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2010年10月 6日 (水)

濱倫子 展覧会の絵 & スクリャービン ピアノ・リサイタル @王子ホール 10/5

濱倫子の活動については、小森輝彦&服部容子のデュオの活動とともに、毎年、このページで紹介してきた。ドイツ、カールスルーエを拠点とする彼女は、年に1回の里帰りに際して、日本でのお披露目をおこなってくれるわけだが、これが何とも見事なのである。ソロ、もしくは、チェロやヴァイオリンとのデュオ、ピアノ・トリオとしての来日と、ヴァリュエーションも豊富であり、内容も1回1回が印象ぶかいものばかりで、記憶に残る。

前回はトリオでの来日だったが、今年はソロでの演奏会。メインに、ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』が組まれていた。最近では、猫も杓子も・・・なんて失礼な言い方だが、日本のマネージメントは著名なピアニストに対して、この曲を演奏させることに熱心だ。そのため、あまのじゃくの私は、『展覧会の絵』がプログラミングされているような演奏会には見向きもしないのが普通である。といっても、1年前、音楽劇仕立てのアファナシエフの演奏は聴いた。その前はたしかパレチニで、2006年に遡り、その前年にチッコリーニの演奏が来る。まったく聴いていないわけでもない。

・・・閑話休題。

【ウゴルスキ直伝のスクリャービン】

さて、前半は、モーツァルトのピアノ・ソナタ第12番(K.332)と、スクリャービンのピアノ・ソナタ第3番である。まず、この日の白眉とも言えるスクリャービンについて取り上げたい。濱は周知のように、デトモルト音大でアナトール・ウゴルスキに師事しているが、そのウゴルスキといえば、スクリャービンのスペシャリストとして有名である。ロシアから亡命し、欧州を彷徨っていたウゴルスキを正しい道へと導いた恩人としても、スクリャービンの名前は登場する。演奏家としてだけではなく、優れた教育者としても知られるウゴルスキ直伝のスクリャービンは、なるほど素晴らしい。

しかし、ピアノ教師にも2つのタイプがある。伝統の重みをこれでもかと教え込み、理想的には自分のコピーをつくろうとする教師と、そうではなく、生徒個々の特性に合わせて、多様な可能性を引き出していく教師である。関西フィルの記事で、デュメイ(ヴァイオリンだが)は後者のタイプではないかと書いたが、ウゴルスキも多分、後者のタイプに属するだろう。彼に師事したと称する著名なピアニストたち・・・ナディア・ルバネンコ、タン・シャオタン、イーゴリ・ウルヤシュ、クリスティアン・ペーターゼン、そして、濱倫子などは、まったくタイプのちがうピアニストであり、彼らの顔触れがそのことを明確に物語っている。

このスクリャービンのソナタ第3番は、濱の場合、ウゴルスキの演奏に印象的な濃厚さをそのまま受け継いではおらず、もっとコンパクトにまとめている印象を受ける。ただ、それは表現が淡泊ということを意味するわけではなく、構造的な感覚がより繊細という意味で解釈してもらいたいのだ。例えば、第1楽章ではウゴルスキの場合、下向する音符がつららのように垂れ下がっていく印象だが、濱の演奏は頻出する主題が優しく浮かび上がり、これを大事に扱いながら、きりっとした構造的な歩みがしっかり描写されているのだ。この延長線上にごく自然に連ねられて、最後の和音は引き延ばすようにして残されるが、これを頼りにアタッカ気味に第2楽章に入ることにより、調性的な連続性をアピールするのは師匠のディスクと同じ工夫になっている。

そのこともあり、今回の演奏では第1楽章と第2楽章/第3楽章と第4楽章が連結され、4楽章が二部構造で捉えられている。

音色や響きに関しては同じリリコ系ではあっても、師匠よりもややレッジェーロ(軽め)で、彼女が最近、聴きに出かけたという今をときめくピアニスト(しかし、日本ではいまひとつ知名度がない)、グレゴリー・ソコロフによりちかい。当夜、最初にモーツァルトを弾いたわけだが、これにショパン(濱によるピアノ・ソナタ第3番の名演が思い出される)を混ぜると、スクリャービンになるという感じでもあった。とはいえ、濱も相当に鳴らすタイプではあるが、先週のシーララとはちがい、鍵盤を叩きすぎるような弊はなかった(女性だけに、パワーがないというわけではない)。ピアノや調律、ホールのちがいはあるのだし、敢えて比べる必要もないが、濱のほうがずっとゆたかな音楽性に支えられた音楽をつくるし、響きの味わいもふかいのは事実である。

後半の演奏が、とてもよかった。アンダンテの表現は濱の特徴のひとつであるカンタービレのふくよかさが、多少、間引かれたワーグナー的構造を柔らかに肉付けする。師匠の演奏はやはり下向的な響きの扱いに重みがあり、いくぶん後世の複雑なスクリャービン像を予告するメッセージに満ちているのだが、濱の演奏は、この時点におけるスクリャービンの素朴な詩情を丁寧に浮かび上がらせる方向で、楽曲の流れがすっきりしている。しかし、それだけに全てが壊れていくようなフィナーレへのブリッジ部分に、悲劇性が一挙に流れ込んでおり、プレスト楽章への羽ばたきが自然である。

プレスト・コン・フォーコは、この時期のスクリャービンの人生と無関係に考えることは難しい。スクリャービンは周囲の反対を押し切り、改宗ユダヤ人の女と結婚したため、数年来、懇意だったパトロンからの年金を半分に減額されるなど、厳しい社会的制裁を受けた。しかし、疾走するロマンティスト、スクリャービンの創意は折れなることがない。ウゴルスキの演奏では悩みながらも、中間部分で伴侶との幸福な時間を象徴し、相変わらず下向的な響きに足を引っ張られながらも、つよく飛翔していくリズム動機に作曲家の託した希望が載せられている。

しかし、濱の場合は、ポリフォニックな構造美を主体に、再度、最初のテーマが浮かび上がるときの光輝などが凄まじい。この濱の演奏を聴くと、もはやスクリャービンは自らの破滅を知りながら、そこに自ら飛び込むようにして、体当たりの音楽を書いたとしか思えない。その象徴となるのは、休符をはさみながら、決然とスピントの効いた響きが立ち上がる弾き終わりの、この上もなく凛とした表情である。

【リモージュの市場での急展開】

ムソルグスキー『展覧会の絵』も、ウゴルスキが得意とする曲目だと思う。しかし、そのことを強調する意味がないことは、スクリャービンの場合と同じだ。濱の演奏は、前半はどちらかというとクールである。

冒頭の印象づくりに最適な「グノーム(こびと)」も軽く、前半のヤマである「ブィドロ」もそれなりに重みはあるものの、むしろ構造的な特徴を前面に出して、しっかりと弾く印象である。ある意味で、彼女の表現はラヴェルの『ボレロ』的な味わいを追っている。つまり、それはあるときまで、とても退屈だという感覚である。それは絵の印象をたっぷりと忍び込ませる他のピアニストに比べ、かなり素っ気ないプロムナードの演奏に象徴的だ。しかし、これは多分、意図的なものである。

「リモージュの市場」で、そんな雰囲気が急に切り替わった。このナンバーは、市場で売り子たちが言い争っている様子を描いたものと言われるが、モデルとなった絵画を見ると、既につづくカタコンブのイメージと直結する要素が十分に備わっている。濱は均質に配置された細かい響きをはっきりと拾い上げ、喧嘩ごしの言葉に籠もる怒気を内面から表現することにより、通常は技巧的で、いささかコミカル、そして、状景描写的としか思われなかった場面に、友人を亡くした作曲家の悔しさを巧みに重ね合わせるという妙技をみせたのである。

この発想に、度肝を抜かれた。

考えてみれば、人間は、自己の心情を剥き出しに吐露することは少ない。その出来事が、当人にとって衝撃的であればあるほど、むしろ、その想いを隠そうとするだろう。例えば、最愛の伴侶が亡くなった場合、その直後よりは数ヶ月後、あるいは、1年後くらいがもっとも悲しいときである。だが、既に時間が経過していることもあり、本人はその寂しさを認めようとせず、多くの場合、平気でいるかのようなポーズをとる。しかし、傍ちかくにいる者は、その人の異常にあらゆる場面で気づかされる・・・というのは、私の母の例であった。

ムソルグスキーは実のところ、序盤から悲しげなところのある絵ばかりを選んでいる。この曲は、友人の死に際して、開かれた個展に出された作品をモティーフとして書かれていることは有名なので、いきなり最初の「グノーム」から、ムソルグスキーの悲嘆を滲ませて演奏する人も多い。そのほうが、表現に起伏が生まれ、ピアニストのポテンシャルは示しやすいという事情もあろう。だが、人間の心理についてつぶさに考えたときには、濱の表現に重みがあるのは明白である。

市場の表現に、色濃く作曲者の内面が投影されることで、従来、うっすら感じてきた「カタコンベ」と、つづく「死者とともに死者の言葉で」の孤立感がなくなり、バーバ・ヤガー以降の展開にも新鮮な息吹が感じられる。つまり、「バーバ・ヤガー」と「キエフの大門」は、これらのシーケンスに向きあうときに必要になる、克服のプロセスと見られる。「バーバ・ヤガー」は悪質な魔女というよりは、復活の象徴であり、「キエフの大門」では最終的に、死者の浄化が目的となるのである。

例えば、「大門」の最後でムソルグスキーは、激しいトレモロを打って結尾としているが、これをリストが編曲ものの最後に、結尾の迫力を出すためにやっているような雰囲気で演奏する人も多くて、私としては、あまり好きでない部分でもあった。しかし、濱の演奏ではトレモロは黒い風が吹き抜けるようなイメージで捉えられ、最後、納得はつかぬにしても、一定の落ち着きを取り戻した作曲者の前から友人の影を奪い去っていくような響きとして、まったく別のイメージが与えられていたのは驚きである。

終曲の「キエフの大門」は入口の響きを若干、レッジェーロ気味に(軽く)打ち、ダイナミズムよりも、響きの質やリズムの尖鋭さにおいて構造を際立たせるという意図が明確になっている。ポリフォニー構造を浮き立たせる手法も好きだが、濱はそちらは控えめで、むしろ縦の意識が強いように思われる。和声の輝きと逞しさがつよく彫琢され、複雑なテンポ構造を颯爽と切り開いていく手法は気持ちよい。

【課題】

問題は、前半のクールな部分の扱いである。上記のような根拠から、基本的な演奏姿勢は問題ないと思われる。また、逆算的に遡行して考えていけば、前半の曲目においても、「リモージュの市場」以降ではっきりと表現される悲嘆の、隠されたメッセージが思い出されるのであり、これらが端的にすぎるという批判は当たらないだろう。しかし、それにしても、その範囲において、なお深い表現に達する可能性はないとはいえず、その点に若干の注文がつくかもしれない。

全体の構図のなかにおける表現と、絵の細部と向きあう作曲者、そして、音楽家のアンガージュマン(突き出し)は、よりディープに抉るべきであり、そのことと、先述のような構想は矛盾せず、簡単ではないとはいえ、なんとか共存し得るのではなかろうか。

【まとめ】

最初のモーツァルトは、プログラムに書いてあるように、オペラ的なイマジネーションを当て嵌めた演奏になっていた。打鍵は軽いが、若干、響きが硬いように思えたのは、やはり、モーツァルトの曲目がクリストーフォリのつくったような楽器を想定していることから来る、ある種の無理を感じさせるせいだろう。濱の演奏はイメージの喚起力に富み、柔らかいペダリングによる長調から短調への転調などが、きれいに描かれているのが特徴だ。

どちらかといえば、得意とはいえないプログラムなのかもしれないが、抑制的な表現を、それなりに楽しんで弾いているのが分かる。ここにモーツァルトが置かれることで、シーララのように叩きすぎることもなくなり、ホールの響きのイメージや、ピアノのコンディションを掴むのにも絶好のプログラムと思われる。また、前述のように、これにショパンをまぜることでスクリャービンのイメージが出来上がるうえに、ほんの僅かなタッチの差で表現が切り替わるマジックは、ムソルグスキーの作品にも通じるところがあるようだ。

このように、メインに『展覧会の絵』というプログラムを置きながら、それを支えるプログラミングは良い意味で、深く穿ったものとなっており、各曲の特質がそれぞれを補完するようにして円環を成すのは、ドイツで活躍するピアニストに相応しいエレガントな構造美を感じさせる。

規模の大きな作品を取り上げるにしては、イメージがぐっと凝縮した演奏会で、濱倫子のパフォーマンスには、今年も大満足というべきであった。でも、私はやっぱり、アンサンブル・ピアニストとしての濱が好きだ。ソロでは足りないというのではないが、アンサンブルで弾いているほうが、彼女の良さがもっと素朴に輝くからである。

なお、銀座/王子ホールという小ぶりな会場だったこともあり、今回は、チケットも早期に完売したという。そのため、事前の推薦記事は書かなかった。どれぐらい招待客に配っているか分からないが、彼女の音楽がそれなりに浸透してきたものとするなら、喜ぶべきことである。

【プログラム】 2010年10月5日

1、モーツァルト ピアノ・ソナタ第12番 K.332
2、スクリャービン ピアノ・ソナタ第3番
3、ムソルグスキー 組曲『展覧会の絵』

 於:王子ホール

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