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2010年7月 7日 (水)

ラドスラフ・クヴァピル ドヴォルザーク ピアノ作品集 (Musical Concepts)

この記事は、わが親愛なる日本ヤナーチェク友の会HP管理人、Pilsner氏のページの記事を参考に、書いたものである。ここに再紹介するラドスラフ・クヴァピル氏はプラハではなく、ブルーノに生まれたチェコのピアノ音楽の第一人者で、現在も存命であるらしい。私が聴いたのは、NMLに収められているドヴォルザークの作品集で、VOXの音源を使い、廉価販売をおこなうというMusical Conceptsというレーベルによるものである。VOXといえば、先日、イヴァン・モラヴェッツの録音を取り上げたばかりだ。

さて、ドヴォルザークのピアノ作品は、オペラや声楽作品のように言語的な壁がないにもかかわらず、交響曲やチェロ協奏曲、室内楽作品のように親しまれていないのが現状である。そこに優れた作品がないわけではなく、例えば、ヴァイオリン小品や管弦楽版への編曲作品として第7番のみが有名な『ユモレスク』や、しばしばオーケストラ編曲されたものが演奏される『伝説』や『スラヴ舞曲集』の元ネタがピアノ作品であることからも、その重要性は明らかである。PTNAのピアノ曲辞典によれば、ドヴォルザークの作品は、大抵がジムロック社の発注によって書かれたもので、これを仲介したのはブラームスであるという。自らもチャーミングなピアノ作品をたくさん書いているブラームスが認めていた、ドヴォルザークの作品の魅力とはどんなところにあるのだろうか。

この曲集でクヴァピルが取り上げているのは、ドヴォルザークのピアノ作品のなかでも、すべて珠玉の作品ばかりである。有名な第7番を含む『8つのユモレスク』は作品番号は8だが、これには出版に関する複雑な事情があり、実際にはかなり後期の作品。ピアノのための『組曲』も、アメリカ時代の作品である。これに対し、『ドゥムカとフリアント』は交響曲第7番とほぼ同時期、『影絵』がいちばん若いころの作品で、交響曲ならば第5番のころに相当する。中期以降、圧倒的な筆力を示すドヴォルザークの円熟期の作品を、広く網羅した構成である。

【白眉をなすピアノのための組曲】

このなかで、クヴァピルの重厚な表現と相俟って、私のこころを捉えて放さないのが、(op.98/B190)の『組曲』である。管弦楽編曲されて『アメリカ組曲』としても知られるこの作品だが、いずれもマイナーというべきだろう。しかし、ドヴォルザークの代表的な作品が次々に書かれたアメリカ時代の作品であり、この作品も奥が深そうである。まず、非常に構えの大きなモデラートのあと、勇壮であるとともに、正に「モルト・ヴィヴァーチェ」な主部と、繊細でヒューマニスティックなトリオをもつ第2番が対比的に示される。主部の演奏はかなり硬質なタッチを選んでおり、すっと和むようなトリオとの比較から、クヴァピルというピアニストの大胆な音楽性の幅が知られるであろう。後半の主部の演奏はよりダイナミックで、叩きつけるような打鍵が目立つ。

このあたりは民俗的なアピールもあるものの、どちらかといえば、古典的な対位法的構造が厳しく織りこまれているのが特徴で、これを図太く印象づけるクヴァピルの演奏がまた独特なのだろう。

作曲者のノスタルジーが明るく展開されるアレグレットにつづく、後半2曲がなんといっても白眉であろうか。アンダンテは思索的で、優しい曲調だ。ふかく内省していくような内容をもちながら、舞曲的なルバートをナチュラルに挿みこんだり、タッチも柔らかくすることで、独特の味わいが染み出している。最後の和音などは、すこしドビュッシー的な風采が出ている。一転して、アレグロはかなりテンションの高い民謡のような歌いくちである。最初のナンバーから既に印象的だったが、タッチの硬軟の使い分けは、このような曲において特に異彩を放つ。シンプルだが、まとめの充実した構造をしっかり彫り出しており、ドヴォルザークらしい切りくちの鋭さが秀逸である。

【空想のリサイタル】

より前の時期の作品ではあるが、『ドゥムカとフリアント』の演奏も味わいぶかい。この曲は小規模であるものの、題名とは別に、舞曲のリズム感に頼りきることなく、そのリズム感をゆたかな内面性に溶け込ませて演奏すべき奥行きのふかい作品といえる。マイナー・コードで、渋みのある作風は友人のブラームスの影響かもしれないが、フリアントのほうでは、そのブラームスが最晩年になってようやく到達するような、スケールの大きなピアニズムも楽しめる。例えば、こんなプログラムを組んで演奏したら、面白いことだろう。

 1、ヤナーチェク 〈我らの夕べ〉〈落ち葉〉
            〈彼らは燕のように喋りたてた〉〈言葉もなく〉
            〈こんなにひどく怯えて〉〈ミミズクは飛び去らず〉
             ~草陰の小径 第1集
 2、ベートーベン ピアノ・ソナタ第24番「テレーゼ」
 3、ドヴォルザーク 8つのユモレスク
 4、ショパン ワルツ op.34-2 「華麗なる円舞曲」
 5、ドヴォルザーク ドゥムカとフリアント
 6、ブラームス 4つの小品 op.119
 7、ヤナーチェク 霧のなかで

閑話休題。

【8つのユモレスク】

最後に、『8つのユモレスク』について触れる。同じディスクのなかでも、『組曲』や『ドゥムカとフリアント』の演奏では重厚な感じがするが、『ユモレスク』の場合は、ずっとたおやかな演奏となっている。これはもちろん、ドヴォルザークの明確な作風の切り替えを反映するものでもあるが、それ以上に、作品に照応したクヴァピルの音楽性の柔らかさを物語る面が強いように思われる。

いま、遊びでつくったプログラムで、私はベートーベンの24番とユモレスクを並べてみたが、これは無駄ではないかもしれない。舞曲の要素のつよいベートーベンの第2楽章(自註:24番のソナタは2楽章構成)と、堅牢なユモレスクの第1曲を続けてきくと、ここで作曲家が変わったという印象は抱きにくいにちがいない。もちろん、録音の具合もあり、かなりくすんだ古木の薫りをさせるクヴァピルのピアノの音色は、前に置いたクラウス・シルデのベートーベンとは比較にならないであろう。それにもかかわらず、決然とした作品のフォルムは、ベートーベン以上にベートーベンらしいものである。ここに、クヴァピルの弾くドヴォルザークへの優れた解釈をみることができる。『ユモレスク』の第1曲の変ホ短調は、あの「英雄」シンフォニーと同じ調性であるのは偶然ともいえない。

しかし、ここからドヴォルザークらしい遊びが広がっていく。最初の堅牢な回廊は、ディズニーランドにおけるシンデレラ城のような役割であったのだ。ロ長調、変イ長調と、早くもメルヘンティックな世界観が広がり、ピアノのタッチはかなり軽い。ただ、よくよく耳を澄ませると、響きをつなぎとめる左手のバスが、わりに深く鳴り響いているのに気づくことだろう。ヘ長調ではアメリカ産のジャズの要素と、ドヴォルザークのルーツからくる舞曲のイメージ、さらにドイツ舞曲的なルバートの構造がないまぜになっている。この複雑なフォルムを、クヴァピルは実にしっかりと捉まえている。ちなみに、「ないまぜ」とは「ごちゃ混ぜ」という意味ではなく、元来、カラフルな意図をよって紐をつくることを言っていた。

第5曲のイ短調は引きつづき舞曲調であるが、またひとつ新しい構造を導くかのような堅牢さがある。クヴァピルは決然と打鍵の粒だちを訴え、しっかりと楔を打ち込んでいく。これを境に、ロ長調ではより陰影が深くとられ、先刻までと同じ「メルヒェン」とはいっても、よりアダルトな世界に近づいていることが感じられる。そのことは、ドキッとさせられる最後の驚愕的な強い打鍵に象徴的で、やや苦味を残す。有名な第7番は、そうしたものを噛みしめた大人のための「童謡」である。ここでフレーズの後ろ側に、背中の重荷のようにのしかかるクヴァピルの打鍵の厚みが、独特の味わいをもたらしていることは特筆に価するかもしれない。

ここでお気づきのように、クヴァピルは最初の1曲を堅牢につくってゲートとし、あとの2曲にメルヒェンの要素を、もう1曲には新しい要素を忍ばせて華麗に締め括り、次のシーケンスに渡すという構造をつくりだしている。2つ目のシーケンスの4番目の曲に当たる変ロ短調は、対位法的な構造をベースにしながら、これが大胆に変容されていく深みのあるフィナーレとなっている。しかし最後、圧倒的な華麗さを伴わず、ノスタルジックに収束していくところがドヴォルザークらしい。

この『ユモレスク』の作曲年は、交響曲第9番とチェロ協奏曲の間に当たり、その後は、ひとつとて外れのないドヴォルザークの書法の円熟期の幕開けを飾る作品群のうちのひとつに相当する。ちなみに、1894年以降にドヴォルザークが書いた作品はチェロ協奏曲のほか、オペラだと『悪魔のカーチャ』以降、珠玉の名品『ルサルカ』を含む3作品。管弦楽曲では『水の精』以降、傑出した『野鳩』などを含む交響詩の傑作群。弦楽四重奏曲は作曲家にとって重要なジャンルであったこのフォームで、最後の精華である第13番と第14番・・・といったような作品が主となっている。『ユモレスク』はこれらの作品のなかではもっとも内面的な充実と、そこから来る内省的な深さに親密な作品と思われる。

クヴァピルはそのようなドヴォルザーク後期の性向と正面から向きあった、実に濃厚なアルバムを仕上げたのである。

【おまけ】

なお、NML加入者はここにリンクされたURLで、私の編集した上の「空想のリサイタル」のプレイリストにアクセスできる。ピアニストは、以下のとおり。最後の萱原のヤナーチェクが素晴らしいのだが、これもよくよく調べると、plisner氏が既に紹介しておられる。ご高見に、敬意を表したい。演奏時間だけで、95分程度の重いプログラム。

 1:マルティノ・ティリモ 2:クラウス・シルデ 3:クヴァピル

 4:アレックス・シラシ(プレイエル使用) 5:クヴァピル 

 6:マルクス・グロー 7:萱原祐子

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コメント

アリスさんこんにちは。
博識で筆が立つアリスさんに「ご高見」と書かれ大いに照れております。

クヴァピルのドヴォジャーク全集は本当に素晴らしいですね。
最近、廉価盤の全集が出たので私もきちんとコメントしようと思っていたのですがアリスさんの記事を読んで、しまった先を越されたと思いました(笑)。

ドヴォジャークのピアノ曲は、崇高な大芸術とは違う、良い意味オールドファッションで小市民的な通俗性さえ含んだ音楽なので、かえって趣味良く小粋に弾くのは難しく、飽きさせず聴かせる演奏はなかなかないのですが、クヴァピルの演奏は名人の語り口ですね。もう志ん朝の落語みたいなもので。

ポピュラー音楽がロックに席巻された以後の世代か、以前の世代かで、こういう呼吸のセンスには差があるんじゃないかと、近頃ヒストリカルな録音ばかり聴いて思っています。

モラヴェッツも好きで集めていますよ。ただ、繊細な感覚で音色があまりに美しすぎて、ああいう演奏を聴くとナマケモノになってしまってちょっと困りますが。

ギリシャのピアニスト、マルティノ・ティリモについては、私も先日、ヤナーチェクの全集を入手しましたが、やはりチェックされていたのですね。イタリア系のピアニストと同様に、すっきり濁りなく鳴らす個性でセンスがいいですね。

このサイトは、マッケラスのベートーヴェン全集の記事が掲載されて以来、チェックしていて、アリスさんと付き合いが始まりましたが、アリスさんの伸ばす
アンテナの方向は私と大分かぶっているようです。

ご丁寧な感想、ありがとうございます。似すぎていると逆に面白くないということもありましょうが、今後ともお引き立てのほど、お願い申し上げます。

私はドヴォルザークのピアノ作品にはさほど親密でないし、クヴァピルのドヴォルザークについては、是非とも、plisnerさんの詳しいご意見を伺いたいところです。

ナマケモノ云々というのは、plisnerさん独特の表現で気に入っています。以前にも、聞いた覚えがありますよ。これに象徴されるように、アンテナの方向は似通っていても、拾った情報の処理には、すこしちがいがあるようですね。私としては、そういうところが面白いなあと思っています。

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