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2010年12月 2日 (木)

フィビヒ ピアノ五重奏曲 (1894年)

 参考録音:アンサンブル・アヒト(Thorofon)

ズネニェク・フィビヒはドヴォルザークよりも10年弱、遅れて生まれてきたものの、ほぼ同時代人と考えて間違いではないだろう。そして、多分、この世代におけるチェコの作曲家のなかで、もっとも模範的な作曲家と目されたにちがいない。ただし、彼はプラハ音楽院などの教育機関で教授職などに就いたことはなく、ドヴォルザークを激しく攻撃した評論家のズデニェク・ネイェドリー、作曲家にして指揮者でもあったオタカル・オストルチルなどの弟子もあったとはいえ、これは個人的な私淑によるものであったようである。

さて、そんなフィビヒを「もっとも模範的」と評するのは、彼の作風が国民楽派的なそれよりも、ドイツやフランスの伝統を引きながら、ちょっとばかりはスラヴ風という「正統的」なラインにちかいと思ったからである。伝統芸術の継承には、前時代のものをちょっとずつ変えていく慎重なものと、圧倒的に斬新で革命的なものと、両方が必要であると思う。我々はしばしば後者のものばかりに目を奪われるが、自分たちの守ってきた流れを堅持して、あとの世代にバトン・タッチしようとするコツコツした仕事も、「保守的」の一言で評価されるべきではないのではないか。

彼の同時代人でいえば、上にいう後者の例には、彼よりも4年遅れて生まれてきたヤナーチェクが当て嵌まり、フィビヒが前者の代表と目される。なるほどフィビヒ自身は保守的な作風を守ったが、弟子のひとりであったネイェドリーのように、自分の大事にするストリームとは異なるドヴォルザークや、その流れに属する者たちを批判することで、チェコ楽壇に要らざるカオスを巻き起こすようなこともなかった。

フィビヒの作品をみれば、同世代以降、チェコ国民楽派が開拓するチェコ音楽のひとつの来歴はなおさら明らかとなる。それは地理的に連続し、政治的にも深い関係をもつ独墺系音楽の伝統だけに立脚するものではなく、フランク、ショーソン、フォーレ、ダンディ、ルーセルなどを経由したフランス系の近代音楽のエッセンスをも受け継いでいるように見受けられることだ。

このストリームではマルティヌーが有名であるが、例えば、師匠のひとりであるイグナーツ・モシェレスや、その友人のフェティスの立ち位置。さらに、弟子のひとりで、晩年、フィビヒと親密になった女性としても知られるアネシカ・シュルツォヴァーがフランス文学の翻訳を得意としていたことなどからみても、フィビヒもまたフランスからの影響が強いことは容易に想像がつくというものだ。

なんといってもウィーンなど及びもつかないほどの、当時、欧州最大の大都会であるパリを擁することもあるが、ボヘミア圏とパリの関係というのは意外に濃厚だ。例えば、パリ音楽院の教授として歴史的な事績を挙げたアントニン・レイハ(ライヒャ)は一般的な知名度こそないものの、リスト、フランク、ベルリオーズ、グノーなど、錚々たる弟子を育てたことで知られている。よっぽどレイハはプラハ生まれとはいえ10歳で孤児となり、ドイツ人の作曲家、ヨーゼフ・ライヒャに引き取られてドイツで教育を受けている。

しかし、その後もチェコ出身の作曲家はさかんにパリをはじめとする西欧で活躍しており、のちの「国民楽派」のイメージからすれば意外なほど、彼らの音楽は西欧の音楽的なストリームに連結したものであったにちがいない。そして、18世紀末から19世紀にかけてチェコの伝統的な素材(民謡など)が再発見されるまでは、チェコの音楽家もそのことを当たり前のように受け容れていたのであろう。

前置きがとても長くなってしまったが、フィビヒのピアノ五重奏曲(op.42)を紹介しよう。この作品は、1894年に書かれた。50歳で亡くなる作曲家の43歳のときの作品だから、後期の作品といってよい。編成は弦楽四重奏+ピアノではなく、ヴァイオリン、チェロ、クラリネット、ホルン、ピアノによる五重奏である。管楽器の響きを重くみる楽器法は、それこそレイハ以来、引き継がれてきた伝統であるかもしれない(よっぽど、このような編成の曲が多く書かれたわけでもない)。

様々に御託を並べるよりも、音楽を聴くのがいちばんだ。作品は冒頭から、フランス音楽を思わせる酒脱な流れをみせる。ピアノの軽いパッセージに乗り、クラリネットのふくよかな音色が出たあとは、それを追うヴァイオリンのしなやかな響きがきれいなラインを描いて、最後にホルンとチェロが加わる。一気に盛り上がり生気溢れる最初のヤマに至るが、その後も均整のとれたラインが美しく紡がれていき、フォーレの作品を思わせるような優雅なフォルムを見せる。

フィビヒの作品を特徴づけるのは、ここに象徴されるようなラインを使った華やかな対位法的な表現である。ただし、彼の作品には、その対位法の使い方がドイツ的な和声重視の方向に傾いたものと、フランス的なラインの優雅な造型にこだわったものと、両方が混在している。このピアノ五重奏曲は後者の代表例であり、一方、前者の例としてはシンフォニーが挙げられるだろう。だから、フィビヒの交響曲のファンと室内楽のファンがいるとして、彼らがそれぞれ自分の好きな分野の音楽しか聴かないとするならば、彼らはきっと、それぞれにまるでちがった印象をもつにちがいない。

明るく快活な印象や、エネルギッシュで華美な盛り上がりが、冷静なライン・コントロールで鮮やかに制御されたバランスの良さも、作品を織り成す特徴のひとつとなっている。ただし、フォーレなどと比べても、さらに古典的な印象を与えるのは、明晰なメロディ・ラインが丁寧に彫り込まれているせいだろう。

緩徐楽章(ラルゴ)の立ち上がりなども、独特だ。教会旋法風の長閑なピアノのラインに、ホルンとクラリネットのアンサンブルが仲睦まじく遊びはじめる(ブラームスの交響曲第4番の第2楽章を思い出す)。そこに、ヴァイオリンのカンタービレが歌いかける。シーケンスが一巡したあとは、それまで隠されていたチェロのパッセージを皮切りに、同じ素材が執拗に反復され、その後、いったん盛り上がったあと、深いパウゼが印象的だが、これを効果的に使ったその後の意外な展開にもハラハラする。構造的には古典的なものを大きく出ないのにもかかわらず、フィビヒの作品には予定調和的なところがなく、むしろ、ある種の即興性さえも感じさせるところが興味ぶかい。

このような予測のつかない流れは、スケルッツォ楽章にもある。魅力的なパッセージが浮かんでは消えるショーソン的な構造の遊びを出汁に使い、ホルンの大らかな響きによるトリオの響きは、まず、はじめて聴くときには予想がつかないものだろう。また、このホルンのシーケンスは多分、第2楽章のモティーフとも関連していそうで、作品の中央に山脈のようにそびえるような印象を残すだろう。形式が一巡したあと、再びパウゼが効果的に使われ、もうひとつのトリオが雰囲気いっぱいに登場するのも想定外。複合的な三部形式というのだろうか。これらの舞曲に含まれる雰囲気は、「僅かに」チェコ風である点を書き忘れてはいけない。

フィナーレは、シューマンの室内楽作品の影響を受けていそうだ。ラインが美しく装飾され、ゆたかな響きを含むことが、大きな特徴をなしているのが、単純にドイツ的ではないところだ。このあたり、対位法に関する歴史的、地域的なちがいなどに対するアカデミックな視点があれば、なお精確な論述が可能だが、それは私の得意分野ではない。ここまでに書いてきたことでも、真剣に勉強なされた方からすれば噴飯ものの既述もあるにちがいないことと思う。

しかし、いずれにしても、この作品がドイツとフランスの音楽の伝統を豊富に受け継ぎ、構成されている対位法的な音楽であることは論を待たない。このような視点は、この作曲家から見ればヒーローに当たるスメタナや、同時代のドヴォルザークの作品をみるときにも重要であるはずだが、スメタナの場合はドイツ的な和声の厚み、ドヴォルザークの場合はあまりにも魅力的な民族主義的な視点に隠れて、なかなか浮かび上がってこない議論となっている。それがフィービヒをみることで、よりはっきりとする。ただ、このことはフィビヒ自身の評価に対しては、皮肉にもマイナスに作用する。

こころある人たちは、スメタナやドヴォルザークに並ぶ国民楽派の重要な顔としてフィビヒのことを挙げるが、一般的にはスメタナ、ドヴォルザーク、それにヤナーチェクに対して、フィビヒは保守的で、古くさいという評価になってしまう。この立ち位置はブラームスにもよく似ているが、その作品が今日では多く名品として再評価されているのに対して、フィビヒの場合、弟子のネイェドリーの蛮行もせいもあるのか、その評価は不当に毀損されたままである。

いま、NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)のリストを見ても、フィビヒの録音をしているチェコの音楽家の名前があまり見られない。これはNML参加のレーベルに限らないことで、多分、この作曲家をもっとも積極的に取り上げているのは、エストニアのエンサイクロペディア的な指揮者、ネーメ・ヤルヴィ。そして、鍵盤作品については、スロヴァキアのピアニスト、マリアン・ラプシャンスキーであろう。ただし、室内楽についてはその限りではない。

このピアノ五重奏曲などは、不明な私などからみれば、ブラームスの名品とどれぐらいちがうんだろうというぐらい、優れた作品に思えるのだ。蓋し、この作品もひとつの名品として位置づけたい。

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コメント

フィビヒのピアノ作品集はNAXOSには、名古屋在住の
ピアニスト、伊藤仁美さんが録音を入れています。
それから、このピアノ5重奏曲は、桐五重奏団が日本での初演だと思います。

陸のマンタさん、ご教示ありがとうございます。伊藤さんの録音はこの記事を書くときに聴きましたが、素敵な録音だと思いました。桐五重奏団は、斎藤門下選りすぐりのエリートたちによるクィンテットですね。

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