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2010年12月16日 (木)

A.メネセス&M.プレスラー ベートーベン チェロ・ソナタ全曲演奏会 (第二夜) @浜離宮浜離宮朝日ホール 12/14

前日に引きつづき、アントニオ・メネセスとメナヘム・プレスラーによる演奏を聴いてきたが、やはり裏切らないパフォーマンスだった。

【ベートーベンは凄い!】

まず、こうして5曲全部を通しで聴いてみて、いまさらながら、ベートーベンの偉大さを感じた。同じ楽器のソナタを5曲書いて、これほど見事に、全部が全部、異なった特質をもっているということはあるだろうか。(op.5)の2曲だけはスタイルが似通っているものの、それでも第1番から第2番への飛躍は驚異的だし、第3番の独特の重み、そして、第4番の酒脱さと、それと連作で書かれた5番の堂々たる様式美。楽章の配置や順番、楽章数まで、ことごとくちがう。

どんな作曲家でも形式はさほどいじらずに、モティーフやその展開をいじっていくだけなのが普通であるのに、ベートーベンはもう、前と同じことをやるのが罪であるかのように書いている。常に新しさを求めるとかいうよりも、ほとんど異常といえるような潔癖性、あるいは、同じ玩具に10分と拘泥できない子どものような飽きっぽさが、私には見える。しかし、その目まぐるしい変化はどっこい、きわめて効果的にに決まっているのであって、そこがベートーベンの面白さである。

【堂々たる第5番】

2日目の演奏では、最後の第5番が白眉である。そして、これはもう、ツィクルス全体を通じてのハイライトであったことはいうまでもない。この作品の演奏について、私はあまり長く書くつもりはない。ベートーベンがすべての虚飾を排して、堂々たる形式で書き上げた作品を、弾くほうも真正面から取り上げた演奏で、実に整然とした名演である。とりわけ、緩徐楽章の素晴らしさは、筆舌に尽くしがたいものがある。メネセスのもつカンタービレがもっとも輝き、ベルカントの発声で、いつも囁くように語りつづけてきた2人の語りくちが、正に、この楽章のためにあったかのように思われるほどに、効果的だった。

どちらかといえば、プレスラーを中心に語ってきたツィクルス公演であるが、この楽章に関しては、メネセスの傑出した歌いまわしについて強調したい。

そして、私がこのツィクルスの席に着いた最初から待ち望んでいた、フーガによる最終楽章は、実質的にはアンコール・ステージのような喜びで迎えた。しかし、途中で雰囲気が変わったのに気づいただろうか。初めのほうは本当に美しく、紳士的に嵌っていたフーガのライン(ズ)の響きが、だんだんといびつになり、グロテスクなまでにぶつかり出すまでの顛末を。ピアノの低音のトレモロが、そのサインになっている。

【古典への懐かしさ】

もっとも第4番ではこのような本格的なフーガは書かれず、最後にポリフォニックな部分がすこしだけ現れる。しかも、その響きはどこか遠く、若干、リズムに(もちろん意図的に)遅れている。ここで、ベートーベンは明らかに、ポリフォニックの典型的な形式を懐古的に描いている。それはもはや手の届かないところにあるものであり、第5番における転換を予告するものだ。このアクションは、チェロの息の長いレガートに対して、涙が出るほど端正に、ピアノが裏側で奏でるポリフォニックな旋律で開始を告げる。

この第4番のおわりのアレグロの部分は、全体的にソウルフルだ。最初のシーケンスを端正にまとめ上げたあと、深いパウゼを経て、チェロの低音レガートによるうめきに対し、ピアノが体重をかけた曲線的な動きでペロンと響きを交わす独創的な動きをアクセントに、スケルッツォ的な特徴もある。しかし、そうした要素は結局、先に述べたような懐古的なポリフォニーを浮かび上がらせるためのキーであるにすぎない。

この構造に導かれるかのようにある第5番の終楽章では、典型的な美しいフーガの形式がやがて、もはや破裂しそうなほど膨らんだ風船のような危ういバランスに変貌し、一見、シンプルな対位法的なラインが途中からは、もうロックのような響きを構成するようになる。これこそが、ベートーベンの室内楽の醍醐味なのである。メネセスとプレスラーは、そのリスキーな動きをこのシリーズ最高の集中力で弾ききったといえる。

【そのほかの部分】

第4番においては、最初のアンダンテによる序奏も見事だ。ノン・ヴィブラート・ベースながら、響きをたっぷりと保持し、途切れない歌ごころの粘りが印象的である。その後の主部の立ち上げは、録音よりも滑らかで、ここに限らず、録音のころと比べて、ツアー経験を積んだことによる解釈の進化は顕著に感じられた。フォルムも旋律や構造の流れに対してより自然であり、味わい深いものとなっている。

第1番は、同じ(op.5)の第2番と同じスタイルで演奏した。つまり、変奏曲のような形式で、執拗に波の行ったり来たりを繰り返すカタチである。しかし、前日に聴いた第2番のほうと比べると、あれほどの気っ風の良さはみられず、フレーズの断面の鋭さや旋律線の挿入などが及び腰で、一口に言って、センスが甘いのである。もちろん、ベートーベンだから、それでも力強く堅固な骨組みに恵まれた佳曲であることは間違いないが。

2人は、そういう弱点を適当に補うのではなく、そのまま演奏することで、形式的には似通ったものでありながら、第1番を経たあとの第2番の鋭い書法を圧倒的に印象づけるのであった。また、全体的にはいささか純朴に奏でることで、おわりのほうに出てくる重音の活躍をヴィヴィッドに見せるという工夫も出している。面白いことに、そのことで音色や響きの深いコミュニケーションに力点を置いた、2人のパフォーマンスの特徴が、改めて浮かび上がってきた。

さらにいえば、これは第4楽章のおわりのポリフォニックな部分と同様、あまりにも断片的であるため、懐古的、もしくは、冷笑的な視点をみせることになる。メネセスもそれを見越して、ユーモアたっぷりにやっているのが興味ぶかい。しかし、その後は、静かな響きを上品に仕上げたあと、それとは対になる、音を外すのも辞さないような大胆な揺らしを使って、颯爽と弾きおわる。この部分は歌舞伎でいう「睨み」が効いてような感じで、大変に印象的なところだった。

【まとめ】

言いたいことの半分も書けていないような気がするが、本当に滋味ゆたかな「しみる」演奏会だったことは、是非とも書いておきたい。

アンコールでは、私の大好きなドビュッシーやショパンのピースが演奏され、もう言うことがない。これらの演奏のあと、さらに、メネセスがオーディエンスのアプローズを止めて、立ったまま「ソロ・アンコール」をやるという。彼が弾きだしたのは、ハッピー・バースデイのメロディであった。この日はなんと、プレスラー米寿の誕生日だったのである。私は介護業に従事していることもあって、88歳の方、特に男性の方が、いかに心身の健康を保ちにくいかはよく知っているつもりだ。しかし、足腰も顔色も、そして、演奏も若々しく、なにも言わなければ、5−60代くらいの若さといっても通りそうなぐらいだ。

オーディエンスはもちろん破顔大笑して、拍手を以て巨匠のバースデイを祝った。ステージの2人は抱き合った。演奏外のことだが、これも感動的な光景である。これも含め、あらゆる意味で印象に残るコンサートとなった。2010年、実質的に最後のコンサートとしてこれを選んだことは誇らしい限りである。最後に、彼らの演奏を評するポエムを書いておわりにする。

【ポエム】

静かだ
・・・あまりにも静かだ
それだけに
・・・私の耳に重苦しく響く水鳥の羽声
彼女は
・・・どこに羽ばたいていく

遠く夢の世界へ!

静かに
・・・あまりにも静かに
語る羽音に
・・・私は真実をみた
嘘つきは誰かを振り向かせようとして
・・・いつも大声を出す

真実の声は
・・・私たちが自分から拾いにいく
彼女の羽音は
・・・私の夢である
それゆえに
・・・まことらしい!

【プログラム】 2010年12月14日

オール・ベートーベン・プログラム
1、モーツァルトの歌劇『魔笛』の二重唱
    「恋を知る男たちは」の主題による変奏曲
2、チェロ・ソナタ第1番
3、チェロ・ソナタ第4番
4、チェロ・ソナタ第5番

 於:浜離宮浜離宮朝日ホール

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コメント

いまさらながら今年ボザールトリオに凝り、集中的に聴いていたところです。
中でもハイドンのトリオ全集はヘビーローテーションでした。
東京にいたら万難を排し、フルーシャをおいてでも行っただろうに。
ご報告ありがたく存じます。

チッコリーニ、エリシュカ、プレスラー&メネセス等、滋味溢れる演奏家をきくにつけ
老境で至った円熟という以上に、この先、こういうクラシック音楽は存続するのだろうか
という危惧を感じます。戦前の空気を受け継ぐ芸に立ち会えるのは、ぎりぎり
ここまでかと。

Pilsnerさん、コメントありがとうございます。

クラシック音楽の存続は、本当に、難しくなっているのかもしれないです。日本はまだマシのような気もしますが、この前、K夫妻に伺ったようなチェコの状勢も酷いようですけれど、それは欧州全体にとっての縮図のようなもので、本場がどんどん荒れれば、アジアでどれだけ頑張っても限界がありますからね。

ボザール・トリオは世界中でスターですが、チッコリーニや亡くなったフルネにしても、もちろん、エリシュカにしても、欧州では興味の対象外になっているという感じがしますね。いまさら「新世界より」で感動し得るような発想も、関心もない。フィギュア・スケートでも、最近はバレエで使われるようなナンバーは人気がなく、映画のテーマ音楽などのほうが審査員にウケがいいようです。

指揮者や声楽については、かなり悲観的なのですが、それでも鍵盤や弦楽器、木管などには、若い人の中に有望な人はまだいますから、そういう人たちに期待したいです。ピアニストでいえば、来月来日のスドビンとか、マルクス・グロー、ヴァイオリンのスヴェトリン・ルセヴ、そして、ヴィオラ・スペースに来ているような若いヴィオリストたちなどです。チェロでは、ケラスやイッサーリスなどがいますから、その次の世代の出現を待ちたいものです。

こういう人たちをなるべく上手に見極めていくのが、私たちのできる、せめてもの抵抗であろうと思います。

ちなみにこの2日間、テレビ・カメラが入っており、特に2日目はカメラが4−5台もガッツリ用意されていたので、NHKーBSあたりで、いつか放映されるんじゃないかと思います。

チッコリーニは欧州ではむしろスターですよ。フランスでの人気は大変なものです。
ただメジャーなマネジメントにはのっていないのか、雑誌等、メディアでの扱いは低いですね。

TV放映情報ありがとうございます。楽しみにチェックします。

Plisnerさん、重ねて、コメントありがとうございます。チッコリーニは、確かにスターですね。失礼しました。また、本当に放送があるか確認したわけではないですが、あれだけカメラが入っていて何もないということはないでしょう。どうぞ、お楽しみに。

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