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2010年6月 6日 (日)

スピノジ ハイドン + オペラ・アリア with リナート・シャハム 新日本フィル サントリー定期 6/4

アンサンブル・マテウスといえば、海外のリアルタイムでの情報にそれなりに関心のあるファンを除いて、日本での知名度は限りなくゼロにちかいものの、欧州では大舞台で、一流のソリストを迎えて公演を重ねることのできる勢いのある団体だ。その創設者が今回、新日本フィルに招かれたジャン・クリストフ・スピノジである。このコンビの来日は、どうしても一度は拝んでおきたいところだが、その実現は遠いかもしれない。

今度の新日本フィルの公演では、ハイドンの2つの交響曲をダブル・メインに、メゾ・ソプラノのリナート・シャハムをソリストに迎えての、オペラ・アリアと組み合わされたオシャレなプログラムとなっている。ハイドンは昨年、好評を博したブリュッヘンのプロジェクトの延長線上にあるのが明確で、メンバーも概ね、そのときのメンバーを中心にしていたと思う。

【ある意味では巧いシャハム】

まずは、リナート・シャハムのほうについて触れる。この歌手は、アジリタなどの技巧性に優れた本格的なベルカント系歌手ではない。どちらかというと、ドイツ的な発声が基本になっていて、現在はレッジェーロな役回りを守備範囲にしているが、そのうちよりドラマティックな方向に進むのは目に見えている。しかし、そうでありながら、ベルカント系の歌い方をよく研究しているのは確かで、基本的にコロは巧みでというないのに、あたかも声が転がるような幻影をみせることが巧いのだ。

ドイツ唱法により、イタリア・オペラを歌うのは理想的でないとされてきたが、彼女ほどの研ぎ澄ました歌唱を身につければ、話も別になってくるのだろうか。正に、現代の声楽家の技術的な優位性も、実にここまで来たというハイテク歌手の登場を印象づけた。シャハムにかかれば、モーツァルトとロッシーニの差は僅かではない。特に、前者はドイツ文化圏に育ったモーツァルトがイタリーの流儀で書いている作品だけに、ドイツ唱法でイタリア・オペラを器用にこなすシャハムの行き方を典型的に表しているだろう。そこでは、彼女の本質に横たわる声の拡がりを厳しくコントロールし、ケルビーノの率直さや、奔放なドラベッラの心性を物語る表現があった。

これがさらに、シャハムの場合は、歌い演じるということと密接に結びついている。こうしたコンサートでの舞台でも、彼女は歌うことと演じることを切り離しがたいようで、必ずなにかの演技を入れて歌い、そのために、オーケストラは舞台後方に若干、引っ込んでいて、さりげなくミニ舞台がつくられている有様であった。つまり、シャハムは天性の歌役者ということなのであろうが、どうもそれだけとは思えない。シャハムはアジリタのあやしい点や、あまりに強すぎて、力みかえる高音を紛らわすようにして、巧みに身体を翻したり、指揮者を巻き込んだお茶々を入れることで、歌表現そのものの欠点を巧く隠蔽しているのである。

確かに、そのやり方はさりげなく、さほど注意ぶかくない聴き手を翻弄するのには十分だし、それどころか、それこそが彼女の本質といってもいいぐらい、洗練された技法であるとさえ言いたくなるほどだ。プティボン2世のようなシャハムのパフォーマンスは、しかし、かのフランスの才媛ほどは完成した技巧に支えられていないために、結局は、どこか嘘くさい演唱に思われてしまうのである。

コミカルで、ウィットに満ちた表現は、それはそれで買えると思うし、私はシャハムのことを否定する言辞を吐こうとして頑張っているわけではない。ただ、正直な感想として、私は、彼女のパフォーマンスからは、すこしごまかしめいたものを感じてしまったということにすぎない。とはいえ、演目さえ選べば、彼女の良さはもっとしっかりと生きることになるだろう。彼女の声がその本質に見合った、ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスのような作品に行き着くまでに持ち前の美声がもつのかどうか、その勝負だと思っている。

【嘘くさいミンコフスキ】

さて、この「嘘くさい」というキーワードは、スピノジの音楽にも向けられる。言っておくが、スピノジの手腕は、もちろん、十分に賞賛に値するだろう。特に、アンサンブルの凝縮と、適度に散りばめられた自由な歌いまわし、とりわけ、オーケストラの自由度を尊重した柔軟な音楽づくりは、この指揮者がバロックを得意とすることを象徴的に物語っている。彼は音楽よりも、音楽家が先にあるというタイプの指揮者である。音楽家たちのもつ信念を的確に捉え、巧みなウィットを使って上手に調整したうえで、作品のもつ本来的なフォルムに融合させるという手腕は驚きに値する。

音楽の愉悦を最初に考え、時代の華やかさを豪華に彩ること、さらに、そのためならば、かなり踏み込んだコメディも辞さない点で、彼はマルク・ミンコフスキの音楽性にちかい。しかし・・・彼の音楽づくりの細部をじっくり観察していると、ミンコフスキほどずっしりしたユーモアは感じられず、最後の最後で聴き手の関心を放してしまう何ものかがあるように思われる。素晴らしくシャープに整えられた音楽にもかかわらず、そのフォルムの中心にあるべき核心が、ときどき揺らいでしまうように思われるのである。

それでも、ハイドンの2曲などは、優れた演奏であったと思う。特に、「熊」の愛称をもつ後半の交響曲第82番は、スピノジらしい人を食ったパフォーマンスで、ハイドンらしい肉厚なユーモアを、さらに引き延ばした表現により、聴き手を魅了した。ちなみに、この曲では、例えばトーマス・ファイの録音にみられるような繰り返しの多いヴァージョンを使い、そのことを積極的に利用した演奏をして聴き手を幻惑することで、かえってフロアとのコミュニケーションを図るという奇抜な手段を用いている。

つまり、休符にフェルマータ、もしくは、深いルバートを施すことで、終止や作品の楽句を自由に伸縮し、ハイドンの「驚愕」的な要素をユーモアたっぷりに表現したのだ。最後は、オーケストラのほうもワルノリして、音符をひとつ多めに弾いたりするコケティッシュなパフォーマンスを見せた。これ自体は、なにも悪いとは思わない。しかし、私としては、一般的な短いヴァージョンで、一通りの構造を織り込んだだけで堂々と終わるほうが、かえってハイドンらしいユーモアをしっかり拾うことができていたように思うのだ。

【交響曲第83番にみられるハイドンの気合い】

つまり、個人的には、前半の交響曲第83番「雌鳥」のほうが、シンプルで、作品のもつ味わいを深く伝えていたと考えるものである。この作品の演奏では、第2楽章に指揮者とオーケストラの呼吸をめぐって大きな瑕があり、終楽章でも第1ヴァイオリンの奏者が譜面を落とすトラブルがあって、万全の演奏とはいえなかった。しかし、私の印象に残ったのは、そのような些細なことではなく、スピノジとオケのメンバーが刻み込んだハイドンの気合いのようなものである。

ハイドンの作品にはもちろん、凝ったものが多いのだけれども、いわゆる「パリ・シンフォニー」は当時、時めくパリからの注文であったこともあり、エステル・ハージー宮におけるのとはちがう種類の、凝りに凝った作品群が用意された。この83番では、第1楽章で休符をうまく使った(これはスピノジのスペシャリティだ)劇的な書法で、荘厳なオマージュを贈ったあと、第2楽章では止まりそうなリタルダンド&ディミヌエンドを用いた繊細な歌いくちで、聴き手を魅了する。「驚愕」的な要素も持つこの部分で、スピノジはあくまで滑らかな切りくちを見せることで、かえって作品の奥行きを穿つことに成功している。

メヌエットの書法は決して突出したものではないが、スピノジはその指揮姿に、貴婦人を相手に踊りまわるようなアクションを入れていたように、リズムや響きの大きな振れを利用して、作品を立体的に編み上げることに腐心している。最後のヴィヴァーチェは、木管の楽器を丁寧に織り込んで、細かく彩を刻んだ良質な演奏である。細かく同音連音を刻むオーボエ・ソロをヤマに、繰り返しの多い楽章だが、まずオーボエのアクションに変化をつける。オーボエを持ち上げさせたり、その延長線上で立ち上がらせてみたり、何もしなかったり、最後だけ持ち上げさせたりで、全部、ヴァージョンがちがう。それにあわせて全体の構造(アーティキュレーション)が繊細に調節され、そのみるも見事なコントロールは、スピノジの非凡さを物語るものだった。

このような正攻法の83番の演奏と比べて、82番の演奏も本来、十分に練り上げられた質のものだったが、最後の楽章のウィットに拘泥しすぎたあまり、全体的なフォルムが83番ほど、見事に印象づけられたとは言い難いだろう。

【オペラは疑問】

さらに、得意なはずのオペラのツケには、若干の違和感を感じる・・・というよりは、さほど個性がない。特に、ロッシーニでは響きの整然としたコントロールにより、演奏に切れ味があること自体は素晴らしいのだが、そのことがかえって、ロッシーニ・クレッシェンドのような単純明快な構造を過装飾にしているように思われる。つまり、構造の動きを先取りしすぎて、響きを細かくコントロールしすぎているために、歌い手の能動性を十分に引き出せていなかったのである。例えば、「いまの歌声は」のシャハムの最高音の強調で、指揮台に踏み寄ってくるシャハムの強烈な声をかわすように、指揮台から飛び降りてしまうようなユーモアは、この演奏会で印象的な場面のひとつだ。しかし、オーケストラの伴奏が先行しすぎているために、このようなシャハムの歌いまわしは、逆に後追いのもの感じられてしまう欠点につながっている。

ロッシーニ・クレッシェンドは一見、オーケストラの疾走するようなポジションに特徴があるように見受けられるが、実際は、歌手の裾を踏まないで歩くような清楚な音楽なのであり、あくまで、歌役者の声を後ろから追っかけるものである点は、他のオペラ作品と変わらないどころか、その性質がより明確なのである。そのため、歌手が正しいポジションを心得ていれば、大波を上手に受けたサーファーのように、自分ひとりでは想像も及ばないようなダイナミックな表現を手に入れることができる。そのことは来週、上演が予定されているゼッダ指揮の『タンクレディ』をみれば(私は観る予定はないが)、ハッキリとわかるはずである。伴奏は上品に歌い手を波に乗せながら、頃よいタイミングを見計らって、ビッグ・ウェーブに姿を変える。その粘り、もしくは、待ちの姿勢が大事なのだ。

このような基本的な認識を逸したところで、作品を個性的に演奏することはできない。スピノジはサーファーが波に乗る前に、まず、彼女を呑み込んでしまうような鋭い表現をつくってしまうのだ。これでは、歌手がかわいそうである。しかし、それはモーツァルトではかなりうまくいっている。例えば、最初の『コジ・ファン・トゥッテ』序曲でも、序奏と、例の「コジ・ファン・トゥッテ!」の5和音を明快に奏でたあと、ヒョロい響きをニョロニョロと粘りづよく描くことでアラビア的な旋律に見立て、作品中盤の筋書きを象徴する。また、同じ曲からの場面「このこころの苛立ち、鎮めがたい思いよ」では、こころの繊細な動きにあわせた伴奏で、まるでコンヴィチュニイ演出の舞台のように、表情ゆたかに作品を演唱するシャハムに手厚いサポートを与えていた。

【NJPの力量】

なお、新日本フィルは来季、新国のピットに入ることも決まっているし、楽団のプログラムでもオペラ・プログラムが重視される傾向にあり、アルミンクがそのような方向に舵を切っているのは面白いことだ。また、そのなかで、既にいくつかの成功例を導いてさえもいるのだが、このようなベルカント的な曲目をやると明らかなように、まだまだ表現が硬いのは否めないところだろう。ブリュッヘンのように、ある程度の厚みを求める表現では対応も可能だが、スピノジのように、キビキビした音楽を揺るぎなくつくるタイプが来ると、やはり弱点が露呈する。

例えば、先程の『コジ』の序曲にしても、この前の桐朋のオーケストラではないが、全体の響きはまとまっているが、一本一本の楽器の粒立ちが不足しており、やはり、気持ちの悪い感じを抱かせる。アンサンブル・マテウスの録音を聴く限り、このようなフォルムはスピノジの理想とはかけ離れていると思われ、さすがに、このような曲をやると、世界との開きが明確にわかってしまうのは情けない。

このアンサンブルの弱点は明らかに、弦にあることは、この楽団を聴くごとに感じられることだ。今般、楽団はマネジメント面で大きな成果をあげるアルミンクの続投(契約延長)を発表したが、彼によって、そのような弱さが克服される可能性はまずないと思われる。

しかし、管楽器は非常に層が厚く、表現も柔らかい。この日はスターの古部賢一(オーボエ)が出ていることもあり、彼を中心に、フルートの白尾、ファゴットの河村、ホルンの井手、トランペットのヘルツォーク、それに、ティンパニの近藤と、個の素晴らしさに加え、アンサンブルにおける繊細な配慮に満ちたセンスのいい表現が聴かれ、スピノジもそれを巧く引き出してくれたといえるだろう。

【プログラム】 2010年6月4日

1、モーツァルト 序曲~歌劇『コジ・ファン・トゥテ』
2、モーツァルト 恋とはどんなものかしら
            ~歌劇『フィガロの結婚』
3、モーツァルト このこころの苛立ち、鎮めがたい思いよ
            ~歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』
4、ハイドン 交響曲第83番「雌鳥」
5、ロッシーニ 序曲~歌劇『セビリャの理髪師』
6、ロッシーニ むごい運命よ、はかない恋よ
           ~歌劇『アルジェのイタリア女』
7、ロッシーニ いまの歌声は
           ~歌劇『セビリャの理髪師』
8、ハイドン 交響曲第82番「熊」

 Ms:リナート・シャハム(2、3、6、7)

 コンサートマスター:崔 文珠

 於:サントリーホール

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