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2010年10月15日 (金)

ペーター・レーゼル ベートーベンの真影 Ⅵ (ピアノ・ソナタ全曲演奏会) 10/14

ペーター・レーゼルは、紀尾井ホールを舞台に2008年から4年がかりで、ベートーベンのソナタ全曲を演奏するツィクルス公演をおこなっている。3年目の今年は、第5回と第6回がおこなわれるが、14日の第6回を聴いた。個人的には、初回を聴いて以来の機会となる。2年前の演奏のときにも十二分な感銘を受けたが、こちらの経験値も若干は増えたせいもあるのか、より強烈なインパクトを得ることができた。

【トリッキーな曲目構成】

今回のリサイタルは、ややトリッキーな演目が組まれている。私が足を運ばなかった第5回は、どちらかというと、ソナタのなかでも、「小品集」と言いたくなるようなコンパクトな作品を集めている。ところが、この第6回は楽章数だけみても、3、4、2、4とバラバラである。「狩り」と愛称のつく曲目はタイトルどおり、トリッキーなリズムや和声が頻出する変わった作風である。形式的にみても、典型的な緩徐楽章がなく、第3楽章に置かれたメヌエットがそれの代わりをしている風変わりな作品だ。28番は後期の作風を決定づける力強い作品であり、「悲愴」ソナタは、古典的な初期作品のうち、抜きん出た美しいフォルムをもつ。そして、27番はいわゆる「主題労作」を放棄し、きわめて自由な発想に基づいて書かれた、たった2楽章のシンプルなソナタ作品である。

【優雅なポリフォニー】

さて、当夜の演奏会のキーワードは、ポリフォニー(対位法)のエレガントさと、ベートーベンの作風の多様さという2つのポイントに置かれるべきだ。まず、前者については、最後に演奏された第28番の展開部から始まるフーガの素晴らしさが典型的だ。レーゼルの描くフーガは明瞭でキレがあるわりに、とても柔らかく、ふくよかであるところに特徴がある。この印象が、バッハを代表とする古典作品のもっとも典型的で、忠実な継嗣でありながら、それにもかかわらず、どこか鋭く研磨された響きをもつベートーベンのソナタに書かれたフーガの味わいに、ぴったりと合致するように思われる。

また、このフーガのラインの活き活きとした響きは適度なカンタービレを含み、アジリタの効いたリリコ・レッジェーロと言っていいレーゼルのピアノの響きでは、まるでロッシーニのオペラのアリアを聴くような感興があり、その昂揚感は、かつてはバッハのみが為し得たような宇宙的な大きさに結びつくとともに、とても人間的な温かみさえ兼ね備えているようだ。レーゼルの演奏は、ストレッタ以降も流れが途切れることなく、コーダに書かれたポリフォニーの響きが再現するまで弛緩なく継続し、その後、終結に至るまで快い、まとまった構造観が楽しめた。

【ベートーベンの多様性】

最初の3曲は時代や楽器、それにもちろん、作曲者自身の変化を追いながら、多様な表現が試みられていた。まず、第8番「悲愴」では、ダイナミズムの柔らかさな調節に特徴のある自らのストロング・ポイントを抑え、初期作品の小ぶりな、内省的特徴をよく捉えている。いくぶん淡々と奏でられるレーゼルの「悲愴」はどちらかといえば、男根的な強調が激しい、ステロータイプ的なベートーベン演奏を否定し、すっきりした構造観をエレガントに抉るものだ。

第1楽章からして、既にポリフォニーに対する繊細な配慮がみられるが、第3楽章において、それはより顕著である。変イ長調で現れる対位法的な部分から、ポリフォニーをモティーフとした古典的な構造観が明らかとなり、ロンド・フィナーレの後半部分は、ほぼその延長線上に描かれている。

【各曲リポート】

第18番は序盤から叙景的な詩情に溢れており、場面が目に浮かぶような喚起力の逞しさだ。バックハウスの演奏などを聴くと、この作品の第1楽章にも明瞭にポリフォニーの構造が投影されているのだが、この場面においては、レーゼルは響きで場景を描くことに集中しているかのように見受けられる。ゆったりした浅いルバートを打ちながら、きれいにフレージングされた響きが、聴き手のてもとに届けられた。思いきった和声をギュッ、ギュッと凝縮して打つときの響きの切れ味も印象ぶかい。終盤は先に書いたような、声楽的なアジリタを想起させる歌いまわしの巧さが際立つ。

一方、メヌエットはやや蔭りを帯びながらも、ロマン的な、すこぶる甘い響きである。舞踊楽章であるが、緩徐楽章的な味わいも損なわないよう、ダイナミズムのつけ方などに繊細な配慮が窺える。プレスト楽章は、やはりポリフォニーの要素が強調されているが、とても上品で、しなやかなライン・アートが爽やかである。まるでバッハの『フランス組曲』でも聴いているような、浮揚感があった。

バックハウスのような劇的な表現ではなく、控えめなダイナミズムや強調のあり方は、当該のピリオド(作曲時期)における楽器の研究などにみられる成果からして、かなり妥当なものと思われる。響きにおける、いかにも「個性的」なデフォルメはないが、構造の山谷はしっかりと表現され、きびきびした展開が適度に彫り込まれている点は特筆に値し、そのアーティキュレーションのバランスの良さに注目したい。

第27番は響きや構造の点からみても、特異な位置を占めることがよくわかる演奏だ。第1楽章、第2楽章ともにしっとりとした表現に徹し、表現はこの上もなく清らかである。短い作品だが、レーゼルらしく、堅固ななかにもキュートなフォルムが埋め込まれ、ゆったりした気分になれる演奏だ。

【すべてが溶け込む28番の個性的演奏】

これらのピースが、28番の演奏のなかに染み込んでいく。第1楽章は、18番の立ち上がりにみられたような、自然な喚起力に富んでいるものの、この楽曲では場景の具体的な表現ではなく、響きのゆたかさのためだけに、慎重にイメージが用いられている点が異なっている。この楽章はフォルムのシンプルさが際立ち、あっという間に弾き終わりに到達するが、第3楽章の序奏に再現する冒頭のテーマは、いささか特徴的に描き出されていた。つまり、それは極度にくぐもった響き・・・例えば、泣く子に布団を被せるような内向きな響きで奏でられていた。

この印象づけはのちに、終楽章の序奏からブリッジ部分で最初のテーマが再現するときに、きわめて効果的に利用される。

中間楽章は、ひとつひとつ磨き上げられたパーツの美しさが、まずは耳を捉えるだろう。トリオの繊細なカノンが、またしても私たちを夢心地にする。そして、回帰した主部もトリオの構造的な堅固さに影響されないということはない。間もなく第3楽章の序奏に入り、上記のような愉悦の展開が待っていた。先刻、ロッシーニのアリアを聴くような・・・という感想を述べたが、逆にいえば、ロッシーニの作品というのは、実は、こういう単純な対位法的手法の天才的な組み合わせでできているということになるのだろう。

この28番はベートーベンの32曲のソナタのなかで、個人的には30番に次いで愛好する作品であるが、こんなにも見事な対位法の構図で仕上げた演奏は初めてだった。正しく、興奮のひととき!

【まとめ】

改めて聴いてみると、レーゼルのベートーベンはドイツ的というよりもウィーン的である。力強さや、苦悩を突き抜け歓喜へ、あるいは、「精神的」というデフォルメがなく、選び抜かれた和声の響きをスマートに鳴らし、磨き上げられたフレージングで丁寧にそのカタチを示していく。そして、そこに自然なカンタービレを注ぎ込みながら、ミニマムな要素で巨大な宇宙をイメージさせる古典作品への憧憬を見事な対位法の描出で、表現する。上記のような表現手段は、ヴァイオリンとピアノというちがいこそあれ、先日のキュッヒルのスタンスにややちかいもののように思われる。だが、レーゼルのほうがややフレキシブルで、現実的といえる。

響きの質は、既に述べたようにリリコ・レッジェーロというに相応しい。その精密な声のラインが、誰よりも繊細なポリフォニーの表現につながっている。これならばバッハが聴きたいと、何度、思ったことだろう。しかし、バッハではチェンバロ・ベースで作曲されているため、ピアノ表現にどうしても限りができてしまうのだが、ベートーベンでは、それが適度に引き延ばされてピアノ表現に相応しい奥行きが生み出されている。この領域をいかに上手に用いるべきなのかは、各ピアニストのアタマのひねりどころであろうが、レーゼルは正に、そのようなスイート・スポットを自らの持ち味に合わせて、グリグリと押してくる。

30年以上前に開かれたという、レーゼルの国内でのリサイタルに接する機会はもとよりなかったものの、録音などの印象からすると、以前の彼は、もうすこし重めの響きをもっていたように思われる。声楽では、重い声が軽くなっていくことはまずないが、鍵盤の場合はそれもあり得る。響きのベースを軽めにアジャストし、シャープな声を無駄なく浸透させるピアニズムに変わったレーゼルの表現。

一方、当夜のリサイタルでは、初期から中期まで徐々に膨らんでいったベートーベンの作品が、後期に至って逆コースを歩んで純化していくというストーリーが、4曲の演奏からハッキリ示されていた。28番ではそれまで試されていた様々な可能性が凝縮し、最終的に、ポリフォニーの安定的、かつ、宇宙的に放射されていくスケールの大きさに、純化していく構造が露わである。それに合わせ込んだかのようなレーゼルの表現が、実にぴったりとはまり込んだ素敵なリサイタルであったと報告したい。

【プログラム】 2010年10月14日

(オール・ベートーベン・ブログラム)
1、ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」
2、ピアノ・ソナタ第18番「狩り」
3、ピアノ・ソナタ第27番
4、ピアノ・ソナタ第28番

 於:紀尾井ホール

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