けている】V.ホロデンコ

【好印象】佐藤彦大、M.プリセヴァルスカヤ

【好きだが微妙】S.リン、N-s.ファン、M-j.ワン

【イマイチ】B.ダーヴィト、Y.チャプリナ、M.マシチェワ

【理解に苦しむ】Z-y.ムン、E.パーク

周知のように、ファイナル進出者は以下のとおりである。

 No.27 ムン・ジヨン 韓国
 No.25 マリア・マシチェワ ロシア
 No.31 佐藤彦大 日本
 No.38 クワン・イ 米国
 No.19 ヴァディム・ホロデンコ ウクライナ
 No.29 マリアンナ・プルジェヴァルスカヤ スペイン

最近の傾向としては珍しく、欧米勢に押された感じの国籍構成になっているものの、実は、アメリカ人は明らかにアジア系で、スペインもロシア系ということを考えると、ロシア圏vsアジアというトレンドから外れていないことがわかる。

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