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2010年7月 4日 (日)

アンネローゼ・シュミット ショパン ピアノ協奏曲 with マズア (Berlin Classics)

ショパンのピアノ協奏曲で面白いものがないかと探していて見つけたのが、このディスクだった。アンネローゼ・シュミットとクルト・マズアの組み合わせでは、なんといってもベートーベンの全集が有名であるそうだが、この2人にしてミスマッチのショパン・・・これがどうして面白いのである。ちなみに、シュミットの名前は現在、それほど有名とも思えないが、かつては美貌のピアニストとして来日を重ね、一定の人気があったという。1990年にはベルリンのハンス・アイスラー音大の学長として選任されたというステイタスをもつ。

協奏曲第2番(実質的には第1番)の冒頭の音楽づくりを聴いて、それなりに鋭い感覚をお持ちの方ならば、はっと気づかれることだろう。そう、バッハなのである。ショパンにとって最大のヒーローであったバッハのフォルムが、明確に刻印されている。それに呼応して、シュミットによる独奏の出だしも、やはりバッハ的なものに思われる。このことからわかるように、正に、この2人にしかできないドイツ的なショパン演奏の粋がこのディスクには詰まっているのである。確かに、テンポ・ルバートの揺らぎの美しさとか、ポーランド的舞踊の柔らかなフォルムはほとんど楽しめない。

そのようなものをお求めならば、敢えてアンネローゼ・シュミットを選ぶ必要もないし、協奏曲よりは、マズルカやポロネーズ、ノクターンを選んだほうがいいだろう。このディスクはショパン演奏のある程度、理想的なフォルムを知っておられる方、そして、ショパンが尊重した独墺系古典への教養を確認したい方のためにあるといってよい。伴奏だけならば、例えば、スクロヴァチェフスキ&ザールブリュッケン放送響のものでも太刀打ちできる。しかし、ピアニスト(エヴァ・クピーク)の呼応はない。このディスクはピアニストと指揮者が、ともにドイツ本流に止まって演奏するショパン演奏の典型であるといえるかもしれない。

特に美しいのは、やはり緩徐楽章だろう。まずは、フォルテ・ピアノを思わせるような柔らかい膨らみの和音ではじめ、次いでシュミットの持ち味であるクールなまでの美しさが、整然としたトリルなどを伴って、淡々と展開される。盛り上がりの構造物で、ようやくショパンらしい内面性が立体化するがそれはすぐに収められたあと、再び盛り上がっていく構造は、ひときわ強い打鍵で止揚される。これはやや粗いが、こうして一「掃除」をしたあとの、シュミットの打鍵は俄然、清澄さを増す。

トリオへの突入は非常に劇的で、シャープである。激しい打鍵は、いかにも女性的なヒステリックな感情の動きをイメージさせるが、これはポーランド人気質の表現としては十分にあり得るものである。ブリッジ部分から主部への転調はやはり、バッハ的な構造優先の姿勢が明らかであるが、人工的な演奏にはなっておらず、あくまで自然な風合いで推移していくのが、シュミットのうまさである。

フィナーレはルバートも硬く、こうした武器を捨てて、空手空拳でどこまで勝負できるかという実験をしたかのような、徹底したストレート勝負である。ラインの美しさにこだわり、対位法的な筋道を明らかにすることが、最大のポイントである。全体的なポエジーは落ちるものの、細部における透徹とした美しさがきっちりと表現され、立体性が際立っているのが特徴となる。じっくり考えた構造把握で、ショパンの華麗なラインを知的に処理している。

オーケストラはピアニストのあとにぴたりとツケるオペラ伴奏的なものだが、ときどき立ち上げる構造物の堅固さはさすがにマズア&ゲヴァントハウス管の演奏である。シュミットの描くラインも限界点に達するクライマックスの偽終止で、再び「掃除」をさっと済ませると、ホルンのユーモラスなファンファーレにつづき、圧倒的な切り替えのうまさで華麗なフォルムに突っ込んでいく。一筆書きのコーダの展開は、甚だ非ショパン的な直線性を描くものの、最後まで筋を通すラインの構築は感動的でさえある。

作曲順では2番よりあとの作品となる協奏曲第1番は、よりスケールの大きな演奏になっている。マズアの伴奏は響きの硬質さを思いきって解放した豪胆なもので、フレージングはやや前のめりに、ラインが末広がりに膨らんでいくような独特なフォルムをみせている。これは完全に、シュミットの音楽づくりにあわせたものである。第2番と比べると、かなり大胆にルバートの構造が織り込まれているが、ショパン的なルバートの呼吸感とは、いささか異なるようである。やや肩肘張ったような鋭いフォルムは、男性的な個性を感じさせながらも、焦燥的な感じでソワソワしたオンナのメンタリティもまた同居しているように思われた。

これらの両性的な要素は、例えば第1楽章の前半においては男性的な部分が、後半においては女性的な部分が目立ち、二段構えの構造が興味ぶかく聴こえる。これらのフォルムが適度に混合された、コーダの演奏が素晴らしい。

緩徐楽章は宗教的な雰囲気さえ感じさせるマズア独特の導入に対し、シュミットの夢見るようなタッチが対応する。しかし、この解釈においても、芯の部分にある手堅い打鍵のあるおかげで、両手のラインがぼやけてしまうようなことはない。ときどき手の込んだヴァリアントを選び、これを最小限のルバートでこなそうとする所作があるが、これはかえって人工的な印象を与えるのではなかろうか。これはもちろん欠点でもあるが、シュミットの場合、こうした作りこまれた部分にも相応の聴きどころがあるように思われる。

フィナーレはポーランド田舎の農村における祭囃子の雰囲気が、ドイツ的な農村の教会支配に組み込まれたように、きちっきちっと区分された演奏とみえる。クラコヴィアクの要素はやや分析的に扱われ、それががっしりしたフォルムのなかで再編成されることで、ショパン(+オーケストレーション担当者)の原イメージよりも突破的で、華やかな雰囲気につながっている。左手のバスが強く、ずっしりと重く、威圧的な面もあるのは、ある種のアイロニーを含んでいるのであろうか。しかし、その風刺性を際立たせるためには、ポーランド側の表現をより筋の通ったものにする必要があった。

全曲を聴いてみて、シュミットとマズアの共同作業は一種のデフォルメであるのは間違いないと思った。極端にいえば、彼らがショパンを演奏することの必然性はこの録音から感じられないし、ショパンの作品の構造的な特徴、しかも、民俗的なものからはなるべく離れたところで押さえられた特徴を、敢えて強調しているようだ。そのこと自体、作品の演奏にとって魅力的とはいえないものの、逆にいえば、彼女たちが押し出したような要素を軽視しすぎることで、ショパンの協奏曲が受けてきた被害について思うとき、第1チョイスではあり得いないとしても、このディスクを書架に並べておく価値は十分にあると思われる。

バッハ、モーツァルト、ベートーベンの延長線上に、ショパンの作品がどのように位置づけられるかということを知るためにも、このディスクもいちどは参照しておきたい・・・そんな一枚であった。

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