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2011年5月12日 (木)

ヴィオラスペースのすゝめ 5/27-29 @紀尾井ホール

東京では1年じゅう、いろいろな種類のコンサートがあるが、私が掛け値なく、いちばん楽しみにしているイベントこそヴィオラスペースである。なにしろ、私は低音楽器・・・低音弦のほか、バス・クラリネットやコール・アングレなど・・・が大好きなのであるが、そのなかでも特に、ヴィオラには特別な愛情を感じるからである。ヴィオラだけではなく、ヴィオラ弾きが大好きだ。例えば、ヴォルフラム・クリスト、ユーリ・バシュメットジェラール・コセガース・ノックス、キム・カシュカシアン、店村眞積、そして、今井信子。どのヴィオリストも自分なりの「個性」・・・というよりは、哲学の持ち主で、それに見合った表現を育てている人たちばかりだ。

偏見かもしれないが、ヴァイオリニストはむしろ、なにを措いても個性を大事にしなくてはならない人たちである。ヤッシャ・ハイフェッツアルトゥール・グリュミオー、果ては、ジル・アパップやネマニャ・ラドゥロヴィッチのような存在までも許容する。そんななかで、私が好きなのが、哲学家タイプのフランク=ペーター・ツィンマーマンオーギュスタン・デュメイであるというのは偶然ではあるまい。

ヴィオリストは大抵、物静かで、これといった主張は少ないタイプが多いのではなかろうか。キム・カシュカシアンやユーリ・バシュメットのようなタイプは、むしろ珍しい。しかし、こだわるところには本当にこだわり抜くし、我慢づよく、物事に動じない。そして、彼らがいちばん大事にするものこそ、音色である。ヴィオラのいのちは、なんといっても音色であるし、その個性の幅広さはほかの弦楽器に比べて際立っている。ヴィオラは音域が狭いし、なぜ、そういうことになるのかわからない。しかし、例えば今井信子とキム・カシュカシアン、それにガース・ノックスなどを聴き比べてみると、本当に同じ楽器を弾いているのか、自信が持てなくなるほどに、音色がまるでちがっている。実際、ヴィオラのサイズにはバラツキがあるということが知られているし、そのためかもわからないが、もちろん、それだけの差に還元してみることは難しいと思う。

そのことをはっきり感じることのできるイベントは、やはり、ヴィオラスペースしかない。このイベントには世界じゅうから優れたヴィオラ弾きが来演し、日本国内に拠点を置く名手たちや、川崎雅夫や今井信子といった海外のアカデミーなどで活躍する実力派と腕を競うことになる。

それだけではない。もともと、今井信子のヴィオラ・リサイタルを機縁に、カザルス・ホールを舞台に始まったイベントは、ヴィオラの素晴らしさを若い人たちに伝えるという視点から、マスタークラスを柱のひとつとするなど、教育的な視点も早くから取り入れられていた。2009年に第1回大会を実現した「東京国際ヴィオラコンクール」は、そうした活動の集約点として、このイベントの中心人物=今井信子の悲願となっていたものである。

このコンペティションは通常のコンペティションとはちがい、競い合うことだけに視点が置かれてはいなかった。イベントはあくまで、若いヴィオリスト同士の出会いの場として、そして、それを囲む世界のヴィオラのマスターたちとの対話の場として企図されていた。実際、このイベントには既に相応のコンクール歴を積み上げてきたディミートリー・ムラトのような猛者も参加し、優勝者のセルゲイ・マーロフはその前後、ヴァイオリンのコンペティションでも成功している。彼らに限らず、参加者たちは互いの演奏を聴きあって友情を温め、先生方の物凄い演奏に聴きいっていた。才能ゆたかな原裕子は、今井のクラスに拾われて欧州へ渡ったが、その鍛錬の道や如何に・・・。

そして、あらゆる困難を乗り越え、来年には第2回のコンペティションが予定されている。審査体制はコンパクトになり、前回大会からはキム・カシュカシアン、店村眞積、堤剛がアウト、川崎雅夫が入って、若干、人数が絞られたが、それでも、オランダ、スイス、ドイツ、フランス、オーストリア、スペイン、米国にまたがるアカデミーのマスターたちや、現役バリバリのヴィオリストたちが結集している。

ヴィオラスペースの役割は、もうひとつある。

もともとヴィオラには、専門の奏者がいなかった。歴史的なヴァイオリニストのパガニーニなどはときにヴィオラをもつこともあったが、それはあくまでサブであって、本格的なヴィオリストの登場は、ウィリアム・プリムローズやライオネル・ターティス、それに、作曲家として有名なパウル・ヒンデミットぐらいまで下らないと出てこない。これらの巨人をもってしても、ヴィオラの味わいが本当に広く理解されるには足りず、それこそユーリ・バシュメットあたりの登場を待たなければ、一般からの理解は得られなかったと言える。近年、ジェラール・コセやアントワーヌ・タムスティがようやく、ヴァイオリニスト並みにスター扱いされているが、それでもまだ、これらの名前を知らないという人たちも、わが国には少なくはないだろう。

古くから、ヴィオラのレパートリーはなかったわけではない。例えば、ほぼ18世紀の作曲家といってよいルクレールにもヴィオラのための作品があるが、こうした時代にはまだ、ヴィオラ・ダ・ガンバやヴィオラ・ダモーレ、ヴィオロンチェロ・ダ・スパダなど、同じような役割をする楽器がたくさん存在した。とはいえ、モーツァルトにはもちろん、ヴァイオリンとのダブル・コンチェルト的な作品があり、シュターミッツ、ヴュータンなど、折々に優れた作品はつくられていた。それらの作品の魅力を紹介し、そうはいっても、ヴァイオリンやチェロと比べればはるかに少ないヴィオラのレパートリーを拡大するため、ヴィオラスペースは現代作曲家への委嘱や編曲の依頼も進めてきた。

ヴィオラスペースはこれらの役割を年に1回、カザルス・ホール、もしくは紀尾井ホールという最高級の箱を使って、20年以上も続けてきたわけである。長くやると新鮮さがなくなるイベントもあるなかで、このイベントは現在進行形で発展している。そのひとつの装置が、コンペティションというわけだ。コンペティションの入賞者はヴィオラスペースの公演にも招かれ、添え物ではなく、中心的な役割を担うなどして大切に扱われているようだ。こんなコンペティションは実際、ほかには存在しないのではなかろうか。今年のヴィオラスペースにも、上位入賞者2人が招かれて、互いに大きな見せ場を占めている。

第1回の優勝者、セルゲイ・マーロフは、ヴィオリストとしてはザルツブルクのトーマス・リーブルに、ヴァイオリニストとしては、アルカントQのアンティエ・ヴァイトハースに師事したハイブリッドなサラブレッドである。その特徴は自由奔放なアイディアにあるが、羽目を外すタイプというよりは、知的でクールに燃え上がる感じである。一方、ファイト・ヘルテンシュタインは今井信子の弟子で、オーソドックスなタイプではあるが、優等生的ではなく、若さに似合わぬ繊細な表現力を組み立てることに関しては天才的だ。コンペティションでは、本選における投票で、マーロフやムラトといった完成度の高いヴィオリストたちを抑えて、オーディエンス賞を獲得した。

この2人のパフォーマンスのなかで特に注目されるのは、マーロフが弾くパガニーニの作品だ。『グランド・ヴィオラと管弦楽ためのソナタ』は、その題名どおりに管弦楽伴奏で演奏される機会は少ない。10数分の作品にオケ伴奏をつけることは、どうしても経済的に無理があるのだろう。しかし、作品自体はゴージャスで、ヴィオラの魅力をここまで引き出した作品は、ウォルトンの協奏曲など、数えるほどしかない。

今回は、キム・カシュカシアンの参加も目玉のひとつである。アルメニア系移民の血統を引くアメリカ人であるが、世界最高のヴィオリストといっても過言ではない人物だ。その音色はヴィオラとしてはあり得ないほどに透明であるが、そのルーツのせいか、レパートリーは非常に広範な民俗性を拾い集めるような感じになっている。今回は、27日に今井とのデュオで藤倉大による委嘱新作を、28日にはルチアーノ・ベリオの作品を披露することになっている。

イベントの最後では、ヴィオラ奏者全員が参加して、テレマンの4つのヴィオラのための協奏曲が演奏される。祝祭的な一期一会の演奏だが、肩が凝らず、ヴィオラの音色をこれでもかと楽しめる滅多にない機会となりそうだ。

日本のオーケストラのトップ奏者たちも、数多く参加する。N響の店村のほか、読響の鈴木康浩、都響の鈴木学、東響の青木篤子、東京フィルの須田祥子、神奈川フィルの柳瀬省太などである。このなかで私が注目するのは、青木篤子が野平一郎のピアノで演奏する、シューマンの『幻想小曲集』だ。青木は東響の演奏会では、スダーンの指揮で『イタリアのハロルド』のソロを弾き、大喝采を浴びた。あのときの演奏は歌ごころに満ち、オケとの対話力にも優れていたうえ、技能的にも不安な部分はなかった。彼女の演奏に再び、こうして、じっくり接することができそうなのは喜ばしいことである。

28-29日には、1時間程度のミニ・コンサートも企画されている。以前、紹介した井上祐子は28日の午前中の演奏会で、ボーエンの作品を演奏する。井上は今井に憧れて渡欧して彼女についたあと、メキメキと頭角を現し、いまや英国の王立音楽アカデミーで教授職を務めるというヴィオリストである。こうしてみると、今井、井上、川崎と、世界の先進国の教授陣はかなりの部分、日本人が占有しているわけであるが、これはもちろん、偶然ではないと思う。日本人ほど、この楽器にあった民族はいないのである!

私は28-29日の公演を聴く。その前のマスタークラスにも注目したい。また、ここでは特に触れなかったが、大阪と名古屋でもヴィオラスペースはおこなわれているので、あわせて注目していただきたいと思う。大阪公演では、東京公演に出演しないアントワーヌ・タムスティが出るのが見どころとなっている。

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コメント

 プログラムを良く読んでませんでしたが井上先生も出演されるのですね。CDで聴いただけですが味わい深い演奏でした。
 今年はコンサートだけで三日間。濃厚な週末になりそうです。

コメント、ありがとうございます。井上さんの出演はたったの1曲ではありますが、今井さんとの滅多にきけない共演となります。楽しみです。

コンサートだけで3日間は確かに濃厚ですが、コンペティションを挟んだ2009年こそ、私にとっては、真の「熱狂の日」でした。やはり、若さが混ざることで、こうしたイベントも未来に向かって希望のあるものとなります。

ル・グラン・マカーブル以来、時々伺わせていただいています。

私は全くの素人、趣味で聴くだけですが、そんなにポピュラーでない音楽について良い勉強になっています。

今日名古屋でアントワン・タメスティの無伴奏ヴィオラ・リサイタルがありますので聴いてきます。バッハと現代を結んだプログラムに興味を持ちました。

ではまたよろしく。

ひろとさん、コメントありがとうございます。演奏会のレヴューも拝見しました。やっぱり、ヴィオラのコンサートはいいですよね。

ただ、敢えて一言するならば、このコンサートに「現代」はなかった気がします。ヒンデミットは戦後まで生きますが、もともと後期ロマン派に出発し、私からみれば、ブラームスの親戚のようなもの。彼が生まれたのはサー・マルコム・サージェントと同じ年ですが、まだブラームスだって生きていました。

レーガーはもっと古い作曲家で、ヴォーン・ウィリアムズやセーヴラク、シェーンベルクとほぼ同じ世代です。よっぽど、「現代」の線引きは難しく、私にもその基準は分かりかねますが・・・余計なことでした!

ちなみに、私も趣味で聴くだけです。

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