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2010年8月27日 (金)

エレニの旅 【映画】 テオ・アンゲロプロス with エレニ・カラインドルー (BS2)

BS2で、テオ・アンゲロプロス監督の映画『エレニの旅』が放映されました。こんなマニアックな映画がテレビに登場するとは思っていなかったので、喜び勇んでみてしまいましたが、やっぱり、凄い映画だなと思います。昨今、話題の財政破綻でさらに1ページを付け足されましたが、この映画の主人公であるエレニのように、20世紀、全ての不幸を背負って生き続けたようなギリシアの運命を見つめた映画は、圧倒的な映像美とともに、締めつけられるような苦しいポエジーに満ちています。

作品を知らない人のために、簡単にプロットを述べたいところですが、あまりにいろいろな説明が必要なので、それは断念します。DVDも出ていますので、どうぞご覧になってほしいですね。

【1人の母親、1人の女を超えて】

この映画でいちばん好きな場面は、最後、2人の子どもを亡くして、嗚咽するエレニの姿が描かれるところです。それだけ聴くと、とてもウェットな場面に思えますが、実は、この作品の哲学が押し詰まったところで必然的に生まれるエレニの叫びは、表向きよりも強烈にこころに響きます。ここで彼女は、エレニというひとりの女の哀しみだけではなく、もっと大きなものを背負い込んで泣くことになるのです。その重みに耐えられず、映画をみる人たちもまた、激しく泣きたいと思うはずです。これは、感動的なアニメ『フランダースの犬』のラストで大泣きするのとは、まるで意味がちがいます。

涙といっても、いろいろな種類のものがあります。感激の涙、喜びの涙、別れの涙、哀しみの涙、痛さや辛さによる涙、恥ずかしさによる涙、悔しさによる涙、意味のわからぬ涙・・・。ここでは痛さや辛さの涙と、意味のわからぬ涙が混じってきます。私は恥ずかしくも、シアターの座席で大泣きしてしまいましたが、自分が泣いている理由が実のところ、半分しかわかりませんでした。

もちろん、映画のプロットがわからなかったのではありません。その点でいえば、アンゲロプロスの旧作、『永遠と一日』のほうがよっぽどわからない。『エレニの旅』はアンゲロプロスにしては、わかりやすいほうでしょう。ところが、そのわかりやすさのために、我々は徐々に、わからなくなってくるのです。途中までそれとわかっていたはずのものが、ぶつっと切れて、本来、見るべきものの影しか捉えられなくなります。

エレニの哀しみは、旦那が死に、息子が2人とも死んでしまった哀しさだけでは、説明のできないものです。私はもう、ずっと1人だという、幕切れちかいシーンでの台詞がカギとなります。ここで問題となっているのは、1人の女性の不幸だけではとても語りきれないような根源的な孤独であり、だからこそ、あそこで流される涙は1人の女性を越えた巨大な涙なのであり、彼女の嗚咽は1人の母、1人の女としての限界を超えているのです。

【アンゲロプロスの特徴】

1つの台詞、1つの場面たりとも、無駄を赦さないアンゲロプロスの映画は、極端に台詞が少ないことで知られています。彼のつくる台詞はいつも詩的で、故意の言い落としが多いのです。場面も、あちこち跳びます。例えば、エレニが子どもを産んで帰ってきた最初の場面がしばらく描かれたあと、何の前触れもなく、婚礼の日、エレニが逃げ出してしまう場面に跳びます。その間、養父の美しい妻が死に、養父の精神に変調があり、エレニに言い寄ってくることになるのですが、それらの場面は一切ありません。

また、よく言われることですが、アンゲロプロスは長回しを好むため、時間に切れ目がないのです。映像的にも360°パーンの効果があり、私たちは自然にエレニたちと同じ空間を共有し、同じ時間を過ごすことになります。ところが、例の極端な跳躍があるおかげで、私たちはシアターの座席で安心していることができず、これはエレニたちの焦燥感や、苦しい生き様に重なっていきます。しかし、これは扇情的な共感を呼び起こそうとしているわけではなく、単に、映画の位相に観客を引きずり込もうとしているにすぎないのです。

【エレニ・カラインドルー】

もうひとつの魅力は、エレニ・カラインドルーによる音楽でしょう。アコーディオンを中心に、ヴァイオリン、クラリネット、ギターなどの編成による音楽は、ギリシアの民俗的なものに、微妙にロシア的なもの(舞台となる村の住民はオデッサのギリシア系住民が、ロシア革命時に逃げてきて国境に住み着いた)や、その他のヨーロッパ的音楽イディオムを取り込んだ折衷的なスタイルです。そこには例えば、ギリシアにとっての仇敵であるトルコ的なものもあります。

このような多彩なパレットをうまく用いながら、彼女の音楽はすこし冷淡で、枯れた叙情性を訴えていますが、その中心につよいエネルギーが内包されていることも見逃せません。この音楽は時代の荒波に翻弄され、あらゆる不幸を身に受けながら、最後まで生き抜いていくエレニへの共感に満ちています。

ただし、旦那はアコーディオンが巧いという特徴があるものの、エレニは特殊な能力などなにひとつ備えておらず、無力なのです。だから、「生き抜いていく」といっても、弱々しく、挫折に満ちています。しかし、そんな弱い人間のほうが世の中には多いわけで、最後のほうで、かつては彼女たちに石を投げた老女と、エレニは自然に結びつきます。老女はその娘に、自分の似姿があることに気づき、エレニもまた老女に向きあいます。そして、彼女は老女のおかげでもうひとりの息子・・・事切れた息子に再会することになります。そして、例の嗚咽の場面となります。

こういう映画では、カラインドルーのような音楽の魅力がなければ、実に長々しく感じられることでしょう。そういった意味では、アンゲロプロスの映画にはオペラ的な魅力もあります。例えば、反政府派が昔のビア・ホールに集って饗宴を開く場面がありますね。ここで用いられているダンス・ミュージックは多分、ギリシア的な響きをもっていますが、一方で、ロシア的な響きをも含んでいます。トルコ的なものも混ざっています。この音楽はなんでもござれで、とにかく目的によって集ってきた反政府派のバラバラの素性を物語ります。

そこに、もはやボロボロになった養父のスピロスが踏み込んできます。そして、息子の伴奏で、エレニと養父は死の舞踏を踏みます。2人の関係はエレニのほうが強くなっており、ついに、エレニは養父の両腕を振りきります。そして、寂しく去っていく養父は店の出口で斃れて、惨めな生涯を閉じる。息子は、「僕が殺したんだ・・・」と囁きます。

これらの場面は、ほぼ全てがカラインドルーの音楽で語られています。

周知のように、アンゲロプロスとカラインドルーの関係は通常の映画監督と音楽の関係を越えたものといわれています。日本でいえば、黒澤と武満のようなものでしょうか。作品の主人公の名前が、カラインドルーと同じエレニであるのは、偶然ではないはずです。前作『永遠の一日』でも、カラインドルーの音楽は印象的でしたが、それはもっと断片的なもので、いわばシェーンベルク的なものに止まっています。この映画では音楽そのものが旅をするかのように、密着性がつよくなっているのがわかります。正に、『エレニの旅』なのです。

ただし、断っておきますが、原題はあくまで『嘆きの草原』ですね。邦訳は商業的な香りがつよいですが、しかし、音楽の重要性にも関心を払ったうえでの機知が効いており、私はうまい邦題だと思っています。

【映画のリアリティ】

ちなみに、私はハリウッド映画はほとんど見ず、典型的な商業・娯楽映画には関心を示しません(この映画だって、商業映画じゃないわけではないですが)。だって、こういう凄い映画をみていれば、『アバター』だの、『パイレーツ・オヴ・カリビアン』だの、さらにいえば『ハナミズキ』なんていうのは面白いかもしれないけれども、その場だけで消費されてしまう映画だと思ってしまいます。それはそれでいいと思うし、それをみたいと思う人を批判するつもりもありませんが、本当の映画と比べれば、差が激しすぎるというものなのです。

例えば、『パイレーツ・・・』でいちばん美しい場面って、どこでしょうか。残念ながら、私には思いつきません。人物にしたところで、戯画化され、デフォルメされたキャラクターのどこに、リアリティがあるでしょうか。対して、アンゲロプロスの映画はどの場面をみても美しく、印象的です。デフォルメどころか、まったく性格描写がなされない人間だっていくらも出てくるのに、その人たちに、どうしてこんなにも深いリアリティがあるのでしょうか。これが、映画なのです。

【続編の公開もちかい】

なお、この作品は、三部作の第一弾として描かれました。その後、続編の公開がなく、興行成績が悪かったために、あとの二作は公開されないのだと思い込んでいましたが、それは単に、まだできていないせいだったようですね。今春、第2作『第三の翼』が、ベルリン映画祭で公開されたことがわかっています。日本公開はまだですが、『エレニの旅』と同じフランス映画社による配給で、いずれ公開されることは決まっているようです。

最後に言っておきますが、私はアンゲロプロスの熱心なファンではありません。アンゲロプロスの映画で、初めて接したものは『永遠と一日』で、とっても哲学的で難しいけれども、時代への風刺が効いていて、ポエジーに満ちた味わい深い作品として認識しました。『ユリシーズの瞳』にも興味はもっていますが、まだ見ていません。なぜか?

なんといっても、アンゲロプロスは本当の映画をつくるからです。つまり、ハリウッド映画はウチで見ても、大した変わらない面白さがあります。でも、アンゲロプロスの映画は、ウチの14インチのテレビで見るとこぢんまりしてしまいます。今回の視聴でも、シアターでは圧倒的な映像に包まれていたスケール感がなくなり、表向きのプロット重視の視聴姿勢に変わってしまいます。そうなると、肝心の映画のもつダイナミズムが出ずに、意外と「わかりやすい」映画になってしまうのです。

あの「白布の丘」だって、シアターでは、あの白いシーツのような布に自分がくるまれているような気分になるのに、14インチのテレビでは平面的な印象しかありません。私たちはあの白布にくるまれることで、訳がわからなくなり、エレニたちの境遇に近づいて作品に触れることができるのです。ところが、テレビ視聴では、そのような印象は稀薄です。要するに、アンゲロプロスの映画は、シアターで見なければ意味がない数少ない映画なのですね!

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