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2010年9月20日 (月)

モディリニアーニ弦楽四重奏団 ラヴェル 弦楽四重奏曲 ル・ジュルナル・ド・パリ Ⅴ 9/19 14:00〜

ル・ジュルナル・ド・パリ(パリの音楽日記)は、ラ・フォル・ジュルネで有名になったルネ・マルタンのプロデュースによるピアノのフェスティヴァル。GWのイベントとしてすっかり定着した感のあるフォル・ジュルネに対して、「秋休み」の集客を狙った音楽祭は、GWのイベントとは別に、マルタンの得意分野であるピアノを中心に据えているのが特徴となる。

①1公演が1時間と短い。
②1公演=2000円の低価格
③1公演で複数のアーティストが聴ける
④全公演を一定のメンバーでカバーし、コンセプトをつける

以上のような特徴をもつ。前回の「ル・ジュルナル・ド・ショパン」は、ショパンのピアノ作品全曲を年代順に演奏し、その人生を日記を追うようにして辿るというものだったが、今回は絵画でいう印象派の時代のパリの音楽を、ピアノとクァルテットで追うという構図になっている。そのなかで主役となるのは、フォーレ、ラヴェル、ドビュッシーといったところである。

まだまだコンセプトも甘く、フォル・ジュルネほどの定着度は示していない。いまのところ、ピアノ・リサイタルに毛が生えたような内容でしかなく、お祭り的な要素が薄いため、フォル・ジュルネでマルタンの慧眼を支持しており、なおかつ、ピアノに特別な愛着のある人たちしか呼び込めていないように思われる。そのため、チケットも当日券で十分という状態だ。また、全日、もしくは1日ごとの通し券は発売時期がやたらと早く、しかも、短い期間の販売に限定され、席も3階のみとするなど不可解なところもある。その結果、見たところ、3階席の客はほとんどいなかったように思われる。

イベントの概要は、以上のとおりだ。

この第5公演は、児玉桃、クレール=マリ・ルゲ、そして、モディリアーニ・クァルテットの出演で構成される。まずは、ルゲ&児玉による4手連弾のフォーレ『ドリー組曲』の演奏だ。「ドリー」というと遺伝子交配によって生まれたクローン羊のことを思い出すが、もちろん、さにあらず。この曲は1894年を皮切りに1897年まで、フォーレと親交のあった夫人の娘、ドリーのために節目ごとに送られた6曲の連弾用組曲である。ドリーは、その夫人がフォーレとの浮気の結果、産むことになった「私生児」だった可能性も指摘されている。

今回のコンサート、ルゲ以外は初めてではなく、演奏にも大体の想像がついていたが、ルゲもマルタンが選ぶだけあって、それなりに端正なピアニストである。今回はルゲがファースト、児玉がセカンドで、コンビ・ワークは申し分ない。やや打鍵に重みのある児玉が下に入ったことで、響きはきわめて高い安定感を示す。2人とも音色の美しさが際立つ典型的なフランス的ピアニストだが、アタックも思いきっていて、サウンドは総体的に新鮮だ。

デュオの優しい響きと、マリアージュの良さはそれぞれ、第1曲の「子守唄」の繊細な打鍵と、華やかな最終曲「スペインの踊り」のスピントの効いた表現に象徴されていた。

ルゲによるショーソンの『風景』(op.38)は、珍しいプログラム。ユトリロの描く街の絵のような感じで、こういう小品を集めたコンサートをしても面白いだろうと思った。児玉は、ドビュッシーの『版画』の3曲を弾いた。まず、「バゴダ」で印象づけた音色の美しさは特筆すべきものだ。日本国籍ではあるが、幼少からフランス暮らしの長い児玉は、アジアのリアルなじめじめを感じさせるよりは、それを想像する西洋人の感覚にちかく、若干、サウンドがドライなのに注文がつく。第1曲はそれでもいい演奏だったが、あとの2曲もワン・パターンで、やや精彩を欠く。

この公演の目当ては、モディリアーニSQによるラヴェルの『弦楽四重奏曲』であったが、これは期待を大きく上回るパフォーマンスで、この日最高の収穫であった。第1楽章から磨きに磨き抜かれた響きが繊細に調琢され、一音一音に魂のこもる演奏は緊張感も抜群だ。はじめ響きを絞りに絞って、弱音だけで静かな表現を組み立てていくのには驚いた。しかし、このベースから、そっと組み上がる構造物の美しさが堪らず、彼らのつくる世界にすこしずつ惹き込まれていった。

劇的な浮き沈みを必要最小限に止め、あくまでまろやかな音色で表現をつくっていくモディリアーニSQの表現は、まったくもって粘りづよいという言葉に尽きる。音程も正確、音の外しもほとんどないが、そういうことよりも、1つ1つの音符、1つ1つの和声にこだわって、何重にもわたって鍛え上げられたあとが明瞭であることが、聴き手に安心感を与える・・・というに止まらず、彼らの表現に対する全幅の信頼を寄せさせるほどなのだ。

第2楽章では上品なポルタメントを効かせ、適度に甘みをつけた響きをあくまで控えめに使い、構造的な特徴であるポリ・リズムをなるべく隠して、ゆたかな曲想に聴き手をしっとりと馴染ませる。第3楽章はヴィオラの直向きな導入句を生かしながら、きりっとしたサウンドで楽曲のもつ詩情を丁寧に引き出す。アーティキュレーションが非常に美しく、新鮮であるのに、どこかひなびているという二重性が面白い。

4つの楽器がそれぞれに見せ場をもつこの楽章で、クァルテットの魅力は文字どおり全開した。第1ヴァイオリンのフィリップ・ベルナールはとびきりに美しい音色の持ち主で、ファーストに相応しいが、音楽性はとても奥ゆかしく、とびきりの優しさがある。第2ヴァイオリンのロイック・リョーは多分、クァルテットのなかでも特に優れた技巧派であり、彼のような奏者がセカンドで頑張っているところに、このクァルテットの重みが感じられる。低音の響きの美しさは、ヴィオラ以上だった。ヴィオラのローラン・マルフェングは実直で、ストレートな表現の持ち主と思われる。チェロのフランソワ・キエフェルは響きが整然としていて、表現が力強い。

この4人によるクァルテットの声は、良い意味でバランス型といえる。誰かひとりが引っ張るアンサンブルではなく、互いが互いを聴きあって、ああでもないこうでもないとやりあった末の、厳しい音楽が生まれており、先に述べたような徹底した弱音のベースや、そこから立ち上がる響きのダイナミズムのふくよかさ。1−3楽章においては、正に夢のような表現世界が立ち上がっていた。

惜しむらくは、第4楽章である。もちろん、悪いわけではない。でも、何かが足りない。トレモロを激しくアピールし、ヴィヴィッドなサウンドをつくっていて、響きもカラフルで逞しい。しかし、それまでの楽章で印象づけてきた完璧なまでの美しさに比べて、やや展開が真っすぐで、はっとさせるようなものがないのだ。もちろん、これは批判ではない。この曲の4楽章について、私はもともと若い音楽だという印象をもっていて、その問題を解決することは、ベテランのクァルテットでも簡単ではないからである。このあたりは、クァルテットとして経験を積んでいくことで、新しいアイディアが出てくることを期待したい。

フォル・ジュルネに関係する若い室内楽グループはとても優秀だが、エベーヌQと、このモディリアーニSQは、先々もかなり楽しめる存在であると思う。

【プログラム】 2010年9月19日

1、フォーレ 4手のための6つの小品 「ドリー」
 (pf:クレール=マリー・ルゲ、児玉 桃)
2、ショーソン 風景 op.38
 (pf:C-M.ルゲ)
3、ドビュッシー 版画
 (pf:児玉 桃)
4、ラヴェル 弦楽四重奏曲
 (モディリアーニSQ)

 於:東京オペラシティ・タケミツホール

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