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2010年10月24日 (日)

瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノ・デュオ ブラームス 2つのピアノのためのソナタ op.34b  10/22

瀬尾久仁&加藤真一郎によるピアノ・デュオは、サントリーのサマー・フェスでその演奏に接して感銘を受け、定期的に活動しているなら、いつか聴いてみたいと思っていたピアノ・デュオであった。というのも、ピアノ・デュオといえば、著名なラベック姉妹など、ほとんどが兄弟姉妹による演奏か急造コンビの専売特許になっている感があり、室内楽分野のなかでは著しく開拓が遅れている領域と思われたからである(特に日本国内では)。そこで実力のある常設のデュオ(しかも日本人の)を発見したことは、ひとつの天恵であるようにも思われたのだ。

同じ桐朋学園大学在学中、瀬尾はピアノ課、加藤は作曲課に属しており、この2人の男女がなぜピアノ・デュオを組むことになったのかはわからないが、2人はそれぞれ安良岡章夫氏を室内楽、もしくは作曲の師としてもっていることから、それを機縁に知り合ったのやもしれない。

【ちがいが際立つデュオ】

いずれにしても、姉妹デュオなどがしばしば強調する(不思議な)シンクロ性の高さは軽く超越し、むしろ、音楽性にちがいが際立つデュオであるといえるだろう。1人ずつ弾かせてみなければ本当のことはよく分からないが、この日の印象に従うならば、瀬尾が鋭く、直感的な演奏姿勢をもつのに対して、加藤は理詰めで、アタックも重厚だ。2人に同じ曲を弾かせたとしたら、きっと、まったくちがう演奏になることだろう。それなのにデュオとして組んだとき、これらの個性がかちあわず、うまい具合にブレンドされているのである。

例えば連弾の場合、見た目にも、どうしてもシンクロ性や仲の良さを強調したくなるシチュエーションにおいて、2人が追求するのは、あくまでも鍵盤をシェアしての室内楽の世界なのだ。いかにも、桐朋らしいというべきだろうか。2人はちがうが、それだけに味が出るのである。例えば、最初の『マ・メール・ロワ』(ラヴェル)など、表現としてステージにかけられるときには、実にまろやかな響きに仕上がっているのだが、よく聴けば、ギリギリまでせめぎ合った異なる2つの感性が、交互に試されているのに気づくはずだ。これはやっぱり良いデュオだと確信するのに、時間はかからなかった。

【優れた様式感】

但し、2人にとって、これだけは共通している。それはしっかりした知見に基づく、様式感に対する厳しいセンスである。当夜、演奏された作曲家はラヴェル、シューマン、増本伎共子、ブラームスとバラバラの4人であるが、それぞれに様式感のちがいは明確であった。まず、ラヴェルでは響きに洒落っ気があり、音色も繊細。だが、語りくちは鋭くて、抑揚がシャープである。シューマンは凝りに凝っており、その分、いくぶん不器用だが、表情が柔らかく多彩である。

増本作品はミニマリズムと、フランキスト的な循環的手法、もしくはロシア的なオスティナートの混合で、全体的なイメージはフランス印象派風という複雑な響きを作り出している・・・という言葉の説明になるが、実際の響きはもっとはんなりして、余所ゆきでない。最後のブラームスは重厚で、古典的な様式美が際立っている。こうした異なるキャラクターが、音色や打鍵の質、フレージング、ペダリングなどから、はっきりと描きわけられている点にも注目したい。

【2台ピアノ版の長所】

このなかで、特に共感が深かったのは、やはりブラームスである。ここで演奏された2つのピアノのためのソナタ(op.34b)は、最終稿として傑作のピアノ五重奏曲をもち、そこに至る過渡的な作品として誤解される。しかし、デュオによる解説文では、ブラームスはクララら友人たちの助言を容れて最終稿を書き上げたものの、作曲者自身は2台ピアノ版にも愛情を注いでいたことを指摘しており、「ピアノ・デュオ音楽にとっての記念碑的作品」であることを強調している。

私としてもこれには同感で、これら2つの作品はそれぞれが1つの作品として理解されるべきであろうが、そのことに説得力を持たせるためにも、デュオの演奏が優れている必要があった。例えば私は、ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』はラヴェル編曲などの派手なエディションよりも、原曲のピアノ独奏版のほうがはるかに繊細な表現が可能だとみているが、それと同じような質の、ピアノ版のチャーミングさをハッキリ感じさせるような演奏でなければ、従来のイメージを変更し、先のようなイメージを聴き手に抱いてもらうことは難しいはずだ。

では、瀬尾&加藤の描く2台ピアノ版の凄さとはなんだろう。それはいくつかあったが、いちばん大事なことは、2人で弾くというフォームそのものの中にあるように思えてならないのだ。一体、何人で弾くのが音楽世界を突き詰めていくのに幸便なのか、本当のところ、私にはわからない。4人くらいが主観性と客観性のバランスが、とりやすいのであろう。そのために、弦楽四重奏曲は室内楽の王道のジャンルと見なされているのは周知のとおりだ。2人では音楽性が対立した場合の収拾が難しいし、3人ではいつも誰かひとりがキャスティングボードを握ることになり、下手をすれば、多数決で音楽の方向性が決まってしまいかねない。4人ともなれば、これらのバランスが拮抗し、安易に決定を押しつけない、より質のいい音楽表現が導かれやすいというわけである。

ただし、2人のときに生じるはずの問題をうまく克服できるとするならば、デュオは室内楽分野のなかでもっともスリリングで、親密な表現が可能だということにもなるのではなかろうか。瀬尾&加藤のデュオがもつ長所は(既に書いたように)、2人のパートナー同士の関係性がとても自然であるわりに、そこに至るまでに明滅したあらゆる可能性が消えておらず、それぞれの奏でる響きのなかに、静かに溶け込んでいるというポイントに集約される。

【得意なものを交換する】

弾き出しからわかるように、このソナタでは前半の連弾の曲とはちがい、どちらかといえば、加藤のほうがファーストの役割を受けもった。それに対し、瀬尾がポリフォニー的な素材を組み合わせて、和声づけを担当する場面が多かったように見受けられる。序盤は、ブラームスのポリフォニー的な特徴を丁寧に展開し、まずはクールな演奏といえそうだが、これはデュオのうちでも、特に加藤らしいペースであると想像できる。加藤は連弾でみせたように、きっちりした几帳面な仕事を好むのだが、一方、瀬尾のもつ直感力が、本来、加藤の得意とする和声づけのなかで、この作品において特別な味わいを付け加えていることに留意したい。

つまり、2人は互いが得意な役割を交換することで、この作品のどこか堅苦しくて、硬直したイメージを解放しようと考えたわけだ。その効果は、第4楽章最後に現れるベートーベンばりにダイナミックで、荘厳なフーガの演奏に象徴的である。その素朴な詩情は2台ピアノ版による専売特許であり、ピアノ五重奏版では、そのエネルギーがあまりにも見事に音色へと溶け出しているために、ブラームスのロマン派的な特徴だけが浮き彫りになってしまう「欠点」を帯びている。

つまり、ピアノ五重奏版ではブラームスの新しさが際立つ(シーララの言葉を思い出す)が、2台ピアノ版では、ブラームスの古さ、つまりは、素朴さが先行する。瀬尾&加藤はこの素朴であることに、より深い味わいを見出しているようだが、しかし、それを補うように発散するエネルギッシュな響きの源は、上のような「交換」に秘訣を求めることができるように思われるのだ。

【本命は中間2楽章】

2人の演奏はその他大多数のデュオの演奏に対して、両端楽章でハッキリ特徴的な印象をもっている。つまり、第1楽章ではより響きが堅固で、リズムやテンポ感も引き締まっているのに対して、第4楽章では同じように厳密な構造美はあっても、いくぶん自由な感じがした。

ただし、これら特徴的な部分の、いわば言葉で述べやすい部分について述べるだけでは、当夜のデュオの演奏を描写するに、あまりにも恣意的というものだろう。彼らが愛情を注いだのは、実は中間の2楽章であると思われる。そのための『マ・メール・ロワ』であり、『東洋の絵』があったとすると、加藤のいささか野暮ったい説明がなくとも、プログラミングの妙は十分に理解できるのである。例えば、両端楽章に共感があるならば、もっと構造的に味わいがあり、ガッチリしたプログラムを選ぶはずだ。そうではなく、温かく穏和な響きのなかに、そこはかとなく美しさが忍び込む上記のような作品を選んだあたりに、デュオの意図を読みたいと思う。

だが、ここでもやはり、「素朴」というキーワードは外せない。彼らはブラームスの素朴さ、あるいは、実直な構造への磨き上げにゆったり共鳴しているようである。スケルッツォも、決してワザに奔ることなく、緻密な構造美を素直に浮かび上がらせることに専念しており、別にクールというわけでもないが、表現に行きすぎがないというか、その均整が実にいいバランスで組まれているために、中間的な部分の柔らかい響きがごく自然な道筋を辿って、聴き手のイメージへと直裁に到達するようになっていたうえに、構造的なスムーズさも指摘できる。

なるほど、クララらの忠告は的を射ており、2台ピアノ版の素朴さだけでは、この楽曲の普及は覚束なかったやもしれぬ。しかし、心ある人が聴く限りにおいて、優雅で、明け広げなピアノ五重奏版に対して、2台ピアノ版の個性はいかにもブラームスらしい奥ゆかしさに繋がっている。2つの作品は外見ばかりが似ていて、性格がまるで反対の双生児のようなものだ。そして、父親が自分と同じように言葉数の少ない兄貴のほうを愛したのは理解できることだろう。

【そのほかの曲】

さて、ほかの曲についても詳しいレヴューをつけたいところだが、ブラームスに相当な文字数を割いたので、簡潔にするほかない。まず、ラヴェルは既に書いたように、響きの明るさが印象的である。ただし、「素朴」のキーワードはここでも当て嵌まり、2人のピアニストによる演奏はその題名にいかにも相応しいような語りくちで落ち着きがある。

ときに、マ・メール・ロワ・・・つまり、英語にいうマザーグースを語る場合、どのような語りくちが相応しいのだろうか。読んで聞かせる相手は主に子どもであることを踏まえ、次のような矛盾した2つの要素が必要である。つまり、「のんびり」と「きびきび」である。必要に応じて、適度に子どもの想像力が働くスペースを与えながらも、同時に、向こうが退屈しないように抑揚をつけ、適度にテンポよく進めることも必要だ。相手次第でもあるので、子どもをよく観察し、その態度にあわせた表現が必要となろう。そのことを書いておけば、上の表現にも誤解は生じにくいはずだ。

シューマンの作品はとても珍しいプログラムであり、その演奏の特徴を記憶に止めておくことは難しかったが、ラヴェルと比べると音色も素朴であるうえに、ペダリングなども上品で、辛口な表現といえたのかもしれない。作品の背景にあるオリエンタル趣味のようなものは強調されず、むしろ、その中心にある詩情だけを端的に引き出した点が評価できるように思う。

増本作品はこの2人による委嘱で、ベルリンの地で初演されたという。これがもちろん、日本初演となるのだろう。作品の印象は既に述べたとおりで、形式的には折衷的、作品の内容はフランスの印象派的というものであった。題名の『カリヨン』(鐘の曲)は、初演地のベルリンの鐘から着想されたものとしている。鐘といえば、つい先日も耳にしたせいか、ラヴェルの『鏡』に収められた「鐘の谷」が思い出されるところで、作品の雰囲気もやや尖ってはいるものの、だいぶん似通っているように思われた。

作曲者はプログラムに寄せられた文章では、ベルリン初演の予告で、この鐘が日本の寺院のものと誤記されていたことに苦笑しているのだが、ラヴェルよりも低音をつよく打つため、作曲者の意図に反し、やはり日本の寺院のそれにイメージが接近していることは否めない。この作品も「素朴」で、あまり抑揚のない一本気な構造が逆に個性的だが、聴き手ををハッとさせるような要素はなく、その点で、大きく賞賛したい要素は発見できなかった。

【まとめ】

全体的に、質の高いリサイタルであった。このデュオは技術的にも安定しており、深く穿った表現も信頼できるため、日本で定期的な活動をおこなうのなら、このブログでも定期的に取り上げることになるだろう。彼らには、二面性がある。つまり、通好み(自分が『通』だと言っているのではない)の繊細で、ちょっとした気遣いが深いだけでなく、表面上、きわめて表現が明るく、屈託がない。また、優れたプロであっても、表現が威張っていないのも好印象だ。然るに、垂れすぎてもいない。

自分たちのやりたいことを堂々とやりながら、あくまで楽しく相手と共有するという基本姿勢は、聴衆にとってありがたいものだろう。最初に述べたように、私はこのデュオを連弾においてさえ、室内楽として見ていた。常設の室内楽のグループにとっては、いかに思いきった表現を共有し、ダイナミズムやフレージングなどで、徹底したこだわりや磨き込みをみせることができるかが、いちばん大事なことになるが、その点、このデュオは相互の対話力に優れており、多分、出会ったときから豊富な可能性を感じていたにちがいない。

私はクァルテット・エクセルシオという弦楽四重奏団が好きなのだが、それは現時点で、彼らが誰よりもうまいクァルテットだからではなくて、4人が互いの可能性を認めあい、常に上昇していく素地がゆたかであること、また、それを掴もうとする努力が真摯で、目に見えるという点にある。もちろん、彼らの考えるクァルテットの社会性などに共感したせいでもあるが、音楽的にはいま述べたようなことが重要となる。

瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノ・デュオの演奏からも、そのような上昇力がはっきりと感じられる。それゆえ、このデュオとはできるだけ長くつきあいたい、できることがあれば協力もさせてもらいたいと思わせるものがあった。幸い、まだまだ若いデュオだけに、ゆたかな未来が彼らを待っていることだろうし、未来をその手で掴んでほしいと願う!

【プログラム】 2010年10月22日

1、ラヴェル マ・メール・ロワ
2、シューマン 東洋の絵
3、増本伎共子 カリヨン(鐘の曲)
4、ブラームス 2つのピアノのためのソナタ op.34b

 於:東京オペラシティ(リサイタルホール)

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