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2011年1月29日 (土)

新日本フィル 新シーズン・プログラム記者発表 & ブリュッヘン ベートーベン・プロジェクト 公開リハーサル 1/28

新日本フィル(NJP)がフランス・ブリュッヘン指揮による2月の特別シリーズ「ベートーベン・プロジェクト」と新シーズン(2011/12シーズン)のプロモートを兼ねた公開リハーサルと記者発表をおこない、これを一般モニターにも公開した。私はモニターとして応募して、これを見ることを得た。ざっと見たところ、2−30人の一般モニターが集まり、専門(?)の記者とさほど変わらないぐらい数だったと思う。この試みは先季につづくものだったようだが、今回のほうが広報が行き届いていたとみえ、一般モニターの数も増加したようである。モニター参加の条件はブログ、HPなどの私的メディアで記事を掲載することだが、ここでその義務を果たしたいと思う。

【リハーサルの風景から】

ブリュッヘンによるプロジェクトのリハーサル公開は、前回のハイドン・プロジェクトを踏襲するものである。今回は9番から降順で練習を進め、本番は逆に1番から昇順に演奏するという趣向であるので、2日目に当たるらしい28日は『第九』の終楽章と8番の終楽章が取り上げられていた。もっとも人口に膾炙したこのナンバーの練習日が当てられたのは、多分に、記者やモニターへのサーヴィスを含んでいるのであろう。カラオケ状態の『第九』終楽章をきくのは確かに興味ぶかい体験で、ありがたい配慮である。

こうして聴いてみると、コーラスには丁寧なオブリガードがついているのに、ソリストの歌うパートにはあまりヒントとなる音がなく、ベートーベンというのは怖いスコアを書く人だということがよくわかる。それに、コーラスのバックをつくるオーケストラの響きがいかに大事なものであるのかも、改めて認識できる。ベートーベンにおいてはテンポの扱いなどが聴き手の楽しみともなり得るので、敢えて詳しいことは伏せておくことにする。

【音楽家の役割】

しかし、私は実のところ、『第九』豊漁の国・日本で、いまさらながらのブリュッヘンの演奏には、さほど大きな興味を示していなかった。しかし、その予見は大いに訂正しなければならないものであることがわかった。特に、この日の練習で扱った『第九』第4楽章のコーダを聴くだけでも、十分にお釣りの来る演奏だったと思えるにちがいない。書かないと言いながら、思いきって少しだけ書いてしまうと、この部分のテンポの扱いは複雑である。テンポ指示がこうだから、それを守ってみたというような単純な解釈ではない。

あとの記者会見で、記者のS氏から編成についての質問が出ていたが(氏によると、4番の初演時の編成は25人程度、いちばん多いのは意外にも8番で100人超、リハーサルでは9番から8番に移るときにかなり編成を絞っていたので、そのギャップを糺す質問が出た)、編成も、初演時のそれに数をあわせれば「オリジナル」で、それ以上の正確さはないというものではないように、テンポも同じことなのだ。結局、それらをどのようにすることが適当であるかを判断するのは、音楽家の知見と経験、それにセンスによるのであって、前回のハイドン・プロジェクトで、「楽譜に書いていないことは音楽家が知っている。音楽家とは私のことである。」と述べていたブリュッヘンの言葉は、完全に正しいのである。それこそが、真っ当な音楽家がめざすべき道であろう。

例えば、終楽章のコーダは徹底的に生きた音楽としてつくられている。どう書いてあるから、こうするという世界ではない。人間のように呼吸し、筋肉が伸縮する音楽だ。「音楽が生きものである」ということを知りたければ、この演奏を絶対に聴くべきだろう。それは交響曲の分野に限らず、あらゆるジャンルの音楽に通用する貴重な知見となるように思う。そのように大言壮語しなくとも、とりあえず、この交響曲において私たちがいままでに、聴いたこともないような音楽が響くことは確かと保証する。

【ピリオド・スタイル+モダン・スタイル】

今回も、NJPはノン・ヴィブラートをベースとしてベートーベン演奏に挑む。そのため、場所によってはバッハのカンタータでも聴いているような味わいがある。しかし、それ一辺倒ではない。多分、ブリュッヘンが18世紀オーケストラに求めるものと、NJPに求めるものは必ずしも同一のものではないのだろう。ピリオド的な演奏によって生み出される響きの鋭い切れ味や、快活な流れ、温かく人間的なサウンドだけではなく、モダン楽器を用いるメリットである響きの煌びやかさや、その厚みというものが巧みに生かされてもいる。それらの折衷はときに疑問符を浮かび上がらせる局面もあるにはあるが、全体としては十二分に納得のいくものである。

【プロの凄さ】

それにしても、プロ中のプロである彼らの練習風景をみていると、プロ奏者のもっているスキルの高さには本当に驚かされる。ブリュッヘンの練習というものは見たところ、そんなにテキパキとしたものでもなければ、明確な指示がバンバン飛んでくるというわけでもない。有名なネッロ・サンティのプローベのように、必要ならば指揮者自身が弾いてみせるなんてことはない。ほんのちょっとの指摘を、慎重にボソボソ述べると、それに何倍する反応をオケマンたちは返していく。ブリュッヘンはそれがいいかどうかを、的確に述べるだけだ。

我々、素人のそれとはちがい、指揮者とのプローベでは単に指揮者の指示を受け、そこを直していくという作業だけがあるのではないようだ。それと平行して、それぞれの奏者たちの厳しい自己管理や、アンサンブルとしての磨き上げが前提的にあるのであって、そこに指揮者の求めるものが自然と溶け込んでいくようになっている(ブリュッヘンのような良い指揮者の場合は)。そのため、ブリュッヘンがボソボソ言ったところだけではなくて、弾く度ごとに、あらゆる面でサウンドには磨きがかかっていく。ブリュッヘンは自分独自の歌い方やフレージング、ほんの細かな保持の徹底などを指示していけば、それでいい。ほんの1時間が、2時間にも3時間にも相当する濃厚な時間を過ごして、見違えるような音楽ができているというわけだ。

【流し気味だった8番のプローベ】

9番がとても念入りなプローベだったのに対して、8番のほうはというと、終楽章冒頭からはじめて、最初のフレーズで「ノー」を繰り返し、第1ヴァイオリンに分奏までさせて納得のフォルムを仕上げるや、あとはトントン拍子で進んで、あっという間におわってしまった。『第九』は大体、形が見えたのだけれど、こちらのほうはまだ雲を掴むような感じである。ただ、あの最初のフレーズで徹底的にこだわり抜いた第1ヴァイオリンの響きは、ただそれだけでも価値があるほど聴きものである。

【ベートーベン・プロジェクト】

記者会見は、音楽スタッフから音楽監督のアルミンクと、ベートーベン・プロジェクト担当のブリュッヘン。ソロ・コンマスの崔文珠。それに、楽団の事務方数名と、すみだトリフォニーホールの役員の出席によって執り行われた。

ベートーベン・プロジェクトに関しては、ブリュッヘン自ら企画趣旨についての言及があったが、それは概ね、これまでに楽団HPで公開されている動画で話されている内容とさほど変わらないので、ここで改めて解説するつもりはない。しかし、一応、企画の特徴をまとめておくと、以下のように整理することが可能だ。

①ベートーベンの交響曲全曲を9番から1番に遡って練習する
②本番では1番から9番まで作曲年代順に演奏する
③楽団とトリフォニーホールの共同製作である

記者からの質問は3件。フリーのS氏による突っ込みと、モーストリークラシック、および、朝日新聞の記者による月並みな質問で、S氏の質問については既に触れたし、ほかはここで取り上げる価値もないものだった。

【新楽季について】

次に9月からの新楽季、2011/2012シーズンについて、主にアルミンク音楽監督からのアピールがあった。今季も行きずりの客演指揮たちではなく、楽団と長く関係をもっていける指揮者を選んでのライン・ナップが組まれた。アルミンクのほかは、ハーディング、メッツマッハ−、J.C.スピノージのほか、初登場のトーマス・ダウスゴーである。

アルミンクは注目公演としてシーズン・オープニングのブルックナー『交響曲第7番』。それと対になるハーディング指揮によるマーラー『交響曲第9番』。マーラーがウィーン・シュターツ・オーパーの芸術監督を務めた際、チェロ奏者として在籍したフランツ・シュミットの『交響曲第2番』。メッツマッハーによるベートーベン、アイヴズ、ショスタコーヴィチによる政治的な色合いのつよいプログラム。自らの指揮による、マーラーの大作『嘆きの歌』の珍しい演奏。そして、ダウスゴーの登場について触れた。

特に、メッツマッハーのプログラムは自分がいちばん気に入っているプログラムとして挙げ、また、初登場のダウスゴーについては、自分が以前からいちばん呼びたかった指揮者として紹介した。

なお、楽団はこの楽季で40周年を迎え、トリフォニーホールとのフランチャイズ契約15周年、さらに、墨田区における東京スカイツリーの開業とアニヴァーサリーが重なることを強調した。アルミンクの言葉のなかで特に重かったのは、この記念すべきシーズンの主役はなんといってもオーケストラであり、そこに光を当てるプログラミングを考えたとしていることである。

【オーケストラ?】

ところで、オーケストラとは何なのであろうか。指揮者か、インテンダントか、奏者か、演奏される楽曲か、それを取り囲むコミュニティか、オーディエンスか。もちろん、これらのサイクルがオーケストラであることはいうまでもないが、彼が光を当てたかった「オーケストラ」に対する考え方を、記者たちには質問してほしかったと思う。

例えば、楽団のストロング・ポイントを生かすという点では、いくつかのわかりやすいメッセージが読み取れる。例えば、ダウスゴーが選んだニールセンのシンフォニーでは、2台のティンパニーが重要な役割を担うが、それらを叩くはずの楽団の優秀なティンパニスト、近藤高顕と川瀬達也の2人をアピールする狙いがあるように思われる。また、ショスタコーヴィチでも交響曲第5番を選んだのは、この楽曲で重要な役割を担うトロンボーンに、日フィルから獲得した優秀なトロンボーン奏者、箱山芳樹がいるのをはじめ、この楽団の誇る金管アンサンブルの凄みを有効に活用する狙いが読み取れる。

そのほか、多くの演目でオーケストラ・コンチェルト的に各パートの粒だちが目立ちやすい作品が多く選ばれており、その象徴として、ストラヴィンスキーのバレエ音楽『ペトルーシュカ』を選ぶのは常套手段であろう。また、楽団が力を入れてきたハイドンからは、大曲の『十字架上のキリストによる末期の7つの言葉』を演奏。独特なプログラミングを評価する声に対しては、イタリアの作曲家、カゼッラの珍しい作品や、2009年初演のエスケシュという作曲家の現代作品を取り上げることで対応している。マ−ラーの『嘆きの歌』も、その範疇である。

ほかに近年、重視しているオペラ的な表現の重要性を示すために、ワーグナーの作品や、オペラの序曲、組曲などが豊富に取り入れられている点も特徴的だ。

このパートに対する記者からの質問は、僅かに1件であった。またまた同じS氏による申し訳程度の質問だけで、大事な質問は一般モニターに聞かせたくないという困ったエリート意識か、単に興味がないだけかはわからぬが、我々一般モニターとしては大いに不満に思うところだ。近年、クラシック系の雑誌が売れないのも、理由のないことではない。

【私の注目プログラム】

つまらぬことだが、来季のプログラムで私が注目するのは、偶然にも、アルミンクのピックアップと同じである。すなわち、メッツマッハーによるひねりのきいたプログラムと、ダウスゴーの登場だ。特にダウスゴーについては、シューマンの演奏などでよく聴いている指揮者であり、とりわけ古典的な作品をリフレッシュする名手としては高く評価している。今回は出身地にちなんだ北欧ものであるが、どうであろうか。ニールセンの4番には先述のような意図も込められていそうだが、これにあわせるにシベリウスの7番をもってくるあたりはしびれるプログラミングである。

【激しい会員争奪戦】

しかし、これは2012年3月のプログラムなのだ。来年のことをいうと、鬼が笑うというが、この時期に、4月期初の楽団による会員集めが本格化するシーズンにあわせて、なんとかくさびを打ち込もうとする楽団の、涙もにじむ苦労が窺われて競争の激しさを見せつけられた思いだ。

会員システムも年々、会員側に有利なものになっており、シリーズをまたいだ振替制度の拡充や、年間定期会員更新者への特製CDの進呈。一部のプログラムを自由に選択しての「マイ・プラン制度」、フランチャイズ先のトリフォニーホール主催公演の値引き制度、そして、今回のようなモニター・システムなど、ほかの楽団のやっているものはなんでも導入し、プラス、独自性を付け加えていくという熱心な努力には頭が下がる。

【NJPの可能性】

私は、新日本フィルの演奏レヴェルは読響、N響に次ぎ、東響や都響と並ぶ3番手集団の一角とみているものの、地域密着度、運営の透明さ、演奏者と事務方の協力体制の深さ、シーズンを通しての統一感、成長可能性・・・では、間違いなくトップに来るものと評価している。逆にいえば、もっているポテンシャルはもっと高いということであり、それをいかに上手に引き出していくかということが、この楽団に携わるアルミンク以下の音楽スタッフの大きな課題なのであり、その意味で、ブリュッヘンの仕事というのは参考になるはずだ。

朝日新聞の記者はブリュッヘンとの出会い以降、新日本フィルの音が変わったというオマージュを述べていたが、その見解には必ずしも同意できない。私はむしろ、この日のリハーサルでみせたような一体感のある、整然として輝かしいサウンドが、どうして日ごろの演奏会で常に維持できないのかということへのストレス・・・特に、弦セクションへのそれが強いのである。弦の奏者が悪いわけではなく、リソースは揃っているのだから、あとはそれをどのように料理するかというレシピの問題だ。そして、いかにして正しい味を見るための舌を育てるかという課題である。

そのために、現在、新たな収益事業のひとつとなっている室内楽シリーズの貢献は、意外に大きいのではないかと思う。会見では、室内楽シリーズについての言及はなかったが、私はそこに期待を抱いている。もし音が変わったとするならば、そちらの影響のほうがはるかに大きいのではなかろうか。

私はNJPのもつ高い可能性を信じているし、それが花開いたとき、彼らにかなうオーケストラは(日本には)ひとつもないと考えている。しかし、そのポテンシャルが大きければ大きいほど、ドライヴが難しくなるレーシング・マシンのように、NJPの個性的な集団を上手にまとめあげるのは簡単ではない。日本における6−70年代的な個性主義の詰め込まれたようなオーケストラ、いわば日本版ベルリン・フィルともいえるNJPをより高いレヴェルに引き上げていく困難は、なかなか根の深いものであるように思われるのだ。

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