2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

« ボザール・トリオ −1で来日中 プレスラー&メネセス ベートーベンで共演 | トップページ | A.メネセス&M.プレスラー ベートーベン チェロ・ソナタ全曲演奏会 (第二夜) @浜離宮浜離宮朝日ホール 12/14 »

2010年12月14日 (火)

A.メネセス&M.プレスラー ベートーベン チェロ・ソナタ全曲演奏会 (第一夜) @浜離宮浜離宮朝日ホール 12/13

プレヴュー記事にも書いたメネセスとプレスラーのデュオ公演を、浜離宮浜離宮朝日ホールで聴いてきた。本当は14日だけの予定だったが、いつからか、どうしても2日連続で聴きたくなってしまい、来週、足を運ぶはずだった都響のコンサートを諦めて、こちらにリソースを集中した。大晦日を除けば、この二夜が演奏会の聴き納めとなるだろう。『第九』のない、久しぶりの冬だ。

【木の薫りのする響き】

最初の曲から、もう癒やされっぱなしだった。メナヘム・プレスラーは87歳の大ベテランだが、腕前の落ちはほとんど感じられない。細かいトリルも涼しげな顔でこなすし、強奏から弱奏に至るダイナミズムの変化も、依然としてワイドだ。録音と比べると、若干、響きの透明感が薄まったような印象もあるが、それもこころなしという程度であり、ライヴでは別の良さがある。それは、正に木の薫りのする音色である。デラックスなスタインウェイ・ピアノでは、どちらかというと貴金属的な響きの鋭さや、優雅な音色の膨らみが目立ちやすいものだが、プレスラーの演奏では、ハンマーに使われている木の味わいがそのまま響きに滲み出てくる。

一方、アントニオ・メネセスのチェロも、やはり木の薫りがする響きであった。ノン・ヴィブラート・ベースの美しく、柔らかみのある音色は、まるでガット弦でも使っているかのよう。ブラジル人ということで、ラテン系の明るい響きを想像しがちだが、淡泊で、誇張のないカッチリしたドイツ風の音楽づくり・・・ときに、「ドイツのチェリスト」といわれても思い当たる人がいないが、アントニオ・ヤニグロの影響をつよく受けたチェリストと聞くと、なるほどと思った。大木がゆったりと歌をうたうような、そんなどっしりした歌いまわしは、なるほどヤニグロとそっくりである。

ただ、最近の流行にあわせたものか、響きは全体的にかなりヘルシーに刈り込まれているのが異なるところだろう。

【リラックスさせられる響き】

この2人がつくる演奏、とにかくリラックスさせられる響きだ。ベートーベンばかり二夜も聴くことには、実は一抹の不安も持っていたが、彼らの演奏ならば、全くといっていいほどくどさは感じない。ソナタ第2番の第1楽章なんて、それはしつこい音楽だけれども、歯切れがよくスリリングであるのに、偽終止を何度繰り返しても、波が引いては寄せるような安心感があり、弾き込むごとにユーモアが浮き上がってくるのである。

白眉は、やはり第3番だろう。この曲の第1楽章は、八王子のチェロ・コンペティションで厭というほど聴いたはずだが、エリシュカの「新世界より」ではないれども、当夜、はじめて聴いたような新鮮さがあった。まず、メネセスのフレッシュな歌いだし、それを打ち消さないピアノのラインの清楚な美しさは、最近のこのコンビによる録音よりも、ずっと自然な味わいがある。その後、プレスラーの独奏となると立体的な響きが瞬時に浮き上がり、それとつきあうチェロのしなやかなカンタービレが、徐々に溶けあっていく。

録音ではどこか歌曲のような響きのしなやかさ、その溶けあいが際立っているように聴こえるが、ライヴでは、もっと各々の歌いまわしの面白さが堂々と立っているように感じられ、特に、ピアノのトリルの美しさなどに、深いコクが感じられる。一方、チェロのラインは終始、控えめで、要所だけでぐっと力を込めるメリハリが効いている。2人の演奏では、フォルテとなる部分はほんの僅かで、全体的にメゾ・ピアノ以下の声量で、丹念にフレーズを歌っていくのが、かえって聴き手のこころを捉える。特に、チェロが楽器を抱え込むようなアクションで響きを思いきって絞り、ピアノの音色をジェントルに包み込むような場面が印象深かった。

【特徴的なスケルッツォ】

スケルッツォの演奏は独特で、ノン・ヴィブラート・ベースで吐き捨てるように表出されるパッセージが、執拗な(拍の)アタマの強調で神経質に響く。録音と比べて、チェロの響きが若干、大げさになっている感じもあるが、その分、こころなしサバサバした響きとなり、感情的な表現が徐々に溶けて、すこしずつ淡泊になっていくようで面白い。その演奏スタイルは、この楽章ひとつだけでみれば疑問符がつくが、次の楽章とあわせて考えてみると、それなりにバランスがとれている。それに、最後のほうにあるピッチカートの部分と、驚くほどマッチしてもいるようだ。

【フィナーレ】

幸福な第3楽章、アダージョ・カンタービレによる序奏の演奏につづき、アレグロに入ると、きわめて快活な歯切れのよい展開が聴き手を惹き込む。どちらかといえば、拍節感に頼らないプレスラーのダイナモが動き出し、ピアノの揺るぎない流れにメネセスのチェロが悠然と絡みあう。構造を集め、次第に聴き手を昂揚させる2人の動きに誘われ、我々はベートーベンにありがちな、フーガによる壮大なフィナーレを期待する。しかし、実際にはそれはなく、チェロのふくよかなカンタービレで、また新たな方向に聴き手を向かわせる。

そのクライマックスは音階をたっぷりと昇降し、カノン風の構造が優しく花開くコーダの門口にもって来られていた。そこから慌てず騒がず、最後の弾きおわりに向けて残ったピースを丁寧に拾い集めてフィナーレに到達する。録音のほうが若干、優しげで紳士的であるのに対して、ライヴでは、こころなし体重がかかって、重みのある演奏に。とにかく、例の音階構造の部分から先は背筋が伸びそうなきりっとしたフォルムが特徴となり、正にドイツ的な端正さが際立つ演奏になっていた。

【終わりそうで終わらない軟構造】

ソナタ第2番は、既に述べたような終わりそうで終わらないベートーベン的構造を徹底した第1楽章の演奏が、大変に面白い。彼らはなにも1回ごとに力みかえるような強調はみせていないが、構造的な集積をしっかり印象づけることで、1回1回の頂点を丁寧に織り込んでいくことで、無限拡張的に、執拗なベートーベンの書法を端的に印象づける。そのシステマティックな用意周到さに接すると、まるでベートーベンが、当時の貴族がどこで飽きても格好良くおわれるように巧みに工夫したような印象さえもつのである。それを今日の集中力の高いコンサートで聴くと、ベートーベンがよほど偏屈な男だった印象も抱かせるのだが、その見方はあまりにも短絡的であるように思える。

ベートーベンは、ハイドン的な「驚愕」的手法を用いて、いつおわっても見栄えのする軟構造を面白く組み立てて、気紛れな王侯たちの前で演奏していたと考えるのほうが、私にはずっと自然な見方のように思えるからだ。シーンの途中でダンサーが遅れたりしても、最終的に帳尻が合うように、バレエ音楽の作曲家が各場面のおわりの音にほぼ必ずフェルマータを付しているのと、同じ種類の実用的な発想である。

また、この手法は変奏曲的な発想でもあり、今回、ソナタとともに、チェロとピアノによる変奏曲が取り上げられていることは、きわめて興味ぶかい。2番においては、その性質がより強いため、全体的に
流れのしなやかさと表情の切り替えの鋭さに力点が置かれ、変化の愉しい演奏になっていた。

【ヴァリュエーション】

当夜は、メインとなるソナタ2曲のほかに、ベートーベンにとっての先達がつくったオペラの素材に基づくヴァリュエーション作品が、2つ演奏された。とても簡潔で、どこか切ったのではないかと思えるぐらい、10分強の演奏はあっという間におわった。特に、賞状授与のときによくかかる旋律で有名な、ヘンデルのオラトリオ『ユダス・マカベウス』のアリア「見よ、勇者は帰る」のほうの変奏曲は、その構造的な単純さを踏まえて、すっきりした演奏に徹し、その思いきった刈り込みに驚嘆させられたものである。

一方、モーツァルトの歌劇『魔笛』のなかの、パパゲーノのアリア「かわいい娘か女房がいれば」によるヴァリュエーションは、内面的な充実がすこぶる特徴的である。冒頭と締めは原曲のコミカルな部分を引き写しているのだが、中間は表情が細かく入れ替わる変奏の特徴を生かし、最近の歌劇演出で前面に出されるようなモーツァルトのデモーニッシュな部分を、うまく引き出している。

録音ではもっと優しげな音楽づくりになっているが、ライヴでは、若干、シリアスな聴こえ方をする。ピアノのトレモロが印象的な変奏における、プレスラーの打鍵のなんともいえない絶妙なコントロール(弾力性やリリックなラインの美観)に、まずはほろりと来てしまう。暗鬱な変奏における、内面的な強調も鮮やか。最後、明るく転調しての弾きおわりだが、力を抜いて、聴き手を置き去りにするような呆気ない幕切れにも鳥肌が立つ。

【まとめ】

しかし、この日の演奏会は、細かくどこが良かった/悪かったというよりも、最初に書いた木の薫りのする音色の芳香や、先に「フォルテとなる部分はほんの僅かで、全体的にメゾ・ピアノ以下の声量で、丹念にフレーズを歌っていく」と評した歌い方の素晴らしさ、これに終始、満足していた感じのある演奏会だ。白寿ホールで、席を大きく倒して聴くことができる「リクライニング・シリーズ」というのをやっていて人気があるが、当夜はもう、この演奏を聴いているだけで、やる気がなくなって駄目人間になってしまうような、そんな甘みを感じるパフォーマンスだった。

アンコールの1曲にブラームスの第1番の緩徐楽章が演奏されたが、これならブラームスが聴いてみたいと思っていただけに、渡りに舟の内容だった。とりわけ、プレスラーの表現のしなやかさは特筆すべきもので、アンコールではさらにバッハも弾いたが、本編のベートーベンのソナタ、そして、ヴァリュエーションと、すべてきれいに様式をわけて演奏している。このあたり、さすがに室内楽のプロ中のプロ。名人の奏でる見事なピアノに、驚嘆の一夜であった。

なお、事前に心配された客入りだが、イープラスのディスカウント効果もあったのか、9割方は埋まった賑やかな会場となり、一安心した。なお、私は下手な席をあてがわれても困るので、1000円をけちらずに正価で買っている。音大の学生風の一団も来ていたが、いたく感心して帰った風にみえた。こういう貴重な経験を大事にしてほしいもの。彼らに限らず、フロア中に喜びの広がった演奏会であった。

【プログラム】 2010年12月13日

オール・ベートーベン・プログラム
1、ヘンデルのオラトリオ『ユダス・マカベウス』の
    アリア「見よ、勇者は帰る」の主題による変奏曲
2、チェロ・ソナタ第2番
3、モーツァルトの歌劇『魔笛』のアリア
   「かわいい娘か女房がいれば」の主題による変奏曲
4、チェロ・ソナタ第3番

 於:浜離宮浜離宮朝日ホール

« ボザール・トリオ −1で来日中 プレスラー&メネセス ベートーベンで共演 | トップページ | A.メネセス&M.プレスラー ベートーベン チェロ・ソナタ全曲演奏会 (第二夜) @浜離宮浜離宮朝日ホール 12/14 »

室内楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543421/50295935

この記事へのトラックバック一覧です: A.メネセス&M.プレスラー ベートーベン チェロ・ソナタ全曲演奏会 (第一夜) @浜離宮浜離宮朝日ホール 12/13:

« ボザール・トリオ −1で来日中 プレスラー&メネセス ベートーベンで共演 | トップページ | A.メネセス&M.プレスラー ベートーベン チェロ・ソナタ全曲演奏会 (第二夜) @浜離宮浜離宮朝日ホール 12/14 »

ツイッター

  • ツイッター

最近のコメント