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2010年9月 9日 (木)

バーバラ・ボニー & フィオーナ・キャンベル デュオ・リサイタル 9/7

サントリーホールにて、バーバラ・ボニーとフィオーナ・キャンベルのデュオ・リサイタルを聴いてきたが、ボニーの圧倒的なパフォーマンスに瞠目させられる一夜だった。当夜は前半戦がモーツァルトの歌劇からのアリアや二重唱、それに、メンデルスゾーンの『6つの二重唱曲』(op.63)という構成で、ボニーとキャンベルが共演、後半はグリーグとリヒャルト・シュトラウスの歌曲で、ボニーの独演という内容だった。ピアノ伴奏は、三ツ石潤司。

【グリーグでの圧倒的なパフォーマンス】

当夜のボニーのパフォーマンスで、もっとも優れていたのはグリーグではないかと思う。ドイツ語やデンマーク語での歌曲もあるとはいえ、基本的にはノルウェー語によるグリーグの歌曲は、ボニーにとって得意分野とは思っていなかった。しかし、2曲目に歌われた劇付随音楽『ペール・ギュント』のなかの高名な「ソルヴェイグの歌」(歌詞はこちら)を聴いたとき、優れた歌手の歌声は言語の壁を越えるということを実感させられた。

北欧版『さまよえるオランダ人』の風刺的パロディともいえそうな作品の掉尾を飾る、この哀切にして美しい子守唄を、ボニーはいくぶん若々しく歌った。そこには自分を見捨てて去ったペール・ギュントへの怨み節はなく、出会った日そのままの新鮮な愛情が流れている。しかし、一方では、そこに長年、降り積もった雪のような重みが同時に表現されており、この1曲にソルヴェイグ、そしてペールの人生を象徴的に詰め込んだグリーグの意図を、かなり立体的に紡ぎ出していた。

しかし、それだけではない。(op.25)の『6つの詩』の第2曲「白鳥」(歌詞はこちらから)では、三ツ石の繊細な伴奏も手伝って、やや劇的なソルヴェイグとはまた異なった、透徹とした美しさを放つ。やや硬くなったものの、最後のほうに現れる最高音のイメージを膨張させ、作品世界を肉付けする表現にはドキリとさせられる。なお、この歌曲もイプセンの詩による。

4曲目は、『ヴィニエの詩による12の旋律』(op.33)より第2曲「春」(歌詞はこちら)だったが、これが極めつけである。もしくは、「過ぎにし春」ともいわれる曲だが、一歩一歩階段を昇っていくようなボニーの丁寧な歌唱が、正に遠のいていくような歌いおわりの雰囲気をナチュラルに盛り上げていく。終盤、ぐっと響きを持ち上げてから、息の長いブレスで抜いていく歌いまわしが見事だが、それを受け継ぐピアノの響きの叙情性も際立っている。結果として、最後の曲のあとは、本当に聴き手が圧倒された雰囲気となり、拍手もなかなか出ない(単に曲を知らないだけかもしれないけれど)。

グリーグの4曲については、曲ごとに拍手をしない聴衆のつくる雰囲気が、まるでコンペティションのようで緊張感が必要以上に張り詰めている。その環境で、期待感をはるかに上回るパフォーマンスを残していくボニーの集中力の凄まじさにも脱帽する。ひとり肩の力の抜けた三ツ石のピアノも、随所に感銘を残すものだった。なんといっても、響きから湧き出る詩情のゆたかさ!

【磨き込まれたシュトラウス歌曲】

次いで、リヒャルト・シュトラウスに移ると、発声がまったく異なるのに驚いた。グリーグがいかにも親密な、内省的な響きだったのに対して、シュトラウスではハッキリ開放的で、ぱっと華やかな歌唱である。

最初は、『6つの歌』(op.56)より「東方の聖なる3博士」を歌ったが、上のような発声を正面から印象づけるストレートな歌唱で、その切りくちの美しさには誰もが惹きつけられたことだろう。シュトラウスらしく往生際悪く、粘りに粘った歌唱が、ピアノによる後奏のしつこさと合わせて、印象に残る。私はこの曲を聴いていて、ピアノのきらっとした高音のせいか、イゾルデの『愛の死』をイメージした。2番目は、『ブレンターノの詩による6つの歌』より、第2曲の「私は花を編みたかった」。この曲では、ルバートを大胆に効かせて、作品のうねるようなフォルムを造型していて、歌いまわしの自在さに磨きがかかっている。

最後は、有名な『ツェツィーリエ』だ。このあたりになると、会場の人たちにもお馴染みの曲と見えて、すこしリラックスした雰囲気になっていた。特に、構造から構造を紡ぎ出す『ツェツィーリエ』の堅固な歌いまわしは、ボニーならではのものといえるだろう。しかし、面白いことに、そうであるにもかかわらず、ボニーの歌にはこころが載っている。彼女は基本的に、我々の内面に問いかけるタイプの歌い手で、そのコミュニケーション能力の素晴らしさこそがボニーのボニーたるゆえんであるのではなかろうか。

【with キャンベル】

この後半戦に比べれば、前半戦はちょっとした遊びのようなものに思えてくるのも仕方がない。まず、パートナーのキャンベルだが、この歌手は決して悪い歌手ではない。しかし、相手が凄すぎた。最初の『コジ・ファン・トゥッテ』で姉妹に扮した2人だが、彼女たちはソプラノ/メゾというちがいはあれ、基本的な声質が似ているだけに、キャンベルのほうの歌の硬さというものがどうしても目立ってしまう。

しかし、その印象もあとにいくほどとれてきたため、あるいは、これが初めてではないとはいえ、ボニーと2人きりの舞台に緊張したせいであったのかもしれない。ケルビーノのアリアは教科書的でつまらなかったが、歌曲のパートナーとしては優秀だ。

メンデルスゾーンの二重唱曲は、いささかユニークなフォルムをもっている。というのも、2つの声部の密着性が高く、ほとんどずれなく、背中あわせに同じ歌詞が、同じリズムで歌われるという特徴があるからである。しかも、6曲のナンバーはユニゾン部分が印象的な歌と、ハーモニー部分が重要な作品が交互に組み合わされ、すこしずつ複雑になっていくという構成になっている。

まず、上記の第一の特徴から、2人の歌い手の親密さと相性が非常に重要となるのは自明だが、一方、声部があまりにも親密すぎると甘ったるい感じになり、響きが癒着的となってしまう危険性がある。その点、この2人の歌い手はピッチが安定して、音程の正確なキャンベルに対し、より内面的なものを重視するボニーのふくよかなリードが包み込む形で、適切な距離感が出ていた。かつ、前プロの『コジ』で印象づけたように、歌い手どうしの親密さも申し分ない。

第1曲ではそれぞれがきりっとしたラインを守り、作品のフォルムを丁寧に組み立てる。第2曲では、ハーモニーの明確さと、その溶けあいの柔らかさが直截に印象づけられていた。キャンベルのリードが現れ、颯爽とした持ち味がよく出ている。第3曲では歌いおわりの言葉じりをぴったりと合わせ、第4曲では初めて目立って声部が引き離されるが、それでも絶え間なくつづく2つの声部の関係が簡潔に強調されていた。第5曲はキャンベルの音程の良さが特に目立ち、ハーモニーの性質がよくわかる。終曲の「すずらんと小さな花」は、味わいゆたかなユーモアに支えられた明るい響きが印象に残った。

第6曲のような速いナンバーでは、ピアノのコロコロした伴奏や軽い雰囲気から、ソプラノの声が可愛らしくなりすぎて、あまりにもメルヘンティックなものになりやすいのだが、その点、ボニーのよくコントロールされた声のフォルムは、一段たかいレヴェルの知的ユーモアに聴き手を誘い込む。それを支えるのは、既に、ここに何度も登場した三ツ石の繊細、かつ、ダイナミックな表現である。

【まとめ】

なお、キャンベルはこの日、3度のお色直しをおこなってヴィジュアル担当といったところか。オペラのところでは、赤い丈の短いドレス。歌曲ではよりフォーマルな感じのする薄黄色のドレス。そして、最後のアンコール・ステージではもっとも高級そうな生地による、アボリジニ風のデザインを取り入れた濃紅色のドレスであった。このような演出は、特に女性客にとってポイントが高いと思われる。

総合的にみて、レヴェルのたかい公演であったことは争う余地がないだろう。招聘はビザビジョンという会社で、音楽専門ではなさそうだし、歌詞カード、もしくは、それを載せた有料のパンフレットを用意しないなど、若干、痒いところに手が届かない憾みはあるものの、誤解を恐れずにいうならば、言葉がわからないことは、必ずしも悪いことばかりではない。確かに、歌曲を構成する詩は音楽の源泉であり、その重要性を歌から切り離す根拠はあり得ないだろう。

しかし、よく考えてみよう。言葉がわかっていたからといって、その詩を本当に楽しむためには想像力が必要だ。それなのに、なまじ言葉がアプリオリに(自明に)わかっているだけに、我々は言葉本来の味わいというものをしばしば忘れがちだ。そこへいくと、わからない言語で聴いている歌は、我々の想像力をより自由に・・・そういって悪ければ・・・少なくとも、多少は活発にする。我々のアタマが怠惰でなければ、わからないものにぶつかったときには、なんとかわかろうとする働きがある。幸い、この場合は単に「わからない言葉」ではなく、バーバラ・ボニーという優れた翻訳者の註釈つきなのであった。いま、私がやってみたように、歌詞などは、あとで帰ってから調べればいいことではないだろうか。そうすれば、ボニーのパフォーマンスはより立体的にインプリンティング(刷り込み)されるのであって、そのために歌の感動が減じるということはまずない。

歌詞カード片手に難しい顔をしているよりも、そのほうがはるかに優れた鑑賞法かもしれない。その壁を越えて伝わってくるもの、あるやなしや。そのことを感じればよい。知識はときに、感覚の怠慢を招く。そういうことを思い出しただけでも貴重な体験だが、その上に素晴らしい歌唱がついた。贅沢な夜である!

【プログラム】 2010年9月7日

○モーツァルト ああ、妹よ、見てごらん
    〜歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』
○モーツァルト 愛の神よ、手をさしのべ給え
  /自分で自分がわからない/恋とはどんなものだろう
    〜歌劇『フィガロの結婚』
○モーツァルト 黒い髪の方が好き、私は褐色の方のほう
    〜歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』
○メンデルスゾーン 6つの二重唱曲 op.63
○グリーグ モンテ・ピンチョより op.39-1 〜6つのロマンス
○グリーグ ソルヴェイグの歌 〜劇付随音楽『ペール・ギュント』
○グリーグ 白鳥 op.25-2 〜イプセンの6つの詩による歌曲
○グリーグ 春 op.34-2 〜ヴィニエの詩による12の旋律
○R.シュトラウス 東方からの三博士 op.56-6 〜6つの歌曲
○R.シュトラウス 花束を編みたかった op.68-2
    〜ブレンターノの詩による6つの歌曲
○R.シュトラウス 薔薇の花環 op.36-1 〜4つの歌曲
○R.シュトラウス 憩え、わがこころ op.27-1 〜4つの歌曲
○R.シュトラウス ツェツィーリエ op.10-2
    〜8つの歌曲

 伴奏:三ツ石 潤司(pf)

 於:サントリーホール(大)

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