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2010年6月12日 (土)

草冬香 ピアノ・リサイタル @東京藝大表参道フレッシュコンサート vol.13 6/11

東京音楽コンクールの2次予選で聴いて以来、気になっていた草冬香のピアノ・リサイタルに足を運んだ。会場はカワイ表参道にあるコンサートサロン「パウゼ」。もちろん、シゲル・カワイのSK-EXによる演奏で、この楽器にも興味があった。

【ショパンは共感できない】

まずは、ショパンの『幻想曲』だが、PTNAのピアノ曲辞典に入れている録音を聴いても、この人のショパンには共感できない。冒頭、スコアをみたことがないのでなんともいえないが、多分、スタッカートがついているのであろう。それを韻のように踏んでいくことで、変わったフォルムを組み立てていた。しかし、私の記憶が確かならば、ショパンにおけるスタッカートは非常に独特な意味を持っているのではなかったろうか。あらゆる録音を聴いても、彼女のようにブツブツとスタッカートを効かせる演奏は滅多になく、もっと自然なカタチで響きの保持が抑えめになるにすぎない。

ルバートも、疑問である。草の演奏では、テンポ・ルバートにダイナミックさがなく、左手と右手の役割にちがいがない。一方、細かいパッセージにおいてチマチマとルバートを入れ、余計にややこしいフォルムにしているという倒錯がある。このため、もっと大掴みなところで自由な呼吸をつくればいいものを、無理に拍節感を追うカタチとなり、細部からフォルムがぐちゃぐちゃに壊れていく。結果として、無理な演奏になっている部分が少なくなかった。

このやり方で中盤くらいまで必死にもたせていたが、あれではショパンの『幻想曲』を仕上げるのは大変なことだったろうと思う。後半、大きなミスタッチがつづいたのは偶然ではないのだ。

今回のコンサートは、ショパン、シューマン、プロコフィエフと並び、いずれもルバートが大事な役割を果たす作品であるために、その対比から構想されたプログラムであると思っていた。しかし、このようなショパン演奏を見てもわかるように、草のなかでは、ルバートを装飾的なものとして忌避する傾向にあり、それを排除したところに純粋なフォルムが浮かび上がるという哲学が感じられる。

そのため、次のシューマンの作品は、ショパンからの影響も否定しがたい作品であるが、そのことがまったく捨象されたような演奏になっている。

【シューマン 幻想小曲集】

それにもかかわらず、シューマンの『幻想小曲集』(op.12)はなかなか良い演奏であった。特に、彼女の語りくちの巧さが生かされた第6曲「つくり話」は面白い。「寓話」「おとぎばなし」などとも訳されるが、敢えて「つくり話」としたように、急速な部分は口からでまかせ的な即興風のおしゃべりのように捉えられており、強調ポイント(弱拍のアクセント)を押し出すことで、ある種の胡散臭さを際立たせている点が特徴的だ。これをサンドウィッチするメンランコリックな部分は、冒頭は「寓話」的な語りくちのジェントルな表情、それが次第に、子どもに語りかけるような優しさ、そして、やや悪戯っぽいユーモアに変わっていき、短い楽句のなかでの切り替えの面白さがよく出ている。

元来がそのような曲だが、繊細で、シンプルな曲調の部分ですらっとした美しいフォルムが浮かび、「夕べに」や「なぜ」のような作品における柔らかいタッチは、全体のなかでも印象的だ。

シゲル・カワイのピアノは、こうした部分におけるタッチを、ハンマーを通じていかにシンプルに弦に伝えるかというところに配慮が集中しているように思われ、そういう意味では実に繊細な楽器であり、同時に、曖昧な表現が許されない、怖い楽器という言い方もできそうである。また、スタインウェイの売り文句に「スタインウェイなら全てを教えてくれる」というのがあったはずだが、シゲル・カワイの場合は、すべてピアニストが教え込んでやらなければ、いっさい鳴らない楽器であり、より密着した、積極的な表現性が求められる楽器であるともいえる。

そうした意味でも、上の2曲の演奏は味わいぶかい。これに対し、終盤戦は、草のもつヴィルトゥオージティへの趣向が生かされた演奏になっている。「夢のもつれ」は全曲と同じくスケルッツォ風だが、「つくり話」のエピソード性に対して、こちらは純粋に音楽的で、部分ごとのキャラクターを丁寧に拾った演奏である。終曲の「歌のおわり」でも拍節感をしっかりと出しながらも、批評でも音楽でも、小説や演劇との関係性において語ることの多かった作曲者の趣向を反映した、ポエジーゆたかな演奏が印象に残った。

【ロメオとジュリエット】

休憩後は、ヴィルトゥオーゾ・プログラムであるバレエ音楽『ロメオとジュリエット』からの10の小品』が演奏された。コンペティションでは『ペトルーシュカ』を弾いて好印象だったので、この作品にも期待していたが、序盤はやや粗い打鍵が目立った。ある意味でヴェリズモ的な血なまぐさいストーリーを重くみた結果と思われるが、ややデフォルメがきついようである。しかし、第4曲でジュリエットの主題が現れてくる部分から、ガラッと雰囲気が変わる。美しいトリルで丁寧な輪郭を描き上げたジュリエットのテーマは、驚くほどの立体性で、可憐な少女を我々の目の前に出現させる。同じ流れが繰り返されるが、2回目の演奏にやや陰影がつき、死を予兆するテーマが早くも悲劇的に導かれる様子が興味ぶかい。

次の「マスク」は、ぱっと和音が開ける部分を大胆に開放して弾くことで、舞踏会の華やいだ雰囲気と、そこに渦巻く欺瞞をふたつながら表現しているようだ。「モンタギュー家とキャピュレット家」では、かえって響きのダイナミズムを抑え、作品のもつフォルムを丁寧に扱うことで、ドラマが緊張感を帯びてくる場面をしっかりと描き上げている。特に、中間部の秘めやかな旋律が丹精に描かれ、それを通過した主部の再現に重みが加わって悲劇の伏線になっていく部分が巧く弾けている。しかし、その隙間に現れる和音の交叉を利用して、ロメオとジュリエットの出会いが控えめに演出されていることにもアテンションを向けていた。

2人の運命がある意味で定まる第6曲「僧ロレンツォ」の演奏が、またポイントになっている。その最後で、静かに結ばれた愛のなかに沈んでいく静寂が、ピアノ版では、のちのロメオとジュリエットの別れの場面をも示唆する点が見事に解釈されている。このナンバーを期に、ジュリエットからみた世界は、圧倒的に変容する。ここで本当は、プロコフィエフの逃亡・変身願望について書いておきたいのだが、いまは時間がないので項を改める。とにかく、この第6曲を経たあとの「マーキュシオ」は、ただのスケルッツォではない。世界が変わってしまったジュリエットからみた、彼岸の風景である。

そのことはもちろん、第9曲の「百合の花を手にした娘たちの踊り」により典型的なカタチで表れている。草の演奏は、このナンバーに作品のもつ愛らしい特質をすべて注ぎ込み、終曲の感動的なサウンドと役割を分担している。感情の極点はこの第9曲に傾けられ、最後のナンバーでは、より音楽的なカタルシスの解放に表現が向かっていく。第10曲は天上の音楽のような序奏から、立ち去るロメオの主題が効果的に挿入され、その後、死のテーマからジュリエットのテーマが導かれ、寂しげに消えていくので、あたかも2人が折り重なって死んでしまうエンディング・シーンの感興までが漂っている。

クスリを飲んで崩れていく場面が草らしい素朴な歌ごころで描かれ、我々の想像力を否が応にも喚起する。最後の音が切れたあと、ミステリアスな雰囲気を残しながらペダルをカツカツと鳴らして、誰かが去っていくような足音を響かせたのは、意図的な演出なのだろうか。こうした点も踏まえて、イメージの喚起力に富み、ストーリー・テリングに優れているというコンペティションのときの印象は、より強化されて印象づけられた。

【まとめ】

技巧的にさらに上の人を見つけるのは、容易いのかもしれない。しかし、それらの人たちが、これぐらいのレヴェルで他人を感動させる演奏ができるとは限らないのも、また事実なのだ。

終演後、草は帰国後、歯の治療がうまくいかず、その影響もあって腰を痛め、十分な演奏ができなかったことを告白している。このようなことを話すのは言い訳ともとられかねず、プロの演奏家にとって少なくともプラスなことではないのだが、しかし、それにもかかわらず、この日の聴衆は、草のパフォーマンスに満足であったという印象を捨てないだろう。コンペティションのときよりも響きが硬く、ミスタッチも多かったが、それはこのような理由によるのだとわかって、ある意味、安心した。私は少なくとも、草のそのような部分に共感したわけではないし、かえって上積みが大きくなったように感じたからだ。

自分なりに納得のできない演奏会だったことで、また機会を改めて、再度のリサイタルが開かれる期待が高まったとするならば、彼女の厳しすぎるプロ意識も、我々にとってはまったく好都合というものである。上記の事情のせいか、いつもの明るい表情が曇り気味だった一日だが、次の機会にも、必ず足を運びたいと思った。次回は、アンサンブルなども聴いてみたいが・・・。

【プログラム】 2010年6月11日

1、ショパン 幻想曲
2、シューマン 幻想小曲集 op.12
3、プロコフィエフ 10の小品~バレエ音楽『ロメオとジュリエット』

 於:カワイ表参道 コンサートサロン「パウゼ」

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