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2010年9月19日 (日)

下野竜也 ヒンデミット ウェーバーの主題による交響的変容 ほか 読売日響 サントリー定期 9/18

9月は当夜のコンサートを含め、当たりくじばかり引いている。読売日本交響楽団の定期演奏会は、楽団の正指揮者、下野竜也による肝煎り企画、ヒンデミット・シリーズの第5回の演奏会であった。まずは、この優雅なプログラミングから見てほしい。

【プログラム】 2010年9月18日

1、ヒンデミット 歌劇『本日のニュース』序曲
2、R.シュトラウス 変容
3、R.シュトラウス ホルン協奏曲第2番
4、ヒンデミット ウェーバーの主題による交響的変容

当夜の主役は片や耽美的な作風で、ナチスの権力者にも好まれたリヒャルト・シュトラウス。もう一方は、当時のアヴァンギャリストで、ヒトラーに睨まれて米国に追われたヒンデミット。2人の作曲家の作品はベートーベン、もしくは、ウェーバーといった古典派の作品を、彼らなりの手法で変容したものということでも共通する。第2次世界大戦、そして、ナチス・ドイツ、ヒトラーと対局する時勢を、ぐるっと俯瞰するような深遠なプログラム。また、1曲は快活でコミカル、もう1曲は複雑で込み入った作品という組み合わせも面白いのではなかろうか。

最初の序曲は、『本日のニュース』というヒンデミットの歌劇に基づく。この作品は作品そのものよりも、ヒトラーに睨まれ、のちのいわゆる「ヒンデミット事件」の遠因となった歴史的事実によって有名である。オペラ作品をみたことはないが、離婚交渉に赴いた夫婦を襲う悲劇とも喜劇ともつかぬドタバタ劇で、昨年、鑑賞した同じ作曲家による歌劇『往きと復り』のシッファーが台本を書いた。このなかに、有名なシャワー入浴のシーンがあり、これをみたヒトラーは激怒して、当時はまだ権力者でなかったものの、彼の閻魔帳のなかにヒンデミットの名前が書き込まれてしまったというわけだ。

ところで、この日、私が買ったのは前方3列目で、かなり舞台にちかい席だった。公演前、当日券を求めようとしたところ、ガラガラの券売所のまえで中年の男性に声をかけられ、自分の趣味とは相当にちがう席だったが、これもなにかの縁と思って引き取ってみた席だった。この席は楽器の直接音を楽しめる特別な席で、弦楽器奏者については表情までしっかり確かめられるところである。しかし、その位置どりから、音響的な面では決して聴きやすいとは言えず、あの不利な位置で適切な響きを判断できる指揮者のような耳をもたないと、十分に演奏を楽しむことのできない席だ。その点、私にとっては10年早いというべきだろう。

【序曲、そして、見事な変容】

さて、これが言い訳なのであるが、最初の序曲はそれなりにまとまってはいて、響き自体はよく束ねられているのだが、アンサンブル全体は押し引きが甘く、すこし大人しすぎる印象を抱いた。いつも言うことだが、読響はどうしてもオペラの音色が硬いのは、彼らの演奏経験上、致し方ないことだとしても問題である。最後のほうで、軍楽マーチを揶揄するサウンドでは、響きが濃厚でいい演奏になった。

2曲目の『変容』は、題名の似ている『死と変容』と区別するために原語で『メタモルフォーゼン』とも呼ばれるが、同じことだ。23の独立した声部をもち、同じ楽器でさえ1本ずつ役割のちがう巨大な室内楽作品となっている。私は大好きな曲のひとつだが、生できくのは初めてだ。上のような席で聴いたこともあり、ヴィジュアル的にどこから音が来るのかがわからない部分がいくつかある。そのことが神秘的に作用して、とても興味ぶかい体験になった。

読売日響の弦セクションはとてもレヴェルが高く、アンサンブル能力に優れているため、こうした曲でのポテンシャルは高い。特に、星、西澤両主席(+もうひとり)によるコントラバスの歌ごころが素晴らしく、随所にこころ(魂)を入れるような響きで、ぐっと響きを引き締めてくれたのが印象に残る。

この作品は、ベートーベンの交響曲第3番の有名な葬送行進曲をテーマにとっているが、はっきりいって、そんなことはどうでもいいように思われた。もちろん、そのこと自体に意味はある。だが、響きとなってしまった以上・・・そして、これほど見事に、シュトラウスらしいサウンドで変容がなされている以上、ベートーベンの名前を敢えて語るべき理由もない。それよりも、正に一瞬一瞬ごとに役割を変え、加わっては離れていくサウンドの妙味を、できるだけ丁寧に聴いてやることこそが肝要である。

それが彼の意図であったかどうかはわからないが、下野はサウンドの濃厚さを前面に出すよりは、室内楽的なサウンドの素朴さを丁寧に組み立てながら、真摯な演奏を披露した。要所でぐっと構造を集め、それを自然に浮かび上がらせる手法が実に巧みで、感銘を受けた。私は指揮者のアクションにはあまり注目しないようにしているが、自ら24番目の音楽家としてサウンドを体現する指揮ぶりも、あの席位置のせいか、随分と印象に残ったものだ。彼は従来、情熱的な動きのなかにも、どちらかといえばクールな、つまりは、客観的な指揮スタイルをとっていたように思われるが、この曲ではのめりこむような熱いアクションを頻発し、「広上ダンス」ならぬ「下野ダンス」で、難解な構造を読み解くようにしてオーケストラを鼓舞した。

ところで、この曲もそうだし、ヒンデミットの『交響的変容』でも感じたことだが、やはり、芸術家というのはタフでなければならないのだろう。厚顔無恥なタフさではなく、恥を知り、時代の趨勢を自覚しながら、必要とあらば、なお、そこに棹さしていく勇気こそが、芸術家の本分なのだといえる。

リヒャルト・シュトラウスの『変容』は、悲しい曲である。第2次大戦を敗戦という形で迎えたシュトラウスの目の前には、広大な焼け跡があるばかりだった。美輪明宏が長崎で体験したように、そこには彼の美意識と境界なくつながっていた大事なものがあったはずなのに、根こそぎ猛火のなかに奪われていた。空襲のせいでもあるが、ヒトラー自身もそうするように命じたのだ。彼は「焦土作戦」で有名な、クトゥゾフ元帥の真似をしたかったのかもしれない。意趣返しというヤツである。

リヒャルト・シュトラウスは、焼け落ちたドレスデンの劇場をみて自らの敗北を悟ったのであろうか。いやいや、そうではないと私は思う。

【R.シュトラウス変容をイメージするポエム】

Ha!
こんな荒れ地を前にしても、わが歌は涸れない
これは敗北ではなく 絶対的な勝利である
ロンメルだろうが 誰だろうが こんなにも優雅な
そして こんなにも見事な勝利を掴むことができただろうか?

敢えて文語で書こう・・・我は勝てり!

Ha!
焼け跡はわが傷跡・・・だが それがどうした?
痛みは疼くが それにもかかわらず 歌はわく
わたしは夫婦げんかも 登山旅行の失敗も
どんな恥ずかしいことも歌にしてきた
そして それらはわたしにとって大事なものとなった
ある者はわたしを時代遅れと罵り
才能の無駄遣いと批判した
だが わたしは勝ったのだ!

わがオックス男爵は触れぬ女の尻のことを嘆いて
あれほどまでに美しい歌をうたった
それに対して マルシャリンは優雅なのか?
彼女も 同じ穴のむじな そのことに誰も気づかぬ
Ha! わたしは勝った!

息も絶え絶えのときでさえ わたしは歌を書き続けた
ましてや 愛する劇場は黒い灰と化しても それさえも
わたしにとっては歌の種だ それにもかかわらず
わたしは嘆く それが歌になる 歌はわたしのこころを
まあるくする ゆえに 破壊は美の神にとっては
創造と同じことだ

完全なる 欠けるところなき勝利者よ!
我は勝てり!

【渋といシュトラウスの精神】

そうである。このような極限状況においても、リヒャルト・シュトラウスの創造の歩みは、すこしも揺らいでいないのである。彼はいつものように、過去を懐かしむようにして、この精神的、物質的悲劇をクールに描き上げた。

ただ、もちろんのことであるが、彼は戦争と、その結果によるところの破壊に対して、終始、冷淡だ。シュトラウスはかつて音楽院に斡旋してやったシェーンベルク風なクラスタ・ミュージックを皮肉るようにして、23の奏者を配置した。その響きが拡散に向かうと、混沌とした複雑なサウンドと化し、ゆたかなイメージの喚起力を阻んでしまう。それはそれで、悪くはない。しかし、彼のめざす音楽は、その収斂のなかでこそ正しく導かれる。今回の演奏では、ノーラン・コンマスのソロ当たりを境目にして、ゆっくりとした穏やかな収斂へと向かう構造のデザインがしっかりと彫り込まれていた。

パウゼのところで、第1ヴァイオリン勢がややばらついたのを除き、その前後の展開はサウンドの凝縮が印象ぶかく、先に示した「下野ダンス」に導かれた23の印象が、立体的に組み上げられていく様子が手にとるようにわかる。そこで、我々は気づくだろう。やや錯綜的ながらも、つよく今後の平和を願うしかない、傷ついた作曲家のこころに。しかし、構造が押し詰まったとき、そこには作品中間でみられたような風雅な構築物は立ち上がらず、深い喪失感が優しく・・・弱々しく広がっているにすぎなかった。そのことに気づいたとき、聴き手のこころは凍りつくしかないのである。

【ヒンデミットのタフさ】

ヒンデミット『交響的変容』も、タフである。最初に、私はヒンデミットのことを「アヴァンギャリスト」、つまり、前衛芸術家と呼んだが、これは対ナチスについてよく語られることであって、音楽史のなかにあって、ヒンデミットがとりわけ前衛的であるという見方はむしろ稀薄である。配られたプログラム中のコラムでは、ウィーン・フィル初来日を指揮したヒンデミットがツアー中、大学でおこなった講演では「戦後の前衛音楽を激しく責め、伝統を見なおせと力説」したとある。確かに、『ヴィオラ・ソナタ』のように晦渋な作品もなかには(相当数)存在するが、基本的には、ヒンデミットの作品は伝統音楽の精華に根ざした美しさを湛えた作品ばかりである。

ヒンデミットはナチスに叩かれて米国に亡命したわけだが、それ以前も、それ以降も、彼はただただ、自らの歩むべき道をいくという信念のみにしたがって、行動しているように見受けられる。難しい理論はわからないが、ヒンデミットは対位法的な伝統を重くみて、その可能性をさらに突き詰めることで、無調音楽の流れに対抗しようとしたとされる。その信念を力強く体現したのが、この日のメインに置かれた『ウェーバーの主題による交響的変容』だ。

この曲において、下野のタクトは冴え渡り、オーケストラと一体となった多彩な響きを引き出して、圧倒的な名演をつくりあげた。私が不満に思ったのは、第2楽章でジャズ的な要素に移ったときの切り替えの硬さだけであり、それ以外の部分においては、どこから来たのかよくわからない、不思議な民族性を際立たせながら、少なくともイメージどおりの・・・そして、大抵の部分においては、イメージをはるかに越えるしっかりしたサウンドを組み上げていた。

特に印象的なのは、第2楽章と最後の楽章である。

第2楽章は、プッチーニの歌劇で有名な『トゥーランドット』と同じの素材の劇につけられた付随音楽がもとになっているだけに、中国趣味が明瞭に浮かび上がっている。しかし、その響きがいつしかイタリーのサルタレロのように、毒に冒されたような激しいサウンドに切り替わっていくまでの過程が、柔らかく、かつ、豪勢に描かれている。それだけに後半、ジャズ的な部分に入るときの響きの硬さが、余計に問題となってしまうのであった。

第4楽章は、油断すればドンドン速くなってしまいそうなトラップがたくさん仕掛けられ、その罠にかかっても、それなりに面白い音楽にはなるだろう。だが、それらをすり抜けて、一生懸命にキープしたときには、至高の至福が待ち構えているというわけだ。オーケストラはリズム動機をテンション高く演奏し、指揮者に対して頻りに誘いをかけているかのようだが、下野は決して、それに乗ることはなかった。このあたりでもういいだろうというところでも、まだまだゴーサインを出さない。このキープが、鬼気迫っていた。結局、下野が鞭を入れたのは多分、最後の数小節だけで、それに反応した楽団のメンバーの動きも凄まじかったことを付け加えておく必要がある。

もちろん、このキープにより音楽の呼吸は圧倒的に膨らみ、対位法的なラインの上に、次々に構造物が積み上がるのも一切顧みず、一貫して潔いサウンドを形成することに邁進していた。これが、ヒンデミットの図太さなのだろうか。少なくとも、下野はそのように解釈しているのだろう。

原曲は、これも葬送行進曲なのである。ところが、ヒンデミットの変容させたサウンドは、それとは対極的な、フェスティーヴォと言ってもいい響きになっている。ヒンデミットは、いわばナチスに殺された音楽家だ。身体は生きていても、こころはガス室へ送られた。いかに作品が成功しても、どうしたって窮屈な国に戻らなければ済まなかったプロコフィエフのように、ヒンデミットも米国で、わが世の春というわけにはいかなかったのだろう。この作品は、新天地でのジャズへの傾倒などポジティヴな要素もあるものの、一体に、イライラしたサウンドの忙しなさがついてまわる。それは単にせっかちなだけでなく、もう毒々しいほどにつよい音楽になっている。

【悲劇を力に!】

下野はプログラムのコラムで、その作曲家がそのとき、どんなことを考えていたかに思いを馳せてみてほしいと言っている。そのことは、私がいつもやっていることだ。作曲家だけでなく、音楽家がいま、そこでなにをやりたがっているのかということを、私はいつも問うている。しかし、恣意的なものではなく、確かに妥当性のある作曲家たち、あるいは、演奏家たちの想いを、我々のような素人が導き出すことは、そう簡単なことではない。

素直に感じたところに従えば、このヒンデミットの作品から受け取れるものは、言葉では表せないような悔しさではなかろうか。ただし、さらに感動的なことは、そうした悔しさに折れることなく、その場で得られるすべてを導入して、その悔しさをつよいエネルギーに変えていることである。そこにも、この作曲家の図太さを見ることができる。

シュトラウスについて書いたポエムではないが、芸術家は、その人生が悲劇的であれば悲劇的であるほど、新しい歌を思いつくようにできている。ハイリンゲンシュタットの遺書がなければ、「運命」交響曲はない。ドイツ人によるチェコの抑圧が、ヤナーチェクに『シンフォニエッタ』を書かせる。ロシアの侵攻なしに、シベリウスの『交響曲第2番』は生まれなかっただろう。ポーランドの革命がならなかったから、ショパンの精華があるのだ。シェーンベルクは生涯、貧乏だったことが、作曲家としては幸いしたともいわれる。

ヒンデミットも、そういうタイプの作曲家だった。

【響きだけを楽しむこと】

しかし、作曲家はいつも、そんなことばかりを考えていたわけではない。

作曲家として最初の時期と、最後の時期にひとつずつ書かれたリヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲のうち、後者のもの(第2番)を演奏した元ベルリン・フィル首席のラデク・バボラークのパフォーマンスである。既に述べた席のおかげで、バボラークの喇叭の口は、見事にこちらを向いていた。希有な体験である。そのせいか、もう私にとっては、バボラークの出す音だけがすべてであった。

この奏者は以前から大好きで、すみだトリフォニーホールでのトリビュート企画にも足を運んだ。そのチャーミングさは相変わらずだが、響きはもっと柔らかくなっていた。彼の出すホルンの響きは、実に優しく、たおやかな歌に満ちていた。彼が愛用のアレキサンダー・ホルン103を通して伝えるのは、実のところ、ホルンそのものの響きではない。それは、バボラークの声そのものなのである。アンコール・ステージで日本語を混ぜて喋ったとき、それをはじめて聴いた声のようには思わなかっただろう。私たちはそれまで20分ちかくも、彼の「声」を聴いていたのだから、それは当たり前のことなのだ。

音楽を聴くということは、こういうことなのかと思い知られた。私はこの曲に関して、タンギングがどうの、フレージングがどうのという分析的な言い方を断固拒否したい(いつも、そうすべき?)。そんなことは忘れ、私はバボラークの声に集中していたからだ。実際、そんな風に語ることはできない。そのためというべきか、いま何楽章にいるのかもわからないほどだった。彼の伝えたい響きに接していることそれ自体が、文句なく幸せだったのである。音楽とは、それで(も)いいという世界だろう。

ただ、オーケストラの伴奏は、かなり硬いものだったことは指摘しておかなくてはならない。バックのホルン隊も落差が激しく、準備不足は明らかだ。私は、よく夢をみる。私はその能力がないはずなのに、夢のなかではピアニストとして扱われ、全然、弾けないにはずなのに、なぜか余裕をかましている。本番直前、突如、私は自分が弾けないことに気づく。そして、大抵は、その悩みのなかで目覚める。失礼なことに、そんな夢のなかの私の愚かさと、この曲におけるオーケストラの準備不足がオーバーラップしてみえた。

また、他の曲ではそうではなかったのに、この曲では弦の響きがカサカサして、後期ロマン派の演奏に是非とも必要な、肉厚で、濃厚な響きがないのも不満だった。最後、ロンド形式の終楽章だけはその弊から免れていたが、印象の悪さは拭えない。ただただ、バボラークの声に耳を傾けたのも、そのことが原因のひとつであったのやもしれない。だが、むしろ、そのことが正解だった可能性もある。

バボラーク、万歳! ジェクイ・ヴァーム!!


 コンサートマスター:デヴィッド・ノーラン

 於:サントリーホール

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