2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 須藤慎吾(Br)&服部容子(pf) 声とピアノのアンサンブル @日暮里サニーホール 2/18 | トップページ | コンヴィチュニー演出 リヒャルト・シュトラウス サロメ 二期会オペラ公演 Bキャスト 2/26 ① »

2011年2月26日 (土)

大友直人 スタンフォード 交響曲第3番「アイリッシュ」 東響 芸劇シリーズ(最終回) 2/25

大友直人をプロデューサーに、107回の長きにわたった東京交響楽団の「東京芸術劇場シリーズ」がその幕を閉じた。最終回となとなる当夜は、上原彩子を独奏に迎えてのラヴェルの協奏曲を真ん中に、パヌフニクとスタンフォードの交響曲でサンドウィッチしたプログラムとなった。最終回に相応しいかどうかはわからないが、聴き応えのある演奏会ではあった。

【譲りすぎる上原彩子】

まず、上原のコンチェルトについて述べるが、これは正直、あまり感心しない。決して悪いピアニストとは思わないが、上原はその楽曲のスタイルを厳しく守っていくようなアーティストではなく、本質的にあわせることに重点を置くピアニストではなかろうか。その傾向は若いころ(まだ若いけれど)のアクが抜けてきた分、ずっと顕著になっているように思われるが、そのことは上原のヒューマニスティックな価値を高めるとともに、一方でつよい表現性を犠牲にすることにつながっている。彼女はいま、室内楽やコンチェルトで、相手がいい音を出しているなら、自分が後ろに回ってもいいと思っているにちがいない。それはそれで結構なこころばえだとしても、一方で、ピアニストが守るべきスタイルが曖昧になってしまったり、自分がどうしても出なければならない場面でのインパクトに欠けるようでは話にならない。

その点で、上原のパフォーマンスには、私は相当程度の不満を感じる。私がこの協奏曲を聴いてもっとも感動した演奏は、相田久美子が青いサカナ団の15周年記念で弾いたときの演奏だ。瑞々しく、上品に、特に緩徐楽章においてラヴェルの酒脱さよりも、その素直な情感の発露に焦点を合わせた相田とサカナ団の演奏は、いつまでも私のこころに残って、録音であろうが実演であろうが、あれを越える演奏はなかなか聴くことができない。私はこの演奏を通して、コレペティ系のピアニストの凄さを知ったし、もちろん、サカナ団を知る機縁ともなった演奏会である。上原の演奏は、それにまったく及ぶものではない。

【インテンポ or ルバート?】

大友の解釈も両端楽章でインテンポに徹して、部分的にはかなり鋭いテンポを選んでいることで、作品の厚みを酒脱さのなかに溶け込ませようとする意思はわかるが、金管・木管の響きを聴くと、それはいささか無理である。あのテンポでは、ベルリン・フィルの名手でも十全な響きを聴かせることは難しいだろう。ラヴェルの作品は確かに、インテンポで鋭さが出やすいように誤解されるが、実際のラヴェルの演奏を聴くと、要所要所に気紛れなルバートを効かせることで、作品に奥行きをもたらしていることがわかり、それが独特の上品さで響くとき、この作曲家の凄みがわかってくる。その点については、上原の独奏部でもときに見ることができたが、オケのほうには浸透していなかったようだ。

【コール・アングレの響きに感動】

しかし、緩徐楽章はなかなか聴きごたえがあった。ところが、ピアノの音は聴いた実感がないというのが先刻の批判にも繋がるわけだが、その分、東響の奏者たちによるアンサンブルは見事だった。特に私が感動したのは、後半の長いコール・アングレのソロで、どちらかといえば田舎の風景を描くのに適したこの楽器を、微妙なバランスで都会的に使ったラヴェルの筆致を、この日の奏者は見事に捉えきっていた。涼やかで、優しい歌ごころ。そうはいっても、尖ることなく、全体のなかに溶け込んでいこうとする滑らかな抑揚。あの響きだけは、私のなかで長く残っていそうである。それ以外のパート、例えば、フルートの相澤の細部にわたって気を抜かない筋の通った響きなど、木管・金管にはあまり隙がなかったと思われる。

【シンフォニア・サクラ】

演奏会は、パヌフニクの作品で始まった。交響曲第3番という呼び方もあるが、『シンフォニア・サクラ』をそのまま使うほうが、実態に合っている。というのも、パヌフニクは『シンフォニア・・・』という作品をシリーズのようにつくっており、その『・・・』の部分に楽曲を象徴する意味があり、規模もコンパクトで、あとのスタンフォードのそれを『交響曲』というような意味で、その名称を使うことにはむしろ違和感があるからである。

この『サクラ』の演奏は、かなり前衛的な手法にフォーカスした解釈で演奏していた。後述するスタンフォードの作品でも、民謡調の響きを素直にフォーカスしており、大友らしいオーソドックスな解釈をオーソドックスに強調する、正攻法の演奏だったといえる。よっぽど、『サクラ』においてはヤナーチェクの『シンフォニエッタ』のように、両端部分を締める4人のトランペットをステージの四隅に分散して配置し、即席の祝祭空間をこれらの奏者の響きによって立体化するという試みを入れている。このアイディアは支持すべきものであるが、誰が「とちった」か一目瞭然となる配置は奏者にとっては、さぞ厳しいと思えたことだろう。

【悔やまれる過失】

全体的には、とてもいい演奏だったが、大事な部分で大きなミスが出たために、印象としては悪いものになってしまったかもしれない。例えば、最初のトランペット・ファンファーレの部分では、最後のほうでペットの高音にキーをあわせるようにして弦が染み込んでくるところから、作品が展開する。その肝心のペットの高音が、残念な結果になってしまったことで、幕開けですこし躓いてしまった。また、終盤のトランペット・ファンファーレでは、いったん下向して不安定な和音をつくってから、劇的な転調で最後のクライマックスを導く部分がある。ここで転調部分から体勢を立て直すときにアイン・ザッツに乱れが生じ、最後が締まらないという痛恨の事態になった。

【作品の味わい】

しかし、4本のトランペットのほか、ティンパニと打楽器、それにハープなどを司令塔にしたアンサンブルは決して退屈なものではなく、特に、第2部の神秘的な響きは素晴らしかった。目立つミスはあったものの、上記のような構造もはっきりとみえ、演奏は総じて優れたものであったのに、見栄えの悪さと、作品の知名度のなさが相俟って、フロアの反応はいまひとつであったのは残念だ。

作品の序盤では、マーラーの交響曲第9番にあるような響きも垣間見え、そこから巻き戻したり、また一方ではシェーンベルク方向に早送りしたりして、作品が流動的に展開していく様子は面白かった。結局、そのマーラー的な要素でフィナーレを迎えるのであり、この時期のパヌフニクはまだ、相当に後期ロマン派の魂を受け継いでいたことがわかったのも興味ぶかいことだろう。そのことは形式の自由さにも表れており、古典派的な「シンフォニー」ではなく、バロック的=自由で活気のある「シンフォニア」を選んだのも、そのようなところに秘密がありそうである。

【黒子の美】

スタンフォードは逆に、古典的な形式で安心して聴ける作品である。しかし、我々のよく知っている作品と比べると、単純な旋律とその支えに分厚い響きが当てられており、豪奢で優美な印象を与えると同時に、過剰に贅沢な感じも抱かせる。例えば、何小節も何小節も、フニフニと同じ伴奏型を弾きつづけるヴィオラなど、彼らの典型的な仕事ではあるが、それらがティンパニの響きと薄く重ね合わされているのを聴くと、なんだか弾き手のことが気の毒になるほどである。

しかし、そのような黒子の動きが、段々に身体のなかに染み込んでくるような不思議な曲である。この作品では旋律は単調で、シンプルに徹しているせいか、むしろ、その周囲に目がいきやすい。舞台芸術において、黒子の動きの機微が目立つということがいいのかどうかわからないが、それは多分、重要な要素なのであろうと思う。大友はその黒子の動きを殊更に強調することまではしないが、持ち前の繊細な感覚でアーティキュレーションすることによって、そのように角度をつけてみることを可能にしているのだ。

【高音弦の厚みが足りない】

演奏の欠点を挙げるとすれば、高音弦の響きに厚みが足りないことだ。このような厚ぼったいシンフォニーであればこそ、高音源の厚みは作品の生命線となろう。そのような点で、今回のパフォーマンスで高音弦に、低音弦にみられたような十分な濃厚さを付け加えることができれば、作品のフォルムはさらに輝いたであろう。ただ、これは私の席が3Fと、相当な高所にあったことからくる印象なのかもわからない。とまれ、私の素直な感覚に従えば、そのような点に若干の留保をおきたいと思うのも無理はなかろう。

【作品の特徴】

作品全体としてはアイリッシュ民謡のエッセンスが随所に効果的に生かされており、スメタナやドヴォルザークを思わせるとともに、ベートーベン的な要素まで遡ることのできる均整のとれた構造は、今日の名曲に比して、決して明らかな見劣りがあるわけではない。例えば、スケルッツォ的な第2楽章では、これらの要素が明らかにチャンポンになっており、ベートーベン的な構造の上で、アイルランド民謡の要素が断片的に表れてくる。例えば、ロイド=ジョーンズの演奏では、よりメンデルスゾーン的なテンポ感やアーティキュレーションが採用されているが、当夜の演奏はもっとずっしりした構造観に基づくベートーベン的なスケルッツォと見えた。

これは流れを重視する演奏ではなく、構造やそれに基づく素材素材の味わいを優先させたという意味にも捉え得る。それはのちにヴィオラを起点に、ポリフォニーの響きが広がる部分での構造からも読み取れるスタンスである。ところで、この構造は完全にベートーベン的なキャラクターを踏襲しているが、先の高音弦に対する批判も実は、このポリフォニックな対話のなかで高音弦の主張の弱さが隠せなかったことから導き出された結論でもある。

高木コンマスは古典派のテンポの良い作品におけるリードや、もっと厚みのあるショスタコーヴィチなどの作品におけるアクションの鋭さに圧倒的な能力を発揮すると思っているが、このような厚ぼったいシンフォニーで、第1ヴァイオリンでありながら全体を支えるベースの働きも求められるような役割においては、若干の課題を呈するに至った。もちろん、それはコンマスの責任だけに帰することのできる問題ではなく、大友の解釈の穏やかさから来るものなのであろう。

【低音弦の濃厚なパフォーマンス】

逆にいえば、ヴィオラとチェロを中心とする低音弦の働きは、とても印象的だったといえる。特に、第3楽章冒頭のスピリテュアルな響きは、予め聴きどころと思っていたが、期待以上であった。チェロの動きに注目したプレビュー記事を書いたが、ヴィオラも相当に食いついてきたのが嬉しい。むしろ、それが幹のようにあって、チェロ・バスが枝葉を支える。もちろん、チェロはボーマン首席を中心に、根太く柔らかい、いつもの響きだ。これらオーケストラ左翼の動きが、明らかに全体の波(うねり)をつくる鍵を握っていたのは確かである。

一方、終盤戦は金管と打楽器を押しだした華麗なアンサンブルが特徴となった。このシリーズでは英国ものが中心に取り上げられたが、当夜の演奏を聴いていて、それは単に大友が英国音楽に造詣が深いというだけではなく、楽団のストロング・ポイントを知り尽くした大友による周到な計算に基づいているようにも思えた。かつて楽団を支えた秋山和慶や、現音楽監督のスダーンとともに、この楽団に長く携わってきた指揮者によるシリーズの、大きな意義というのはこの一事からもよくわかるというものである。

【通俗からサクラへ!】

さて、その金管の聖なる響きで、世俗のアイリッシュ民謡は「サクラ」(神聖な、の意)の領域に高められた。なるほど、この2つのシンフォニーは性質を意にしながら、いちばん大事な点では結びあう神聖さにおいて共鳴するのである。その鍵は、わかりやすくブラスの響きで奏でられる。どこにでもありそうな、ありふれたものが神の領域に高められる・・・それこそ音楽のもつ高潔さではなかろうか。その意味を体現している点において、このスタンフォードの労作も名品の部類に入ると思われないだろうか。

最後、大きく腕を振り上げ、ダイナミックに盛り上げた響きを出汁に使いながらも、上品に響きを抜いて力まない弾きおわりは、正に大友の真骨頂だ!

【まとめ】

今回は3曲とも指揮者の情熱に、オーケストラのメンバーが遺憾なく応えた良い演奏を聴かせてもらった。このシリーズが終了するには大友がプレトークで話した事情以上に、もっと大人の事情がありそうに思えるが、あと1月で、楽団を長く支えたすかいらーくとの関係も終わり、ボーマンが去り、芸劇シリーズもなくなるということで、東響も激しい転換期に差し掛かっていくということだろう。この荒波を乗りきっていくために、やはり大友の力はどうしても必要なようである。

【プログラム】 2011年2月25日

1、パヌフニク シンフォニア・サクラ(交響曲第3番)
2、ラヴェル ピアノ協奏曲
 (pf:上原 彩子)
3、スタンフォード 交響曲第3番「アイリッシュ」

 コンサートマスター:高木 和弘

 於:東京芸術劇場

« 須藤慎吾(Br)&服部容子(pf) 声とピアノのアンサンブル @日暮里サニーホール 2/18 | トップページ | コンヴィチュニー演出 リヒャルト・シュトラウス サロメ 二期会オペラ公演 Bキャスト 2/26 ① »

オーケストラ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543421/50972731

この記事へのトラックバック一覧です: 大友直人 スタンフォード 交響曲第3番「アイリッシュ」 東響 芸劇シリーズ(最終回) 2/25:

« 須藤慎吾(Br)&服部容子(pf) 声とピアノのアンサンブル @日暮里サニーホール 2/18 | トップページ | コンヴィチュニー演出 リヒャルト・シュトラウス サロメ 二期会オペラ公演 Bキャスト 2/26 ① »

ツイッター

  • ツイッター

最近のコメント