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2010年6月27日 (日)

河合優子 ショパン ピアノ協奏曲 with ワルシャワ・フィルハーモニー弦楽四重奏団 6/26

河合優子が浜離宮朝日ホールを舞台につづけている、ショパン「ナショナル・エディションによる全曲演奏会」の第10回を聴いてきた。ここ2回ほど、タイミングがあわずに聴けていなかったが、河合のライヴは、やはり面白いという感想である。今回はシリーズの第10回を記念して、ワルシャワ・フィル室内管(ワルシャワ・フィル主力で構成)のコンマス、首席奏者によるクァルテットが来日し、2つの協奏曲をピアノ五重奏で演奏する試み。編曲は、協奏曲のナショナル・エディション・スコアに基づき、弦楽四重奏のリーダー、ヤン・レフタク氏がおこなった。

【ショパン 協奏曲のオーケストレーション】

ショパンの協奏曲といえば、このシリーズのなかで、河合も既に取り上げている。それは1台ピアノによる独奏用に作曲者自身が編みなおしたもので、協奏曲のオーケストレーションにはほぼ他人の手が入っているということが確実という研究成果も踏まえて、この形態こそがショパンにとって理想的であるとも河合は書いていた。しかし、こうして聴いてみると、作品に対する見方も若干、変わってくる。ピアノ五重奏版から感じたのは、ショパンの協奏曲の舌足らずな部分ではなく、やはりショパンへの愛である。

協奏曲第2番(作曲順では第1番)はショパンが国を出るか、出ないかのころに書かれたが、前述のように、譜面の研究等から、オーケストレーション部分には他人の手が入ったことが確実と見られている。その「犯人」の最有力候補はワルシャワの音楽院の学長で、ショパンの音楽性に早くから惚れ込んでいたヨーゼフ・エルスナーであろう。我々はここで、ものわかりの悪い守旧的な教師によって、ショパンの作品が強引に歪められたというイメージをもつかもしれない。

この作品のオーケストレーションはしばしば、ダサい、ショパンの才能を無理やり古いスタイルに押し込めている、ピアノの流麗なフォルムに見合っていないなどと評されており、散々な見方が広まっている。それに対する代表的な反論は、クリスチャン・ツィメルマン&ポーランド祝祭管による録音(とその実践的ツアー)で、このオーケストレーションにして十分に魅力的であるということは、ある程度、世界的に認知された。しかし、ツィメルマンたちの試みは、そこに他人の手が入っているという厳然たる事実とは、十分に向き合っていない。良くも悪くも、この試みは、ツィメルマンという巨大な個性が編み上げたものであり、すべてをひっくるめて、作品を完全肯定するという原則的な出発点に、魅力的な2つの協奏曲を戻すということにすぎなかった。

しかし、このピアノ五重奏版を聴けば、ショパン自身の編曲ではなく、あらゆる意味で折衷的であるという弱点はあるにしても、ショパンに対して、オーケストレーションの担い手がどれだけ巨大な愛を抱いていたかは明らかである。特に、オベレクなリ、クラコヴィアクなりというポーランドの舞曲がもとになっている第3楽章では、いずれのナンバーにおいても、ピアノの奔放なラインをなんとかして生かそうとする、オーケストレーション担当者の苦心のあとが、ヒシヒシと刻印されている。エルスナーか、あるいは、その他の誰かであるかは知らないが、確かに、その担い手はショパンの音楽に見合う技術力はなかったし、そのことを自覚してもいただろう。

ただ、それだけに・・・というべきか、この担い手はショパンの作品に手を加えられる喜びに夢中だったはずである。この人物は多分、愛国心が非常につよい人物で、ポーランドの舞踊をはじめとする素材と、古典的な音楽の素材を天才的に組み合わせてくるショパンの書法に、こころから惚れ込んでいる。彼はきっと、その作品をもっとよくするために、自分以外の仲間たちにも声をかけ、この幸福な仕事に巻き込んでいくことを厭わなかったにちがいない。彼にとって、それほど、この作品は特別だったのだ。

とはいえ、なかなか思うようには書けなかったのだろう。今回の演奏でも、この誰かが苦心に苦心を重ねて、ひねり出したアイディアがどのようなものであったか、いくつかの場面でじわりと迫ってくる表現があった。例えば、第1番の第2楽章、低音に降りてくるピアノの響きを思索的に受け止めて、チェロが独特の低音でウンと唸る場面や、ヴィオラのソロが粘りづよくラインを構成し、ピアノの弱奏のうえで丹念な響きを展開する場面などがそれである。特に、チェロのアンジェリカ・ヴァイスは多分、河合とも世代的にちかそうなこともあり、彼女の音楽に対する共感が大きいようにみえる。そのせいか、チェロとピアノの響きがいちばんしっくり来ていて、このあたりにも、オーケストレーションの相手が、いかにショパンの音楽に親密な愛情を抱いていたかがよくわかる。

よっぽど、オーケストラン伴奏ではこのような表情は明確でなく、先のツィメルマンの録音をとってみても、全体のなかに埋没してしまっているのは否めない。そのような点において、オーケストレーションの担い手の技術力のほどがわかるのだ。

【河合&ワルシャワ・シルハーモニー弦楽四重奏団】

第3楽章は、ショパン演奏におけるポーランド派の「駐日大使」的存在である河合と、ポーランド人アンサンブルの共演という特徴がよく出て、このような性質がさらに際立っている。クラコヴィアクによる複雑なリズムの処理は、河合と弦楽四重奏団のメンバーにとっては、自然すぎるほど自然なものだったろう。特筆すべきは、冒頭に見られる舞曲のイメージが全編を通して、ごく自然なカタチで持続するということである。私の知っている録音では唯一、エヴァ・クピーク(ツケはスクロヴァチェフスキ)のものが同じタイプだが、今回は伴奏がクァルテットということもあり、より風通しのいいフォルムの柔らかさが魅力的である。

ナショナル・エディション大使だけあり、聴きなれないヴァリアントを挿みながらの演奏だが、それがすこしも人工的な印象につながらず、無理な印象にもならないのは、やはり作品の大枠をきっちりと守る基本的な姿勢がしっかりしているからである。

また、レフタクによる編曲も、そうしたこころから隔たったところにはない。彼の繊細な配慮は、まず、ピアノ部に伴奏が完全に従属するということと、一方で、室内楽らしく互いが響きあう余裕を持たせているということである。その編曲意図は、彼を含む弦楽四重奏の演奏にも共通しており、自分たちの演奏がもうすこし目立ってもいいような場面でさえ、フォルムを飾り立てることなく、先のような愛情を感じさせる僅かな場面を除いては、きわめて控えめな、黒子の役割に徹しているかのようだ。また本来、オケの輝かしいサウンドがある部分では、すこしクライマックスを遅らせて、構造をうまく拾うようなカタチをとっていた。

この弦楽四重奏団はメカニカルな面でいまひとつの印象で、ショパンの協奏曲を世界でもっともたくさん演奏しているのだというが、残念ながら、その実感は得られなかった。ところが、河合というダイナモが入ると、本来、もっているはずのモーターにスイッチが入り、ピカピカと光りだすのである。今回の演奏にとって好ましいのは、河合がいかにもショパンらしい舞曲のスタイルを選び出したときに、それを受け取ったあと、そのままのカタチで持続させるこころがあるという点なのであった。

このコンビワークが見事なのは、第3楽章も後半に現れる田舎の舞曲風の主題が、音程をかえて気紛れに繰り返される部分である。河合はこの振り幅をまことに大きく使う代わりに、テンポを速めて、舞曲のイメージを明確に醸し出すとともに、爽やかな響きをつくる。これを受けるアンサンブルの響きが、ピアニストのものと、正しくほとんど同質のものであることが、作品の構造的整合性をナチュラルにアピールするのに有効である。ここから、伝統的な和声と構造のストリームを追って、激しく弾きおわりに流れ込んでいく場面の緊張感は、なかなか味わえないものだと思う。

そして、重要なことは、その最後の響きに達するまで、先のような舞曲のイメージが壊れない・・・否、生きているということである。

【まとめ】

協奏曲第2番については、1番ほどの出来ではなかったとはいえ、第3楽章の舞曲のイメージを最大限に生かした演奏であることは同じである。論点が似てくるので詳述は避けるが、どちらかというと2番はロマンティックな響きを重視していたのに対して、1番は男性的な構造観の勝負であったというちがいは指摘できる。そのためか、2番においても第3楽章の重要性、そこに注ぎ込まれる今回のアンサンブルの特徴というのは変わらないものの、もっとも印象的な部分は実のところ、緩徐楽章の美しさである。

ここまで聴いて来て、河合優子というピアニストは好/不調の激しいピアニストであることは否めない。それは多分、ハイ・レヴェルなヴィルトゥオーゾ・ピアニストでありながら、技術的な裏づけにやや問題があり、逆にいえば、そうした部分に最低限の関心しか払わない弾き手であるせいだともいえる(自註:つまり、それ以上に大事なものがあるという考え方をもっているということだ)。しかし、今回は非常に切れ味の鋭い演奏が聴かれ、ナショナル・エディションの伝道士としての、独特な仕事もきっちりこなした。

オケ伴の協奏曲ではしばしば、独奏のアラはマスクされて、見えにくくなる印象があるが、ピアノ五重奏ともなれば、話はまったく別である。自分ひとりで弾く場合よりも表現はタイトになり、各声部がより見やすくなる分だけ、よりしっかりしたフォルムの構築、打鍵精度の高さ、タッチの繊細な使い分け、ダイナミズムの難しい調整が求められてくる。今回の河合はそのような面において、ほぼ完璧な仕事をしたと思われる。弦楽四重奏曲の準備の問題もあり、バックの演奏には若干の注文もつくだろうが、この演奏は録音を買ってみたいと思うのに十分な独創性を含んでいた(自註:このツィクルスはすべて録音され、『Chopinissimo』シリーズとして発売されている)。

【プログラム】 2010年6月26日

1、ショパン ピアノ協奏曲第2番
2、ショパン ピアノ協奏曲第1番

 共演:ワルシャワ・フィルハーモニー弦楽四重奏団
      (フィルハーモニア・ソロイスツ・クァルテット)
      ヤン・レフタク、マグダレーナ・スモチンスカ vn
      マレク・マルチク va 
      アンジェリカ・ヴァイス vc

 於:浜離宮朝日ホール

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