2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

« アンサンブル・ノマド 呼び交わす世界 vol.1 フィンランディア2010 6/21 | トップページ | 河合優子 ショパン ピアノ協奏曲 with ワルシャワ・フィルハーモニー弦楽四重奏団 6/26 »

2010年6月23日 (水)

仙台国際音楽コンクール ピアノ部門 セミ・ファイナル 第2日

映像配信から読み取る、仙台国際音楽コンクールのセミ・ファイナルのリポートは、第2日目の記事である。この日の演奏では、若い音楽家のためのチャイコフスキー・コンクールで優勝しているチャプリナと、予選でよかったイに注目していたが、株を上げたのは意外なピアニストだった。

【No.25 マリア・マシチェワ ロシア】

曲目:モーツァルト 協奏曲第24番 K491

マシチェワは予選でもバッハやハイドンを弾いているように、ロシアのコンテスタントながら、古典的なものをしっかり弾くことを志向するピアニストである。非常に丁寧な打鍵が目立つが、その端正な演奏の運びに対し、音楽的なフォルムはやや硬すぎるように思われる。通奏低音の反転と思わせる右手の打鍵を粘りづよくやるところなど面白いが、上のような特徴がハッキリわかる箇所だといえる。左右の手の役割があまりにセパレートで、親密でない点が問題となりそうだ。

しかし、その範囲において、左右のストロークの明確さは長所でもあり、他人に対して抜きん出ている。好悪は分かれるとしても、古典派作品においても、彼女の個性はわかりやすい。カデンツァはかなりダイナミックな表現で、ときどき煽情的な表現にも思えるが、それはカデンツァ明けのオーケストラの伴奏とは符合している。弾きおわりに至るまで、かなり食いつきのいい打鍵が断続的につづく。

よく知られたラルゲットの緩徐楽章はそれなりに弾けているとは思うが、鍵盤もペダルも、よほど変なことをしないかぎりは安定したフォルムの出せる部分であり、取り立てて述べることはない。トリルは、やや流れる印象。アルペッジオは、ラインが硬い。

フィナーレのヴァリュエーションは、細かく区切った右手に対して、左の打鍵が重なったときの和声が十分に響きあっていないために、互いが孤立的なものに聴こえてしまう。センチメンタルな変奏では、やや打鍵が重くなり、表現のメリハリを狙っているが、いささか不安定なものに思われる。各変奏はそれなりに練り込まれているものの、それらの関係に対する考察が十分でないために、楽章全体を通した表現に一本筋が通らないのである。

作品全体を通した感想として、確かに短調の作品ではあるが、解釈がやや重すぎて、過剰に下向きな演奏になっているのではないかと思う。例えば、音色や打鍵の質、フレージングをすこしだけ煮詰めなおし、僅かな色彩感を加えるだけで、このような淡彩な表現は避けられるのではなかろうか、ある意味ではオーソドックスな解釈であるともいえるが、あまりにも単純で、隙のある表現であるという点は指摘できそうだ。

【No.31 佐藤彦大 日本】

日本人で、唯一のセミ・ファイナリスト。予選での演奏はもうひとつの印象だが、野島審査委員長の主宰するコンペティションでの優勝経験があり、その点でのアドヴァンテージも窺われる。それだけに、このセミでの演奏をビシッと決めてほしいところだった。

ベートーベンの最初のピアノ・コンチェルト、第2番を選択したのは意外性のあるチョイスでポイントを稼ぐ。出だしの打鍵は優しく前時代的、しかし、次のフレーズで重みを増し、序盤の展開には面白味がある。こうして序盤に印象づけた振り幅を利用しての、柔軟な演奏姿勢は十分に耳を弾く。これは審査委員長殿の身びいきでもなければ、地元、開催国アドヴァンテージでもない。非常に可能性ゆたかなピアニストである。ときどき見せる深い打鍵の味わい、駄目もとで思いきった構成を試みている点も評価できる。

前のマシチェワが良い引き立て役になっているが、左手の和声が右手の華麗なパッセージと対話する様子が明瞭にアピールされ、メカニカルの面でも大変優れた弾き手であることがわかる。対位法的な構造を効かせたカデンツァでは、そのような佐藤の長所が端的に示されている。ここに限らず、ときどきパラッパラッと不用意な打鍵がみられるのを除けば、エキサイティングで、かつ品のある表現の充実が窺える。

アダージョ楽章も、和声の美しさを前面に出して攻めてくる。ここでは単に左手だけではなく、バックの響きをもドッペルゲンガーに使った響きの重なりを丁寧に表現しており、これが作品のもつ奥ゆかしい叙情性と芯の部分で響きあう面白さを、じっくりと弾き上げている。楽曲なりに垢抜けない部分は致し方ないとしても、そのような部分でさえ、ベートーベンが意図した響きの世界を丹念に拾い、しっかり持ち上げている姿勢は評価に値する。ルバートは基本的に控えめだが、ごく慎重にみると気づくことができる、僅かな揺らぎがナチュラルに嵌め込まれている。

この楽章の最後でみせる緊張感の高い打鍵は、この作曲家の「幽霊」トリオの緩徐楽章と対応するような深い静けさに満たされ、このピアニストに特別な雰囲気づくりである。

ロンド・フィナーレはリストを柔らかく使った弾力性のある演奏で、作品を印象づける。中間でペダルの過剰な踏み込みから、やや音を切りすぎな感じがするのは気になるところだが、やはり和声の美しさは、これまでのコンテスタントたちのなかでも際立っており、これを協奏曲のラウンドで示せるのは、実力のある証拠であろう。すこし余韻を残して、すっと消えていく弾きおわりの雰囲気も面白かった。

佐藤については、予選のときよりもかなり評価を上げた。

【No.03 ユリア・チャプリナ ロシア】

曲目:モーツァルト 協奏曲第21番 K467

冒頭からやや絡みつくような感じで、スムーズさを欠いたチャプリナの演奏である。その後は主に肉厚な表現で、構造の緻密さよりも、内面の動きにより傾斜した表現性が窺われる。細部の表現も決して手を抜いているわけではなく、むしろ没入型の弾き手といえるが、力の押し引きが意外に単調で、若干、作品の単純さに頼りきった感じがするのはマイナス点だ。

前の佐藤と比べ、和声の重みなどは表現以前のところで捉えられており、よりレヴェルの高い弾き手であることは間違いない(だが、だからといって、いつも彼女のほうが良い表現をできるとは限らない)。そのことは緩徐楽章の演奏で、いっそうハッキリする。ピアノ独奏の弾きだしで、ほとんど聴こえないくらいの左手のハーモニーは、実は、バックの弦の刻みとシンクロしている。それは、次第にフィジカルな特徴を露わにするピアノのラインとともに、明瞭に印象づけられる。その後の展開は、どの場面でも潤いに満ち、幾層もの詩情を包み込んだ充実した表現だ。中間に見られる、思いきったルバートの扱いも息を呑むものである。

フィナーレは程よく興がのって、たおやかな演奏であるものの、なにが原因なのか、すこし響きが暗い。先に褒めた第2楽章でも同じことが言えるが、彼女の演奏は常にすこしだけウェットなのだ。例えば、声楽ならレッジェーロで歌わなければいけないところで、リリコ側へ微妙に重くなって歌われているという感じである。ひとつひとつの響きを見れば僅かだった、そうしたものが積み重なって、だんだん重く、遅れがちになっているように思われるのだ。

ここまで聴いたなかで、もっとも技能の高い演奏者であろうとは思う。それなのに、印象は薄い。

【No.38 クワン・イ 米国】

曲目:ベートーベン 協奏曲第1番

クワン・イは浜コンにも出ていたはずだが、そのときの印象決して良いものではなかったのに、今回の予選では目立つ存在だった。セミでは3人目のベートーベンの1番の弾き手として、先行のリンやワンと比較されることになろうが、そのなかでイが優れている点を見つけるのは難しかった。手もとの表現に偏り、チマチマした打鍵にもかかわらず、身体のアクションが無駄に大きい。全体に構造的なダイナミズムが欠けているし、とりわけ弱奏においては一音ごとの粒だちが不足し、演奏のフォルムが明快ではないのだ。

カデンツァでの長調部分から短調部分への切り替えなどは、非常に尖鋭な切りくちを見せており、単に安定的というよりも、ズッシリした重みをみせている。しかし、一方では速い打鍵にこだわりがあり、カデンツァの終盤では、細かいパッセージを連符のように表現して得た人工的なフォルムが印象に残る。ただ、これは良いほうの印象にはならないのは言うまでもないだろう。この作品の数箇所で、そのような表現をアクセント的に用いるイの手法は、決して成功しているとは思えない。

緩徐楽章では、先に述べた弱奏の欠陥が端的に表れている。彼の演奏に工夫がないのは、ピアニッシモのような弱い表現を音量とともに、やや短い打鍵にして保持を甘くするか、逆に、極端にテヌート気味にして引っ張るという、どちらかのパターンで固めていることで明らかである。そのような部分での表現は、水気の足りないパラパラなコメを思わせる乾いた表情か、みだりに甘ったるい表情(まるで、タガの外れたショパンのようだ)となってしまい、一瞬、気を惹くものであったとしても、それを長く持続させることは難しくなっている。

いきなり別の映像が挟まってきたような印象を抱く終楽章の冒頭は、文字どおり、唐突である。強拍のストップを執拗に効かせてみたり、何がやりたいのかは不明だが、何かいびつなフォルムのなかに、ベートーベンのイメージを描き上げたいという構想は、ある意味でわかりやすい。これに従ったオーケストラのバックは、非常に野性的なフォルムを見せており、挑戦的なものになっている。掴みのいいキャッチーな響きは完全に理解の外ではないものの、やや忙しない印象はどうしても拭えない。ピアノ独奏部の打鍵には、執拗に対位法的な構造が浮かび上がり、それをアイロニカルに扱うベートーベン的なユーモアは、意外によく出ている。

なにかやたらと批判的な書き方になったが、音楽づくりの独創性はみられたものの、あまりにもつくりすぎたフォルムに、私としてはついていけなかったということである。

« アンサンブル・ノマド 呼び交わす世界 vol.1 フィンランディア2010 6/21 | トップページ | 河合優子 ショパン ピアノ協奏曲 with ワルシャワ・フィルハーモニー弦楽四重奏団 6/26 »

クラシック・トピックス」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543421/48705528

この記事へのトラックバック一覧です: 仙台国際音楽コンクール ピアノ部門 セミ・ファイナル 第2日:

« アンサンブル・ノマド 呼び交わす世界 vol.1 フィンランディア2010 6/21 | トップページ | 河合優子 ショパン ピアノ協奏曲 with ワルシャワ・フィルハーモニー弦楽四重奏団 6/26 »

ツイッター

  • ツイッター

最近のコメント