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2011年1月16日 (日)

バイロン・フィデチス指揮 マノリス・カロミリス作品 (NAXOS)

【不幸の国・ギリシア】

テオ・アンゲロプロスの映画に描かれているように、欧州古典文化の起点であるギリシアの歴史は過酷である。この地域は中世、長くビザンツ帝国(東ローマ帝国)の勢力圏として栄えたが、その帝国も実質的にはかなり早い時期に斜陽を迎え、十字軍やイスラム教徒に踏み荒らされるよりはるかに早く、その命脈は尽きていた。

十字軍戦争のあと、バルカン半島はムスリムの支配下となるが、「ギリシア」の名前が突如として輝きを放つのは、啓蒙主義の広がりに触発されてナショナリズム熱が高まった18世紀末のことで、詩人・バイロンや、ベートーベンはつよくギリシア人の独立にエールを送った。また、彼らを助けることを名目に、ロシアが介入して血みどろの露土戦争の引き金ともなり、この惨禍にはチャイコフスキーが激しく感化された。

1830年、バイエルンから迎えた中立的な王が君臨することでようやく独立が成立したが、すべてが丸く収まったわけではない。アンゲロプロスの映画は、むしろ、この先を問題にしているわけだ。落ち目のトルコに対する戦いも敗北と勝利を繰り返し、独立後も王制と共和制が激しく交代して、混乱は止まなかった。WWⅡでは、ナチスやファシスト勢力の蹂躙も受ける。戦後もラディカルな共産主義運動が起こるなか、内戦に火がつき、一応の政治的安定を迎えたあとも軍事クーデターなど火種は尽きなかったようである。説明らしいことを書いているが、私としてもギリシアの近代史はとても複雑で、理解しづらい。ギリシアの災厄は今日にもつづき、21世紀に入ってさえ、この国は国家財政の経済破綻という重大な悲劇を経験することになり、あわやリーマン・ショックにつづく世界的恐慌の震源地にもなりかけた。

なんという不幸な国なのだろう?

【カロミリスの登場】

さて、欧州古典のふるさと=ギリシアであるが、音楽の世界においては、上記のような複雑な事情のなかでは偉大な音楽家が生まれる余地もなく、ベートーベンのバレエ音楽『アテネの廃墟』のような作品はあるにしても、ギリシア的な音楽の追求というものは、チェコやハンガリーなどから比べても、はるかに遅れた。その起点に立ったのが、マノリス・カロミリスだ。ワーグナーの歿年に、彼は生まれた。湯浅譲二をして「宇宙から来た音楽」と驚かせたエドガー・ヴァレーズと同じ年に生まれた作曲家としては、かなり保守的な作風である。

しかし、それも仕方がなかった。ギリシアでは、いまだスメタナやドヴォルザークのやった仕事がなされていなかったからだ。スメタナがそうであったように、カロミリスも熱心なワグネリアンだったようである。そして、リムスキー=コルサコフの華麗なオーケストレーションに憧れた。そのような事実は、彼の作品に接するだけではっきりとわかる。そこに近代以降、発掘の進んだギリシア民族音楽や、文学作品、そして、古典ギリシアの輝きや、ムスリム時代の思い出までを織り込んで、カロミリスはインディペンデントな作品世界を組み立てていった。

それらの仕事はヤナーチェクやバルトークほどは独立的でないとしても、それらに追随するだけの実力をもっているのに、今日、さほど注目されているとは言いがたい。ギリシアの作曲家では、ギリシアというよりはフランスの作曲家であるクセナキス(彼はギリシア系だがフランス人)やアペルギスがよく知られているが、これらの作品からギリシアを感じることはそう容易いとは思えない。テオドラキスやカラインドルーといった、クロス・オーヴァー的な作曲家のなかにみられる濃厚な、「ギリシア人らしい音楽」の源は、このカロミリスのなかに見つけることができる。

【聖ルークス修道院にて】

これはどちらかというと規模の大きくない小品が集められた小粋なアルバムであるが、そのなかでも特に感動的なのが、エヴァ・コタマニドウという女性のナレーションを伴った『聖ルークス修道院にて』であった。この作品はギリシア近代の詩人、シケリアノスの詩に触発されたものであるようだ。ギリシア語はわからないし、手近に読める訳もないため、作品の全部を理解したとは言いがたい。それにもかかわらず、十分に魅力的だ。ストリングスのベースに、ハープや木管楽器が多用されたネオ・ロマンティックな伴奏の上で、コタマニドウが官能的な詩を詠う。聖ルークス(ルーカス)修道院の神秘的な雰囲気と、その場の雰囲気に感応する信仰者のこころの結びつきが、優しく表現されている。

ヴァイオリン・ソロとバス・クラリネットの絡みで神秘的な雰囲気が、もっとも底部であやしく輝いたあと、フルートのリードに導かれて、音楽は一気に明転。ヴァイオリンやチェロの輝かしいソロ、それが各声部の音塊へと発展して、小クライマックスを迎える中間のヤマ。いちど作り直したあと、コタマニドウがフェイ・ダナウェイ的な芯のつよい語りくちで、オーケストラと屹立する2番目のヤマも凄い。コタマニドウは押し引きがうまく、バラドやメルヒェンの雰囲気をも備えた複雑な作品世界を、うまく捉えている。なお、コタマニドウはアンゲロプロスの映画『霧のなかの風景』にも出演している著名な女優であるそうだ。この作品は近年、東京でアンコール上演されたうえ、NHKBSでも放送された(私はみていない)。

語りと伴奏のバランスが非常に精緻にデザインされ、カラインドルーの映画音楽のような雰囲気もあるのだが、彼女の場合、リリックな響きのなかに溶け込む苦みといった味わいに力点が置かれているのに対して、カロミリスでは、それよりもガッシリした構築感のほうが目立つ。ヴァイオリン・ソロは最後にもういちど現れ、前とまったく同じ素材であると思われるが、今度はアラビア的な感興を放ちながら、それが鳥の声のような自然さに解体してから、しっとりと消えていく。名品である。

【勇敢な女性の死】

最後に収められている『勇敢な女性の死』も、聴きごたえのある作品だ。情報が少なく、「勇敢な女性」が具体的に誰のことを指すのかがわからないが、トロイア戦争などに登場するアマゾネスたちのことかもしれない。その長で、勇敢なペンテシレイアはアルゴス軍に男勝りの脅威を与えるものの、さすがに英雄、アキレウスには討たれてしまう。彼女を素材にとった標題作品とすれば、説明もつきやすそうだ。

作品は先の朗読作品と比べれば、はるかに複雑な書法で書かれているが、多分、ヒンデミット的な対位法的構造の応用によって、デザインされている。音響は、いささか不思議な発展をみせる。冒頭は民俗楽器の特殊な笛の音を思わせる聴き慣れない、か細い笛の響きが導入となるが、そこからアラディンが魔法のランプから飛び出てくるような、唐突な発展をみせる。その後の響きは若干、アラブ的な雰囲気を交えながら、ワーグナー的な強靱な組織が中核を織り成す。

あとの展開は、これらの素材の組み合わせによって設計される。しかし、中間では明らかに舞踊的な新しいリズムが導入され、もとの素材が巧みに生まれ変わるようになっているようだ。中間部のもうひとつの構造物は、サロメ的な女性の神秘にアマゾネスの雰囲気が集約されているのだろうか。打楽器の一閃で葬送音楽のような雰囲気に変わり、官能的な旋律美が残り香のように女を彩る。華やかな旋律に、下向的なサウンドが組み合わされるなか、弦の響きがそれらを拾い集めるように組織化され、鮮やかなコーダへの導入となっている。

終盤はきわめて華美なサウンドであるが、ずれたリズムや不協和音が混ぜられており、作品世界の盛り上がりに奥行きをつけている。最後は乾いた鐘の音をアクセントに激しい上向運動が書かれ、神々しい一打で幕を閉じる。

【録音について】

なお、一連の録音は概ね、ロシア国立シンフォニック・カペラによるものとなっているが、聞いたことのないオーケストラだ(自註:80年代初頭にロジェストヴェンスキーが携わって本格的に始動、1992年以来、ヴァレリー・ポリャンスキーが率いている)。ただし、腕前は問題ない。ソプラノ独唱つきの『抒情詩』だけは、チェコのカルロヴィ・ヴァリ響による伴奏となっている。このオーケストラはかつて、ラドミル・エリシュカが長く率いて育て上げたオーケストラとして知られているところだ。よっぽど、チェコ人指揮者が多く立場を追われていくトレンドのなかで、エリシュカも交代させられ、そのあとに収まったのが日本では吹奏楽の指揮や、教育面でよく知られているダグラス・ボストックである(現在は、イジー・シュトルンツが率いている)。

指揮はギリシアのベテラン指揮者、バイロン・フィデチス(フィデツィス)が務めている。フィデチスはギリシアのベテラン指揮者で、国立アテネ管の常任指揮者という以外、詳しいことはわからない。本邦では山響に客演を重ねており、多分、飯森ルートで紹介されて東響(名曲全集)への出演を予定していたが、直前になって病気のためにキャンセルした。フィデチスは得意なカロミリスの『三連画』を手土産に、チェコのエリシュカにつづき「2匹目のどじょう」となる可能性があったが、エリシュカほど健康に恵まれていなかったのは残念である。しかし、この録音を聴くかぎりはとてもいい指揮者なので、快復後の再来日を望みたい。オール・カロミリスでもいいと思うし、カラインドルーやスカルコッタス、テオドラキスを絡めても面白いのだが・・・。

【ヴェニゼロスと三連画】

その『三連画』の収められた録音もある。先の録音のパートナーはロシアのオーケストラだったが、こちらは、手兵のアテネ管。技術的にはロシアのオケに大きく劣り、かなり鈍い印象だが、葬送行進曲以降はなかなかに熱い演奏だ。この曲はギリシアの政治家、ヴェニゼロスの死を悼んで作曲されたもので、カロミリスにとって公私にわたって重要な作品と目されている。ヴェニゼロスはオスマン帝国に対する抵抗運動に始まり、難しい状勢のなか、ギリシアの政治主導者として何度も首相の立場に立った。王党派に対してリベラル勢力の中心人物であり、対外的にもつよい姿勢をとったが、結局、王政復古後に海外に逃れていた1936年にパリで客死している。

三連画とはいっても、第1曲はプレリュード、第2曲はインターリュード、第3曲はポストリュード、すなわち、前奏曲・間奏曲・後奏曲となっており、表向き中心となる部分がない。これは多分、志半ばでヴェニゼロスが散ったことを象徴しているのだが、イン・テンポの葬送行進曲と指定された第2曲が時間的にも長く、曲の由来からいっても、これが中心となるのは自明である。そして、多分、この3曲は過去・現在・未来という3つの時間区分で描かれている。「現在」とはもちろん、ヴェニゼロスが亡くなった「今日」のことである。葬送行進曲であるが、「インターリュード」の描き出すものは、さほど単純な悲哀ではない。響きは常に居丈高で、腰が高い。それはヴェニゼロスという人物の高潔さを象徴するものである一方で、そうした個人の枠を超えた国家の運命が、ヴェニゼロスという象徴を通して描かれているようでもある。

中間以降、その音楽が華麗に明転したあとの音楽には、単なる死を悼んでの哀しさよりは、それを乗り越えていこうとする意志の力がつよく表れている。その後、型どおりに葬送の場面に返っていくが、これは一定期間、政治的な勝利を掴んでも、常にそれとは引き離される運命にあったヴェニゼロスの人生を象徴するものとなる。最後、弦楽器(ヴィオラか?)の華やかなソロで天使が降臨したあと、チェロのソロで死に神が訪れるが、木管楽器が加わって清らかに聖別される。

ポストリュードには、カロミリスの思い描いたギリシアの理想的な未来が描かれている。明らかにギリシア的な旋律やリズムに導かれ、激しい闘争のなかに見出される新しい光。葬送を彩った弦楽器のモティーフが次々に受け渡され、再び変奏される部分がひとつのクライマックスだ。古典的な形式で、ふくよかに素材を再生させながら、盛り上がっていく音楽に、力強いギリシアの未来がイメージされる。

【まとめ】

今後、このブログでは、スカルコッタスやテオドラキスというところを取り上げていく予定だが、その起点として、カロミリスの存在はやはり外せなかった。それは、ドヴォルザークやヤナーチェクを扱うのに、スメタナについて語るのが必須であるのに似ている。確かに、ギリシアの音楽は周囲のより恵まれた歴史を歩んだ国家とや民族と比べれば、何周か遅れて発達したことも否めない。しかし、クセナキス、アペルギスに加えて、上の3人について語るだけでも、その追い上げには目を瞠るものがある。

やはり、欧州古典の起点には枯れたりといえども、ゆたかなりソースがあるのだろう。そして、踏みつけにされた歴史が厳しければ厳しいほど、良い作品が生まれる素地もある。アンゲロプロスの映画がそうだ。そして、その可能性はまだ尽きていないどころか、拡大しつつあるとはいえないだろうか。なぜならば、依然、ギリシアは不幸だからである。

不幸の切り売りがいいと言っているのではない。実際、どれだけリソースがあっても、優れたギリシアの作曲家は海外に出ていくしかないという現実は見逃すべきでもないだろう。しかし、そこには潜在的なエネルギーがある。まだ使い果たされないリソースが残っていて、その一方、カラインドルーやテオドラキスに顕著にみられるような「らしさ」も生まれてきた。もしもクラシック音楽にも投資という概念があるなら、私はギリシアに厚く賭けたい。ただし、そのリソースを活用するためには、それに見合うような優れた批評眼がなくてはならないだろう。芸術作品の創作には、そのような厳しさがある。いくらギリシアとはいっても、アンゲロプロスが2人といないのはそのためなのだ。

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