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2011年1月27日 (木)

ニコライ・マルコ チャイコフスキー 交響曲第4番 (NAXOS Classical Archives)

誰にでも、あまり得意でない曲というのがあるはずだ。私はチャイコフスキーの音楽に多くシンパシーを感じるのだが、そのなかで、歌劇『イオランタ』(あまりに退屈すぎる)とともに、交響曲第4番は苦手の部類に入っていた。

【チャイコフスキーと戦争】

私のみるところ、チャイコフスキーの後期の3つの交響曲は「戦争」交響曲の色合いがつよい。夫婦の不和やスポンサーであったフォン・メック夫人との関係、反対にホモ・セクシャルであった可能性、人生の最期が自殺である可能性など、チャイコフスキーの音楽とは無関係のプライヴェートに関するゴシップ的な話題は豊富である。しかし、私がチャイコフスキーにもっとも大きな影響を与えたと思われることは、やはり戦争であったと思う。

チャイコフスキーはクリミア戦争のころに幼少期を過ごしているが、戦争の真実に初めて触れたと思われるのは、露土戦争前後のことだったと思われる。ときのロシア帝国はバルカン半島や東欧におけるトルコの支配を弛めようとして、これらの地域の民族主義を利用し、独立運動に力添えをしていた。こうした時代のなかで、戦争と色濃い関係を指摘できる最初の作品はバレエ音楽『白鳥の湖』ではなかろうか。その湖は、オデットが魔法使いによって白鳥にされてしまったのを嘆く母親の涙によってできたというが、これが実は、戦争で息子たちを亡くした母親の涙に通じることは容易に想像できる。

例えば、セルビアの民族主義運動は1875年に始まっており、これを鎮圧すべく起きたトルコによるキリスト教徒の虐殺事件がロシアの肩入れの大義名分となるわけだが、『湖』の作曲はそれよりも前である。とはいえ、このころはそれに限らず血みどろの闘争が多く、チャイコフスキーもそのような時代の流れを敏感に感じ取っていたのだろう。そして1876年、チャイコフスキーは上の虐殺事件を契機とした戦いで死傷したセルヴィア兵を見舞うために戦地を訪れて、そのときの身の毛もよだつ体験をもとに、愛国心に燃えて『スラヴ行進曲』を作曲した。

【後期交響曲の飛躍】

ちょうど同じころ、チャイコフスキーはナジェジダ・フォン・メック夫人をパトロンとし、その翌年には、あまり幸福とはいえない結婚を経験する。この3つの事件から、チャイコフスキーの運命は大きく変わってしまったようにみえる。特にパヴリックな意味あいのつよい交響曲の分野では、戦争の傷跡を反映しない作品はひとつとしてない。前期3曲の交響曲も決して駄作ではないが、その性質は大きく異なっている。それらはどちらかといえば文学的というべきであり、後期の3曲と比べると、パヴリックな面よりも内面性に表現が傾斜している。また、後期の3曲と比べると控えめで古典的な色合いがつよいことも指摘できようか。マーチも使っていないわけではないが、後期のそれと比べると、模型の兵隊を動かして遊んでいるような感じである。

一方、後期の作品はリアリティが高く、個人的な世界よりも外の世界へと視点が向いている。前期の作品と後期の作品の特徴が、ギリギリのところで噛み合ったのが最後の交響曲第6番であろう。チャイコフスキーは従軍の体験はないものの、1876年あたりを境に徐々に戦争に対するあらゆるリアリティを獲得していく。そして、時代そのものの縮図のようである戦争を知ることは、チャイコフスキーの人生観を大きく左右することになったのかもしれない。彼にとって終生のテーマでもある運命にも、より実質的な実が入ってきて、作品には悲劇性が濃厚となっていく。その結実こそ、歌劇『エフゲーニ・オネーギン』である。

【ソヴィエトの巨匠から西側へ】

さて、前置きが長くなったが、ここで取り上げるのはソヴィエトでは、有名なエフゲニー・ムラヴィンスキーよりも前の世代を代表する指揮者、ニコライ・マルコによるチャイコフスキーの交響曲第4番の録音である。マルコはムラヴィンスキーにとって師匠筋にあたり、ほかに、のちには自らが大教師として君臨するイリヤ・ムーシンなども彼に習っているという大物だ。とにかく、この時期のソヴィエトの優秀な指揮者たちは大体、ニコライ・マルコと、その後継のアレクサンドル・ガウクのどちらか、もしくは、それらの両方に薫陶を受けている。

そのようなマルコが順調にいけば、ソヴィエトを背負って立つ指揮者になるはずだったのに、世界恐慌の年=1929年に、マルコは二度と故国には戻らないことを決意して、のちに「鉄のカーテン」と呼ばれるようになる一線を越えた。ソヴィエト領内でのエリート街道から抜けて、のちにいう「西側」へ移ってからというもの、結果的にみると、彼の実力からすれば、随分と地味な道を歩むことになってしまった。マルコの決断が果たして正しいものだったのかどうか、難しいところである。

現在、彼の名前がもっとも鮮烈に記憶されている地域は多分、デンマークのコペンハーゲンであり、かの地にはマルコの名前を冠した指揮者コンペティションがあることでも知られている。閑話休題。

【交響曲第4番のイメージ】

ときに、チャイコフスキーの交響曲第4番のイメージは、スヴェトラーノフの強烈な録音や、ライヴでいえば、テミルカーノフがペテルブルクの彼のオケを率いて4−5年前に来日したときの体験があたまを離れない。

あのときのテミルカーノフはノリノリで、第1楽章の嵐のようなモティーフを腕をグルグル回して煽りまくり、前半のソリストを務めたアルゲリッチがその楽章の途中から後方で待機していたというのに、曲間で席に着く間もなく第2楽章にアタッカで突っ込んだので、会場をざわつかせたものだ。アルゲリッチはちょうど、私の斜め後ろ、数メートルとないところに突っ立っていた。お付きの誘導員がテミルカーノフの暴挙に、思わず「マジかよ!」と嘆いていたのが楽しい思い出である。記憶に鮮明な演奏ではあるものの、いまからみれば、それがかえって私のアレルギーにつながっていた可能性もある。

【古典的な書法を辿る】

ニコライ・マルコの演奏も、かなり熱い演奏であることは確かである。しかし、録音がモノラルであるせいか、耳に優しいのである。もちろん、結論的にいえば、それはモノラル録音特有の音質の柔らかさだけによるものではない。マルコの演奏には激しさのなかにも、同じ作曲家のバレエ音楽にみられるような上品な優しさが同時に生きていて、それが作品の風格にもつながっているし、独特の表情のゆたかさにつながっている。また、形式的な発展を小まめに追っていくことで、作品の大げさなところが柔らかさへと転換し、まろやかになっている。

この点、ロシアの典型的な指揮者たち、例えば、クルト・ザンデルリンク(国籍はともかく)やスヴェトラーノフの録音、また、先に示したようなテミルカーノフのライヴとは一線を画すものである。すこしも居丈高ではない。ペレストロイカのときに引き倒されたモスクワのレーニン立像のような堂々たる勇姿で、突撃する軍隊でも指揮するかのようにグルグル腕を回していたテミルカーノフの指揮では、こうはいかない。それは最初の楽章、第1主題を雄渾にうたったあとの、第2主題の展開に入ってからの演奏の面白さと対置され得るのであって、一般的なイメージよりも繊細なものとして扱われるべきである。

そのことは構造が積み重なっていくごとに、よりはっきりとわかってくる。クライマックスはたっぷりとした構造の息づかいの頂点で、理路整然と現れる。そこから絶妙の脱力で生み出される第2主題の再現。最初のファンファーレで示される劇的な旋律と、2つの主題は、実にエレガントな形で関連しあっている。マルコ以上に、この見事な構造を捉えた指揮者は少ないだろう。一時の膨らみを伴いながら、息の長い衰微のなかに位置づけられる第1楽章おわりの部分は、ほとんどベートーベンの「運命」交響曲のようなフォルムと近しく、古典的な前期の交響曲と完全に縁が切れているわけでもないことが端的にわかるはずだ。

第1楽章最後の和音と、第2楽章冒頭のハーモニーも密接な関連があり、テミルカーノフのアタッカにもそれなりに理由があったことがわかる。彼がこの緩徐楽章も勢いで押しきり、動→動という流れで前半2楽章を「第1部」としてまとめてしまったのに対して、マルコは同じ1セットとしての親密さを残しながらも、真っ当に動→静の構造を浮かび上がらせ、当たり前ではあるが、丁寧な音楽構造を導いている。単に動から静へというわけではなく、第1楽章の第2主題と密接に通交する音色やアーティキュレーションの巧みな調整に目を向ける必要がある。

第2楽章から第3楽章への推移も、理に適っている。つまり、これらの4つの楽章は必要ならば、1つの楽章としてまとめ得るほど、見事な親密さで組み立てられている。言ってみれば、一本の木からもとからあったような仏像を掘り出してしまう、木彫の慶派の仕事に似ているわけであるが、その繊細さをマルコは完全に掌握している。このスケルッツォはピッチカート中心に進められるのが特徴である以外は、一見、何でもないように見えるが、このような作品全体の絆を優しく語りかける名品であることがわかる。

このスポンジのように柔らかいパートが終楽章の情熱的な旋律を自然に引き出すのは、これまた、理に適ったことである。終楽章は端的には金管のファンファーレに象徴され、剣を交えるかのような金属的な衝撃音が特徴的な暗鬱なB部と、さらに悲劇的なC部、多分にバレエ音楽的な歓喜のモティーフ(A部)が複合されているが、ここで特に見事なのはA部の活き活きとした表情である。悲劇的な激しい金管のファンファーレから思いがけない・・・しかし、甚だ古典的でもある転調でコーダの響きが導かれる部分は、マルコの録音でとりわけ見事に捉えられている。

そこから一気に歓喜に転じるフィナーレは圧巻で、ここでもバレエ音楽のエッセンスが作品にいかに自然に、しかも効果的に溶け込んでいるか、マルコは丁寧に教えてくれる。最後は若干、淡泊な感じでもあるが、それもこの作品の特徴であるといえば言えなくもないだろう。

【チャイコフスキーを包む2つの要素】

つまり、全編を通してわかることは、マルコがこの交響曲第4番をそれまでの3つの交響曲と断絶していない古典的な書法のブラッシュ・アップとして捉えていること、そして、そこに従来は目立つものではなかったパヴリックなメッセージを盛り込んでいるという点で、大きな飛躍をみているということである。多くの録音は後者の要素を強調するだけ強調し、あくまで伝統形式に基づく作品の古典性を見落とすか、あるいは、故意に無視・隠蔽してきたため、押しの強いだけの力ずくのシンフォニーとして聴き手に間違ったイメージを与えていた。

一方、マルコのように演奏すれば、堅苦しい形式にポエジーが押し込められるということはなく、むしろ、その形式のもつ力が構造物どうしを自然と繊細に結びつけ、それぞれの場所に書かれたものを浮き立たせ、全体的なフォルムの美しさを強調することにつながるように思われる。

以上のような特徴が顕著に見られるにもかかわらず、ニコライ・マルコの印象はとても大胆で、エネルギッシュな音楽づくりという面が先行する。逆にいえば、音楽の強さを得るためには、腕力に任せた強引な盛り上げよりも、構造の強みを生かしたエレガントな展開が求められるのであり、そのような自然さがないところでは、音楽はただけたたましいものに転じるということである。チャイコフスキーの交響曲第4番のように、もとから表現の激しい作品であればあるほど、その必要性は大きくなるようだ。

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