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2010年1月10日 - 2010年1月16日

2010年1月15日 (金)

オトマール・スウィトナー氏が逝去

1月8日、ベルリンでオトマール・スウィトナー氏が亡くなられたとの報が届いた。氏は1922年、インスブルックに生まれ、没年は87。大学時代は指揮とピアノの勉強をし、当初はピアニストを志して成功しかけたが、師であるクレメンス・クラウスの教えに従って指揮者に転向し、ドレスデン、ベルリンなどで活躍した。東側にあったベルリン国立歌劇場では1964年以来、東西ドイツの統一が果たされる1990年まで音楽総監督の地位にあり、その後をバレンボイムが受け継ぐことになる。

スウィトナーは日本とも縁が深く、N響とは数多く共演を重ね、1973年には桂冠指揮者として顕彰されているので、ファンも多いことだろう。1989年が最後の共演だったというが、歌劇場の職を辞任したのとほぼ同時期であり、この頃から、スウィトナーはパーキンソン病を患っていたという。パーキンソンの症状は広いが、認知症を含む幅広い身体的、非身体的障害が生じることになるので、引退は止むを得ないところだったろう。以後、表舞台に登場することはなかったので、いまさら残念というには及ばないが、過去の功績は決して小さくない。

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中野ひかり サントリーホール オルガン・プロムナード・コンサート

サントリーホールで、オルガンを聴いてきました。「オルガン・プロムナード・コンサート」は12:15分に開演し、僅かに30分程度でおわる無料コンサートです。演奏者は中野ひかりという女性で、東京藝大からリヨン・コンセルヴァトワールに学び、ジャン・ボワイエに師事した経歴をもち、現在は、アクトシティ浜松の副オルガニストの任にあるそうです。

ところで、私は正直いうと、オルガン奏者の良し悪しというのはよくわかりません。オルガンの生演奏に接した経験が少ないこともありますが、楽器自体が大変に魅力的であるため、よほど様式観もなにもないようなチグハグな演奏でもない限り、それなりに満足してしまうからでもあります。そうはいっても、この日の演奏は、実にしみるものだったと言っておきます。ほんの30分ばかりのコンサートながら、こうして書いてみたくなるほどに、私は感動しました。この中野ひかりという奏者は、なかなか優れたオルガン弾きといえるのかもしれません。しかし、彼女がどうというよりは、オルガンという楽器の魅力を実につよく実感した日として、この日は記憶されるのではないかと思います。

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2010年1月13日 (水)

ヨハネス・ヴィルトナー 【1956-】

前回、ヤーノシュ・フェレンチクで第1回を迎えた指揮者列伝、第2回は、ヨハネ・ヴィルトナー(Johannes Wildner)を取り上げます。最近まで、彼はウィーン・ヨハン・シュトラウス管というのを率いて来日していましたし、新春の来日は多くなっています。また、2006年には新国のピットに入り、ハインツ・ツェドニク演出『こうもり』の公演で指揮を振っています。ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンにも出演しましたので、実際に聴かれた皆さんも多いかもしれません(残念ながら、それらのいずれにも、私は足を運んでいません)。

ヴィルトナーは1956年生まれ。ウィーン音大でヴァイオリンと指揮、ウィーン大学で音楽学を学んだようです。その後は主にヴァイオリン奏者として活躍し、トーンキュンストラー管のコンマスを経て、1985年にウィーン・フィルのヴァイオリン奏者として入団。在団時から指揮活動にも携わっています。指揮のキャリアとしてはオペラハウスでの叩き上げのルートを辿っており、プラハの国立歌劇場やライプツィヒ歌劇場でポストに就いていますし、最近では、母国・ウィーンでの指揮機会も多くなっています。ノイエ・フィルハーモニー・ヴェストファーレンでは、1997年から10年間にわたって音楽監督の任にあったようです。

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